ep5 喫茶店『因果関係』にて
「なんていうか……俺がいた世界と変わらないな」
それが、『宇世界』の街を散歩した俺の感想だった。
「だろうよッ。剣と魔法の世界だとでも思ったか?」
「まあ……多少はな……」
素直に頷くと、「カカカ」とトラトラが笑った。
俺の中の異世界像は脆く崩れ去った。
コンクリートで塗り固められた道路。
鉄骨造りの二階建て、三階建ての住居。
ショーウインドウの中で服を着せられてポーズをとる、物言わぬマネキン。店内には、安い布と労働力で量産されたであろう、同じ服が大量に並んでいる。
おおよそ生活必需品はそこで賄えそうなコンビニエンスストア。煌々と焚かれた電飾は文明を誇示するかのようだ。
スーツを着た男性が足早に通りすぎたかと思えば、小学生らしき集団は並んで歩きながらも手元の携帯デバイスに夢中だった。
——何も変わらない。俺がいた世界と。
文明に酔い、
目的と手段を混同し、
破壊と創造を混同し、
平和と戦争を誤解し、
互いに傷つけあい、いらぬ傷を舐め合い、足を引っ張り合い、敵味方のべつまくなし疑い、果てに年間三万人以上の自殺者を生み出した——あの世界と、この『宇世界』の風景は、何も変わりなかった。
アスファルトですれ違う老若男女の表情にぶらさがる影——まるで後悔のようなその暗い部分は、元いた世界でよく見た色だった。
これのどこが完全な世界なのだろう?
デボラさんの——異世界管理会の理想とする世界は、こんな世界なのだろうか?
だったらまだ、魔王を倒すために剣と魔法でモンスターを殺していく世界の方が、マシじゃないか?
「さァ、ここだ!」
トラトラの案内で『因果関係』という変な名前の喫茶店に入る。
落ち着いた内装だった。木目調の壁やテーブルに革張りのソファ。重厚感のあるシャンデリアが天井からひとつ提げられている。その他点々とロウソク型の電灯が並んでいて、オレンジ色の柔らかな光を放っていた。
レトロ調というコンセプトなのだろう、……こういうコンセプトは嫌いじゃなかった。
他の客は妙齢の女性が多かった。夫が仕事に出ている間に友人と優雅にティータイムと洒落込んでいる。
こんなところも、本当に俺のいた世界にそっくりだった。
剣と魔法の世界で、ダンジョンに潜って、跋扈するモンスターたちとの戦いに明け暮れたり。
世にも美しい姫とのロマンスに身を焦がしたり。
秘められた力を解き放って魔王を倒したり……。
そんな世界ではないのだ——この『宇世界』は。
「俺が実は勇者の生まれ変わりだったりとか、そういう妄想は男子なら誰しも抱くさ……」
呟きながら、くたびれた革張りのソファに体重を預けると、注文したドリンクがテーブルの上に置かれた。
「お待たせしました。アイスコーヒーと、アイスミルクと、ビールです」
「…………」
俺が注文したのはアイスコーヒーだ。レトロな内装の喫茶店だし、ふつうはコーヒーを頼むと思うのだが。
「わあ……」
オネスティはアイスミルクがなみなみと注がれたコップを見て嘆声をあげた。まるで宝石を眺めるかのようにキラキラとした視線で。
——理解に苦しむ。
「アイスミルクって、コップに牛乳を注いだだけじゃん。喫茶店の色が出ないよね。やっぱコーヒー豆の味を愉しまないと」
思ったことをそのまま伝えると、オネスティは一瞬驚いて——それから哀れんだように俺を見た。
「……真のコーヒー通はもはやコーヒーを飲まない……これ常識……」
「なんだその新手の楽しみかたは」
ツッコんだが、オネスティは俺を無視してミルクを飲んでいた。
その顔が本当に幸せそうだったので、そんなに美味いのかなと気になったり……。
「ウンチク垂れてねえで飲み物を楽しめやッ。……ングッ、ングッ、ングッ——プハァ! やっぱ仕事中のビールは最高だなッッッ!」
「ビール飲んだらもう仕事中じゃねえだろ」
こっちの金髪童女の方はもう論外だった。
仕事中の飲酒だとかそれ以前に、明らかに小学生ほどの外見の童女の飲酒は、倫理的な問題がありそうだ。
「そういえば、トラトラって何歳なの?」
「ん? オレかッ? オレは十四歳だ!」
トラトラは自信満々に言った。
「いや、十四で酒飲んじゃダメだよねっ!?」
それに、こういう異世界モノって普通、見た目に反して実はめっちゃ長生きする種族だとかそういうエクスキューズを付けるものじゃないの? 普通に十四歳って言っちゃったよ。
「——あ、もしかして法律か? 宇世界では法律で飲酒の年齢制限がないってことか?」
やり方としては、そういう逃げ道もある。道義的にどうかはさておき、その世界で違法でないのなら問題ないと言い逃れできる。
「いや、法律的にも二十歳未満は飲酒禁止だッ!」
「逃げ道がねえ!」
どうすんだよ。異世界警察にしょっぴかれるぞ! 世界観検察に鼻で笑われるぞ!
「こちとら数えきれんほど転生してるんだッ。それぐらい大目にみてくれよ!」
開き直った! 最悪だ!
「……っていうか、テルテルよお。オマエこそ反省すべきだぜッ」
と、トラトラはなぜか俺の方にビールジョッキをしゃくりあげてきた。
「はあ、何をだよ?」
「喫茶店でコーヒーを注文するなんて、ツマンネー人間のすることだぜッ!」
「はあ?」
「個性出してけよッ!」
——冗談だと思ったけど、ちょっとマジトーンだった。
どうやら喫茶店でコーヒーを頼むのはトラトラ的にはナシらしい。
コーヒーを飲む場所でビールやアイスミルクを注文するのが個性なのか? 甚だ疑問だが、いろいろな考えかたがあるのだなあ。
というか俺は一体どうすれば良かったんだ?
などと終わりのなさそうなことを考えながら、コーヒーをすすると——
「こ、これは……!」
……めちゃめちゃ美味かった。
爽やかな苦味の奥にコクがあり、そのさらに奥にほのかな甘みが感じられる……ッ。
こんな美味いコーヒーなら、毎日飲みたいと思えた。
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