漆木デボラ曰く、宇世界は完全な世界である
吉永動機
プロローグ 「いい報せがひとつと、悪い報せが三つあります」
「あ、起きましたかね……?」
輪廻だとか転生だとか。
信じていたわけじゃないが。
いざ、こうしてみると、信じないわけにはいかないのだった。
「うふふ、ぐっすり眠ってましたね♪」
前世で、いたって普通の男子高校生だった俺は、死んだ。
即死だった。
理由もありがちなものだった。
——いや、正確に言えば、滅多にあることじゃないが、不運な死に方の代名詞的な方法だ。
街を歩いていたら、デパートの屋上から、投身自殺者が降ってきた。
ズドン。はい死亡。
ジ・エンド。
「もう大丈夫ですからね」
声につられて、目を開く。
目の前には、女性の顔があった。しかもかなり近い。
というか、この体勢——膝枕されてる。
なんか後頭部がやわっこい。気持ちいい。
「お疲れ様でした。あなたは無事死亡しましたよ」
ニコニコ顔で、目の前の彼女が言った。まるで歌うような、透き通った声だった。
天使みたいな女性だった。
「……やっぱり俺は死んだのか……」
自分の記憶が間違っていなかったと知る。
「あ、ここ笑うところなんですよ! 死んだのに無事ってなんやねーん! って!」
ムッとむくれてから、彼女が叫ぶ。
俺は数秒、彼女の大きな瞳を見つめて、俺をからかっているわけではないと悟り、
「ああ、笑ったよ。……呆れて膝が笑った」
と、答えた。
しかし。
「あーーーー! もう、最悪です。私より上手いこと言わないでください!」
と彼女は不平を漏らした。どうやら笑いとかコミュニケーションにはうるさいらしい。
どうしよう。若干面倒くさい。
「別に上手くはないだろ……」
「上手いです!」
「そんなことより、ここはどこなんだ?」
俺は彼女をスルーして上体を起こし、辺りを見回す。
視界の限り、真っ白な空間だった。
——何もない。〈有る〉という概念さえあるのか、疑わしいほどに。
「ここ? ここは『亜世界』ですよー」
彼女はケロリと答えたが、聞いたことのない単語だった。
「亜世界? 異世界なら聞いたことがあるが」
「はい。『異世界』に行く前に立ち寄る場所だから『亜世界』と言います。『い』の前には『あ』がありますからね」
「あいうえお順かよ」
めちゃくちゃ日本語基準だな……。
ん、待てよ? ということは——
「俺は転生したということか」
「そうです♪ 正しくは、これから転生するということになりますが、まずお伝えしなければならないことが四つありまして——」
と、彼女は黒いロングヘアーを耳に掛け、スッと背筋を伸ばした。
座ったまま、互いに向かい合う。
「いい報せがひとつと、悪い報せが三つありますが、どれから聞きますか?」
「バランスが悪すぎないか?」
「ですよねー。私もそう思います」
彼女は頷いて、苦々しく笑った。
「順番は任せるよ。俺の精神衛生上よさそうな順序で頼む」
「かしこまりました! では悪い報せその1から……」
あっ、やっぱりそうなるよな。
基本的には、まずは落としてから、最後に救いがあった方が精神的にはまだマシだろうし。
とはいえ、悪い報せというのは緊張する。
「あなたを死に追いやった自殺志願者ですが……一命を取り留めました」
「…………」
絶句した。
最悪だ。
最悪だ最悪だ最悪だ。
最悪すぎる。あんまりだ。
「お気持ちはお察しします」
神妙な顔つきで彼女が言う。
『お察し』されても生き返るわけじゃないしなあ……まあ、彼女に当たっても仕方ないので、しないけど。
「そうか……生きてたか……それは、良かったよ……ああ、ヨカッタヨカッタ」
想像以上のダメージが心を蝕んでいる。今ならどんな悪にでも心を染められそうだ。
「で、次は?」
「悪い報せその2です」
「だよな……そうなるよな……」
心を強く持て。耐えるんだ。あとで良い報せが待ってる!
「ふたつめ——あなたは異世界には行けません」
「……………………はい?」
ぽかーん。
え、どういうこと? 俺、転生するんじゃないの?
「まあその——単純に言って、キャパオーバーです」
「キャパオーバー!?」
もはやおうむ返しするしかできない俺に、彼女は心底申し訳なさそうに言った。
「はい。異世界転生者が増えすぎて、あなたを受け入れられる異世界がありません」
「なんだそれ!」
保育施設じゃないんだから!
「今、異世界不足は深刻な『世界問題』なのです」
「いやそんな社会問題みたいに言われても」
じゃあ俺はこれからどうなるんだ? 異世界に行けなかったら転生もできず、この『亜世界』とかいう真っ白な空間でずっと過ごすわけ?
いや——それはキツい。
こんな何もない場所にずっといたら、気が狂いそうだ。
「とりあえずどこでもいいから異世界の片隅に置いといてくれよ。誰の施しも受けずに暮らすからさ。それでもダメ?」
「残念ながら……。こちらにも責任というものがありますので」
首を振る彼女。だからその責任とやらを一切問わないから何とかしてくれという話をしているのだが……そうもいかない事情があるらしい。
「あなたがいた世界で〈死〉を迎えると、魂はこの『亜世界』に行き着きます。そして本来であれば、私たちによってさまざまな異世界に振り分けられるという流れになっています」
——つまりここは、異世界への玄関口ということか。
そして彼女は、亜世界から異世界へと魂を振り分ける役割——閻魔様的なポジション、と。
なるほど理解した。
……しかし、異世界はもう定員オーバーときた。
だから俺はこうして『亜世界』とやらで足止めをくらっている。
「で、俺はどうなるんだ?」
当然のごとく、そう訊ねる。
「そこなんです!」
すると彼女は一転、ぱああっと花が開いたような笑顔で人差し指を立てた。
「ここで、良い報せですよ♪ お待たせしました!」
「うわぁ…………」
すっごく、複雑な気分だった。
もちろん、良い報せは嬉しい。心待ちにしていたくらいだ。
しかし、まだ悪い報せがあとひとつ残っている。
悪い報せ→悪い報せ→良い報せ→悪い報せ。
——とても嫌な予感がする順序だ。
この順番は、最後の悪い報せが壊滅的なほど悪いものである予感をひしひしと感じさせる。
ああ、ストレスで胃が痛い……。死んでもなお胃痛に見舞われるとは、なんと不自由なことだろう。
「まあそう暗い顔をしないでください」
「早く良い報せを言ってくれ。でないと死んでしまいそうだ」
「ぷぷっ、死ぬわけないじゃないですか〜! もうあなたは死んでるんですよー! あははは! おっかしい!」
彼女は爆笑した。お腹を抱えてひいひい言っている。
「あの、ごめん、笑えない……」
「あっ」
「早く良い報せを言ってくれるかな?」
「……失礼しました」
注意すると、彼女はサッと真顔に戻った。
「実は、我々は異世界不足を解消するために、もうひとつの世界を作りました」
「もうひとつの世界?」
「はい。もう異世界は時代遅れです。際限なくやってくる転生者たちを振り分ける我々の労力にも限界があります。これからは我々が創造した——『宇世界』の時代です」
「……えーっと、もう一回言ってくれないか」
「あれ? 聞こえませんでしたか。 異世界はもう古い! これからは『宇世界』なのです! と言ったのです」
「…………」
亜世界、異世界ときて、次は宇世界かよ……もはやただの言葉遊びとしか思えない。
「感動で声も出ませんか? 無理もありませんね。なにせ『宇世界』は最高の世界なのですから。完全な自由、完全な平等、完全な生活、完全な社会設計——すべてを兼ね備えています。そんじょそこらの異世界など屁でもありません。ましてや『新世界』など……」
「ん? 『新世界』って何だ?」
問うと、彼女は露骨に「しまった!」という顔をした。
「あー、うん、ゲフンゲフン。……今のは忘れてください。とにかく! 『宇世界』は素晴らしいのです。きっとあなたも気に入りますよ♪」
気にいるかどうかは見てみないことにはわからないにしても……完全な自由、完全な平等、完全な生活、なんかちょっと胡散臭いぞ……。新興宗教チックというか……。
「そんな素晴らしい『宇世界』にあなたをお連れします——これが、良い報せです」
「……その良さがまだ俺に伝わってないんだがな」
良い報せかどうかは、それ次第だし……。
「すぐにわかりますよ!」
彼女は屈託のない笑顔でそう断言した。
その顔は純朴そのもので美しいと感じたけど、だからって彼女を信用するということではない。
いくら周到に準備したからと言って『完全な世界』を創ることなど可能なのだろうか……。
「ところで、さっきからちょこちょこ言っている『我々』ってのは何なんだ? なにかの団体なのか?」
「それは後ほど説明しますね。最後に、悪い報せその3を伝えなければならないので」
「ああ、そうだった……」
……嫌だな。聞きたくない。この流れは絶対にヤバい。
彼女は何度か深呼吸をして、意を決したように俺の目を見据える。
「…………!」
俺も覚悟を決めて、言葉を待つ。
そして、ゆっくりと、彼女が、
「私たちが今いるこの『亜世界』は、間もなく——」
と、言いかけた瞬間——
「ドッ——————!」
激烈な音が耳をつんざいた。
「な——!?」
それが爆発音だと気づくのに、数秒要した。
なんだ? 何が起きた? なぜ爆発が!
耳がキーンと鳴って、うまく言葉を発することができない。
ところが目の前の彼女は、まるでそれを予知していたかのように落ち着き払っている。
「とうとう奴らが来ましたか……」
「奴ら?」
問うたが、無視された。
彼女が言う。
「悪い報せその3は——『宇世界』の住人は常に命を狙われることになります」
「全然完全じゃないじゃん! なんだその危険地帯」
「破壊されなければ完全なのです!」
「その完全の中に『安全』『安心』は含まれないのかよ!?」
「…………」
黙ってしまった。
というか、スルーされた。
なんなんだ、『宇世界』。大丈夫なのか? 『宇世界』!?
「ともかく急ぎましょう」
彼女はそう言って立ち上がり、俺の手を握った。
指先はひんやりと冷たく、生気が感じられなかったが、ギュッと握る手の力強さに彼女の意志を見た気がした。
「急ぐって、どこへ?」
自分の声さえ聞こえなかったが、質問は伝わったようで、
「もちろん、宇世界へ——」
というシンプルな答えが返ってきた。
「目を閉じて、体の力を抜いて、リラックスしてください」
身振り手振りで、彼女は俺にそう伝えてきた。
なすがままに脱力する。もうどうにでもなれという心持ちで彼女に身を委ねた。
「いい子です」
彼女が微笑む。やっぱり天使みたいな笑顔だった。
そして、俺の意識は穏やかに白んでいった——
×
遠い遠い意識の底で、声が聞こえた。
申し遅れました。私の名前は
この無数に存在する『異世界』群を統べる『異世界管理会』の会長を務めています。
これからよろしくお願いしますね、テルキさん。
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