ep2 『メゾン無量大数』の来訪者(1/2)

『宇世界』の朝食は、なるほど俺にとっては『完全』に近いものだった。

四枚切りの厚めの食パンにミルクの香りが強いバターを乗せて食べると、サクッとした表面の食感と、ふんわり柔らかな食感が同時にやってくる。

それによって打ち震えるような幸福感が胸の奥から湧き上がる。

香ばしさと、ふくよかなミルク感が極上の体験をもたらす。


そしてベーコンエッグ。

少し焦げたベーコンの芳しさを、卵が優しく包んで口の中で溶け合う。

ベーコンの微かな肉感も、噛むことの悦びを思い起こさせ、噛むたびにほのかな塩味が増幅されていく。



豆の入ったサラダも、塩を少々ふりかけるだけで野菜の青味というか草の旨味が滲んでくるようで、シャッキリと目が覚める。


小さな二つのコップには、それぞれにミルクと水が注がれている。

ミルクを飲みながら食事を摂り、完食してから一気に飲み干す水の美味しいことと言ったら。


——なんという体験だ!


「ごちそうさまでした!」

パン、と手を合わせて言う。

……こんなに充実感のある朝食は初めてだった。

これからずっと同じ献立でも、絶対に飽きることはない朝食であると胸を張って言えた。


「なっ? メゾン無量大数の食事は宇世界一だろ?」


トラトラはニカッと八重歯を覗かせた。

宇世界の食事自体初めてだったので比較対象がないが——俺は確信を持って力強く頷いた。


「ああ。間違いない。ここのメシは宇世界一だ」


「ニッシッシ! だろだろ! いや〜話がわかる奴じゃないかテルテルは!」


「…………」


やっぱテルテルって呼び名なんだ。……早く慣れないとな……。

満足そうに爪楊枝で歯を掃除するトラトラ。とくに八重歯のところを入念に突いている。

やっぱあの部分、物が挟まりやすいのかな。


……そういえば、初めてこの金髪おかっぱ童女と意見の一致を見た気がする。

それだけ『メゾン無量大数』の朝食は極上だった。やはり食の力は偉大である。


「さて! あさげも済んだことだし、ボチボチ宇世界のことをテルテルに教えるか!」


言うが早いか、トラトラは勢いよく席を立った。

しかし、その前に気になっていたことを訊ねた。


「ちょっと待った。そもそも、デボラさんとトラトラはどういう関係なんだ?」


「関係?」


ピタッと動きを止め、眉間に皺を寄せながらトラトラは言葉を探す。


「関係いいい……。友達……? うーむ。なんだ?」


その様子を見かねてか、ハンカチで口元を上品に拭って、デボラさんが答えた。


「まあ、平たく言えば同僚みたいなものですね♪ もちろん、友情でも結ばれていますが」


「そーゆーことだッ! つまり——そーゆーことなんだ!!」


「そーゆーことですか……」


完全に後乗りで同意して、得意げに俺を指差したトラトラ。

端から見れば同僚というより姉妹のような感じだが、俺の与り知らぬ歴史があるらしい。

そのあたりについては、新参者の俺がズケズケと聞いていいものではないのかもしれない。追い追い知っていけばいい。


「じゃあ、宇世界のことについてぜひ教えてよ——」


と、言いかけたところで。


カランコロン♪


という鈴の音が家じゅうに響いた。

なんだ?


「む。来客か」


トラトラが頭をボリボリと描きながら呟き、歩きだす。

来客? ということは今の音は呼び鈴か。

デボラさんに視線を送ると、彼女は「さあ?」というように首を傾げた。どうやらイレギュラーな来客のようだ。

トラトラは、リビングからも見える玄関のドアを開けた。

——そこに立っていたのは、俺と同年代くらいに見える一人の女の子だった。

黒髪だが外ハネの毛先だけ緑色という、なかなかエキセントリックなヘアスタイルだった。


「あ、あのぉー……」


その少女はおずおずと視線を上げ下げして、消え入りそうな声で呟く。

視線には躊躇いが含まれて、どこか存在に不安を抱えているような所作だった。

パンクな風貌とは逆に、気弱な性格らしい。


「なんだ? ……もしや入居希望者か!? よしいいぞ! うちに住め!」


なんだその懐の深さは。というか早合点もいいところだ。ちゃんと話を聞いてさしあげろ。


「ち……違います……そういうんじゃ……ないです……」


「むッ? じゃあなんだ? 用件を言え!」


パワータイプのコミュニケーションを取るトラトラと、気弱そうな少女の相性はそこはかとなく悪そうだ。見ているこっちがヒヤヒヤする。


「あのですねぇ〜……」


「早く言え! でないとドアを閉めるぞ!」


いや、どんだけせっかちなんだよ。かわいそうだろ……。

そして、しばらく言い淀んでいた少女は、ひどく憔悴した様子で言った。


「わ、わたしは借金取りです……。お、お、おめぇ誰の許可を取ってこの土地に家を建ててんだコノヤロウ……! 金払え、カネぇ〜………………」


「……はい?」


——空気が固まった。

あんな啖呵を切っておいて、当の少女は顔を真っ赤にして俯いている。小動物のように震えてさえいた。

トラトラは目を「え? 何? なにこれ?」とばかりに丸くしてこっちを見やる。

俺とデボラさんは口をあんぐりと開けて首を横に振るしかなかった。

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