ep3 『メゾン無量大数』の来訪者(2/2)

「で、誰の差し金だ?」


——リビングのテーブルを囲んで。

自称借金取りの少女を、おかっぱ童女(金髪)が問い詰めているという、奇妙な光景が目の前に広がっていた。

とりあえず椅子に座らせて、デボラさんがコップ一杯の水を差し出すと。少女は目をパチクリさせた。


「あの……これってなんですか……?」


「なにって、コップに入った水だけど……」


首を傾げながらデボラさんが答える。


「水……ですか……?」


どこか釈然としないというように彼女がコップをまじまじと見つめる。

まさか水を知らぬわけではあるまい……。きっと気が動転してるんだな。


「どうぞ飲んで、落ち着いてください♪」


デボラさんに促されるがまま、彼女はコップの水を一口飲み込んだ。

その瞬間、彼女はまるで雷にでも打たれたかのように驚愕した。そして、手に持ったコップを荒々しく煽り——「ゴッキュ……ゴッキュ……」と一気に水を飲み干した。

すさまじい飲みっぷりだった。……そうとう喉が乾いてたんだな。

空のコップをテーブルに置くと、また彼女は申し訳なさそうに俯いた。


「あ……あの……」


「なんだッ?」


「ここのお水……すごくおいしいです……信じられません……」


少女はトラトラに向けておずおずとしつつも感動を口にした。

水がおいしいことには俺も同意だが、信じられないとはちょっと大げさすぎやしないか。


「そりゃ良かったなッ! ところでオマエ、名前はなんてんだ?」


「あ、申し遅れました……私の名前は——」


少女はトラトラの問いに答えようと口を開きかけたが、ハッと何かを思い出して口をつぐんだ。


「……言えません」


「むッ!? なぜだ」


「言えないからです……」


「いいから言ってみろ」


「言えません」


「いいから」


「言えませ——」


「言えよ!」


刹那、トラトラがテーブルを思いっきり蹴り上げた。

『ガンッ!!』と凄まじい音。


「ひいっ!?」


少女が怯み、体がグッと硬直する。


「いいか……? オレは同じことを何度も言うのがこの世で一番嫌いなんだ……ッ!」


トラトラは八重歯をカチカチと噛みながら、静かに言った。

いや、こええよ……。

普段は大きな声で陽気キャラなのにキレると静かな口調になるって、マジでその筋の恫喝の手口じゃないか?

……トラトラを怒らせるのだけはやめておこう。


「う、うぅ……ごめんなさい……」


——ほらもう、女の子が泣きそうじゃないか。

見ると、口を真一文字に結び、目尻に涙を溜めていた。かわいそうに。


「名前を言ってくれるだけでいいのよ」


今まで成り行きを見守っていたデボラさんだったが、さすがにここで口を挟んだ。

優しく包み込むような声音はまさに聖母ようだ。


——というかこれアレだ。刑事ドラマとかでよく見る方法だ……。

厳しく追い詰める取り調べをしたあとに、優しい刑事がやってきて穏やかな口調で質問すると、つい絆されて口を割ってしまうというアレだ……!

少女は何か後ろめたさのようなものを残しつつも、デボラさんの優しさに心を許したようで、


「……オネスティ」


と、呟いた。


「オネスティ? あなた、オネスティという名前なのね?」


デボラさんの問いに、彼女はコクリと頷いた。


「オネスティ——《正直者》か。なんだ、いい名前じゃないかッ」


ニカッ、とトラトラが笑いかけると、オネスティと名乗った少女は安堵したようだった。

同時に俺も安堵した。トラトラは直情型というか、さっきまで怒っていたことでも解決すればさっぱり忘れられるタイプのようだ。


「名前を聞いたんだからこっちも名乗らないとなッ! オレは無量大数トラトラ。こっちの天使みたいなネーチャンは漆木デボラ。そんでそこの目つきの悪いニーチャンがテルキってんだ!」


「いや目つき悪くないだろ!」


どっちかというと垂れ目だし……。どっちかというとね!


「そうよトラトラ。テルキさんは目つきが悪いというより、常に眠そうなだけよ?」


「デボラさんまで……」


あなた、そんなこと思ってたのね……。

俺はがっくりと肩を落とした。


「……ぷっ……、ふふっ、おかしい……」


声のする方を見ると、オネスティが口を押さえて控えめに笑っていた。


「おー! オネスティが笑ったぞッ!」


「笑顔も素敵ですよ♪」


よほど意外だったようで、デボラさんとトラトラの二人はまるでオネスティが失っていた笑顔を取り戻したかのように喜んでいた。単に今まで笑うタイミングがなかっただけなんだろうけど。


「す、すみません……。笑ってしまいました……」


オネスティは俺に小さく頭を下げた。肩のあたりで外側にカールした緑色の毛先が揺れる。


「いや、気にしてないよ」


俺は、できるだけ彼女がリラックスしていられるよう注意を払いつつ、答えた。

彼女が笑ったことを気にしてないのは本当だ。

むしろ、彼女の笑顔に俺が一枚噛んだことの喜びの方が大きかった。やはり女性は笑顔の方が美しい。


「——それで、本題に戻るけど、どうしてオネスティは借金取りみたいなことを言ってきたのかな?」


頃合いかなと思い、そう問うてみると、オネスティはあっさりと答えた。


「借金取りは……アルバイトです……」


「アルバイト?」


「はい。生活が苦しかったので……」


「『新世界』の連中だな?」


トラトラがオネスティに訊ねる。

『新世界』って単語、たしか前にも聞いたな。デボラさんが言っていたけど、何を意味するのかははぐらかされたっけ。

それを知りたい衝動に駆られたが、タイミング的に今ではなさそうだ。後で聞こう。


「……………………」


『新世界』という単語が出るや、オネスティは途端に押し黙った。


「……沈黙は雄弁だなッ。やはりオマエは正直者オネスティだ」


満足そうにトラトラが何度も頷く。

たしかに、オネスティの態度は悲しいまでに『肯定』を意味していた。それは俺にもわかった。

——つまり、『新世界の連中』とやらがオネスティを雇って、この『メゾン無量大数』まで借金の回収に遣わせたということか。

というか、どう考えてもオネスティは借金取りという柄じゃないだろうに……人選ミスだな。


「うぅ……バレたらクビだと言われていたのに……バレてしまいました……」


オネスティは手で顔を覆って、絶望を隠しもせずうなだれた。


「もとより帰る場所などありません……。たった今、生活の糧も失いました……私はこの世界では生きていけないダメ人間なんです……」


とてつもない悲壮感だった。ぐうの音も出ないほどの陰鬱さだった。闇のオーラが見えそうなほどに。

それにしても、帰る場所がないというのはちょっと気になった。しかし、オネスティについてはわからないことが多すぎてなかなか口を挟めない。

この状況にトラトラとデボラさんがどう収集をつけるのかを見守ることとしよう。


「はあ……ダメ人間か——」


トラトラはこれみよがしに大きく嘆息した。


「オネスティ。たしかにオマエは本当にダメ人間だなッ!」


攻撃的な視線をオネスティに向けるトラトラ。

ちょっと待て、なぜまたトラトラがキレている? 同情するならまだしも、これはちょっと容認できない。


「待てよトラトラ、何もそんな言い方は——」


すると、俺の胸の前に細い腕が割って入ってきた。


「!?」


その腕の主は——デボラさんだった。俺の意見を制したのだ。

どうして? トラトラは今ムチャクチャなことを言ってるのに……と言おうとした瞬間、


「トラトラは大丈夫よ♪ あの子、ツンデレだから♡」


そう俺の耳元で囁いた。

……ツンデレって。そんな問題じゃないっていうか、ツンが強すぎてデレに到達する前に心が折れるっていうか……。

しかし、デボラさんは「いいから、見守ってあげて」とウインクをして見せた。


「オネスティ。オレが最初にオマエに言った言葉を覚えているかッ!?」


不遜な態度でトラトラが問い詰める。

それに対しオネスティは、


「トラトラさんは……最初に、私に、『誰の差し金だ?』と言いました……」


と答えた。

しかしトラトラは、


「違う! もっと前だよッ!! オレとオマエが最初に顔を合わせた時だ!」


「…………すみません。よく覚えていません……」


心底申し訳なさそうに首を振った。

俺も記憶を探るが、よく覚えていなかった。オネスティの奇抜な髪型とかに気を取られていた気がする。


「いいか? 俺はこう言ったんだ——『入居希望者か!? よしいいぞ! うちに住め!』ってなッ!!」


オネスティは目をパチクリさせた。


「えっと……。それって……つまり……???」


「何度も同じことを言わせるなッ」


トラトラは頬杖をつきながら顔を赤くして怒ったが、俺の目には、そこに怒り以外の感情も混ざっているように映った。

——そうか。そういうことか。

デボラさんが「大丈夫」と言った理由がわかった。


「まったく、オレは何度も同じことを言うのが一番嫌いだと言っただろうがッ」


ぶつくさと文句を垂れる様子を不思議そうに見て、オネスティはこちらを見た。

俺とデボラさんは大きく頷いた。そして顔を合わせて笑いあった。


「ツンデレだ……見事なツンデレを見た……」


「そう。完全な宇世界には完全なツンデレもいるのよ」


「トラトラさん流石ッス……!」


トラトラさんは茹でダコみたいに顔を赤くして、そんな俺たちを睨みつけた。

態度はデカいが、懐の広さと優しさを持った童女だった。

そしてそれ以上に、笑っちゃうくらいにいヤツだったということも判明した。


——こうして、自称借金取りの少女オネスティは、『メゾン無量大数』の新たな住人となったのだった。

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