第5話
「よう」
振り返るのと、声がかかるのが同時だった。
見上げると、見知った顔が微笑んでいる。
「リーか。久しぶりだなぁ!」
これも懐かしい顔だった。
俺たちの昔の同級生で、俺個人にとってはハイスクールまで一緒だったリーだ。機械系のクラブのチームメイトでありライバル。俺は趣味を活かして緊急修理斑に志願したが、リーの方は普通に就職してジュニアスクールの教師。
「邪魔しちゃ悪いかと思ったんだが、つい懐かしくてな。じゃ……」
ひょろりとした長身が目を細める。
「待てって。ひとりか? どうせなら、一緒に飲もうぜ。アミーナも、いいだろ?」
立ち去ろうとするリーの肩を掴んでから確かめると、アミーナも笑顔で頷いた。
「それじゃ失礼して」
リーは空いている椅子に腰を下ろして、汎用端末からビールとツマミを注文する。
改めて、俺はビアマグを掲げて乾杯した。
「マサトが緊急出動したから、その慰労会なの」
「へぇ。ニュースでやってたのって、マサトが担当したのか?」
アミーナの説明を受け、リーが感心する。
〈ユミル〉の重大なトラブルは、事件として報道される。もちろん、無事な収束も。
今の社会では〈ユミル〉の運行が最優先だ。直接携わっていない者でも、突き詰めれば〈ユミル〉を動かす世界の存続のために働いているようなものだ。
「マサトもアミーナも、仕事順調なんだし、結婚はまだなのか?」
「いやまあ、そのうちにな」
リーの質問に、俺は照れ笑いで答えた。
家族や共同体に様々な形が認められている〈ユミル〉でも、最も一般的なのは男女の一夫一妻型だ。
俺たちも一応はそれを選択するつもりだけど、アミーナの仕事がひと段落付いてから--というのははっきり約束した訳じゃないけれど、ふたりの暗黙の同意事項だ。
人類存続のため次世代を残すのは、果たすべき義務でもある。
ただし厳密に強制されている訳じゃない。
何しろ40億人って規模だ。
精密で計画的な管理には限界があるし、恋愛や結婚、家族なんかも「可能な限り存続させるべき文化」というのが建前だし。
「そっちはどうなんだよ? 夫婦生活、順調か?」
「ん? まあ、それなりに上手くやってるよ」
そっけなく答えて皮蛋を口に放り込むリー。就職して一年目に結婚したのは、前に聞いている。
「マリアはそろそろ子供なんて言うんだが、俺はどうも気乗りしなくてな」
苦笑しながら、リーはテーブルの汎用端末に触れた。
画面が注文モードから
そっちが振ってきたくせに、自分の事に触れられるのは楽しくないらしい。
俺としてもあまり続けたい話題じゃないので、素直にニュースに注目する。
映し出されたのは、酒を不味くする類のものだった。
左肩ブロックで、ハイスクールの学生十数人が集団自殺したのだ。
自分たちの命に意味や価値が見いだせない。〈ユミル〉なんて冷たい人工物の中に閉じ込められ、ずっと先の災厄に備えて次世代にバトンを繋ぐだけの存在でいるのは耐えられない。
遺書にはそう記されていたと、アナウンサーは告げた。
こういう事件は、初めてじゃない。
どこかのエリアで、年に一度か二度は起きる事だ。
滅多な事がない限り、人は生まれた場所から他のブロックに移動しない。何しろ〈ユミル〉のサイズなら、隣のブロックというのは惑星間に匹敵するのだから。
先日の俺の緊急出動は、大昔の地球に喩えるなら落ちてくる隕石を迎撃するために宇宙船で飛び出したって感じか? 娯楽映画ライブラリで時々あるネタ。
人や物と違って、情報は簡単に〈ユミル〉全域から届き、全域に送られる。
足のラボが研究したデータはここにも頭にも送られるし、左肩の集団自殺を俺たちも知る事になる。俺の緊急出動だって、些細だが無視できないニュースとして手足の先にまで報道されたはずだ。
「……こういうのは、報道しなければいいのに」
リーの眉間に皺が生まれた。
「真似する奴とかが出てきたら、教育上よくない」
「まあ、お前の仕事じゃ他人事じゃないんだろうがな」
気持ちはわからないでもないが、賛同はできない。
〈ユミル〉を維持し、100年後の接触に勝つ事だけを最優先するんだったら、もっとガチガチの管理社会にした方が簡単だろう。
社会全体のために奉仕するのを唯一最大の幸福だと教え込み、婚姻出産さえ計画的にコントロールする。全世界がひとつの政体で、ひとつの目的のために動いているんだから、その気になれば〈ユミル〉に移り住んだ時点でそんな風に舵を切るのも不可能じゃなかったはずだ。
〈ユミル〉計画に反対する者もあった。
統一戦争で人口の5分の1が死んだ。
100年後〈ヴァンダル〉に勝てる保証はない。
都合の悪い事は全部伏せて、かつて地球という惑星上で生きていたという事実も封印して、一種の全体主義的な宗教国家として設計する手もあっただろう。ただ〈ユミル〉という神に仕え、一生を捧げるのが美徳であると教え込めばいい。
それなら、疑念を抱いて自ら命を絶つ若者もいなかったはずだ。
だけど、俺たちのご先祖様はそういう道を選ばなかった。
俺は休日にビールをがぶ飲みできるし、アミーナを好きになる事もできる。
まあ、疑い出せば俺たちが教わってる歴史だって作り話かも知れないんだが、そこまで言ったらキリがない唯我論とか不可知論になってしまう。
何かの小説で読んだんだったかな?
世界は俺が生まれた瞬間に「過去の設定」コミで生まれ、俺が死んだらその瞬間終わるって奴。
そんな事を考えているうちにニュースはいつの間にか切り替わっていて、右拳ブロックの撤退情報に入っていた。
右拳から前腕の半ばにかけては、〈ヴァンダル〉とのコンタクトの際に大破すると予想されている。
だからそのブロックには必要な維持管理要員だけを残し、できるだけ滞在人数を減らす。万一に備えて右上腕ブロックにバックアップ体制を整える。
これも、ずっと昔から予定されていた計画の通りだ。
ただ、規模が規模なので実行するとなると長い時間がかかる。拳からの「移民団」が上腕に撤退するには、年単位の時間がかかるのだ。
「もうっ! 辛気くさい話はなし。せっかくなんだから明るく飲みましょうよ」
アミーナが端末に触れて追加のビールを注文した。そのまま、画面も環境映像モードにセットする。
映し出されたのは、緑の山並みと青い湖面。
今はとっくに失われ、〈ユミル〉の部品になっている地球の風景だった。
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