第11話

 最初に感じたのは、上腕の皮膚を指す自動注射器の刺激。

 意識が覚醒していくのと同時に、強い加速度を感じる。

 空腹感はあるが、胃が押しつぶされそうで苦しい。

 そうだ--俺は、自分が置かれている状況を思い出す。

 テロで破損した右拳を修理するために、限界いっぱいの速度で先端部に向かっているはずだ。

 ヘルメットを脱ぎ、呼吸用マウスピースを外す。腕からも栄養補給用のチューブを引っこ抜く。

 ふっと強く息を吐いて、己の肉体の主導権を取り戻すと、機体の記録ログをチェックする。

 眠っていた間に自動操縦のミスはなく、予定通りのルートを通って加速と減速をしていた。

 ブースターの切り離しも計画通りのタイミング。少なくとも、途中でコースを外れたりはしていないし、俺が生きているって事は機体が衝突して潰れるような事故もなかったし、リニアチューブに動力が供給されてるんだから、まだ〈ユミル〉は--人類は健在と考えていい。

「確認……。経過時間、16年4か月8日」

 これも、予定通りだ。

 記録ログはあくまで、この機体の制御コンピュータの内部データ。

 長期に渡る超高速移動だ。そもそも本来はこの規模のミッションを想定していない有腕重機に搭載されているレベルの通信機では、外部との正確なコンタクトは難しい。

 Gが耐えられるレベルにまで減速したのを見計らい、俺はツールボックスを開いてボトルを取り出してチューブを咥える。

 完全密閉の保存システムはしっかりと機能性飲料をキープしていた。固形食料のパッケージを破ってかぶりつく。栄養そのものは供給されていても、胃がからっぽだとどうしても空腹は避けられない。

 あと一時間足らずで、この機体はリニアチューブから飛び出す。

 そうなったら、俺に休んでいる暇はない。

 手動コントロールで微調整しながら、積み荷を--アミーナから託された新型の重力制御ユニットを現場に届ける。

 今のうちに準備は全て整えておかなければ。

 自分の身体の状態、有腕重機そのものに故障や不良はないか、持ってきた機材は無事か。

 全部、問題なし。

 後は実行するだけ。

 ぴしゃんと頬を叩いて気合いを込め、俺はスティックを握りしめる。

 前方、開きっぱなしのハッチが見える。

「ギダジマ・マサト、体外へ出る!」

 どこにも届かないけれど声に出す。半ばは習慣、半ばは自分自身に言い聞かせるため。

 外へ。

 同時に、キャノピーを疑似透過モードに切り替える。

 そこに〈ユミル〉の右拳があった。

 完全な形で。

「は……はは……やったな! やってくれたんだな!」

 思わず笑いが零れた。

 そうとも。出発時に覚悟していた。

 俺が無茶をやったのは、あくまで「最悪の事態に備えるため」「可能性のひとつとして」だ。

 当初の目論み通り、右手に残っている作業チームが無事に修復したのかも知れない。俺より後、万全の準備を整えた修理部隊が間に合ったのかも知れない。あるいは、出発の後で俺が知らない何かの手が打たれたのかも知れない。

 いずれにせよ、俺が果たすべき仕事はもうない。

 俺の16年は無駄だった。

 けれど無意味じゃない。

 そうさ。わかってた事だ。

 操縦桿から話した右手に、自然と力が籠もる。

 俺は、人類という生物が600万年かけて握った拳の、いちばん外側の皮が擦れて滲んだ血の一滴。

 いや、そのひとしずくの中にある一個の血小板細胞だ。

 傷を塞いだのは流れ出た俺じゃない。

 取るに足らない存在。

 代替可能。

 けれど、それを恥だとも屈辱だとも思わない。

 むしろ、誇りにさえ思う。

 なあ、リー。

 恐らくはもういない、かつての友に呼びかける。

 生の意味ってのは、でいいんじゃないか?

 具体的な成果を残せない、無駄弾のひとつ。

 けれどその無駄弾を撃つ理由は、確かにあったんだ。

「さて、と……」

 用無しの身でも、このまま〈ユミル〉体表を漂ってるって訳にはいかない。この機体だって、俺の私物って訳じゃないしな。

 減速しながら、体内に戻るためのハッチへ接近していく。

 アクセスのために通信システムを開くと、即座に受信があった。

『……ジ……ジジ……聞こえますか? ギダジマ・マサト……』

 こっちのコンディションが悪いのか、感度はイマイチだ。

 さすがに右腕が無事に修復されたからといって、俺の事が忘れ去られたりはしなかったらしい。

「こちらギダジマ・マサト。16年前に右胸ブロックから発進した特別輸送員だ。そちらは?」

『右手ブロック緊急対応斑。今、回収に行くわ、

 若い女性の予期せぬ声に、俺は息を呑んだ。

 前方のハッチから、見知った--けれど少し改良されている--有腕重機が現れた。

 通信機のモニタに、相手パイロットの顔が映る。

 どことなくアミーナに似た、ティーンエイジャーの少女。

 16年だから一応計算は合うし、まあ、その、心当たりもある。

『操縦はパパの才能を受け継いだからね。人手も足りなかったし、飛び級で採用されたの』

 俺が出発してから三年、アミーナは娘を育てながら能動重力制御システムの改良を続けた。その結果、亜光速輸送艇も実用化されて、右手の修復もハイピッチで進んだのだと「娘」は説明してくれた。

 二機がランデブーした。

 俺の方はアームが取り除かれているから、娘の機体にエスコートされる形だ。

『見て、パパ』

 アームが指し示す〈ユミル〉の腕が伸ばされた方向の、その遙か先。

 小さな光点が紫色に揺らめいている。

「あれは……〈ヴァンダル〉か?」

『ええ。あたしたちは、勝つわ』

 娘は力強く断言した。

 右腕も修復された。

 改良されたシステムで重力波シールドも強化された。

 ゆっくりとだけど着実に、勝率は上がっている。

〈ヴァンダル〉を破壊した後は世代宇宙船としての〈ユミル〉を改良して新天地を探すプランや、〈ユミル〉を解体して人工太陽、人工惑星を作り出す計画も研究されているらしい。

 けれど、いずれにせよそれは何十年も先の話だ。

 俺が生きてそれを目にする事はない。

 この子の更に子か、そのまた子供の時代の話だ。

『行こう。ママも右腕に先回りして、パパを待ってるから』

 導かれるまま、俺は〈ユミル〉の中へと帰還する。

 そうだな。

 娘の名前や俺が不在の間の事は、直に顔を合わせてからゆっくり聞こう。

 人類の細胞としてじゃなく、ひとりの人間としてそれを楽しむ余裕はある。

 それだって「人類」や「文明」が勝ち取り、積み上げてきた恩恵だ。



                                     (終)


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太陽系で殴れ! 葛西 伸哉 @kasai_sinya

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