第9話

 研究所ラボはでかい施設だけど、さすがに廊下は有腕重機が楽に往来できるような広さじゃない。

 アミーナの職場と言っても、実際に中に入るのは初めてだから、内部はわからない。建物内は緊急修理斑の持ち場じゃないから、ナビも対応していない。

 もう一機の敵--ブルーストライプが進んだ後は壁や天井が崩されていたので、ルートはすぐにわかった。

 電磁推進スラスターは噴かさず、姿勢を低くして4本のアームで這い歩いて追撃する。

 犯人たちの意図がわからない。だからなんで研究所ラボを襲ったのかも不明だ。

 ただひたすら、通り道の後を追う。

 瓦礫の列は、第二実験棟へと続いていた。

 外の音を拾うセンサーが、破壊の音が近づいてくるのを感知する。

『重管理実験室B』と表示された分厚いドアを、ブルーストライプが鉄骨で殴りつけ、破壊している。

 厳重に閉ざされているはずの扉がひしゃげ、広がった隙間に手を突っ込んで引きはがす。

 ハンガーにも似た広い空間、様々な機材が並ぶ中に白衣や作業服のスタッフが数人。

 その中に、アミーナの姿もあった。

 無事だ。

 生きてる!

 俺の手と目が届くんだ。

 後は、守り抜く!

「そこの有腕重機、もう無駄だ! 抵抗をやめろ! お前の相棒--ステファンはもう警察に捕まった!」

 マイクで呼びかける。

 俺だと気づいてアミーナが瞳を輝かせる。

 だが次の瞬間、俺の心に氷の針が刺さった。

『マサトか?』

 ブルーストライプから、聞き覚えのある声が問い返してきたからだ。

「リー? お前なのか?」

『ああ、そうさ。だがマサト。無駄なのは、お前の方だ』

 振り返ったブルーストライプが、パンチを繰り出す。

 狭い屋内だ。

 アームを振り回すのではなく、人間が放つストレートに近い。

 俺は機体を半歩後退させながら、短いスナップで払う。

 そのまま敵のアームを掴もうとしたが、戻りの方が速い。

 戦闘に巻き込まれるのを避けようと、アミーナたちが部屋の奥へと退避する。

 出入り口は二台でほぼ塞がっているから、外へ逃げるのは難しい。

『学生時代、クラブじゃ俺の方が操縦上手かったよな。覚えてるか?』

「こっちは現役のプロだぜ!」

『けれどこの状態じゃ機動性は活かせない。ほぼアームだけの殴り合いだ』

 その通りだ。

 アームの操作法だけなら、本職用の機体も民生用スポーツ用も大差ない。

 脚を止めての殴り合いなら、ステファンをのした時みたいにGを利用するのも難しい。

「その機体、どっから持ってきやがった? パクれるような代物じゃないはずだ」

『有腕重機も銃器も、丸ごと用意するのは無理だ。何もかもが管理された〈ユミル〉の中ではな。だが、300年を費やしたらどうだ?』

 300年?

〈ユミル〉の始まりから?

 確かに物資は管理されているけれど、厳密さには限界がある。

 少しずつ少しずつ材料や部品を掠め取り、蓄え、組み立てていったとしたら、不可能じゃない。

 ひとつの疑問の解消は、もっと大きな疑問の輪郭をはっきりさせる。

「そうまでしてこんな事をする理由は何なんだよ?」

『摂理だ』

 冷え切った声が答える。

 同時に次のパンチが飛んでくる。

「摂理って……何だよ!」

 敵機のパンチを躱し、反撃を繰り出しながら更に問う。

『マサト、お前は〈ユミル〉を異常だとは思わないのか?』

 こっちの攻撃も防がれる。

『自分たちが生まれた星までぶち壊し、こんなものに作り替える。こんな事は、不自然だ』

 下方の死角から拳が飛んでくる。

 回避を諦め、二本のアームでブロック。

 機体を捻って衝撃を受け流す。

『俺たちはもう〈ユミル〉から離れられない。母なる地球を知らず、〈ユミル〉に閉じ込められ、〈ヴァンダル〉とまみえるのを目にする事もない。ただの、途中の繋ぎだ。こんな生き方に、何の甲斐がある? お前は息が詰まらないのか?』

「詰まるかよっ!」

 俺がたまたま外に出た事があるから言うんじゃない。

〈ユミル〉の1ブロックだって地球よりデカい。

 500年前のご先祖様は「地球に閉じ込められてる」と思っただろう。

 1000年前なら「この国から、大陸から出られない」と願ったかも知れない。

 5000年前だったら「このムラの外に行きたい」と求めた奴がいたに違いない。

 閉塞してるなんてのは錯覚で、感傷だ。

 何で学校で生徒たちに歴史教えてて、それがわからねえんだ?

 言葉の間にも、攻撃は収まらない。

 上下、左右。

 角度を変えて連発されるパンチを防ぎ、隙間を縫って反撃する。

『〈ヴァンダル〉は文明だけを滅ぼすんだ。全ての生物、じゃない! それは、文明という不自然なものが宇宙の摂理に反しているからじゃないのか? 地球人よりずっと進んだCiMだって為す術もなく滅びたんだぞ!』

「お前、教徒カルトだったのか?」

 パンチと言葉、両方がぶち当たった衝撃が俺の声を震わせる。

 300年前。〈ユミル〉建造に反対し、〈ヴァンダル〉を崇拝する奴らがいたという。母なる地球を自らの手で破壊するくらいなら〈ヴァンダル〉の神罰を受け入れるべきだと。

 そいつらが根絶されず、社会に潜んでるっていう話は聞いた事がある。

 噂というよりいかがわしい都市伝説だと思ってたら、まさか事実で、しかも身近に隠れてたのか?

『ただ教えを受け継いだだけじゃない。〈ユミル〉の中で暮らして、これが人類の選択なら、そんなのは間違いだと俺は実感した! だから〈約束の日〉の決起に参加したんだ! 別にお前やアミーナとは関係ない。俺の担当が研究所ラボってのは、何代も前から決まってたってだけの偶然だからな!』

 私生活や通信は完全に監視されてはいない。テロリストが連絡を取り合う抜け道も、俺が気づいていないだけで、きっとある。

 各ブロックで一斉に蜂起したといっても、どのくらいの数だ?

 1000人? 1万人?

 全人口に比べればほんの僅かな数だからこそ、目立たずに準備もできる。

 そして〈ユミル〉の動作が事前の計画に基づいて超長期プランで実行されるように、リーやステファンも定められた通りに動いたのか。

 ステファンの名と同時に、嫌な連想が走る。

「リー……。お前、マリアは……奥さんはどうした?」

『殺した』

 複雑なアーム攻撃の応酬の合間に、言葉も飛び交う。

『どうせ全てが滅ぶ。混乱と恐怖の前に、俺自身の手で安らかに眠らせた』

 だから子供も作らなかったのか。

〈ユミル〉の中で、「途中」の世代として生き、死んでいく事に価値を見いだせないから。

「そんな勝手が……あるかよぉっ!」

 叫ぶ。

 敢えて、ペダルを踏み込む。

 アームのやり取りじゃない。

 丸ごとの体当たり。

 この一瞬のために、ずっと「アームだけの戦闘」だと思わせていた。

 不意打ちに、リーのブルーストライプが揺らぐ。

 実験室の奥へ絡み合った二台が進む。

 研究室ラボのスタッフが甲高い悲鳴を上げた。

 けど、アミーナだけは違う。

 彼女は、信頼の目で俺を--俺の機体を見ている。

 アームとアームを絡める。

 逆噴射で、ブルーストライプを引きずりながら後退。

 横捻り。

 耐G作業服が圧を受けて反応する。

 敵機ハッチ上面を地面ゆかに叩きつけ、自機はもう90度ローリング。

 負荷に耐えられず、アームが歪む。

『ごふっ!』

 入れっぱなしの外部スピーカーからくぐもった呻きが漏れる。

 アームが更にたわむのも構わず、強引に自機をブルーストライプの上にのしかからせる。

 二機が重なって、ほぼ天井まで遣える形だ。

 これでリーは動けないし、外にも出られない。

 こっちはハッチが真横を向いているから大丈夫だ。

「これで、俺の--人類の文明の勝利って訳だ」

 俺はシートベルトを外して、横倒しの愛機から降りた。

「マサト!」

 駆け寄るアミーナを、俺は抱きとめた。

「はは。俺、汗臭いかな?」

 安堵してようやく気づく。

 緊張と疲労で、俺の全身はぐっしょり濡れていた。

「マサトとわたしの間で、今さら何言ってるのよ!」

 胴に回った華奢な腕が抱きしめる力は、どんな高機動のGより強く感じられた。

『何故……だ……?』

 スピーカー越しに、リーの声が聞こえた。

 少し緊張した様子で、アミーナが俺から離れた。ただ、手だけはまだ繋いだまま。

『どうしてお前は……人類の文明なんてものを、信じられる?』

「ビールが、美味いからかな?」

 答は自然と、俺の口から漏れた。

 酒だって料理だって、自然に湧いて出たモンじゃない。人類の文明だ。

 誰かが工夫して、それが受け継がれて、更に改良されて、俺の口に入る。

「お前が、親から『文明は摂理に反する』って考えを受け継いだ事も、文明なんだよ、リー」

 確かにCiMは滅びた。

 けれど俺たちはその亡骸なきがらを踏み台にした。

 だから、彼らより少し高いところへ手が届く可能性がある。

 届かせる義務がある。

 もし地球人類が敗れて死んだとしても、宇宙のどこかにいる他の誰かに灯火を受け継いでくれる希望は残る。

 それがただ子孫を残すのとは違う、知的生物の「摂理」じゃないか。

 考えを口にはしない。

 ブルーストライプからも、何の反応もなかったから。

 多分、リーも気絶してるんだろう。

「だいたい片付いたみたい」

 個人端末で情報を確認して、アミーナが告げる。

 ここだけじゃない。

〈ユミル〉全身で同時多発した教徒カルトの決起は、既にほとんど鎮圧されていた。不意打ちだから混乱はしたけれど、数としては俺の推測通りさほど多かった訳でもない。

 問題は、これからの被害の修復・回復だ。

 巨大すぎる〈ユミル〉を動かすには入念な準備と綿密な計画が必須だ。

 テロの影響はどれくらいか。

 考え込む俺の個人端末に、ディレクターからの着信があった。少しでも時間を節約したいのか、直接音声だ。

『片付いたか? 仕事、山積みだからすぐ戻ってきてくれ』

「すんません。機体、動かせない状態です」

『公共コミューターでも何でもいい! 仕事は予備機を出す』

 そりゃ〈ユミル〉のあちこちが壊れたんだから、俺たちが忙しくなるのが道理か。

「行って。わたしも、これから仕事。修復計画の作成を手伝わなくちゃ」

 アミーナがぎゅっと俺の手を握った。

 確かにリーたちが望んだ〈ユミル〉を即座に破壊するほどの被害は起きなかったが、〈ヴァンダル〉攻撃のプランに支障が出たら、結局はお終いだ。

「頑張ろう」

 頑張ってでもなく、頑張るでもなく、アミーナはそう言った。

 その声に頷き、俺は走り出す。

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