第3話

 ハッチから外へ出た有腕重機を、オートクルーズに切り替える。

 安定翼とスキッドを展開して、リニアチューブから貰った速度を無駄にしないよう〈ユミル〉の体表を滑走する。

 それでも抵抗による減速は大きい。

 これだけの巨体だ。当然、大気圏がある。

 意図した訳ではなく星間物質が〈ユミル〉の引力で集まって形成されたものだが、物質の補充源としても利用されている。

 緊急用有腕重機は〈ユミル〉体外の気体内移動も考慮した設計だ。

 気体内での高速移動もシミュレーションでしか知らないから、自動操縦に任せた方が安心だ。

 もちろん、だからって気を抜いていい訳じゃない。

 万一にも遅延や失敗が許されないからこそ、わざわざ俺という人間が乗っているのだから。

 有腕重機は紡錘形のボディで前後端に2本ずつ、合計4本の多機能アームを折りたたんでいる。今は翼とスキッドを出して進んでいるから、大昔の航空機みたいな外観になっているはずだ。

 巨大すぎる〈ユミル〉と、ひとり乗りの有腕重機。

 中に人間が載る機械というカテゴリでは同じという事がふと頭をよぎり、俺は頬を緩めた。バカバカしいくらいにスケールが違うのに。

 目標座標は3500キロメートル先。

 到着予定は、3時間20分後。

 最寄りのハッチからでも、その程度は当たり前にかかる。

 既に〈ユミル〉は〈ヴァンダル〉を殴るため、パンチのモーションに移っている。

 予定されている接触--拳の命中は百年以上先。

 勝つにせよ負けるにせよ、俺が決着を見る事はない。

 両脚は疑似重力場によって元々の太陽系の位置(と言っても、もちろん銀河の運動に従って、相対的に移動はしている訳だが)に踏ん張っているけれど、右腕は少しずつ前に突き出され、既に光速の数パーセントに達している。

〈ユミル〉の運用で問題になるのは、その大きさだ。

 何しろ文字通りの天文学的スケールなので、全身をリアルタイムで連動させるなんて不可能。

 身体のあっちからこっちまで、電波通信でも数分のタイムラグが出る。

 だからストレートパンチの動作にしても予め綿密に計画し、全身各部署がその通りに実行する。

〈ヴァンダル〉の動きにしたって相対的には同じようなもので、急な方向転換やブレーキなんて不可能だから、こんなスケールでもちゃんと殴れる。

 問題は、想定外のトラブルが起きたり、誤差が見つかった時だ。

 原因や問題箇所を見つけ、対策を立てるのだって何週間もかかる。修理要員だって完全に場所が確定してから送り出してるんじゃ間に合わない事もあるので、ある程度目処が立った時点で候補地に向けて送り出される。

 今回、俺はビンゴだったけど、他の連中は空振りでそのまま整備斑拠点に戻るって訳だ。

 もちろん整備斑だってひとつじゃない。

〈ユミル〉全身各所に無数の指揮所があり、いざという時に備えて待機している。

 そのほとんどは、生涯の間一度も出動の機会がないまま終わる。

 俺だって、今回が初めてだ。

〈ユミル〉体表を飛び続ける。

 人の形とはいえ、サイズがサイズだ。3500キロ進んだところで風景は変わり映えしない。ただ延々とパネルを連ねた平原が続くだけ。微妙にカーブしているはずだけど、もちろん肉眼で実感できるはずがない。

 大気の抵抗を利用して減速しつつ、ようやく目標地点にたどり着く。

 胴体と肩の継ぎ目。まだ「右腕」とは呼べないエリア。

 このあたりまでが、俺たちの担当。

 外装パネルに小さな--と言っても直径2メートル程度の穴が空いていた。

〈ユミル〉の大気圏を通過し、本体にダメージを与える規模の天体衝突。それも近いエリアに二箇所なんて、滅多にある事じゃない。

 操縦をマニュアルに切り替えると、俺は4本のアームを操作した。多関節で折りたたまれていたものが、それぞれ10メートルに展開する。

 この状態の有腕重機は、航空機というよりある種の虫かクモザルに似ている。4本ともモノを掴む手であり、機体を支える脚だ。

 破損した部分のパネルを開き、暗い〈ユミル〉の内側へと俺は降下を始めた。

 アーム先端の大型グリッパーで直径50センチほどの支柱を掴み、伝い降りる。ルートに応じて別の支柱に飛び移り、手が届かなければスラスターを駆使して距離を稼ぐ。表面から大気が流入しているが希薄なので、翼を展開して空力を利用する事はできない。

 このあたりは構造物密度が高い方だけど、それにしたって柱から柱までは何百メートルも離れている事もある。

 ブロックによっては、数十キロにも渡って壁以外何もない「ただの空洞」だって存在している。ぎっしりメカが詰まってる訳じゃない。サイズがサイズなので、平均密度でいえば人間よりスカスカのはずだ。

〈ユミル〉は柱や隔壁だけで物理的に支えられている訳じゃない。CiM技術による重力制御もあって、形を維持ししている。

 ジャングルの猿のように--と言ってもライブラリ映像でしか知らないが--枝から枝にジャンプする動きで、深くふかく降りていく。

 自機の作動音以外、一切の音はない。

 機体が放つライトの他に、光もない。

 地獄とか虚無なんてのはこんな感じなんだろうか。

 神話だと〈何も存在しない暗黒の深淵ギンヌンガ・ガプ〉から巨人ユミルが生まれたが、現代の人造巨人は内側に虚空を抱えている。

 俺は今、本当に任務中なんだろうか?

〈ユミル〉なんて代物は本当に存在してるのか?

 実は死に向かっている最中に幻想に囚われているだけじゃないのか?

 変化のない闇の中で降下を続けていると、そんな妄想が湧き上がってくる。

「……しっかりしろ、マサト!」

 声を出す。

 喉の震えと耳に届く自分の声が、現実感を引き戻す。

 虚無の錯覚は、緊急修理要員が陥りがちな精神状態だ。シミュレーターでも経験した事があっただろ!

 操縦桿から離した手を、胸元に当てる。

 耐圧作業服越しだから感触は読み取れないけれど、アミーナから贈られたペンダントがそこにあるのは、確信できる。

 俺は、生きている。

 果たすべき仕事がある!

 コンソールの表示を細かくチェックし、周囲の景色を見比べる。

 やがて、問題のポイントに俺の愛機は到達した。

 自動診断と自動修復、両方のシステムがまとめてダメージを受けている。

 そのせいでエリアの重力制御が乱れ、腕の作動角がコンマ4度も乱れたって訳だ。

 肩口ではこの程度でも、拳ではとてつもないズレになる。

 それ以前に〈ユミル〉各部の重力制御バランスが崩れ、右腕が自壊するリスクさえある。

 修正作業に手間取れば、数百年がかりの計画が全て無に帰す。

 何重もの防御システムやバックアップがあるから、こんな事が起きるのは天文学的確率でしかない。

 ただし〈ユミル〉自体が天文学的サイズ。

 レアな確率であっても、起こりうる事は全身のどこかでは起きる。

 そのために、俺たちが存在する意味もあるって訳だ。

 やるべき事はシンプル。

 マニュピレーターを操作して、破損したパーツを交換。

 動作チェック。よし、問題なし。

「区画管制室へ。こちらギタジマ・マサト、無事に修復完了。確認、頼む」

 通信に反応があるまで、二秒程度のタイムラグ。

 ここと管制室は、それだけ離れている。

〈ユミル〉はあまりにも巨大だ。全身にくまなく人員や機材を配置するのは、事実上不可能。生命維持システムだって必要になる。

『こちら管制室。検査する』

 確認が終わるまで、数十分。

『OKだ。肩関節作動角修正も問題なく開始した。帰還を許可する』

「了解。帰還する」

 返答すると、俺はシート横のケースを開いた。

 中身は、機能性ドリンクと固形食料。

 リニアチューブで初期加速されてない分、帰り道は二日以上かかる。

 操縦はオート任せにできるし、睡眠も取れるが、腹は減る。

 というか、既にかなり減ってる。ミッションが終わって緊張が解けたから、ようやく実感が襲ってきた。

 パッケージを破って囓る。

 ソフトクッキーのような歯触りと、濃すぎる甘さ。栄養と携帯性、それに疲労回復が最優先だから味の方はイマイチだ。チューブから吸い上げるドリンクは、逆に味気ない。

 今から二日。これで腹と喉を慰めながら、狭いシートで無理矢理身体を休める。

 現場に来るまで半日以上。作業そのものはチェックも含めて一時間強。

 そんなスクランブルが一生に一度あるかどうか。

 けれど、その一度に人類の未来がかかる。

 これが〈ユミル〉の緊急メンテ要員の仕事だ。

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