第4話


「お疲れ様、マサト」

「ありがとう」

 俺は、アミーナが掲げたビアマグに、自分の器を打ち付けた。

 カチン、と残響が残っているうちに、一気にビールを飲み干す。。

 緊急出動から戻り、たっぷり眠って、スクランブルの代替で今日から三日完全オフ。そして彼女の誘いで冷えたビール。

 これが美味くないはずがない。

 機体内に常備されてる作業糧食とは大違いだ。

「ぷふー」

 思わず息を漏らした口元の泡を、手の甲で拭う。

「本当にお疲れ様。百年後、人類が〈ヴァンダル〉に勝ったら、マサトのお陰よ」

 アミーナが微笑みながら、中身の残ったビアマグを置く。

 少し癖のある肩までの黒髪。長い睫毛に縁取られた大きな目。ラフなタンクトップから、くっきり引き締まった鎖骨が覗いている。

 見慣れていても、見飽きたりはしない姿。

「よせよ。照れくさい」

 たまたま俺が当たったってだけだし、故障箇所が確定した後で万一に備えて追加要員も派遣された。まあ、俺が無事に処理したから、そいつらは途中で引き返す形になったんだが。

 苦笑いしながら、鶏の唐揚げにフォークを伸ばす。

 ここは、〈ユミル〉胴体上部右側前面ブロックB10098エリア内、第4娯楽タウンにある、安い居酒屋パブの一軒。

〈ユミル〉は〈ヴァンダル〉と戦う兵器だが、同時に40億人が生活する「世界」だ。

 当然、衣食住も娯楽もあれば、教育も政治もある。

 生き残るだけじゃない。

 ご先祖様も、その後を継いだ俺たちも、できるだけ人類の文化文明を残そうとしてる。

 例えばビールに唐揚げフライドポテトだって、立派な文化なのだ、うん。

「ほら、どんどん食べて。今日は、わたしが英雄におごっちゃう」

 アミーナが勧めるのは、スパイスの利いた肉団子キョフテ

 彼女の--というか、彼女の先祖の故郷の料理で、俺にとってももうお馴染みの味だ。こいつも鶏唐ほどじゃないけれど、結構ビールに合う。

 多分この店の料理人が上手く、アレンジしてるんだろうな。

 俺たち両方の先祖から継いだメニューが豊富に揃ってるから、ハイスクールを出てからは気張らないデートでお馴染みの店。

〈ユミル〉の中の社会は効率重視だが、合理性最優先って訳でもない。

 古典文化は保存されているものの、日用の言葉は英語ベースのECLアースリング・コモン・ランゲージに統一されているし、政治的な分裂もない。

 昔から言われていた「共通の敵に際した時のみ、人類はひとつになる」ってのが実現した形だ。

 40億人のうち、労働力人口は70%程度。その中で俺のように直接〈ユミル〉の運行や維持に携わっているのは三割強だ。

 それ以上の頭数を割く意味もない。

 日常生活や社会そのものを支えている人の方がよっぽど多い。

 どの区画にも、保管用の遺伝子バンクとは別に農場も牧場も、魚介類の養殖施設もある。学校や病院、劇場や映画館やアスレチックセンターも、ここみたいな酒場だってある。

「仕事って事なら、俺なんかよりアミーナの方がよっぽど重要な事やってんだから、あんまり褒められるとくすぐったいって」

 アミーナは、社会を支える多数派でも30%の〈ユミル〉スタッフじゃない。

 それ以上に稀少な、研究職だ。

〈ユミル〉計画は進行中だが、それで万事安全って事にはならない。

 CiM技術の解析。更なる応用。より効果的な〈ヴァンダル〉対策の可能性。

 いつだって、それらは模索され続けている。

 ジュニアスクールでは同級生だったけど、並みの成績でしかなかった俺と違ってアミーナは学年トップ。ハイスクールから専門職コースに進んだエリートだ。

 離ればなれになるかと思った俺は、吹っ切るつもりで卒業式の日に告白したんだっけ。

 あの時の事は、今でもはっきりと思い出せる。

「学校が変わるからこれでお別れ」と言った俺に、アミーナは「別の学校でも同じブロックだし、多分その先も一緒。だいたい、ずっと同じ〈ユミル〉の中じゃない」と笑った。

 俺が思い悩んだ悲壮な別れなんて、アミーナにとってはどうでもいい事だった。

 で、結局そのまま俺たちはずっと突き合っているって訳だ。

 ただ、会える機会は多くない。

 基準になる天体はもうないが〈ユミル〉での時計やカレンダーは地球時代を踏襲している。

 一日は24時間、一年は365日。

 ただ、朝昼晩という基準はかなり薄れている。〈ユミル〉内ではほとんど全ての事が一日三交代制だ。夜間だからといって街が寝静まったりはしない。

 俺も学生時代はアミーナと同じ「昼番生活者」だったが、緊急対応斑はどうしても仕事柄どうしてもスケジュールが不規則になる。

「最近、そっちの仕事はどう?」

「なかなかねぇ」

 何気ない俺の質問に、アミーナは苦笑して首を横に振った。

「左脚ブロックのラボから、超光速航法のモデルができたって報告が上がってきたんだけどね」

「跳躍じゃなくて航法? 本当か?」

 思わず身を乗り出す。CiM技術である超光速跳躍には生体を運べないとか質量の限界とか周りの重力場に影響されるとかいろいろな問題があるが、最大の難点は「静止状態から静止状態への移行」って事だ。

 二点間の移動だけを見れば光速を超えているけれど運動エネルギーはゼロなので、攻撃などには使えない。たとえ質量が小さくても「超光速での移動」が実現したら〈ヴァンダル〉への攻撃に使える。

「ううん」

 アミーナは肩を竦める。

「ウチでも、右背でも左胸でも、追試したけど結果はネガティブ。メインラボでも、測定ミスだろうって結論づけたわ」

 緊急修理チームや駆動管理部、観測セクションはもちろん、研究機関も〈ユミル〉全身各所に配置されている。

 研究成果やデータは頭部にあるメインラボや総司令部に集約され、また各所にフィードバックされるって訳だ。

「成果が出るとは限らない。〈ヴァンダル〉との接触までに間に合うのかもわからない。仕事の結果を実感できるマサトが、ちょっと羨ましいかも」

「まあ、俺のセクションだって実働ゼロのまま停年になる人もいるけどな。それに『研究して実現不可能だとわかったら、それは無効な選択肢をひとつ潰したのだから無意味じゃない』って前にアミーナが言ってたんだぜ。今回の緊急出動も、ほとんどの奴はハズレだったけど故障箇所が確定してからの出発じゃ間に合わないリスクも大きかった訳だしな」

 俺はテーブル越しに手を伸ばし、ちょっと癖のあるアミーナの黒髪をくしゃっと撫でた。

「うん、そうだよね。ありがと」

 子供の頃のような笑顔で、目を細める。

 弱気になってる時の彼女には、シンプルなスキンシップが効く。

「わたしが元からやってる方はじわじわ進捗してるけど、理論検証から試作実験まではまだ年単位でかかりそう」

「能動型重力場制御だっけ?」

「うん。今のは制御っていっても基本的に大質量の作用を中和・軽減してるだけっていうのは知ってるわよね? そうじゃなくて量子スピンに介入して、質量のないところへ擬似的な重力場を生みだすとか……」

 アミーナの喋るスピードが、ほんの少し加速した。

 内容については前にも何度か聞いている。

 現在、重力制御は基本的に〈ユミル〉の構造維持や姿勢制御に用いられている。

 それをもっと幅広い形で利用できないかというのが、アミーナのチームの研究テーマだ。

 例えば〈ユミル〉の外側に一定の重力場を形成すれば、衝突しそうな小天体を弾き飛ばしたり逸らしたりできるって訳だ。

 そうなれば、俺たちのような緊急修理斑の仕事はなくなる--訳じゃないけど、ぐっと減る。

 先例もなく、想定外。人が対応しなきゃならない非常事態のリスクは、どこまで行ってもゼロにはならない。

「ねえ、聞いてる?」

「あ、ごめん?」

 いつの間にか上の空になっていたらしい。

「謝るのはわたしの方。技術的に面倒な話しても、マサトは専門外だもんね」

「いや。確かに話はわかんないし楽しくもないけど--」

「けど?」

「好きな事喋ってるアミーナを見てるのは、楽しい」

「やだっ! もうっ!」

 顔が赤らんだのをごまかすためって訳でもないだろうが、アミーナはビールを一気に飲み干した。

 そんな姿に、俺の頬がまた緩む。

 久しぶりのデートで酒も入って、俺もアミーナも油断しきっていたんだろう。

 不意に肩を叩かれるまで、接近に気づかなかった。

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