6章 鍛練! 甘いお菓子と甘くない練習


――俺達は水会を中心として、《天上天下ユイちゃんが独尊カップ》に向けて全力で練習し、特訓し、鍛錬し、あっという間に決選当日を迎える……

――なんてことはなかった。

「残念ながらあっという間に日々が過ぎてしまうなんてことはないですよっ! はい! 今彈野原さん右足が遅れてましたっ! ユルゲンスさんはいつもさっきのところタイミング早いですよっ! そして夕影さんはもう少し私と合わせてください……全てのステップが遅れてます。そしてテンポも定まっていません。その上キレがないですっ!」

 こんなのじゃあの光樂って人に勝てませんよっ! という言葉が口癖なのかと思えるほど夕影は水会からその言葉を聞いた。つまりそのくらい夕影は水会にダメ出しされたということで水会のレッスンは思っていた以上に厳しかった。本来は夕影がリードするつもりだったにも関わらず、今ではすっかりその立場は逆転してしまっている。

「水会! 休憩だ! 休憩しよう!」

「休憩はさっきしたところじゃないですかっ! 弱音を吐いてちゃ……」

「光樂に勝てない、だろ? 大丈夫! 大丈夫! 光樂は本当のアイドルじゃない。演技力じゃこっちが負けることはないよ」

 夕影は慢心していた。水会がいる限りこのクラスは負けない。そう心のどこかで確信していた。だからこそ、ある程度の練習ですっかり満足してしまっていた。

「まあ、そうかもですね……まあ、私が気合入りすぎだったのかもしれません……休憩にしましょうか」

 ここでムキになって練習を無理強いしてこないのが水会で、だからこそ皆は水会の練習についてゆくことができた。そしてなにより水会自身も自分たち以上の演技を一年ババロア組を始めとする他のクラスが出来るとは思っていなかったのであろう。

――だが、その傲岸不遜な態度を改めなければならないほどの事態が発生する。

「夕影プロデューサー! 大変よ!」

 そう言って押っ取り刀で駆けつけたのは、我舞谷と牧ノ矢、舞台攻撃部隊の二人だった。

「そんなに慌てて、どうしたんだ二人とも。らしくないな」

 いつもは冷静沈着、駆け足する姿さえみないようなクールな二人であったが、息を切らせて呼吸が乱れているようだった。

「それが……私たちの初戦の相手の一年ババロア組だけど、私たちのクラス以上のものを持っているわ……」

「正直、余裕勝ちできると高を括っていた節があったことは否めない私たちだけど、その認識を改める必要がある……」

「二人とも何があったんだよ、二人は連携攻撃の練習をしていたんじゃなかったのか」

 夕影には正直なところ二人の言っていることが、何かのドッキリか何か、つまるところ冗談のように思われた。だが、一向に二人の態度が安堵に変わることはなく二人は深刻そうな面持ちで続けた。

「興味本位でね、覗いちゃったのよ……まあ、敵情視察ってやつね」

「そしたら、あの光樂って男の娘の動き……かなり精錬されてた。どうやって勉強したのかは分からないけれど、無駄のない動き。とても一日二日でマスターできるような動きじゃなかった……」

――夕影さん、何か心当たりは?

 と二人に問われた夕影であったが、そのような心当たりは全くなかった。

この時夕影が感じ取ったのは得体のしれないおぞましさだけで、この二人がこれだけ動揺しているということを考えると事態は只事ではないのだと思った。

「水会、休憩の話はなしだ。このまま続けよう」

 こうなればひたすらにストイックに練習を重ねるしかなかった。こんなアイドル活動を経験したことがない(普通は経験することがない)夕影は人一倍練習しなければならないことは分かっていた。だからこそ、この報告を契機として夕影はひたむきに真摯に、水会の言うことに従うことを決めた

「じゃあ……ちょっときびしめにいきますよっ!」

 今までの練習がまるで厳しくなかったかのように水会は言った。

そして、水会の宣言通り、そして夕影の期待通りに練習は今まで以上に過酷なものとなっていった。

足が棒のようになってもう立てないなんて思うことも、腕が疲労してこれ以上上がらないと思うこともあったがそれら全部を乗り越えた、考えないようにしていた……

「さあ、そろそろお菓子休憩にしましょう! 美甘先生からのお菓子の差し入れもありますよ!」

「まだだ……まだやれる……」

 夕影はすっかり練習することが苦ではなくなっていた。以前ならばすぐに根を上げていたような場面でも弱音を吐くことなく突き進むことが出来た。

 それはひとえに周りに仲間がいたからであろう。指導する水会はもちろん、彈野原、ユルゲンスもめげることなく練習を続けていたからこそ自分も頑張ろう、そう思えたのだ。

「夕影さん! 休むことも大切ですっ! もうずっと練習してますよ!」

 水会は夕影の体のことを慮って言った。

「あれ、もうこんなに時間が経ったのか……」

 時間感覚を失っていた夕影は時計に目をやりながら考えていた。

――俺は、こんなに一生懸命になることが出来たんだな……

 かつてのこと、この《ユイマイルワールド》に来る前のことについて、夕影は思いを馳せていた。

――俺はあの期待や責任から逃げてばかりで真剣に向き合うってことを忘れていたのかもしれない……

 物思いに耽っている夕影を現実世界に呼び戻したのは、天彩の呼ぶ声だった。

「みんなー! みてみてー!」

 天彩と無相の二人は部隊の支援組で夕影たちの衣装作りを含めた準備の仕事を兼ねていた。つまり天彩が夕影の下にやってきたということはその作業が終了したことを意味する。

 夕影が天彩の方を見遣るとその両手には華美な装飾を施した衣装がばっちり四人分用意されていた。

「天彩! ありがとう! この衣装すごく可愛い!」

夕影は天彩に感謝の意を伝えるとともに、普段自分が着る服に対して可愛いと思ったことはないため、ひどく違和感を覚えた。

「夕影惟斗、アイドルにとって衣装は普通の少女からアイドルに変わるための重要で神聖なアイテムです。さあ、その衣装を身にまとい、あなたもアイドゥルとなるのです!」

 無相はその無機質な瞳で夕影をみつめ、夕影の着ている服を脱がそうとしてそのボタンに手を伸ばす。

「ちょ、待てって! 心の準備が!」

「もう心はとっくにその気なくせにー! そんな抵抗、無意味ですよ!」

 夕影が拒絶しているのをものともせずに無相はぐいぐいと夕影に近づいてゆく。

「ちょ、そんなに近づくなって……うわっ……」

 無相に押し倒される形で、夕影が後ろ向きに転倒するかと思われたその時、

「なーにやってんだか、二人とも」

 我舞谷が転倒しそうになった夕影の腰を持って支えていた。

「ありがとう……我舞谷。助かった……」

「あらあら、なーにがありがとうよ。本音のところはくそう……残念だったぜ、でしょうが。せっかく『こ、この感触は……』って言って無相さんのおっぱいを不慮の事故を装って揉み拉くチャンスだったのにね。このラッキースケベを狙った変態プロデューサーめ! 我舞谷さん……そこは、夕影さんをキャッチしないのが正解だったわよ」

 助けてくれた我舞谷とは対照的に、隣の牧ノ矢は酷い言い様である。

「惟斗君……本当なの?」

「え……いや、決してそんなことは……」

 滅相もございませんと言いたいが、正直少し期待してしまっていた自分がいたために夕影は思わず口をつぐんだ。

「別にあなたのためにやったんじゃないから。ただそこに腰骨があったってだけのことだから。勘違いしないで欲しいわ」

 字面だけをみるといかにもツンデレ風に見えてしまうが、決してそうではない。我舞谷はそのような語調で言ったのではない。あくまで棒読みだった。

――ってか腰骨があっただけだからってどういうことだよ。

「とにかく! みんなそろったことだし久しぶりにみんなで作戦会議も兼ねたおやつタイムにしようぜ!」

 夕影がそう言って水会が用意してくれたお菓子の方に目を向けると……

「いわれなくても、もうたべて……うまうま」

「ここのお菓子はやっぱり美味しいな……もぐもぐ」

 彈野原とユルゲンスが両手でケーキを鷲掴み、貪っていた。

「まだ、食べちゃダメって言ったんですけど……」

 水会は申し訳なさそうな目で夕影をみつめた。

「やっぱり動くとお腹がすくよな」

「うむ、腹が減ってはアイドルが務まらぬということだ」

 そう言って彈野原が次のケーキを手に取ろうとしたところ……

「あー! それ私が食べようと思ってたやつー!」

 天彩が勢いよくそのケーキの下にダッシュし、それに続いてぞろぞろと他の皆もお菓子の方へ歩みを進めていた。

「じゃあ、私たちもいただこうかしら……」

「あのスフレ美味しそうね」

「私あの意味ありそうなやつー!」

「有意味、意味ありそうなやつってどれのことだよ……」

 気がつけばお菓子を中心として輪になるように皆が笑顔で集結している。寧静で平穏、こんな生活がずっと続けばいいのにっていう常套句がぴったりの平和的状況。

――やっぱり、美味しそうにおやつを食べる女の子達って絵になるよなあ。見てる方も幸せになってくるぜ。

 夕影はまた一人で両手に花の黒一点の状況を楽しむとともに、惟斗という名前をつけてくれた両親に感謝した。

 最初はお菓子についての話をしたりして他愛のないおしゃべりを楽しんでいた一年エクレア組のメンバーであったが、誰が始めたのか、話題の中心は水会になっていた。

「ほんと水会って歌もダンスも上手だよな!」

「私が審査員をしていたら余裕で合格させちゃうと思うけどなあ……」

 水会は「えへへ……それほどでもないです」と謙遜しながら、嬉しそうな顔ではにかんでいた。

「そう言えば……水会はなんでアイドル目指そうって思ったんだ?」

 彈野原が言ったその言葉は何気ない一言であった。それは取るに足らない些細な一言で、良くあるありきたりな質問だっただろう。

だが、水会にとってはその言葉こそが全ての元凶ともいえるようなことで、触れては欲しくない部分であり、侵すべからざる領域だった。

「…………」

 矢庭に水会の表情に翳り、そのまま水会は黙り込んでしまった。それを見かねた天彩が咄嗟に言った。

「雪凍乃ちゃん! それより、好きなお菓子はある?」

「おいおい、私の質問がっ!」

「唯虎!」

 ユルゲンスが彈野原の言及を制しにかかったところで水会が首を横に振った。

「ユイアーネさん、いいんです……そして心結さんもありがとうございます……」

 水会の覚悟は出来ていたようで、皆は息を呑み、今か今かと水会が話し始めるのを見守っていた。

「私がアイドルを目指したきっかけは……お姉ちゃんでした……」

 水会は優しく悲しい声で囁くように言った。

「私はお姉ちゃんにずっと憧れていました、今も……です。私はお姉ちゃんに追い付きたい、その一心でアイドルを目指していました。いつか、お姉ちゃんの横に並んで歌って踊れるようなアイドルを目指して……そのために毎日苦しい練習にも耐えて、耐えて、耐えました。それなのに! それでも! 私はお姉ちゃんには追いつけなかった。追い付くどころかその差は日に日に大きくなっていきました。私はその時に気がつきました。ああ、これが才能の差なんだ、って……どう頑張っても人には限界がある。ある程度のレベルにまでは到達出来てもそこから先は選ばれた者しか進めない道なんだ……と、幼心ながら悟りました」

 一呼吸置いて、水会は続ける。


「でも……諦められなかった、諦めきれなかった。普通はさっきのところで諦めちゃいますよね? 悟ったんですから、分かっちゃったんですから。それでも万が一、億が一の可能性があるじゃないですか。私はまだやれる、まだ頑張れる、そう自分に言い聞かせて頑張ってました。今思えば夢を見ていたのかもしれません。心のどこかでは必死になって頑張れば、きっとお姉ちゃんに追い付ける、追いつけるどころか追い抜いて、越えてしまえるんじゃないかって……

 でもやっぱりある日、お姉ちゃんに言われちゃいました。『あんた、いつまでアイドルの真似ごとやってるの?』って。あの時はさすがに堪えましたね。流石にその日はずっと部屋にこもって泣いちゃいました。それ以降は御想像におまかせしますって感じで……」

――えへへ、話し過ぎましたね。水会は笑っていたがそれは本心からではないことは明白だった。

「水会、私そんなこととは知らなかった……詮索してすまなかった……」

彈野原は決まり悪そうに水会に対して頭を垂れた。

「いえいえ、こちらこそ変なこと語っちゃってごめんなさい。でも、決戦前に皆に知ってもらえてよかったですよ、私は。だから……練習でちょっぴり厳しかったこともあったかもですが許して下さいね、なんて言ってみたりしちゃいます」

 水会は落ち着いた口ぶりでちゃっかり今までの練習の免罪を求めた。

「水会さん……こんな話をしてお涙頂戴しようたって私はっ……私はっ……ぐすん」

 そう言って大粒の涙を落としているのは牧ノ矢だった。普段は毒舌なことを言う人ほど情に厚かったりするのだろうかと夕影は思った。

「別に、それを知ったからって水会さんに対する評価が変わることはないわ。明日の舞台で結果さえ残してくれればノープロブレムよ……でも、話してくれてありがとうね」

 我舞谷は口ではこう言っていたものの、確実に水会に対する見方が変化したといえるだろう。もちろん、我舞谷だけではなく一年エクレア組の皆が水会に対して期待を寄せたことは確かだった。

「……ついに明日はババロア組との勝負だ! みんな! 気合入れていこう!」

 彈野原の質問から一気にどんよりと重くなってしまった空気を変えようと夕影が鼓舞するような発言をする。

「そうだね! 頑張ろう!」

 天彩が隣で微笑みかける。夕影は理性が吹っ飛んで今すぐ天彩を抱きしめてしまいたいような衝動に駆られる。


――ダメだ、ダメだ。


 良心との呵責に苛まれていた夕影を正気に戻したのは、水会の一言だった。


「そういえばさ、結局、水会さんのお姉ちゃんって有名なアイドルなの?」

 不躾に無粋に、無相は疑問を投げかける。


「あ、そういえば言ってませんでしたね……

私のお姉ちゃんは本名、水会 柚苺良(みずえ ゆいら)、

水萌 ユイラ(みなも ゆいら)って言えば分かりますか?」




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