5章 編成! 私たちはアイドル!
夕影は夢を見ていた。それは夕影にとっては胸元からジリジリと焼き尽くされるかのような、そしてチクチクと体の奥の奥から鋭い何かで貫かれてゆくかのような……
痛くて、辛くて、悲しい夢。
父と母、そこに子どもが一人、絵に描いたような円満な家庭……
「惟斗は本当に良い子だ! これは今から将来が楽しみになるな!」
「ほんとね! 惟斗はきっとお父さんに似て才能があるのよ! 流石ね!」
――期待するな! 俺に期待を寄せるな!
――良い子なんてのは、自分たちに都合の良いことなんだろ!
「すごいわ! もう一人で作っちゃうなんて! お母さんが教えることはないかも……なんてね」
「これならお父さんも鼻が高いぞ! ほら、これもやってみるんだ……ここをこうやって……」
「えへへ……ぼく、じょうず?」
――これ以上やっちゃダメだ!
――これ以上先に進んだらダメだ!
……ガシャン。
何か、それも大きな何かが崩れ、壊れる音。
――まただ、また俺はこんな思いをしないといけないのか。
唐突に先ほどの笑顔あふれる空間は崩壊し、二人がものすごい剣幕で子どもである少年を見つめた。
「……どうしてこんなことも出来ないんだ! 最近ずっと外に遊びに行ってばかりじゃないか……そんな事だからダメなになるんだ! これからは外出禁止だ!」
「惟斗……お母さんはあなたのことを思って言っているのよ……聞いてる?」
少年は今にも泣き出しそうな顔でぐっと涙をこらえている。決して二人に反抗することなく、少年はただ黙ってそこにいる。
少年の名は夕影惟斗。
有名洋菓子店『トワイライト』の一人息子。
期待され、教育され、パティシエになることを義務付けられた少年。
それが、夕影惟斗という少年だった……
「夕影君! 夕影君!」
耳元で天彩の声が聞こえる、天彩が俺の名を叫んでいるのが分かる、天彩の荒げた息遣いが、天彩の焦りが、天彩の不安が、俺の皮膚を通じて優しく伝わってくる……
あれ……俺、どうなったんだっけ?
「よかった……夕影君ずいぶんうなされてたみたいだから……」
「そうです、あのオーディションもどきがひと段落した後、ふっと気が抜けて倒れてしまったからみんなびっくりしたんですよ」
隣には無相もいた。相変わらずの無機質な瞳だったが、心なしかその瞳は俺の方に向けて安堵を示していたように思えた。
「みんな! 夕影君が目覚めたよ!」
「左様か! それは良かった!」
「だーれがいまどき、左様かなんて使うのよ!」
ユルゲンスと我舞谷が天彩の呼ぶ声に気がついて夕影の方に駆け寄ってきた。
「なにより無事でよかったわ。センター兼プロデューサーが不在のチームなんて私はいやよ」
「まあ夕影なら大丈夫だと思ってたけどな! 私は!」
「あれあれ……さっきまで夕影は大丈夫なのか! 大丈夫なのか! ってそわそわしてたのはどこのだれだったのかしら」
「ばっ……それはっその……」
ユルゲンスは恥ずかしさに顔を赤らめていた。それを我舞谷が楽しそうににやにやと眺めている。
「そういえば……はい、これ」
我舞谷が何やら夕影に向かって何かを手渡した。
「別にあなたのためにつくったんじゃないからね。勘違いしないで欲しいわ」
字面だけをみるといかにもツンデレ風に見えてしまうが、決してそうではない。我舞谷はそのような語調で言ったのではない。あくまで棒読みだった。
「ありがとう、我舞谷! これは……何かの実?」
手渡されたそれを夕影はまじまじと見つめた。
「それは《巴甘》(ペカン)といわれるカロリーの塊よ。ってか脂質の塊ね。私たちが《克巧力》を使いすぎた時に口にすると《克巧力》を回復することができるみたい。美甘先生が一人一つずつってくれたのよ」
懇切丁寧に説明をする我舞谷、そのあとに天彩が鬼気迫る表情で言った。
「夕影君! 時間が! 時間がないんだよ!」
「時間?」
――ドゴォーン。
唐突に轟音が鳴り響いた。何かが爆発したような大きな轟音、窓の外に目をやると黒い塵芥がまるで桜の花びらのようにひらひらと舞いあがっているのが分かった。夕影は何が起こったのか分からずにただその漆黒の粉塵の美しさに感嘆する他なかった。
「またね、彈野原さん……ほんと牧ノ矢さんも大変よね」
「まあ、夕影も復活したことだ、これから作戦会議といこうじゃないか」
「ほんと夕影惟斗が目覚めて良かった」
どうやらこの爆発の原因は彈野原にあるようで、我舞谷、ユルゲンス、無相は外で起こっていることをものともせず会話を続けている。
「見ての通り、彈野原さんはああやって今、あてもなくがむしゃらに自分の技を発動している始末、そして牧ノ矢さんはそれの実験台になってるってわけ。ってことでこの状況を今すぐに変えないといけないってわけよ。今目覚めたところの夕影君には悪いけど、目覚めたからにはこのクラスをまとめて欲しい!」
――頼むよ! 夕影学級委員長!
そんな顔で言われたら反則じゃないか。俺が天彩のお願いを断ることができると思っているのか? 出来るはずないじゃないか、そんなの。
そんなこと……出来るはずがないッ
「《雷光嵐》(ライトニングエクレール)」
夕影が《克巧力》を使った瞬間に、空を無数の光の矢が切り裂いた。先ほどの黒塵万丈を掻き乱し、その圧倒的黒を塗りつぶすような流星の如く注いだ光、その光に導かれるようにして彈野原と牧ノ矢が夕影の下に集まってきた。
「ふふふ……ようやく我らがハーレム隊長のお目覚めってわけね。良い夢は見れたかしら? ここは現実よ、くれぐれも夢と現実をはき違えないでね」
彈野原との度重なる戦闘で満身創痍の牧ノ矢は出逢って早々夕影に釘を刺してきた。
「はき違えるかっての、ってか俺が見ていたのは牧ノ矢の考えているようなそんなピンク色の夢じゃない」
「ははは! 流石惟斗だな! 豪快な技でびっくりしたぜ! 惟斗がこのまま目覚めなかったら第二回スイーツグランプリが開催されてしまうところだったんだ。しっかりしてくれよ、私たちのリーダー!」
彈野原が大きく口を開けながら笑っている。どうやらさっきの技がうまく決まったようで上機嫌らしい。
「一、二、三、四……これで、一年エクレア組は全員集合……ん? 一人足りない?」
「雪凍乃ちゃんがいない!」
天彩が水会の不在に気が付き辺りを見渡してみたがそこに水会の姿はなかった。
「水会の奴、どこに行ったんだ」
「さっきまでいたような気がしたんだけど……」
「トイレとかじゃないの?」
皆が口々に話し出す。夕影はなんとなくではあるが水会の居場所が分かるような気がした。
――そうだ、きっと、あそこだ!
「ちょっとみんな少し待っていてくれ! 俺、水会を探してくる!」
そう言い残して夕影は颯爽と部屋を後にして走り出してしまった。
「夕影君……」
天彩は寂しそうな声を漏らして、夕影のその後ろ姿を見送った。
夕影が一目散になって向かったのは、教室内の僻地、端っこの隅っこの一角にある壁龕だった。
「やっぱりここにいたのか……水会。今度はどうしたんだ?」
「私……アイドルって怖いんです。変ですよね?」
夕影には水会が嘘を言っているようには見えなかった。前に水会を見つけた時のように水会は体を丸めながらびくびくとしているのが分かる。そして夕影は直感した。ここで選択を誤れば水会は確実に駄目になってしまう。どんな事情があるのかは分からないが、慎重にこの問いに解答すべきで、この問題は細心の注意をもって取り扱わねばならない。そんな気がした。夕影は目の前に忽然として脆弱な硝子玉が現れたような錯覚にとらわれた。
だが、夕影が選択した未来はやもすればその硝子玉を壊してしまいかねないような、奇抜で狂逸な驚くべき選択だった。
「水会……ひとついいか?」
――俺と一緒にセンターで歌って踊って戦おう!
その言葉を耳にしたとたん、小刻みに震えていた水会はぴたっと動きを止め、まるで空間が凍結したように二人の間に沈黙が流れた。
それは水会にとっては予期せぬ回答で、夕影にとっても振り返ってみれば何故ここでこんなことを言ってしまったのだろうと反省せねばならない回答であった。しかしながら、この突拍子もない水会をセンターに誘うという選択が二人を含めた一年エクレア組にとって最善の策となったことは僥倖ともいえることであっただろう。
「わ、私になんて絶対に無理です……無理なんです……」
低いトーンで重々しく口を開き、夕影の申し出に対する拒否の意志を示す水会であったが、夕影はそれに臆することなく言い張った。
「俺は決めた! 水会雪凍乃を一年エクレア組のアイドルにするんだ! そして、水会を俺がプロデュースしてこの唯岳学園一のアイドルにする!」
水会は夕影の言葉に被せるようにして語気を強めながら抗言した。
「本人が無理と言ってるんです! 無理なものは無理です!」
「そんなの誰が決めたんだ!」
「私です!」
「まだ分からないじゃないか!」
「分かるんです!」
「どうして!」
「どうしてもです!」
「やってもたら変わるかもしれない!」
「やっても変わらないんです!」
「だからどうしてそんなこと分かるんだって!」
「私が昔! アイドルを目指していたからです!」
言いすぎた……という表情の水会、激しい舌戦を交えた二人の間にまたも沈黙が流れたが、夕影はこの好機を逃すまいと思った。
「水会さっきの言葉……本当なのか」
「夕影さん……さっきのは聞かなかったことに……」
「ならないからな!」
「ううぅ……」
こうなってしまえば猫の前の鼠、蛇に睨まれた蛙といったところで手玉に取ったも同然であった。
「水会……俺と一緒にトップアイドルへの階段をもう一度駆け上がってみないか?」
「…………」
水会は考えていた。本当にここで夕影の言う通りにしてしまっても良いのか、このままやっても以前と同じ惨めな結果に繋がってしまうのではないか。考えれば考えるほど分からなくなってくる。
「細かいことを考えても仕方ない! やってみようぜ!」
夕影の手が水会のか細い手に伸びて、水会は自らの意志でその手を掴んだ。かつて一度は諦めてしまった道ではあったがもう一度頑張ってみよう、そんな気がしてきた。この夕影惟斗という少年となら上手くいきそうな、そんな予感がした。
「よろしく……お願いします……」
夕影が見たのは硝子玉ではなく、硝子の靴を履いた雪のように白いシンデレラだったのかもしれない。これから夕影は凍えるように冷たかった水会雪凍乃の心を灯すかがり火となることが出来るのか、それは彼の努力次第である……
「おそーい! なにやってたの!」
天彩はすっかりお怒りの様子で、夕影と水会が帰って来るなり怒号を乱れ飛ばしていた。
「天彩、それにみんな! 遅くなってごめん! ちょっと色々あって遅くなってしまった、ほんとうにごめん!」
「わ、私もごめんなさいっ!」
即座に詫びを入れた二人であったが、天彩はもう怒っていなかった。
「冗談だよ、夕影君! 雪凍乃ちゃんが無事に見つかって良かった」
天使、いや女神のような微笑みをみせる天彩に夕影はやっぱり天彩は可愛いなとその美貌を再確認していた。
「で? その色々ってのは? まさか二人で遊んでたってわけじゃないんでしょ?」
我舞谷が冷静な一言を浴びせ、夕影もはっと我に帰る。
「……俺……決めたんだ!」
「なになに? なにをキメちゃったんですかあ」
無相が下から覗き込むようにして夕影に問いを発する。
「悪いが無相の想像しているものではないってことだけは言えるな」
残念……と言いたそうな顔で引き下がる無相と入れ替わるようにして、天彩は夕影に疑問符を投げかけた。
「決めた?」
「ああ、俺はセンターを水会にやってもらおうと思っている」
「左様か?」
「だから、その口調はやめなさいユイアーネ!」
ユルゲンスの言葉に我舞谷がツッコミを入れたが、この場にいるほとんどの人間がユルゲンスと同じことを思ったので他の皆は黙ったままだった。
「でも、俺がセンターに立たないというわけじゃなくて二人で真ん中に立つって言うイメージをしてもらうことになるかな……」
皆はますます意味が分からなくなっている様子だったが、夕影は続けた。
「現時点ではメインは俺と水会、バックにユイアーネと唯虎、舞台護衛で無相と天彩、敵舞台攻撃が牧ノ矢と我舞谷で考えている」
夕影がいつになく真剣な表情をしていたこともあり、これ以上夕影を茶化そうとするものは現れなかった。
「水会さんを抜擢する理由はもちろんあるんでしょうね?」
牧ノ矢は半信半疑に尋ねると、夕影の隣にいた水会が右足を一歩前に踏み出して皆の前に立ち、厳然とした態度で言った。
「私はかつて本気でアイドルを目指していたことがあります……毎日歌って踊って、歌って踊って……それの繰り返しでした。でも、私はそれを諦めてしまった。自分にはもう無理だ、自分には才能がないからダメだって諦めてしまいました。でも、私は夕影さんに背中を押されて、かつて抱いていた夢をもう一度掴んでみたいと思いました。我儘で自分勝手だって言うのは分かってます! それでも私は! もう一度頑張ってみたいんです!
もしもこの中の誰か一人でも私にアイドルは向いてないと思ったらその場で私は舞台から降りるつもりです。そのぐらいの心構えは出来ています。なので、その時は遠慮せずに言ってください! よろしくお願いします!」
それはほんの少しの決意表明だったのかもしれないが、水会が普段の弱々しい姿からは想像できないほどの勇ましさをみせつけたため他の皆はどんな言葉をかけたらよいのか分からない様子だった。
「……雪凍乃ちゃんがそう言うなら……私は信じるよ」
沈黙を破り一番に口を開いたのは天彩心結で、その表情は素直にその決意に対する敬意を表するものとは別に、わずかな悋気、羨望の眼差しがあったようにも思えた。
「まあ、私はバックダンサーやれるならなんでも良いけどな!」
彈野原は自分の意に沿った編成が公表されたようで満足気に大笑していた。
「ふふふ……唯虎は私の足手まといにならぬようにな!」
「言っとけ言っとけ! ユイアーネこそ私の動きについてこれなくなっても知らねーからな!」
「ふふふ……望むところだ!」
ユルゲンスもいつものように彈野原との談笑を楽しんでいるようにみえた。
「まあ、妥当なんじゃない? 私と牧ノ矢さんで敵の舞台をめちゃくちゃにすれば良いんでしょ?」
「そうね……私たちが大人しいだけの可憐でクールな乙女じゃないってところを見せてあげるわ」
我舞谷と牧ノ矢たちは夕影の決断に異を唱えることはなく、自分たちの役割を認識した上でその考えに賛同していた。もちろん本音のところを言えばこの二人も舞台に立ちたかったであろうが、誰もが皆が舞台に立てるわけではないということは承知していたし、誰かが折れなければならないということは心のどこかで悟っていたようだった。
「私の意味は夕影惟斗の護衛ってことですか。意味ありますね」
無相も意味ある配役に納得したようでそれ以上は何も言わなかった。
「それじゃあ! この編成で一年エクレア組は《天上天下ユイちゃんが独尊カップ》に出場する!」
こうして夕影が最後に宣誓することで一年エクレア組は皆が同じ方を向いて走り出すことが出来るようになった。
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