2章 目指せ! この世のてっぺん、ユイドラシル!


 《スイーツグランプリ》、別名「学級委員長選抜」、夕影を含めた八人の生徒はクラスのトップに立つことに躍起になっていた。それもそのはず、このクラスのトップに立つことがなにより、《ユイドラシル》になるための近道だからである。


 《ユイドラシル》、それはこの世界、《ユイマイルワールド》の最高権力者の称号であり、この称号をもってすれば出来ないことはなにもないと言われている……


 この《ユイマイルワールド》において、《ユイドラシル》になることは最上であり、最尤であり、最高だった。それ故に皆がそれを目指し、高みへと昇りつめてゆく。これこそがこの世界の全てであり、この『唯岳学園』は紛れもない《ユイドラシル》養成所だったというわけである。


 先の三十分はこの戦闘に備えるために用意された三十分であり、個々が己の技を想像し、構築し、蓄積する三十分であった。


 ――《甘味処》(アマラダ)という名の戦場に移動した八人の一年エクレア組の生徒は、入学早々お互いに戦うことを強いられる。



「く、くらえ……《氷砕冷破》(フローズンシャーベット)!」


「そんな攻撃、意味ない……《衝吸撃収》(アブゾーブスポンジケーキ)!」


 水会が氷雨を繰り出し、無相はその攻撃を見事に吸収する。氷塵の舞う中、華麗な身のこなしの無相。だが、水会も攻撃の手を休めることはない。


「ま、まだまだ……《白氷凍結》(ブラン・マンジェ)!」


 寒々しく巨大な氷塊がまるで命を授かったスノーマンのように無相を押しつぶす。


「それも意味ない。《緩和柔和》(リラクションメレンゲパイ)!」


 無相は氷塊を眼前で溶かし、液体の水へと変換した。どうも無相は水会の《克巧力》が尽きるのを狙っているようで、水会の攻撃をことごとくかわすだけで一向に反撃する様子はない。


「……!?」


――無相は突然右足に痛みを感じた。


「《聖光大樹》(ビッシュ・ド・ノエル)! 悪く思うな……」


 非情なる背後からの一撃、ユイアーネ・ユルゲンスの渾身の《克巧力》による攻撃が直撃する。光の速さで飛来する木片が無相の右足をしっかりと捉えていた。


「ぐッ……」


 無相はその場に倒れこみ、身動きが取れなくなっている。


「これで……とどめだ!」


 ユルゲンスが右手を振りかざし、詠唱を行おうとしたその瞬間……


「背後から攻撃なんて卑怯じゃねーのか? おい?


――《黒槍突衝》(ブラックブラウニー)」


 横から槍が飛んできた。まさに横槍が飛んできた。彈野原がユルゲンスに向けた一撃だった。


「とっておきだ! 逃がさねえぜ!

――《漆黒獄双槍》(ヘリッシュガトーショコラ)」


 二本の大槍がユルゲンスを襲う。ユルゲンスは咄嗟に《克巧力》を発揮して応戦するも、その攻撃を防ぐので精いっぱいだった。


「――《螺旋竜巻風》(トルネリンデンロールケーキ)!」


二人は飴色の爆風に包まれ、外側から二人の姿を目視することは出来なかった……


「ほらほら! よそ見してる暇はないと思うけどね!


――《灼熱焦土》(バーンクレープシュゼット)!


――《焼挟炎囲》(アルタータルトタタン)!」


 夕影と天彩は我舞谷と牧ノ矢の二人と戦っていた。我舞谷は地面をマグマのような高温の状態に変え、周りを炎で囲い、二人を包みこんだ。そして……


「《直線鋭刺》(ストレートプレッツェル)!」


 牧ノ矢が夕影と天彩に虎視眈々と冷静に狙いを定め、的確に《克巧力》で作られた犀利な刃を射撃する。


「夕影君、どうしよう……」


 周章狼狽する天彩。


――俺は、絶対天彩を守って見せる。


そこにあったのは、ちっぽけな虚栄心。ただそれだけだった……天彩を守る。愛する女性を脅威、恐怖、危難から救い出してやる! ただ、それだけだった……


――いくぜッ! 俺はやってやる!


 夕影がまさに今から全力でカッコつけて、いかにも主人公的で、いかにも英雄的、別の言い方をすれば向う見ずな突発的な行動、蛮勇ともいえる行動に及ぼうとした、まさにその時、ホイッスルが鳴り響く。


「はーい! みなさーん! そこまでー! そして、みなさーん! これから言うことを良く聞いてくださーい!」


 美甘先生が拡声器越しに大声で皆に届くような声で呼びかけた。


「ここ《ユイマイルワールド》では人殺しなんかは一切起きませんし、誰かが死んじゃうなんて言う展開もありません! クラスの皆で最後の一人になるまで殺し合うっていうような物騒で殺伐とした世界ではありません! 悪役は存在しませんし、誰もがみんな主人公なんです!……まあ、誰かさんはこれからヒーローを気取るつもりだったように見えましたが、この《ユイマイルワールド》はちょっと《お菓子》で、おかしな魔法が使える世界っていうただそれだけなんです。先生は将来有望な若い芽を摘む気は一切ありません。まあ、これは、いわゆるあれです。動作確認を兼ねた試運転ってやつです。みなさん思う存分本気になってやっちゃってくれたみたいだからその点に関しては大丈夫だと思います。

さあ、お腹が空いたでしょう。今日は先生が皆さんのために用意してきた美味しいスイーツがあるのでみんなで仲良く食べましょう!」


 美甘先生はそう言って皆を集めて、懇切丁寧に用意してきたお菓子を振る舞った。

そして、ここで全員集まったかを確認するために点呼が行われた。夕影たちはここで初めてクラス全員の顔と名前を一致させることとなった。


「一番、天彩 心結(あつや ゆい)!」

「二番、我舞谷 由龍(がぶたに ゆいり)!」

「三番、彈野原 唯虎(だんのはら ゆいこ)!」

「四番、牧ノ矢 弓射流(まきのや ゆいる)!」

「五番、水会 雪凍乃(みずえ ゆいの)!」

「六番、無相 有意味(むそう ゆいみ)!」

「七番、夕影 惟斗(ゆうかげ ゆいと)!」

「八番、ユイアーネ・ユルゲンス!」


 それぞれが自分の名前を呼ばれ、返事をする。夕影はこの点呼を聞いてこの世界が、《ユイマイルワールド》だと言われた所以を改めて実感していた。


――ほんとに「ユイ」ってつく名前ばっかなんだな……


 ここで夕影はあることを思いつく。


――あれ……ってことはもしかして……


 夕影が想像した通りになる保障は全くなかったが、それでもやってみるだけの価値はあるのかもしれない。そう思った夕影はその思いつきを行動に移すことにした。

 ……夕影は不特定多数の周りの人間に向けて言った。


「なあ! 『ユイ』!」


「……ん?「何?「呼んだ?「はい?「なんですか?「……?「え?「何かな?」


 先生を含む八人の「ユイ」ちゃんが夕影の方を振り向いた。実行した夕影はあまりにも上手くいきすぎて驚きを隠せないでいた。


「な、なんでもないです……」


 用もないのに呼びつけてしまったため、きまりの悪かった夕影であったが、そのことについては誰からも咎められることなく収拾がついた。



――それもそのはず、奴は唐突にやってきた。



――ぐるるるる……


「え……あの……これは……」


 水会の腹の虫が皆に聞こえるくらいに大きなうめき声をあげた。


皆は興奮状態のせい今の今までで気にしていなかったようだが、突然、戦いに終止符が打たれたことにより、そして、夕影の下らないはかりごとによって、その緊張が解けたことにより……すっかり我に返り、


――そして、気がついた。


「お腹すいたあ……」


「疲れたあ……」


 誰もが皆、ひどく空腹で、疲労困憊の状態だった。それもそのはず、この《克巧力》の源はカロリーである。消費すればお腹は減るし、力も減退してゆく一方だ。


「さあ、さあ、食べて食べて! 腹が減っては戦が出来ぬってね!」


 美甘先生は生徒一人一人にクッキーを手渡していった。



 そこからは、女の子がバクバクとクッキーやらケーキやらを貪る姿が散見された。


「お、美味しい!」

「このバターの格調高い香りがたまらぬな!」

「サクサク食べれて、表面の砂糖の食感がたまんないー!」

「このタルト、しっとり、もっちり、口の中でとろけるううう!」

「すごい!このフィナンシェ、ハート型になってる! かわいい!」

「チョコレートケーキもしつこくない甘さで何個でもいけるぞ!」

「……これは、文句ないです」


 間断なく女の子の口の中へと吸い込まれてゆくスイーツ達、それを眺めながら夕影はひっそりと呟く。


「そんなに食べたら太るんじゃ……」


「「「「スイーツは別腹なの!」」」」


 夕影に向けての女子からの激しい反撃の一言が浴びせられる。


――別腹もなにもさっきからスイーツしか食べてないんじゃ……


 そこには女子力の女の字もなかったが、幸福そうにスイーツを食べるその姿、美味しいものを食べたことで浮かび上がるその満面の笑みはなんだか可愛げがあって……


――ものすごく良いです!


 夕影は心の中でサムアップしていた。


 そして夕影たちはこの《スイーツグランプリ》について振り返っていた。


「まったくなんだったんだ……ほんと、とんだ茶番劇だったな……」


「そうだね、でもさすがにあの時は死ぬかと思ったよ……」


「だけど、本当に使えたんだね。《魔法》……まさか本当に使えるなんて……そして、あの時はごめん。ちょっと熱くなりすぎてた……」


 牧ノ矢が夕影と天彩に謝罪し、申し訳なさそうに深々と頭を下げた。


「だけどあの時はみんな必死だったから仕方がないよ。にしても、その《ユイドラシル》ってのはそこまで重要なもんなのか?」


 美甘先生がその言葉を口にした瞬間、皆の眼の色が変わるのを夕影は感じていた。だからこそこの《ユイドラシル》には相当の意味があると思っていた。


「そうね……私も詳しくは知らないんだけど、この学校ではそれを目指してみんな競い合う、らしい……」


「そうよ、その称号には全てを手にすることの出来る力がある。だから私たちはそれを目指して戦うの……


――そのためとなれば……私はどんなことでもする覚悟よ!」


 我舞谷が語気を強めて言った。そして、そこには我舞谷の強い意志を感じ取ることが出来た。


「だけど、我舞谷さん! 私たちは同じ釜の飯を食った仲ならぬ、同じ皿のケーキを食った仲なのよ! 喧嘩はいけません!」


 美甘先生がクッキー片手に夕影たちの前に現れた。


「っていっても……周りがみんな敵なんだったらそうするしか……」


 水会がそう言って口を挟む。


「水会さん。その考えは間違っているわ……なぜなら《ユイドラシル》というのは、クラス全体の称号なのだから……」


「……!?」


 クラス全員に衝撃が走る。


「ってことは、クラスの皆で力を合わせて目指すってことなのか……」


「その通りよ、夕影君! これからみんなは他クラスとしのぎを削ってもらうことになります! だからクラスの皆は味方なんです、お互いにいがみ合うことも、憎しみ合うことも、蹴落とし合うこともありません!」


「じゃあ、さっきの戦いになんの意味が……」


 無相が先の戦いの無意味さを嘆いていた。


「無相さん、それは最初に言ったように、委員長を選ぶって目的があるって言ったじゃない、それは変わらないわ。それでは早速、この一年エクレア組の委員長が決定したので名前を呼びたいと思います……」


――ドゥルルルルー……


突如、美甘先生は口でドラムロールを始め、そして、こう続けた。


「……出席番号七番、夕影 惟斗君!」


 夕影の名前が呼ばれ、当の本人もまさか自分の名前が呼ばれるとは思っておらず、どんな顔をしてよいのか困っている様子だった。


「いや……でも……俺は……」


「決め手は二つ! 一つは他の人を守ろうとしていたってこと! これからの戦いはクラス一丸となってのチーム戦です、クラスのみんなのこと大切に出来る人がこのクラスの長としてふさわしいと思います!」


「でも……あれは……」


 そう言いかけた夕影を遮って、美甘先生は続ける。


「そして、理由二つ目! ここでは個人情報なので言えないけれど、夕影君、君自身は分かっているよね? あなたは他の人よりも優れている理由があることを……」


「…………」


 夕影は知っていた。この世界で自分が圧倒的なアドバンテージがあることを……そして、それは同時に夕影の心の傷であり、触れてほしくはない部分であった。


――これはまた狂った因果だな。一度は捨て去ったと思っていたのに……


 もう一度、自分自身と深く向き合うチャンスなのかもしれない。そう感じた夕影はこの結果に反抗する気はなかった。


「どうしても気になるって人は夕影君と仲良くなって教えてもらってくださいね! はい! 夕影君からも一言!」


 そう付け加えて、美甘先生は夕影に発言権を譲渡した。


唐突に回ってきた発言タイム。(二回目)


「えっと……その……いきなりのことで戸惑っていてなんて話せばいいのか分かんないんですけど……その、あの、とりあえず、こんな俺が学級委員長になって不満のある人もいるかもしれない。でも、そんな人にも認めてもらえるように、そして、胸張って一年エクレア組の学級委員だって言えるように、これから精いっぱい頑張っていこうと思うので、どうかよろしくお願いします」


 まばらな拍手が起こり、夕影はみんなが自分を認め、受け入れてくれたのだということを感じた。


「ふふふ……みんなを手中に収め、これで早くも夕影ハーレムの完成ってわけね………抜け目のないその態度に脱帽……」


 牧ノ矢が皮肉を込めつつ夕影に向かって囁いた。


「私は決して巷で話題のちょろインなどではないからな! 覚えておけ!」


「彈野原さん……それフラグ……」


 彈野原と水会がさながら漫才コンビのように息の合った様子をみせている。


「まあ、一時的に協力するってだけだからね、別にあなたのことを認めたということではないから。そこははき違えないで欲しいわ」


 字面だけをみるといかにもツンデレ風に見えてしまうが、決してそうではない。我舞谷はそのような語調で言ったのではない。あくまで棒読みだった。


「トップになることに意味なんてないのに……」


 無相が、意味ありげにかつ無神経にそう言った。


「……このユイアーネ・ユルゲンス! いつでも下剋上のために牙を研いでいるということを忘れるなよ!」


 ユルゲンスは思いのたけを赤裸々に夕影にぶつけ、夕影に戦闘の意志が依然としてあるということを伝えた。


「夕影君! 頑張ってね!」


 そして最後に、天彩が夕影に向かって微笑んだ。


――ああ、俺はこの笑顔のために頑張ってるんだなあ。


 なんて、少々クサい様なことも考えつつ、夕影は改めて自分がこの学級の級長に選ばれたということをかみしめていた。


――そういや、俺がそんなポジションになったことはなかったな……


 平平凡凡、普通の中の普通の夕影には縁のない役職だと思っていたが、まさかこんなことになるなんて……


 各々が一年エクレア組の学級委員長である夕影にコメントを残し、夕影がその背負った役割について自覚したところで、この《スイーツグランプリ》は幕を閉じた。


だが、まだまだ彼らの戦いは始まったばかりである。今はまだスタートラインに立っただけ、本当の物語は今まさに始まろうとしている。無理矢理この世界へと誘われた夕影惟斗という少年が何をして、何を残すのか……


――そして、


夕影は自分が男であることがどれだけ重要であるかということをまだ知らない……

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