0章 『夢の国』じゃなくて『ユイの国』

「うおしゃああああ!」


 俺は心の中でガッツポーズを決め込んだ。そして、全世界の神という神に感謝した。ありがとう神様、俺の日ごろの行いを見てくれていたんですね。もうほんと、感無量ってやつですよ。神様マジ感謝。そして俺、グッジョブ。

にしても、まさか成功するなんて自分でもびっくりだ。まさかオーケーしてくれるなんて……


 人生ってやつは本当に何が起こるか分からない。人生山あり谷ありなんて言うように、人生には山も谷もある――一生なんの不自由なく終えてしまうなんてことは稀なケースだ。数奇な運命に弄ばれて散々な人生を送るなんてことだって往々にしてある。人間万事塞翁が馬、現在の幸せが将来の幸せを保証するとは限らないし、逆に今の不幸せが将来の不幸せに繋がるとも限らない。


 だが、この俺、夕影 惟斗ゆうかげ ゆいとは今、確実に幸せの絶頂にいた。人生で言うと確実に山のてっぺんに来たと言えるだろう。


 と言うのも俺は一世一代の大チャンスをものにしたからだ。こんな言い方をすると少し大仰だと言われるかもしれないけれど、俺にとってはやっぱりそのくらいの出来事だったんだ。


放課後、夕陽の沈みかけた屋上、そして年頃の男女が二人……


「天彩 心結(あつや ゆい)さん! ずっとあなたのことが好きでした! お、俺と付き合って下さい!」


 俺は緊張のあまり、体中の血液が沸騰するかのような感覚に襲われた。そして、心臓の音があまりにも大きいので相手にも聞こえてしまうんじゃないかと思った。頭が真っ白になって、本当に彼女に思いを伝えられたのかさえ確認することも出来なかった。

 俺が顔を上げると、その俺の態度に呼応するように、頬を赤らめた天彩の姿があった。そして、天彩は小さな声でこう言った。


「夕影君……私、嬉しい。ずっと私はこの時を待っていたのかもしれない。夕影君、付き合ってほしいのは私も同じだよ。これからよろしくね」


 にっこり、天彩の天使のような優しい笑顔が俺に向けられた。


――告白が成功した瞬間であった。

 

 そして俺は心の中でガッツポーズを決め込んだのであった。


 だが、物語はここで終わらない。こうしてカップル成立めでたしめでたし、というわけにはいかなかった。禍福は糾える縄のごとし、幸福が転じて不幸になることだってある。


「夕影君! さあ行こうよ!」


 そう言って天彩は俺の手を思いっきり引っ張った。


「行くって言ってもどこに……」


「何いってんの! そのために私を選んだんでしょ? ここからならちょうどいいね! いっくよー! せーのっと!」


 俺は一瞬にして幸せの絶頂から引きずりおろされ、不幸のどん底へと突き落とされた。


「え……あ……うおおおおおおお!」


 俺は今までに出したことのないくらいの大声で叫んだ。


 だが、叫んだところでもう時すでに遅しという状況だった。


 半ば強引にというかほぼ強制的に天彩は俺の手を引いて屋上から飛び降りていた。強い風が俺の体全体に纏わりついてきて呼吸もままならない。地球の重力に誘われるように、俺は地面に向かって頭突きする形をとらされていた。天地がそっくりそのままひっくり返り、足元が夕焼けの赤色でいっぱいだった。どう言い繕ったところで、確実に落下しているという事実だけがそこにはあった。


 ああ、ロープなしのバンジージャンプ、パラシュートなしのスカイダイビングなんていう誰も体験できそうにないことを体験できるなんて俺はまったくなんてついてるんだろう。もうこうなれば恐怖なんてもんじゃない、一周回って興奮を覚えるくらいだ。どうやら俺はあまりに戦慄的な出来事を前に正常な感覚ってのを失ってしまったようだ。


 ふと顔を横に向けると、そこには天彩の姿があった。俺と同じようにして一切抵抗することなく、ただただ急降下している。どうして俺はこんな女の子に告白してしまったんだろう、とちょっと後悔した。というか全力で後悔した。


 にしてもさっきみたいに積極的な天彩は初めて見たかもしれない。俺の知っている彼女はもっとこう、大人しくて、清楚で、可憐で、華奢で、触れたら壊れてしまいそうな感じだったんだけど……


 まあ、そういうのは案外俺の頭の中だけのものだったのかもしれない。俺が作りだした理想の天彩、俺の頭の中だけの空想上の天彩……


 でも、そんな天彩と手をつなげただけでも……


 ってこんなこと考えている場合ではない。俺は絶賛落下中だ、このままでは死んでし……


「ゆいまーる!」


 天彩がそう言ったところで、俺と天彩を取り囲むようにして魔法陣のようなものが一瞬にして展開された。


 そしてその刹那、世界はたちまち闇に包まれてしまった。


「うああああああああ!」


 俺は恐怖のあまりわめき散らすことしか出来なかった。光の一切存在しない暗黒、さっきまで見ていた世界がまるで偽物であったと言わんばかりの圧倒的な漆黒の空間。


――俺はここで確信した。


――これこそ、「死」であると。


 まさか、最期が女の子と一緒に飛び降り自殺だなんてまったく笑えない展開だ。意中の女の子と一緒だったということが不幸中の幸いだったとも言えるだろうけれど、やっぱり現世に対する未練はたっぷりだ。


 天彩と一緒に映画館、遊園地、水族館、動物園、いろんな場所に行ったりして、登下校も一緒にしちゃったりして、たまにはお弁当をつくってもらったりなんて。そして、雨の日は相合傘したり、テストの時もお互い教えあいっこしたり、文化祭一緒に回ったり、そして手をつなぐときはお互いの手と手を合わせて恋人つなぎなーんて、


いろいろ妄想してたのに……


せっかくこれから天彩と一緒にキャッキャウフフな生活、甘美な純愛ラブストーリーが展開するはずだったのに……


こんなのってないだろ……


 こんなのって……


 俺の人生はここからまさに始まろうとしていたのに、なんで、どうしてなんだよ。俺が何をしたっていうんだよ。どうしてこんなことになったんだよ。俺が悪いのかよ。俺が悪いってのかよッ!

自暴自棄になった俺はある考えに至った。


「そうだ、きっとこれは夢なんだ。そうこれはきっと悪い夢なんだ。目を覚ませば全部夢でしたってことなんだ。天彩への告白も夢だったってことには正直なって欲しくはなかったんだけど、やっぱりこれは夢なんだ。俺が告白に成功することなんてなかったんだ。なんて夢みてたんだ。こんな夢さっさと捨て去ってしまおう」


 そう思いつつ体を動かそうとするも体は全く言うことをきかなかった。


「あれ……おかしいな……」


 そう、頭ではもう分かっていた。


 ――これは夢ではない。


 どう足掻いたってどう取り繕ったって分かっていた、これは絶対に夢なんかじゃないってことは。


「そうなんですよね。悪いですけど、残念ながら『夢の国』ではないんですよね。強いて言うなら……

『ユイの国』?」


 はっきりと声が聞こえた。俺には確かに可愛らしい女の子の声が聞こえた。


「それってどういう……」


俺は思わず声を出して訊き返してしまった。


「そのまんまの意味です。ここは『ユイの国』、ユイちゃんしかいない国ですよ。その名も、《ユイマイルワールド》!」


 もはや意味がわからなかった、理解に苦しむとはまさにこのことだろう。


「あれっれれー?せっかく《ユイマイルワールド》に来ることが出来たんですよ。もっと喜ぶところだと思うんですけどねー。隣の彼女なんてもう欣喜雀躍ですよ。嬉しさを禁じえないって感じですよ」


「あっへーい! うっへーい! あったんだ! 『ユイの国』は実在したんだあ!」

 天彩心結だった。まるで幻覚を見ているかのように虚ろな眼をして両手を天に掲げながらその場をぐるぐると回っていた。なんて姿だ、天彩のこんな姿見たくなかったぜ。現役女子高生が理性を失った姿なんてだれが見たいものか。ましてや自分の恋した女性のあられもない姿なんて……


と、ここで天彩はどうやら俺が意識を取り戻したのに気がついたようで、

「はっ、夕影君! これは、その、あの、えっと、別に嬉しさのあまりとち狂っていたというわけじゃなくってね……儀式だよ! これは私の中の精霊を呼び覚ますための儀式なんだよ! 出でよ私の中の精霊ラファエル!」


 天彩は突然、大天使を召喚しようとしだした。


「ちょ、待った待った! なにやってんだ天彩! ストップだ! ストップ!」

天彩が全力で恥を上塗りしようとしていたので、それを避けるために俺はすかさず天彩を止めにかかった。


「……もうほんと顔から火が出そう。フェイスファイヤー、略してFFってかんじ」


 先ほどまでの勢いは一体どこへやら、天彩は恥ずかしさのあまりすっかり委縮してしまっていた。

 と、ここで唐突に真っ暗だったはずの世界に色が加わった。


「な……なんだ……」


 そこはなんだかおとぎの国みたいで、それなのにどこか近未来的、そしてそこはかとなく懐かしみを覚える、そんな場所だった。

 あたりは鮮やかで華やかな建物が立ち並び、ほんのりと甘い砂糖菓子の香りが鼻腔を刺激する。先ほどの暗黒から一転して鮮烈な色彩が目に飛び込んできたものだから眩しくて目を開けるのが辛かった。


「やっぱり『夢の国』なんじゃないか……」


 眼前には赤々とした巨大な門があり、その先にはいかにも西洋の城、キャッスルなるものが重く高くそびえ立っていた。さすがにこの光景が現実のものとは思えない。


「だから、『夢の国』じゃなくて『ユイの国』なんだってば!」


 そこに先ほどの声が背後から聞こえた。そして声は続けた。


「さあ、この校門をくぐれば二人は晴れて『唯岳学園』の生徒になるんです! さあ、通った通った!」


 声の主にぐいぐいと背中を押され、俺と天彩は否応なしにその目の前の門扉を跨ぐこととなった。


「はーい! これで二人ともとーろくかんりょーです! 夕影 惟斗君、天彩 心結さん二名様ごあんなーい!」


「楽しみだなー!」


 満面の笑みを浮かべている。胸の高鳴りを抑えきれない様子の天彩を尻目に、俺は考えていた。


――結局のところ全くもって今の状況が呑み込めない。いったい何なんだ、これは。でも、今目の前では天彩が笑っている。俺はそれだけでいいんじゃないか? ここがたとえ死後の世界だとしても、夢の世界だとしても、はたまたユイの世界でも、場所なんてどうだっていいんだ。俺は告白して、そんでもってその告白は成功して、天彩と一緒にいることが出来る。もうそれで良いんじゃないか? それ以上のことを俺は望んでいたのか? そうじゃないだろ。そんなわけない。今の状況こそ俺が望んだ展開、これで良いんだ。


 自問自答を繰り返す夕影。結局夕影はこの奇想天外摩訶不思議ワールドに折り合いをつけることが出来ないでいた。


「ええい、ままよ!」


 俺は心の中でそう言った。成り行きまかせで、行き当たりばったりの人生もきっと悪くないだろう。ケセラセラ、なるようになるさ。きっとなる!


こうして、夕影と天彩の《ユイマイルワールド》での生活、ユイちゃんだらけの世界での戦いが幕を開ける……


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