第14夜

 世の中には、どう考えても理不尽だってことが溢れかえっている。

 通学中に車が突っ込んできて命を落としたり…

 初めて乗った飛行機がエンジントラブルで墜落したり…

 目が合ったからという理由だけで暴行を受けたり…

 出会ってしまったが最後、何をどうやっても足首を切られる悪霊が居たり…


 どれも実際にあり得る話だ。

 最後の1つ以外は。

 人によっては単なる作り話だって笑い飛ばすかもしれない。

 ただ、あえて言わせてもらえば。

 それを作り話だと笑い飛ばせる奴は、本当の意味で幸せなのだ。


 学校の帰りに、その悪霊は出くわす可能性があるらしい。

 小学校の教員をしている自分が、教え子たちから聞いた話にビビっているなんて…我ながら情けない。とは思う。

 でも、昔から怖いことは本当に苦手なんだ。

 お化け屋敷は絶対入らないし、テレビの心霊特集とかは絶対観ないし、肝試しなんてもってのほかだし。

 そんな自分が子供たちから教えてもらったこの怪談は、あまりにも理不尽な内容だった。

 何しろ、昔からいろんな怪談につきものの『助かる方法』が無い。

 逃げても無駄。立ち向かっても無駄。お経を唱えても無駄。

 無駄無駄無駄。

 どこかの漫画の悪役のようだ。


 その悪霊は、それはそれは綺麗な姿をしている女だそうだ。

 学校からの帰り道、1人で歩いていると、少し遠めにいつの間にか現れる。

 全く動かずにこちらを見ているらしいが、そこで引き返そうとすると振り返った途端に目の前に居るらしい。

 そうでなければ、少しずつ女に近づいていくことになる。

 顔を背けながら歩いていると、急に耳元に声が聞こえることになる。

 まっすぐに女の方を見ながら歩いていると、ある一定の距離に近づいた途端、目の前に瞬間移動してくるらしい。

 そして『あなたの子供が欲しいの』と言って、手に持った出刃包丁で足首を切り落してくるらしい。

 この言葉はどの方法で女に近づかれても、すべて同じ言葉だそうだ。

 が、言ってることと行動に全く脈絡が無い。それに、何をしても結局この言葉をかけられることになるのだから、始末が悪い。

 それに、美しい女性であれば、男は思わずその姿を見てしまうだろう。

 あらゆる方向で、理不尽なのだ。

 それから、この悪霊は男性の前にだけ現れるらしい。身長が150cm以上ある男性であれば、だれの前にでも現れる可能性があるというのだ。

 最近の小学生は、背が高い子も多くなってきた。150cm以上と言うなら、クラスに数人は居てもおかしくない。

 男子たちは抗議の声をあげていたが、そりゃまぁ男だけ狙われるのだから男子は納得いかないだろう。

 が、女子に対してだけ襲い掛かってくる悪霊やらも居るらしいので、その辺はもう男でも女でも関係ないのだろう。

 怖い話が嫌いな自分は、その後も様々な話を立て続けに聞かせてこようとする教え子たちの意地悪な顔を見て、もうこれ以上聞かされるのは精神的にダメだと思い、その場を逃げるように退散したのを覚えている。


 それが、今日の終わりの会を済ませた後の話だ。

 今はもう、あたりは真っ暗になっており、職員室にも自分だけしか居なかった。

 梅雨が明けて、夏に突入した。

 冷房が効いてる部屋を一歩出ると、途端に生暖かい空気が首筋に絡みついてくる。

 最近の夜は、常にそんな感じだ。熱帯夜、とまでは行かないが、寝苦しい。

 もうすぐ夏休みだな…

 そんな事を考えながら、職員室の電気を消してドアに鍵をかけた。


 夜の21時を少し過ぎたところだ。

 別に深夜というわけではないから、怖いとかは無いはずなんだけれど。

 あの話を聞いてしまってから、夜に1人で帰る、という事自体がもう恐怖を感じさせる状況になってしまっていた。

 東京や大阪と違い、この辺りの夜は街灯も少なくて暗い場所が点在している。

 昔の人がこの暗闇の中に妖怪や幽霊が居ると想像して身震いしていたのも、自然と頷ける。そんな闇が、あちこちに点在するのだ。なかなかに良い田舎ではないか。

 そんなことを考えつつ。少しでも馬鹿な話を思い浮かべつつ。自分は怖さを紛らわせるように、星空を見上げながら歩いていた。


 ふと視線を前方に向けた。

 次の街灯の下に、誰かが立っていた。

 遠目なのだが、明らかにこちらを見ている事が分かった。

 遠目なのだが、スタイルの良い女性である事が分かった。

 遠目なのだが、真っ黒なタイトスカートのワンピースであることも分かったし、そこから出ている腕も脚も首も顔も、全てがとても綺麗な白であることが分かった。

 美しいコントラスト。

 夜でさえなければ、そう言えただろう。


 これは、現実なのか?


 それが自分の脳内に響いた、最初の一言だった。

 教え子たちが話していたあの悪霊の話が、一瞬にしてすべて思い出される。

 あの話を知っている女が、悪戯でこんなことをしているのではないか。

 そんなことも脳裏に浮かぶ。

 だが、あの圧倒的な存在感は、人間の持つものとはどこか違う、一種独特なものを感じさせた。


 動けない…


 女を見つけてから、もうたっぷり10分は微動だにせずにその場に居た。

 戻ることもできず、進むこともできず。

 いったいどうすれば…


 そこで、気が付いた。

 天才か…そうか、自分が孔明だったか…。

 などと、どこか変なテンションでその状況を乗り越えようとしている自分が居る事に気づいた。

 そう。

 そうなのだ。

 唯一、助かる可能性があったのだ。


 


 それが全ての答えだった。

 そう。


 朝になって誰かがこの道を歩いてくるまで、のだ。


 それに気づいてしまった自分は、ふと考えた。

 なるほど、あの怪談にもちゃんとヒントが隠されていたんだ。

 まさに目からうろこ。

 とはいえ…。


 このままじっと女を見ているのも…。


 そう思ったが、考え方を変えた。

 そうだ、あの女はヤバい奴かもしれないが、間違いなく綺麗だしスタイルが良い。

 ここは開き直って、観察してやろう。


 それが自分のはじき出した、意味の分からない答えだった。





 あれから何時間たったのか。

 さすがに女を観察するのは数分で飽きてしまい、そのままとにかくいろんなことを考えては、眠らないようにするのが大変だった。

 そして今、自分は眠気に勝ち、なんとか朝日を拝むことが出来たのだ。

 暗かった道を、太陽の光が照らしていく。

 その光景は、何とも言えない美しさだった。

 にしても…。

 この時間まで誰も来ないんだから、本当にここは田舎だな。

 などと思っていると、自転車に乗ったどこかのオヤジがこちらに向かって来ていた。朝日を背負って、どこか神々しい。女のさらに向こうの方から来ているので、そのうちあの女の横を…。

 ほんの少し、そのオヤジに気を取られただけだった。

 そのほんの一瞬に、女は姿を消していた。


「助かった…」

 心の底から、呟いた。

 もう全身がくたくただった。

 ずっと立っているだけなのがこれほど辛い事だとは思わなかった。

 その場にへたり込んだ自分の横を、先ほどの自転車にのったオヤジが通り過ぎる。


 通り過ぎる…はずが。

 そこで止まった。

「兄ぃちゃん、根性あるなぁ」

 視線をあげ、オヤジを見上げた。


 大きな1つ目が、自分を見下ろしていた。



 自分が覚えているのは、そこまでだ。

 登校してくる教え子たちに起こされたが、さすがにこの話をすることもできず…。

 また今日の終わりの会では、怪談話を聞かされることになるのだろう。

 その時自分は、話をしてやろうと思う。

 この街には、1つ目の神様が居るって。

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