廃された王に捧ぐ一膳

名瀬口にぼし

廃された王に捧ぐ一膳

 峯という国に朱宵鈴しゅ・しょうりんという、食堂を営む若い女がいた。顔は平凡であったが料理の腕は確かで、店は繁盛していた。特に宵鈴の作る粥はどんな具を入れても美味で、好き嫌いのある子供も喜んで食べると評判であった。

 宵鈴はその暮らしに満足していたので、今以上のものは何も望むことなく生きていた。だがある時、宵鈴のもとに役人が訪ねてきて、退位した帝のために料理を作れと言った。宵鈴はあまり乗り気ではなかった。が、依頼というよりは命令であるその話を断る度胸はなかった。だから仕方がなく、宵鈴は先代の帝である暁王ぎょうおうに仕えることにした。



 暁王の居城はかつての都にある古い宮殿であり、宵鈴はそこの厨房で働いた。


 初めて夕餉を献上した晩、王の臣下である張康夜ちょう・こうやが宵鈴に会いに来た。康夜は整った顔をしているものの無表情な男であった。

「宵鈴、殿下がお呼びだ。私について参れ」

 ひどく冷たい声で、康夜が命じた。


「かしこまりました」

 宵鈴は厨房を片付けていた手を止め、康夜の言葉に従った。

 しかし、暁王に拝謁することを宵鈴は恐れていた。表向きには、暁王は譲位して王に戻ったということになっていた。が、暁王は生まれつき狂っており、それゆえ今の帝により廃されたというのが世間に流布する話であった。また暁王は癇癪持ちで偏食が激しい人物であると、他の下女から聞かされていた。もしかしたら出した料理が王の口に合わず、叱責を受けるのかもしれないと不安に思った。


 赤い柱の立ち並ぶ廊下を、宵鈴は康夜の後について進んだ。石畳を歩く二人分の足音が、静かな城内に響いた。

 しばらく歩いた先の突き当りに、木製の大きな引き戸があった。

 康夜が近づくと、両脇に控えた兵士が戸を開けた。康夜はすたすたと中に入ったが、宵鈴は戸惑い立ち止まった。しかし康夜が早く来いと言いたげな顔で振り返ったので、嫌々足を踏み入れた。


「殿下、先ほどの粥を作ったのはこの朱宵鈴という女でございます」

 袖を合わせて礼をして、康夜が部屋の真ん中に座る男に宵鈴を紹介した。

 宵鈴も康夜と同じ姿勢をとり、目を上げずに礼をした。緊張して何も言うことはできなかった。

「これをつくったの、きみなんだねぇ。ぼくがゆるすから、かおをあげてほしいなぁ」

 妙に甲高い、舌足らずな声が部屋に響いた。どうやらこの声の持ち主が、暁王らしかった。


 恐るおそる顔を上げると、粥の入っていた器の置かれた卓を前にして、立派な椅子に腰掛けている青年がいた。青年はにこにこと宵鈴に微笑んでいた。上等な衣で着飾った容姿は端麗で、背格好も間違いなく大人に見えた。だがその様子や表情は子供のようにあどけなく、落ち着きがなかった。


 想像していたのとは違う方向である暁王のおかしさに宵鈴は面食らい、どう反応すればいいのかわからなかった。

 だが暁王は宵鈴の戸惑いに構うことなく、勝手に話を進めた。

「このおかゆは、やさいがたくさんはいってるのに、おかしとおなじくらいおいしかったねぇ。もっとたくさん、たべたいねぇ」

 匙を舐め、暁王はじっと宵鈴を見つめておかわりを要求した。

「殿下はもう四杯も召し上がられております。本日はここまでといたしましょう」

 側に立つ康夜が、調子を崩すことなくやんわりといさめた。


 その言葉が気に入らなかったらしく、暁王は康夜をにらんで声を荒げた。

「こうや、ぼくはもっとほしいんだって!」

 暁王がそのまま空の器を掴み投げようとしたので、宵鈴は慌てて制止しようと話しかけた。

「明日、また違う味のものをご用意いたします。どうかそちらを楽しみにお待ちになって、今夜はもうお休みなさいませ」

 適当に思いついたことを言っただけであったがわりと有効だったようで、暁王はすぐに機嫌を持ち直して宵鈴に尋ねた。

「ほんとう?」

「はい。必ずまた明日もおいしいお粥をお持ちします」

「ぜったいだよぉ、しゅ・しょうりん」

 ほおづえをつき、暁王はうれしそうに微笑んだ。その人として欠けているがゆえの素直さに、宵鈴はほんの少しだけ心惹かれた。だが同時に、どこかで小さく胸が痛んだ。


 そっと近づき、康夜が暁王を誘導した。

「それでは殿下、ご寝所へ……」

「わかったぁ」

 食事を終えたら急に眠くなってきたらしく、暁王はあくびをして目をこすった。

 康夜は他の下女を呼び、暁王を寝所へと連れて行かせた。


「では私もここで……」

 暁王がいなくなったので、宵鈴も部屋を出ようとした。

「待て、宵鈴」

 しかし、康夜に呼び止められた。まだ何かあるのかと身構えて、宵鈴は振り向いた。


 康夜は、空の器が載った盆を宵鈴に渡しながら言った。

「殿下がこのように食事をきちんとお召し上がりになったのは、久々のことだ。お前を選んだのは、間違いではなかった」

 相変わらずの無表情であったが、一応宵鈴に感謝しているようであった。そして一瞬ためらった様子を見せて、さらに話した。

「殿下のあのご気性は、生まれつきではない。昔を知る人は少ないが、かつては聡明な方であった。叔父である曙公しょこう……今の帝に薬を盛られた結果、あのようになられた。曙公は、殿下がもともとおかしかったということにしておきたいようだがな」

 康夜は昔を懐古するように遠くを見ながら、暁王の事情を語った。


 宵鈴には、暁王はそのままでも十分痛々しい存在であるように見えた。だが親族の悪意の結果毒により退行したと知ると、さらに救いようがなく思えた。

 面倒事を抱えたくない気持ちで、宵鈴は尋ねた。

「そんな話、一介の料理人の私にしてよいのですか?」

「よくはないだろうな。だが何となく、お前には知っておいてほしかったのだ」

 康夜はぽつりとつぶやいた。その横顔の表情は何も変わっていないはずであったが、どこかさみしげに見えた。

「そう、ですか」

 康夜が本当のところ何を思っているのか気にはなった。が、これ以上話を続けると大変なことを知ってしまいそうなので、宵鈴は空いた食器を手に足早に去った。



 それから宵鈴は、毎日暁王のために料理した。求められるのは、やはり粥が多かった。

 宵鈴の作る粥は、好みの難しい子供でも食べやすいと食堂でも人気があった。だから毒を盛られた影響で偏食が激しくなった暁王も、宵鈴の粥は喜んで食べた。

 粥の味だけではなく宵鈴自身も気に入られたらしく、宵鈴は食事を運ぶ役も受け持った。今の帝に行動を制限されている暁王は、宮殿から出ることを許されてはいなかった。そのため、宵鈴はほぼ毎日暁王に会った。

 宵鈴が会うときの暁王はいつも上機嫌で、待ち切れない様子で食事を待っていた。


「きょうのおかゆは、ほたてのだしもつかってるよねぇ?」

 粥を一口食べた暁王が、きらきらと目を輝かせて宵鈴に聞いた。

 宵鈴は静かに受け答えた。

「はい。さようでございます。ほんの少量ですのに、よくおわかりになりましたね」

「えへへ、すごいでしょ」

 誇らしげに暁王が笑った。大人びて美しい外見とは不釣り合いな、子供っぽい笑い方であった。


 だが、宵鈴はいつの間にかそういう暁王の感情表現に完全に慣れていた。だから何も言わずに、暁王を見守った。

「これはとてもおいしいから、ははうえにもたべさせてあげたいねぇ」

 大事そうに椀の中の粥を食べながら、暁王は言った。暁王の生母はとっくの昔に死んでいるのだが、精神の退化とともに記憶も失っている暁王はその死を忘れていた。何度説明されても、理解することはなかった。

「でも、ははうえはどこへいったのかなぁ? しょうりん、しらない?」

 暁王が宵鈴に、不思議そうな顔で尋ねた。くちびるには、飯粒がまだついていた。


 そんなことを聞かれても困ると思いながらも、宵鈴は優しく暁王に微笑んだ。

「どこへ行っていらっしゃるのでしょうね。殿下は、どこだと思います?」

「うーん、うみってところとかかなぁ。うみってほたてがたくさんすんでるらしいよ。しょうりんはうみ、みたことある?」

 宵鈴のごまかしに気づくことなく、暁王は素直に別の話へと逸れていった。

 ほっとした宵鈴は、今度は嘘をつかずに答えた。

「あります……というよりも私は海の近くの出身です。帆立や海老、魚を食べて育ちました」

「いいなぁ、しょうりんは。ぼくもうみに、いってみたいねぇ」

 そう言って、暁王は食事を続けた。暁王の考えている海がどんな場所なのか、きっと宵鈴には想像もつかないような景色を心に描いているのだろうと思った。



 こうして宵鈴が暁王に仕えてから半年が過ぎようとしていたころ、叛乱が起きた。暁王の住む旧都に近い城で、今の帝に政治に対して不満を持つ将軍が兵を挙げたのであった。峯の国はまだ建国から日が浅く、ちょっとした小競り合いはめずらしいことではなかった。だがここまで大規模な戦乱が起きたのは久々のことであったので、人々はざわめきたった。宮殿で暁王に仕える下女や従僕も、例外ではなかった。戦火が自分の身に及ぶことを恐れ、宮殿を出る者もいた。


 めったなことでは動じない宵鈴も、多少は将来に不安を感じた。だが宵鈴は逃げることはまだ考えずに、宮殿で仕事を続けた。しかし動乱の波はさらに大きくなって、着実に旧都に近づいていた。叛乱鎮圧のために都から官軍が送り出されてはいたが、到着はまだ遠かった。


 もうすぐ叛乱軍が旧都に達しようとしていたある日、宵鈴は康夜に宮殿の外れに立つ楼閣へと呼び出された。宵鈴はいぶかしく思いながらも、その楼閣に向かった。楼閣は今は使われておらず、中も外も荒れ果てていた。


「康夜様、宵鈴です。何のご用でしょうか」

 宵鈴は戸の外れた入口から中に入り、康夜の名を呼んだ。

 暗い室内の隅に置かれたぼろぼろの椅子に座り、康夜は宵鈴を待っていた。

「来たか、宵鈴。お前はまだ、逃げていないのだな」

「……逃げたところで、このご時勢に本当に安心して生きていける場所はなさそうですから」

 ぼんやりと問う康夜に、宵鈴は日頃考えていることをそのまま伝えた。

「それもそうかもしれないな」

 康夜は何かを思った様子のまま、あいづちをうった。

 その心ここにあらずというような態度が心配になった宵鈴は、康夜に問いかけた。

「あなたの方こそ、大丈夫なんですか?」

「私は別に、どうとでもなる。が、殿下は……」

 宵鈴の質問に、康夜は言葉を濁した。


「やはり叛乱軍は、殿下を弑するのでしょうか」

 宵鈴は、叛乱軍が旧都に入った後の暁王の未来を想像した。叛乱軍は、王族である暁王を殺すものだと思った。


 だが、康夜の答えは違った。

「いや、そうはならない。むしろ奴らは、殿下を担ぎ上げ、自らの蜂起の正当性を主張する。先の政変で殿下が殺されなかったのは、今の帝が反対勢力にわざと兵を挙げさせようと考えたからだ。叛乱の口実にさせるために、殿下はここで生かされた。この乱が鎮圧されれば、今の帝に逆らう者はいなくなるだろう。しかし万が一、奴らが殿下を得ることで勢いを増しても危険だ。だから、殿下はここで死ななくてはならない」


「今、あなたは何と……?」

 考えてもいなかった康夜の言葉に、宵鈴は思わず聞き返した。


 康夜は何も言わずに袖から麻袋を出し、宵鈴に渡した。

 受け取って中を見れば、入っていたのは薬草だった。昔読んだ本の、毒薬についての頁に描かれていたもののひとつに似ていた。

「何ですか、これは」

 袋を握りしめ、宵鈴は康夜をにらんだ。

 康夜はうつむいたまま、宵鈴に命じた。

「宵鈴。お前は今日の夜、この薬を使って粥を作れ。苦味の強い薬だが、お前の腕ならごまかせるだろう」

「その粥を食べたら、殿下はどうなるんですか?」

 康夜が自分に何を望んでいるのか、宵鈴にはもうわかっていた。しかし、答えさせずにはいられなかった。


 少し間を置いて、康夜は静かにつぶやいた。

「……強い眠気が襲い、そのまま二度と目を覚まさない。痛みはなく、苦しまずに死ねるらしい。死んだ人間に感想を聞けるわけではないから、おそらくの話だが」

 暗がりの中で目を伏せている康夜は、相変わらず感情のわかりにくい顔をしていた。


 康夜が暁王に対してどのような気持ちを抱いているのか、宵鈴にはわからなかった。だが非のない主君を見捨てるのは、責められるべき行為だと思った。感じた嫌悪を抑えきれず、宵鈴は吐き捨てるように康夜をなじった。

「今の帝……かつて殿下に薬を盛った曙公が、それを望んでいるんですね。叛乱を招く火種としての役目を終えたなら、速やかに死ねと。あなたは結局、曙公の命に従う人間だった」

 人格を踏みにじられた挙句、物か何かのように扱われる暁王が哀れだった。そんな暁王を殺せと命じる康夜を認められなかった。康夜が忠臣のように暁王につき従っていたから余計に、裏切り者に思えた。


 宵鈴の容赦のない非難に、康夜は顔を上げてきつく言い返した。

「私とて、好きでこんなことを頼むわけではない。だがどちらにせよ、殿下は死ぬのだ。毒殺が無理なら、刺殺や絞殺で殺される。逃げたところで、あの方は外で隠れて暮らしていけるような状態ではない。生きて叛乱軍に担ぎ上げられても、戦が終われば簒奪者に殺される。何も知らないうちにこの薬でお亡くなりになるのが、あの方が一番安らかでいられる道なのだ」

 康夜の冷たい態度は崩れなかったが、いつもよりもずっとよく喋った。その饒舌さは、隠された罪悪感に比例したものだと考えられた。言い訳がましいものではあったが、その言葉は確実に暁王のために考えられる他の選択を先回りして潰していた。


 そのため宵鈴には、感情的な言葉しか残されていなかった。

「それが最善だとしても、私は嫌です。そんなこと、やりたくありません」

 震える声で、宵鈴は言った。自分がそれほど情の深い方だとは思っていないが、それでも受け入れ難かった。


 康夜は椅子から立ち上がり、宵鈴に近づいた。そして、そっと耳元にささやいた。

「殿下はお前以外の人間の作った料理はほとんど食べない。それにあの方の味覚は鋭いから、常人の料理では毒に気付かれてしまう。お前が作らなければ、殿下の死は苦しいものになるだろう。だからお前に頼んでいるのだ」

 それは理路整然とした説得であった。しかし同時に、暁王を苦しませずに死なせたいという康夜自身の願いのようにも聞こえた。康夜の話には、つけ入る隙がなかった。だが、その声はわずかに震えていた。


 康夜はここに来るまでに、ずいぶん葛藤したのかもしれなかった。毒殺の命令に宵鈴がどうやっても反論できないのは、それが康夜が悩み抜いた末の答えであるからとも考えられた。

 宵鈴は暁王を殺したくなかった。そもそも誰が相手だとしても、人を殺すことには抵抗があった。だが、康夜の暁王を想う気持ちに流されて覚悟を決めた。

「……わかりました。今日の夜は、その薬を使って作ります」

 宵鈴は目を閉じ、康夜に従った。思い浮かぶのは、自分に笑いかける暁王の姿だった。



 その日の晩、宵鈴は毒草を使って粥を作った。主な具は、暁王が一番好きだと言っていた卵と木耳にした。毒草は粉末にして混ぜ込み、苦味は甘めの酒を使って打ち消した。


 相手を害するための料理を作るのは、料理人として心が苦しいことであった。

 暁王は、理不尽に心を蝕まれてもどこかに元の尊さを残していた。宵鈴はそういう暁王が好きであったので、よりつらかった。

 しかしどんなに生きて幸せになってほしくても、暁王は遠い主君であった。単なる下女である宵鈴が、手を差し伸べられる存在ではなかった。

 だから宵鈴は、目的はどうであれ、自分は暁王のために料理をするしかないのだと割り切った。せめて死を迎えるその時までは幸福でいられるように、普段より一層腕を振るった。


 宵鈴は出来上がった粥を鍋から器によそい、薬味の生姜や葱と一緒に盆に載せた。付けあわせには、油で揚げた餅と根菜の塩漬けを用意した。

 いつもと同じように、宵鈴は食事の載った盆を持って暁王のいる部屋に向かった。廊下は暗く、夜気に冷えていた。

「殿下、ご夕食をお持ちいたしました」

 宵鈴は暁王のいる部屋の扉の前で、声をかけた。


「やっと、きた! はやく、あけてあげてよ」

 中から暁王の声がして、扉が開いた。中から宵鈴を部屋に迎え入れたのは、康夜だった。

「では、宵鈴が参りましたので、私はここで」

 宵鈴に目くばせすると、康夜は部屋を出ていった。


 暁王は机から身を乗り出し、目を輝かせていた。

「しょうりん、まってたよ」

「はい。本日は、卵と木耳の粥でございます」

 宵鈴はうやうやしく盆を暁王の前に置き、料理の説明をした。粥からも揚げた餅からも、まだ湯気が立っていた。

 その際、手がほんの少し震えてしまった。が、動揺して料理をこぼすようなことはしなかった。主君を殺そうとているのにも関わらず、宵鈴の心は落ち着いていた。宵鈴はそんな自分を、冷淡でひどい女だと思った。


 何も気づいていない暁王は、うれしそうに笑って匙を手に取った。

「ぼく、これすき」

「存じ上げております」

 宵鈴は側に控えて、暁王を見つめた。毒を盛ったのは他の誰でもない自分自身であったが、この食事が王を殺すと思うと夢か何かのような気がした。


「それじゃあ、いただきます」

 暁王は、まずは粥から食べ始めた。匙ですくったものに息を吹きかけて冷まし、口いっぱいに含む。よく噛んでじっくりと、木耳の食感を楽しんでいるようだった。

「やっぱり、きくらげはいいねぇ」

 そして揚げた餅を粥に浸して味わい、付けあわせの根菜も合間に手をつけた。暁王がよく食べるので、器が空になるのにそう時間はかからなかった。

「おかゆもあげたやつもおいしかったし、やさいもしょっぱくてよかったねぇ」

 熱い粥を食べ終えて頬を火照らせた暁王が、匙を置いて微笑んだ。


「それは良かったです」

 これで暁王は死ぬのだと、宵鈴は頭では理解した。こうして言葉を交わすのは、これが最後になるのであった。だが、実感はわかなかった。


 暁王は甘えるように、宵鈴を見上げた。顔は凛として綺麗な青年であった。

 不意に宵鈴は、王が一応は成年に達した男性であることを意識した。

 そして暁王は、その風貌に反して子供のように純粋な親愛を宵鈴に向けた。

「ありがとう、しょうりん。ぼくはきみのおかげで、おいしいごはんをたべられる。きみがいてくれて、とてもうれしいよ」


 そのとき宵鈴の心は、自分が暁王に対して行ったことへの罪悪感で満ちた。

「……そんな、私にはもったいないお言葉です」

 声を詰まらせて、宵鈴は頭を下げた。宵鈴は暁王から向けられた好意を利用する形で、暁王を殺そうとしていた。それは絶対に許されないであろう行為であった。宵鈴は王に対して、どんな態度で接したらいいのかわからなくなった。


 だが暁王は、戸惑っている宵鈴を置いて、次の話へと移った。

「でも、ほかのひとがしょうりんのりょうりをたべられないのが、もうしわけないねぇ。ぼくがおうぞくだからって、ひとりじめするのはわるいきがするよ」

 そう言って、暁王は心苦しそうに遠くを見た。そして、腕を組んで何やら悩みだした。


 自分が幸せな時に他人を案じる暁王の思考に、宵鈴は元の人格の名残を感じた。聡明だったという昔の姿が、垣間見えた気がした。こんなとき、宵鈴は暁王のことがより愛しく、また救われない存在に思えた。

 宵鈴は何も言えずに、ただ立っていた。


 すると暁王は考えがまとまったらしく、笑顔になって口を開いた。

「そうだ、ぼくはきみに、おみせをやってほしいな。そしたらみんなが、きみのりょうりをたべられる。ぼくはおきゃくさんとしてまいにち、きみのところへいくよ」

 自分が宮殿の外に出られないことを忘れた暁王は、無垢な瞳で宵鈴に提案した。


 その望みが絶対に叶うことがないと知りながらも、宵鈴は同意した。

「よいお考えですね。私も昔は食堂を開いていましたし、またやりましょうか」

「ほんとう? じゃあ、ぜったいだよぉ」

「はい、きっとそうします」

 真っ直ぐに自分を見つめる暁王に向き合い、宵鈴は答えた。

 暁王は、満足げにうなずいていた。


 やがて毒が効いてきたのか、暁王は眠たそうに目をこすった。そして見た目だけは大人びた体を丸めて、大きなあくびをした。

「なんだか、たくさんたべたらねむたくなってきちゃったなぁ……」

「きっとお疲れなんでしょう。少し早いですけれども、本日はもうご寝所でお休みなさいませ」

 暁王の座る椅子の背もたれに手を置き、宵鈴は静かに声をかけた。


 急な眠気に逆らえずにいる暁王は、ぼんやりとした目で宵鈴を見つめた。そして、残念そうにつぶやいた。

「もっとしょうりんとはなしたかったのに……。でも、あしたもあえるよね?」

 もうすぐ自分が死ぬとはまったく思っていない暁王が、無邪気に宵鈴に問いかけた。


 宵鈴の胸の奥に、じわりとした痛みが広がった。罪の意識に耐えられず、思わず全てを話してしまいそうになった。だがしかし、真実を明かしたところでなんの意味もないことはわかっていた。

 顔に考えていることが出てしまいそうになるのをこらえて、宵鈴は暁王の顔をしっかりとのぞきこみ嘘をついた。

「はい。明日もお粥をお持ちして参ります」

 暁王から明日を奪ったのは、他でもない宵鈴であった。それは心苦しい嘘ではあったが、暁王が幸せに死ぬには必要なことだと思った。


「ふふ、たのしみだなぁ……。じゃあ、またあしたね……」

 暁王は幸せそうに笑った。その声は本当に小さなささやきで、よく聞こえなかった。そして暁王は目を閉じた。もう二度と起きることはないとは知らぬまま、眠りについた。


 力の抜けた暁王の体は、崩れるように椅子から落ちた。

 そっと宵鈴は暁王を抱きとめた。細やかな刺繍に彩られた衣に包まれた暁王の体は、軟禁生活を送っていたせいか華奢で細かった。

 宵鈴は、暁王を床に寝かせようかと思った。だが冷たい床の上で死なせるのも気の毒な気がしたので、やめた。自分にその資格があるのかはわからなかったが、宵鈴はそのまま腰を下ろして暁王を抱き続けた。少なくともその死を看取るのは義務だと思った。


 聞こえるのは、小さな寝息だけだった。繊細なまつげがときおり震えるのを見つめながら、宵鈴は暁王の髪を撫でた。

 権力に生死を定められ、心さえも他人の手によって損なわれて、利用され死んでゆく暁王の儚さが痛ましかった。同時に、奪われ続けても本当に大切なところは守り抜いた真っ直ぐさを尊いと思った。

 そしてゆっくりと、暁王の呼吸は浅くなっていった。


「申し訳ありません、殿下……」

 まだ生きた温かさのある手を握りしめ、宵鈴はつぶやいた。

 康夜が戻るまで、宵鈴はずっと暁王のそばにいた。その死に顔は、安らかであどけないものであった。



 役目を終えた宵鈴は、その日のうちに宮殿を出た。それからもともと住んでいた街に戻って、食堂を再開させた。食堂はすぐにまた多くの客でにぎわい、繁盛した。


 暁王の死は、長く患っていた心身の病が原因ということで片付けられていた。叛乱はしばらくして官軍により鎮圧された。その後の世の中は、康夜が話していた帝の思惑通り平和なものだった。ある意味では、宵鈴の行為は大勢の利益につながるものであった。


 だが、どのような結果であったとしても、宵鈴は自分が暁王に対してしたことが許されるとは思わなかった。

 人を殺すという行為は、それだけですでに十分罪深かった。宵鈴は、幼い心で疑うことなく自分を信頼してくれていた暁王を騙して殺した。その罪は、これからどんな生き方をしても贖えるものではなかった。


 しかしそれでも、宵鈴は宵鈴なりに心の中でけじめをつけた。

 望むと望まざると、暁王を苦しませずに殺すことは他の誰にもできなかったのだと、宵鈴は自分を納得させた。あの未熟に退行した王に最後の食事を捧げられたのは、宵鈴だけだった。選んだのは死なせる道だとしても、それは宵鈴なりの想い方だった。


 そして宵鈴は、その後も食堂を営み続けた。それが暁王の望みでもあるはずだった。生きている限り、宵鈴が料理をやめることはなかった。

 だが、卵と木耳の粥だけは二度と作らなかった。

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