リバレーション!

まず申し上げよう。

自分が心の中に飼っている、単純極まりない作りの「少年漫画」脳は、ラストまでを読み、叫んだ。「なんじゃこりゃー!」と。そしてそれは、またたく間に後宮物語脳、歴史脳が塗りつぶしていく。どころか、「これですよこれ! 宿命からの解放! リバレーション!」と快哉を叫びさえする。そんな物語である。(どんなだ)

中国史に通暁なされている著者の筆であるから、フィクションノベルの世界でありつつも、そこには確かな「歴史」の息遣いがある。ラゴと烏翠、利害が噛みあうような、行き違うような、な両陣営。白でも、黒でもない。グレーな重なり合い。主人公のレツィンはグレーゾーンそのもの、まさしく生きる折衝帯と呼ぶべき存在である。人質、などという生ぬるいものではない。

物語はすでにレツィンがその運命を受け入れているところから始まっているのだが、その境地に至るまでにはいかほどの煩悶、葛藤があったのだろうか。わかるのはただひとつ、彼女がそういったものを乗り越えるだけの強さを備えていたこと、だ。そしてこれらは、あくまで物語における行動としてのみ語られる。

レツィンは動く。ぶつかる。語り、悩み、再び動く。この物語に出会う読者の大半が脚をすくめ、結果あえなく首をはねられてしまうであろう局面において、彼女は皓然たる存在感を示すのだ。

この物語を端的に言おう。籠に繋がれた美しき鳥が、再び羽ばたく物語である。最後まで付き合った読者たちは、自ずと空の広さを、高さを実感することが叶う。

一方で、物語はまた籠の堅牢さ、醜悪さ、その中にあってなお気高さを保つ蝶の姿をも描く。

精緻な細工に縁取られたその籠は、僅かな鳥を失ったところでその威容を失いはしない。

今の我々に、その籠がやがてどのような運命をたどることになるか、を知る手立てはない。なぜならば、烏翠の歴史は、今まさに我々の眼前で流れているからである。

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