同じものを好きだと感じられる相手に出会えたら、それは幸福だ。
表現の方法に違いがあっても、例えば小説と音楽であっても、
創作する者同士、どんな「好き」をインプットして形と成すか、
その感覚を語り合い、その感性を共有することは有意義で楽しい。
写真と俳句は、一瞬を切り取る。
その一瞬を、小説で如何に表現するか。
緻密で連続的な情景描写が、その一瞬に出会うとリズムを変える。
山を登り、汗をかき、息が切れ──ある瞬間、ぱっと前が開ける。
一人きりの撮影旅行をする「私」は、その情景に心を惹かれる。
「私」は無我夢中でシャッターを切り、一瞬を切り取っていく。
ああ、この人には私の「好き」がわからないんだな、とか。
結局この人は外側だけしか物事を見ていないんだな、とか。
そういう、もどかしさを抱える「私」の気持ちには強く共感した。
もどかしさを振り切るためにエネルギーを振り絞った経験もある。
「それは文字で表現できない」と言われ、悔しい思いをした。
スポーツの試合に感動して、その躍動感を描きたいと口にした日。
「若い女に書けるはずがない」と言われ、ふざけんなと思った。
膨大な情報と覚悟が必要な戦の歴史小説を、だからこそ私は書く。
「恋の話」でありつつ、創り手の感性の在り方を描く物語。
感性に「蓋」をしている人、されている人には響くはずだ。
爽やかな風が導く先の開放感を噛み締め、味わっていただきたい。
できるなら声に出して、十七音の響きを楽しんでいただきたい。
物語はひとりの女性が風景写真を撮るために旅行をすることから始まります。
新緑の薫る季節、清々しい風景をカメラ越しに切り取って行く。
彼女はそこで新たな出会いと過去への決別を経験するのですが、その過程が瑞々しく綴られていく様は、読んでいて心地よいです。
私の光を遮る男性とは一緒にいられない。っていう内容の歌を思い出しました。ポップソングですけど。それからカクヨムで読んだ小説の中に、男女の関係はどっちがマウントをとるかの力勝負だ、みたいなことが書いてあって、ほんとにそうだなぁとおもったりもしました。
青葉の輝きを切り取ってそこに留めることができるのは、誰なんでしょうね。
写真でしょうか、俳句でしょうか、それともあるいは。
夏の強い日差しを受けて、彼女が一層輝きを増していくのが想像できるようでした。
ところで全然レビューとは関係ないんですが、異性の一人称を書かれる上で心がけていることなどはありますか? いつもとても自然に読めるので、どんな秘密があるんだろうと気になっているんですが……。