神という存在のパラドクス

信仰とは神からの恩恵を得たいがために行うものだが、当の神は何もしない。
当の神は何もしないが、神を想うことによって、何かしらの恩恵は得られる。
「神を想うこと」というのは、信仰とは違うようにも思えますが、どちらにせよ、パラドクスのように見えます。
神は無慈悲だが慈悲がある、というように見えます。
この作中のキリストは、その神という曖昧な概念を把握し、二人の盗賊、そして読者に説こうとしているのだろうと考えられます。
やはり、彼は救世主なのですね。

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