エピローグ
週末のリゾート特急の車内。
磨臼へ向かう若者のグループやカップル、家族連れで埋まる座席は明るく華やいだ空気で満たされている。時おり賑やかな笑い声が車内で響くが、通勤電車のようにそれを咎める冷ややかな視線はどこにも見当たらない。
そんな高揚感あふれる雰囲気に自分の気持ちも弾んでいることを自覚しながら、夏海は窓の外を見る。
線路沿いの菜の花畑の向こうに、桜並木がピンク色の雲のように連なっている。その風景が民家や旅館の建物に遮られてから程なくして、列車は磨臼温泉駅に到着した。
大勢の観光客と一緒にホームに降り立つと、正面改札の向こうへと視線を飛ばす。
人ごみに紛れることなく飛び出した金髪頭をみとめると、夏海はいそいそと改札を抜けた。
「お待たせ!」
後姿に声をかけると「おう」といつものように金髪が振り返る。
「行くぞ」といつものようにぞんざいな態度で先に歩き出す。
けれども、背中を向けたままに後ろに差し出された手は、夏海の手を待っていて。
夏海は満開の桜のように頬を染めて、その大きな手に指を絡めた。
「とうとう廃ホテルの取り壊しが始まったんだね」
グレーの防塵幕が張られた駅前の大きな建物群に目をやった夏海は、引き寄せられるままに木野崎の隣を歩き出す。
「ああ。税金の滞納で行政に差し押さえられた土地建物を四菱地所が入札して、観光客向けの複合リゾート施設をつくるって話だ。
来年の春には完成するってさ」
駅前の商店街には、昔ながらの干物や温泉まんじゅうの看板が立ち並ぶ。それらの下に立ち、写真を撮り合う浴衣姿の観光客たち。
商店街に最近できた和風カフェの中も、若い観光客たちで賑わう様子がガラス越しに目に入る。
「引っ越しのトラックは何時ごろ到着するって?」
通行人にぶつらかないよう、つないだ手を時に引き寄せながら木野崎が夏海に問いかける。
「お花見シーズンの週末だし、新居が観光地だし。渋滞が予測されるから夕方までに着くかどうかって、曖昧な答えだったよ」
「そっか。じゃあ飯を食ってからアパートに向かっても間に合いそうだな」
木野崎はにかっと微笑むと、夏海の最近のお気に入りである海沿いのカフェに入った。
♨️
「それにしても、よく次の異動先が磨臼になったよな! ラッキーとしか言いようがないだろ」
運ばれてきたカフェプレートをフォークでつつきながら木野崎が微笑む。
「うん。まあ、奥の手を使ったからね」
「なんだよ? 奥の手って」
「それは内緒!」
木野崎の追及に、夏海は頬を赤く染め、ティーカップで緩んだ口元をごまかした。
♨️
「結婚の予定があるため、磨臼への異動を希望します」
本庁観光プロモーション課三年目となった昨秋の異動意向調査で、夏海は面接を担当する同じ課の課長補佐にそう伝えた。
一年前から付き合い始めた二人だが、木野崎からのプロポーズはまだ受けていない。
磨臼に住みたい、彼の傍にいたいがために夏海がついた一世一代の大嘘だった。
けれども、そんなことは口が裂けても木野崎には言えない。
♨️
「今日から “残念半島” の住人になる気分はどう?」
テラス席で食後のコーヒーを飲みながら、木野崎が冗談めかして夏海の瞳を覗き込む。
「全然残念じゃないよ。すごく嬉しい!」
微笑み返すと、夏海はテラスの外に視線を遣った。
道路の向こうには静かに広がる磨臼海岸と、 “良一・お初の別れの一本松” が見える。
そこは、磨臼ゆかりの文豪の代表作『金色よいしょ』の中で、良一とお初が今生の別れをする感動の名場面を再現した二体の銅像が松の木の下に置かれているスポットだ。
その再現率の残念さが売りになり、どこをどう間違ったのか悲壮感の欠片もない滑稽なポーズを真似た写真がSNSで多数出回った。そのため今では摩臼屈指の人気のフォトスポットになっている。
「確かに磨臼は残念な観光地だったかもしないけど、“残念” を売りにしたことで、沢山の人が集まる賑やかな場所になった。
一時的な話題性に頼らずに魅力的な観光地として発展していくのがこれからの課題だろうけれど、そのための足場づくりに関わっていけるなんてすごく楽しみだよ」
「そっか。夏海は今の自分の仕事にやりがいを感じてるんだな」
木野崎の声のトーンにわずかな違和感を感じ、夏海は彼に視線を戻した。
「昨年の “disてぃねーしょんMAUSU博” も成功したし、異動のタイミングも重なって、俺は夏海が磨臼から離れていくんじゃないかって思ってた。
磨臼から離れたとしても、夏海が県職の仕事にやりがいを感じているのならそれを応援したいと思ってたし、俺の気持ちは変わらないって自信はあった。
……けど、やっぱりほっとしたんだよ。夏海が磨臼に異動してくるって聞いたとき、すごく嬉しくて、ほっとした。
やっぱりお前には俺の傍にいてほしいって強く思った」
穏やかで、それでいて強い思いを込めた眼差しと声。
次の言葉に期待して高鳴る鼓動が、コーヒーカップに引っ掛けた夏海の指先に伝わってくる。
「これからもずっと、この磨臼に、俺の傍にいてくれないか」
喜屋戸湾から届く春の潮風が、 はにかんだ彼の金色の髪を柔らかく撫でた。
「でもさ。俺のこの言葉が、公務員を辞めて旅館の女将になるっていう選択を夏海にいきなり突きつけるものだとしたら──。
夏美がそれで困るようなら、俺は待つよ。プロポーズを受けてもいいって思ってくれるまで、俺は待つ」
木野崎の言葉に目を潤ませた夏海が、テーブルにのった彼の手を取り微笑んだ。
「ねえ、篤人くんは覚えてる?
本庁に戻る前の小西課長補佐が、小林さん達に言ってた言葉。
“時代に合った手立てを模索していくことも行政の使命だ” って。
私もね、時代に合った模索をしてみたいと思ってるの」
「模索?」
木野崎の問いに、こくんと頷いた夏海がぱっと顔を輝かせた。
「高級老舗旅館十六夜亭の女将が兼業だったら面白いと思わない?
女将の会の活動をもっと活発にして、女将ならではの細やかな視点を観光振興に役立てられるように、まずは行政側から支援してみたいの。
将来的に公務員ではいられなくなるとしても、摩臼の観光振興のために旅館の外でもバリバリ働く女将ってどうかな?」
木野崎の手を握ったまま熱く語る夏海に、彼がにかっと笑顔を見せる。
「それでこそ俺が惚れた女だ。
これからもずっと、おんなじ夢に向かって二人で突き進んで行こうぜ!」
夏海の手にさらに木野崎の手がかぶせられ、ぎゅっと握り返された。
“あんたとなら、役所と民間っていう垣根を取り払って同じ目標に向かっていけると思った”
三年前、二人の心を同じ方向へと向かわせた彼の言葉。
その言葉を思い出して微笑み合う二人の横を、観光客の賑やかな笑い声が潮風と共に通り過ぎていった。
(おわり)
おじぇなんしぇ!残念半島 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari
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