第10話 初めての説得

 年度が明けた。


 入庁二年目となった夏海の所属は観光プロモーション課企画スタッフのままだが、三年間の出向を終えた竹中課長は国交省に戻っていった。


 代わりに異動してきた鈴木課長は、50代のごくごく普通のおじさん公務員。

 彼が夏海の職務や磨臼での活動について特段の注意を払うことはない。

 なぜなら、夏海の担当に “disてぃねーしょん・まうすプロジェクトの支援に関わること” という職務が本年度より正式に追加されたからだった。


 来年度には、磨臼半島の三市町及びS県の共催となる “disてぃねーしょんMAUSU博” なる大型イベントが予定されている。夏海は同じ班の主任と共に県の担当者として月に一度は公費を使って磨臼に出張できるようなった。

 もちろんそれだけでは夏海自身が物足りず、週末を使って個人的に磨臼に通う生活は続けているのだけれど。


 ♨️


「そう言えば、昨年度の県内の観光入込客数統計がまとまったよ」


 青年会と磨臼町が企画した週末開催イベント “まうすダイエットウォークラリー” の運営を手伝い終えた夏海は、十六夜亭に向かう車の助手席で木野崎に話しかけた。


「どうだった? 少しは観光客が増えてたか?」

「磨臼は前年比12%増だったよ!」

「12%? なんか微妙な数字だな。手応えとしてはもうちょっと増えてても良さそうだけどな」

「でも、10%を超える増加率は県内でも磨臼地区だけだったし、“disてぃねーしょん・まうす” が浸透したのは夏のシーズンを過ぎてからだったから、この数字だって胸を張っていいと思う。

 それに、今年度はさらに増加が見込めるはずだよ! 今日のダイエットウォークラリーも若い女性の参加者がすごく多かったし」

「夏海のアイデアが良かったよな!町の公認ゆるキャラの “まうチュー” とコース上の残念ポイントで写真が撮れるっていうの。

 早速ツイットーやインスピに写真をアップした参加者が結構いるみたいだ」

「それは “まうチュー” の残念具合が功を奏したのよ。何せ “あの有名なねずみのキャラクターを究極的に残念にしたキャラ” ってSNSで話題なんだから」

「あれのデザインやネーミングだって、小西さんが絡んでるって話だぜ? あの人の残念なセンスが今回のプロジェクトにいかんなく発揮されてるよな!」


 熊のような大柄な体に得意げな表情を浮かべた小西主幹を思い出して、二人ともあはは、と笑った。


 ♨️


 翌日は、件の小西主幹も交えて磨臼町観光協会へ。

 ウォークラリーの参加者を集計した上で次年度の大型イベントに組み込むかどうかを話し合う予定だった。


 ところが、そこで事件が起きた。


「ここに小西さんと十六夜亭の坊はいるか!?」


 しゃがれ声を荒げながら入ってきたのは、Tシャツジーパン姿の二人の老年男性。


「あ、小林さん、藤倉さん。どうも!」

 小西主幹が愛想よく挨拶するも、彼らのしかめっ面は崩れない。

 集計作業をしていた夏海には、そのうちの一人に見覚えがあった。


 小林さんと呼ばれているのは、確か昨年度の有識者会議に出席していた駅前商店街の代表だ。

 夏海が記憶をたぐりよせたところで、彼が苦々し気に口を開いた。


「去年からあんたらが動き回ってる“でぃすなんとか” っちゅうキャンペーンだけどよ。なんでもこの磨臼をボロクソにこきおろして人集めしてるって話じゃねえか。そんなひでぇことして、わしらの町をどうするつもりだ!?」


「小林のおっちゃん。俺らは別にこきおろしてなんかいねえよ。ちゃんと地元愛をもってやってることだ。それが伝わってるからこそ、この磨臼に人が集まり始めてる」

“坊” と呼ばれた木野崎が、親し気な様子で小林老人に説明をするが、頭に血が上った頑固親父に話が通じるわけがない。


「そんなことで来るような奴らが磨臼ここで金なんか使うわけねんしょないだろう

 お前らのやってることは恥の上塗りしゃ

「現に人が集まってきてるっちゅうても、商店街の売り上げは減る一方しゃ。むしろ風評被害で人が来んくなったっちゅうてもええくらいしゃ」

 しかめっ面の藤倉老人も加勢する。


「とにかく、儂らは生まれてから七十年以上も磨臼に住んどる。

 そんな儂らからしたら、若い衆らが地元に悪評を立てるなんざぁ耐えられねえ。今すぐそんなことはやめてくれ!」


 険悪な雰囲気に、小西主幹が人懐っこい笑顔で立ち上がった。


「小林さんも藤倉さんも落ち着いてください。確かに、青年会の活動はご年配の方々になかなか理解を得られないだろうということは予測していました。

 ですが、見てください。今年度開催している各イベントの人出は……」

 資料を差し出す小西主幹の手元を見ることもなく、小林老人は彼を睨みつける。


「こんなことを支援する行政も行政しゃ。

 役人だったら商売の不利益になることはやめてくれ!

 いくら小西さんのやることでもこればっかりは納得いかねえ」

「木野崎の坊も坊しゃ! 自分とこの客さえ増えりゃあ商店街はどうなってもいいのか」


 老人たちを宥めあぐねている小西主幹と木野崎の横で、夏海は空回りしそうな熱い気持ちを必死に抑えて策を練っていた。


 ここでいくら説き伏せようとしても並行線になってしまう。

 ましてや小娘の自分が口を挟もうものならば火に油を注ぎかねない。


 ここはやっぱり、百聞は一見にしかず、だ。


 夏海はすっくと立ちあがり、木野崎に目配せをすると、老人たちににっこりと微笑んだ。


「篤人くん。ちょっと車を出してくれるかな?

 小林さん、藤倉さん、すみませんが私と一緒に来ていただけませんか?」


 目の前の若い娘の突然の誘いに、老人二人が目をぱちくりさせる。


「お嬢ちゃん、俺らは今小西さん達と大事な話を……」

「大事な話だからこそ、見ていただきたいものがあるんです」


 夏海の意図をはかりかねつつも木野崎が観光協会の外へ出て行く。

 ほどなくして目の前に横付けされたセダンに、夏海と小西主幹、二人の老人が乗り込んだ。


「大事な話って、俺らをどこに連れて行く気しゃ?」

「お二人にご提案させていただきたいことがあるんです」

 夏海の指示で木野崎の車は商店街を抜け、海岸沿いの国道へ出た。


 海開き前の海岸沿い。

 歩道には人もまばら――のはずが。


「こりゃあ一体……」

「こんな時期に、こんな場所を観光客が歩いとる」

 車窓の外に目をやった小林と藤倉が思わず声を上げた。


 流れていく車窓の風景に、次々と浴衣姿の女性の姿が飛び込んできたのである。


「ここを歩いているのは、昨日行われたダイエットウォークラリーの参加者たちがほとんどだと思います。

 可愛い浴衣を選んで外出できる宿泊プランをいくつかの旅館で出したところ、女性の宿泊客が増えたんです。

 篤人くんが旅館組合に何度も掛け合って、賛同してくれる旅館を増やしたおかげで宣伝効果も広がりました」

 窓の外を見続ける老人たちに向けた夏海の説明に、木野崎が付け加える。

「元々は夏海の提案だよ。お客さんたちがここを歩いてるのは、この道沿いにある日帰り温泉施設の岩盤浴を利用するためだ。いくつかの宿が提携して岩盤浴のサービスもプランに組み込んだから、宿の送迎の合間にこうして海沿いを散策してるんだ」


「そ……、それでも、こんなとこを歩いてるだけじゃこの観光客たちが商店街で金を使うわけではなかろう」

 驚きつつも、自分たちの主張と関係ないとばかりに憮然とする小林老人。

 その言葉を待ってましたとばかりに、助手席に乗っていた夏海が彼らの方を振り返った。


「それです! このお客さんたちは、商店街ではお金を使っていない。

 だったら商店街でお金を使ってもらえばいいんです!」

「はぁ?」

「たとえば、浴衣を着たお客さん限定で緑茶と温泉まんじゅうを店頭でサービスするとか、干物を一枚おまけしてあげるとか、宿泊客を呼び込む特典を商店街で打ち出したらいかがでしょう?

 旅館にかけあって、岩盤浴への送迎のついでに商店街に立ち寄ってもらうようにすれば、可愛い浴衣で温泉を散策したいというお客さんも喜びますし」


 目から鱗の提案に老人たちが二の句をつげずにいるところを、後部座席で狭そうに体を縮こまらせていた小西主幹が畳みかけた。


「小林さん、藤倉さん、若い観光客を利用しない手はないんですよ。

 今はSNSのおかげで誰もが情報発信力を持っているんです。

 浴衣を着て、昔ながらの風情が残る商店街を散策する。それが絵になれば、彼女らはどんどん写真を撮ってインターネットで情報を発信してくれます。それが新たなお客さんを呼びこむことになる。

 時代に合った観光振興の手立てを模索していくことも、僕ら行政の新たな使命ではないかと思っているんです」


 海岸線を数百メートルほど走ったところで、木野崎の車はUターンして観光協会へ戻った。

 その間、小林も藤倉も、窓の外を見たきり口を開くことはなかった。


 ♨️


 二ヶ月ほど経ち、磨臼海岸が海開きを迎える頃。


 摩臼温泉駅前商店街では、浴衣を着た若い男女が土産物を買ったり写真を撮ったりする姿が目立つようになっていた。

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