私は純文学とギャグを書いているのですが、この論を読んでいて、書かれているのは純文学などの一般文芸の書き手へのメッセージなのだと感じました。
そして、その内容を一方向的に仲間と思う、純文学書きの人にも読んで欲しい。それは複数の形を持って、書き手に力をくれるからです。
朧に思っていたことを「実際にそうだ」と示したり、現状の分析から書き手がすべき努力の方向性をざっくりと表していたり、「仕事は辞めない方がいい」などの具体的なアドバイスがあったり。
何より、創造主たる作者が自由な想像をしっかりして欲しい旨が、ジーンと響きました。自由でいいんだよね、と胸に手を当てます。
批判的で危機の訴えのような文章なのに、「じゃあ、文学は私がやろう」と思わせてくれます。私はこの感覚が純文学書きの星たちにも、齎せられるんじゃないかと思うのです。
是非、ご一読を。
これは個人的な意見ではないはず、はっきり言ってこの業界はすでに破綻寸前であり、作家も読者も、編集者でも止められない終わりが見えている。
たぶん願っても二年後には完全になくなると私は思っています。
誰が悪いかなんて考えれば分かりますが、そんなことを問い詰めたって誰も責任なんて取れないでしょう。
なら、今の我々に何が出来るか。
今の世代が、何処まで負の遺産を変えていくかにかかっていると思います。
作家志望の人に読んで欲しい作品です。
自分が売れるために書くのか。それとも物語を書く小説の文化を救う為に書くのかを一度考えて欲しいと思える作品です。
凄くオススメです。
編集者の創作論です。
自身の仕事を鑑みて見えるもの、それは流行を追い過ぎて本質を見失っているのではないか、ということです。
僕はライトノベルをそこまで読む方ではないので、時代の流れはそこまで詳しくないですが(ライトノベルを含むアニメなどは第一話を一通りみる)、筆者のように、日本独自の文化が変わってきている、と考えています。
文章には、エンターテイメント性と文芸という二つの方向性があります。
どちらも含む文章もあれば、片方に秀でた作品もあります。
何をもっていいとするかは個人の判断ですが、僕はまず個人が感じたことをありのまま表現したらいいのでは、と思っています。
先を見過ぎると今が見えなくなる、もちろん方向性は必要ですが、まずは読者の期待を裏切らないこと、それこそが物書きと必要な素質ではないでしょうか。
とても考えさせられました、勉強になりました、ありがとうございます。
出版社の事情みたいなことは知らないので、なるほどと思いました。
べつの場所で元ライトノベル作家の方も編集部に対して書かれていましたが、「ライトノベル読者を舐めるな」と。
思うに、ライトノベル編集部の方々も、ライトノベルのどこが面白いか分からないのではないでしょうか? 分からないけど、売れる。
売れるものが増えるのは市場原理。
ぼくの知り合いにもライトノベルしか読まない人がいます。いろいろ話を聞いていて、「ああ、彼は小説の本当の面白さを知らないんだなぁ」とは感じましたが、本人がそれで楽しいならいいんじゃないでしょうか? これ重要だと思います。
別の知り合いはこうも言いました。そいつ、オタクなんですが、別のオタクを批判して、痛烈に。
「あいつらにとっては、オ〇ニーが本番S〇Xだから!」
どんなものでも、深く知れば知るほど、高い快感が得られます。格闘ゲームを本当に楽しもうと思ったら、高い格闘ゲームスキルが必要です。
小説も同じ。至高の恍惚感を得るには、高いレベルの作品と、それを感じる高いレベルの読解力が要求されます。
読者と作者と出版社。この三つ巴の低レベル化を誰が止めるのか? あるいは、そんな必要ないのか?
考えさせられるつぶやきでした。
確かに、ライトノベルはどの作品を読んでも同じにしか思えません。
中にはライトノベルの中にも時として素晴らしい着眼点の作品も存在します。ですが、実状としてはその着眼点を掘り下げる努力をした作品というよりは『ライトノベル』として売れる作品にするためにせっかくの設定も台無しになってしまっているものが多いように感じます。
特に最近の作品はヒドイ……
ですが結果として、そういった作品が求められる世界で書く側としてはどうしてもそういう作品に近づけなければ新人賞をとることは難しいレーベルがほとんどですし、一般文芸においてでは受賞したところでまるで売れない世界です。いや、それどころか最近では一般文芸でも作品の質を無視した売れるためだけの戦略に傾倒しているように思えます。
この業界を救う何かいい方法があればいいとは思うのですが……