7 勘違いの恋心。

月末亭から帰った後も、瀬上宅にて二次会が催された。

私は参加を拒み、冷気漂う屋外に逃げ出していた。静けさに凍てついた方が、騒音と暖かい暖炉よりは性に合う。


玄関前の欄干際で星でも数えながら彼らへの呪詛を練ろうかと耽っていると、瀬上宅の木戸乾いた音を立てて開いた。物好きにも月細い全くの闇夜に屋外を選んだのは私だけではないようだ。


「あら博士、ここにいたんですか。はい、これ」


「む?」


「さっきリューさんに貰ったゴーフレットです」


そう言って銀色の丸いアルミ箱を手渡された。


「そういえば、みな別れ際にリューとやらに何か手土産を持たされていたな」


「お酒の肴ばかりですけどね。サラミとか」


ギャハハ、という一際大きく姦しい声が漏れ聞こえてきた。


ここの婦人方は女として情けない。いや、逞しすぎるのか。


「あの場では気取ってカクテルを飲んでいた夫人らも、陰では男勝りに酒を喰らっているようだな」


「そうですね」


少女は私の嫌味に苦笑せず、まったく普通に、楽しげに笑った。あの宴の席で幾度か見せた煌びやかな笑顔である。


「ビアスティックなんかも貰ってたので、今日はみんなビールですね。父だけはエールしか飲めませんけど」


私はゴーフレットの箱を開け、中から一枚を取り出す。

瀬上さんも横からスッと手を伸ばし、1枚さらっていった。


「瀬上さん、つかぬことを伺うようだが、あのリューは、何者なのだ?」


「随分今更ですね。本人に直接聞けばよかったのに。彼は……そうですね、みんなが楽しみに待つ人です」


「それはそうだろうな。この退屈な村に外から楽しみを持ってくるのだろうから」


「ええ、ほんとに。また次の月末が楽しみです」


瀬上さんはまた笑みを浮かべて答えた。


「なるほどここの村民は毎月の末を楽しみに日々を生きているわけだ。しかし、彼はいつからこの村に?」


「1年ほど前からだったと思いますよ。村の誰かが、山の中で車の光を見つけて、でも全然動かないので、きっと往生してるんだろうと数名を連れて助けに行ったんです」


「それがリューの車だったわけか」


「そうです。その日は行った何人かだけがごちそうにありつけたわけなんですが、次の月にはその何人かがまた別の何人かに声をかけ、次の月も、また次の月も、そうやって人数が増えていったんです。最近はもう声をかける人がいなかったんですが」


「そして今月は私が誘われたわけだ。貴方によって」


「ふふ、そうです」


電波も通っていないこの土地でも、いやだからこそというべきか、リューの店は口コミリファラルで繁盛しているようだ。


「みんなしてやつにたぶらかされているな」


「博士だって楽しそうだったじゃないですか」


「あれは酒がいたずらしたのだ。瀬上さんこそ、珍しく愛嬌を振りまいていたではないか」


「ええ、とても楽しかったです。わたしも含めてみんな、リューさんに会えるのを楽しみにしていますよ」


「毎月それを生きがいにして苦しい日々が過ぎ去るのを待ち、月末でリフレッシュして、そしてまた日が過ぎるのを待つわけだな。まるで人参を吊るされた馬のように」


「いいえ、馬とは違いますよ。月末はちゃんと手に入るものですから。待ち甲斐のある楽しみがあることはいいことです」


「いずれにせよ、彼は毎月のご褒美扱いというわけだ」


「もちろんそれもありますけど、リューさん自身の魅力というのもあると思いますよ?」


「それも外の世界への無意識な憧れなのではないかと、私は思っている。彼でなくてもよかったのではないだろうか、外の情報を持つ人間であれば」


「そうですか? でも、同じ外からの来た人でも、博士とリューさんだったら皆リューさんをとると思いますよ? 言葉と態度に含まれる楽しさ成分の量が違いすぎるというか」


おどけた調子と豊富な表情で彼女は言った。


「ヒドいことを言う」


「ふふふ、冗談ですよ。人にはそれぞれ魅力があるものです。リューさんはリューさんでなければいけないし、博士は博士で何かしら持っているはずですよ。だから、彼でなくても、なんてこと言ってはダメです」


「なるほど、まさか瀬上さんに説教をもらうとはな。すまなかった。ただの軽口さ」


彼女はいつもの無表情ながら、私に分かる程度に微笑んだ。


「ちなみに瀬上さん、私の魅力とは?」


「はい?」


「人にはそれぞれ魅力があるという、さっきの話の続きさ」


「……さあ、わたしはまだ見つけることができません。博士が来てからまだほんの数日ですからね。ひとまずは自分で考えて下さい」


「私には見つかるまい、自分の魅力など。自己承認の欲求を満たすため自分に言い聞かせるような欺瞞は、私の望むところではない」


「見つかりますよ、きっと。博士はそういうものを見つけられます。外に目を向けることさえできれば。この村はそういう意味では良い場所だと思いますよ。何も無いから、何かを探さないといけない」


「ふうむ、外ねぇ……」


そこにあるはずの絶望の景色を見やる。

せせらぐ川も山々も、今は暗闇に侵され音も光も無い。


この村での暮らしが私に与えるのは、少なくとも彼女が言うような──社会的に善と言えるような影響ではないだろう。私がこの村で学ぶことは、より一層の労働への嫌悪と厭世観、人嫌いの促進ぐらいに思われる。


こんなに原始的で何もないへんぴ辺鄙な村に、現代人がそれ以上何を望めというのだろう。それとも彼女は人間の温もりを知ってほしいなどと寒々しいことを言外に言っているのだろうか。


「私にはよくわからない、瀬上さんの言っていることが」


「そうですか? 単純なことを言っていると思うのですが」


「そうだろうか」


「そうですよ」


瀬上さんがパキッとゴーフレットを歯で割る。


「飲み物が欲しいですね。何か取ってきます」


「うむ」


単純。彼女が言っていたことは本当に単純だろうか。

私には私の魅力があるはずだと彼女は言った。それが何かという問いには、彼女は答えなかった。そしてそれを自分の手で探せと、逃げるように無責任にふるまった。探せと。


その真意を考えることには意味があるように思えた。

彼女は私に、私とは遠く離れたところから、私の感知し得ないものを見ているのではないだろうか。その景色に、私は俄然興味が湧いた。


未だこの村に学ぶことなどないと思っているが、彼女からならば、学ぶことは多いかもしれない。楽しみが増えることは、こんな村での生活において食糧よりも大きな価値がある。今後のことを思うと相変わらず胸は踊らないが。


どれ、せっかくの田舎だ、と見上げてみると、案の定冬の星空であった。

あんな山中ではなく、この星空の下、会を開けばよいものを。


「博士、ミルクどうぞ」


「うむ。……ミルクが好きなのか」


「はい。お酒は飲めませんし」


「ああ、まだ未成年だったな」


「未成年だからじゃなくて、美味しくないので」


「美味しかったら飲んでいた?」


「はい」


「そうか。酒の相手をしていただけないのは残念だ」


「ミルクならいつでもお相手出来ますよ」


「ふむ。いや残念とは言っても、私も特に酒が好きというのではない。月末亭で飲んだビールも、ずいぶん久方ぶりだったのだ」


飲む相手もいなかったのだから当然である。


「酒というのはいかにも人間らしい飲み物だ、まあいつか飲んでみるといい」


「博士には似合わないですね」


「私は人間らしくないと?」


「ふふふ」


──二人してゴーフレットを割る。

瀬上さんは缶から二枚目を取り出した。


再び家中の騒々しさが聞こえ、二人して呆れ笑う。


まったく彼らを含め、人間的な酒の飲み方は間違いであろう。

酒を一滴も飲まぬ単純な融通のきかぬ人間も阿呆だが、あれでは人間的でありながら人を何かそうでないものに変貌させるただの泥である。


酒というのはもっと神秘的なもののはずである。

酒を飲むとは、神秘を借りることと同義、あるいは神秘を知覚出来るようにする魔法のようなものなのだ。騒ぎたいがために飲む酒など、それでは麻薬にも劣る。私は生涯勘弁願いたい。


酒も麻薬も、人を神秘に導く。

人の意識は拡大し、見えぬものが見えるようになるのだ。幻覚のことではない。そんな泥々しく朦朧としたものではない。そこにあるであろうものを拡張して見るようになるのだ。


その根は夢想ではなく、現実の周囲・環境にある。いわば幻想的、芸術的な視点になるのだ。それが本来の酒の姿であり、そうでないならば間違いである。私は特段酒が好きというわけではないが、そう考えると酒は人に奉仕しているのだから、人のように扱ってやるのが筋だろうと思うのだ。


まあ、諸君には理解してもらえまい。


「ところであの中には末もいるのだろう?」


「はい、そのはずです」


私はもう一度宵闇の星空を見上げた。


「ヤツはいったいどうやって帰るつもりなのだろうな?」

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