第5話 王子はここで別れを告げる

 フライパンの中で黄色い体を鮮やかに踊らせながら、線対称の弧を描くオムレツがまた一つ出来上がる。


 サラダを盛り付け終わった希咲が、二階へ上がって声をかける。


「みなさーん。朝ごはんが出来ましたよー」


 ほどなくして、二階からみんながホールへ降りてきた。

 希咲の笑顔を見て、それぞれがほっとしたように口の端を上げて席についていく。


 皿にのったプレーンオムレツを見て、キュウの目つきが鋭くなった。

「タマちゃん…。

 なんで今朝は嫌いなオムレツをわざわざ作ったの?」


「もしかして、タマ……」

 姉さんが瞳を揺らして俺を見た。


「ああ。俺も希咲も覚悟を決めた。

 希咲を連れて魔界へ行く。

 親父と争うことになっても、俺は俺の大事なものを守る」


 しばしの沈黙。


 閉じた両目を片手で覆ったろくがフッと笑った。

「……まあ、王子ならそう言うと思ったよ」


「小夜ちゃんや美月ちゃん、シオンちゃんも急いで呼ばなきゃね」

 うちの店で唯一携帯電話を持っているサトリがスマホを取り出し操作し出した。


「タマゴがいなくなったら、魔力でひび割れた壁を補修する手間が省けるわね」

 最後まで憎まれ口を叩くシルフだったが、

「そんなこと言いながら、目に涙たまってるぞ」

 とフラに指摘されて、小さな手でぺしぺしとフラのもじゃもじゃ頭を叩いた。


「でも、王子がいなくなっちゃったら誰が料理作るんですか?

 僕は卵料理作れないし」

 チワワに変身したときのような不安げな眼差しをするわびすけの横で、ソラがオムレツにぱくつきながら平然と言い放つ。


「料理なら俺がいるじゃん。

 こう言っちゃなんだけど、この中じゃこの人の後継げるの俺しかいないんじゃない?」

 空色の瞳で俺を一瞥したソラがふいと目をそらす。

「……できれば、もうちょっと俺が技を盗んでから魔界に戻ってほしかったけど」


「ソラ。おぬしはもちいと素直になったらどうじゃ」

「はぁ!? ほっといてくれる? 」

 はなとソラの付喪神コンビの相変わらずの仲の良さと、それを見るサトリの微妙な顔つきを皆がニヤニヤと観察している。


「ふんもお、ふんも、ふも」

 真面目で熱いうっしーの言葉にちょっとだけ涙腺が緩むが、「“ふんもお” じゃ希咲に伝わんねーだろ!」と笑いながら誤魔化した。


 そうこうしてるうちにサトリが呼び出した小夜と美月、シオンがやってきた。

 希咲と抱き合って涙ぐむ彼女達のオムレツを作るために、俺はソラを連れて再び厨房に入り、完璧なプレーンオムレツを作るための火加減やコツを教えてやった。




 皆で囲む朝食は、いつもどおり賑やかで、楽しい。


 こんな美味いメシ、もう二度と食うことはないんだろうな──




 *****


「さてと。そろそろクロマリーくろを呼ぶか」


 皆で後片付けを済ませ、再び全員がホールに集まったところで俺がそう言うと、突然キュウが俺の両手をがしっと握ってきた。


「おいっ! 俺にそんな趣味はねえっ!」

「タマちゃん。もし親父さんと争うことになったら僕を呼んで?

 こう見えても魔力は高いし、かっこいいとこ全部タマちゃんに持ってかれるのも癪だしさ」

 そう言いながら微笑むキュウの瞳が熱く滲んでいる。


「気持ちだけもらっとくことにする」


 せっかく姉さんの願いどおり、下界で再会できたんだ。

 気が済むまで “ToTここ” にいて、二人でこの店を守ってくれよ。


 キュウの手が離れてから、俺はクロマリーを呼んだ。


「おい! くろ! いるんだろ!?

 俺は希咲と二人で魔界へ戻ることに決めたぜ。

 俺らを連れていくなら早く出て来いよ!」


 しかし、ホールの高い天井に俺の声が響いても、くろが現れる気配はない。


「おいっ! 聞こえてねえのか!?

 気が変わらないうちに早く連れて行けよ!」


 それでもくろは現れない。


 しびれを切らした俺が、壁に亀裂を走らせるのも構わずに「おいっっっ!!!」と怒鳴ったときだった。


「申し訳ござらん。ちょっと研究に没頭していたでござるよ」

 少女の声がしたかと思うと、ホールの天井を這うように黒い霧が現れた。


「昨晩実に素晴らしい魔法成分が手に入ったゆえ、つい」


 黒い霧が例のごとく人形になり、金色の発光を始めたところで姉さんが希咲の貸した服を着せる。

 一週間でだいぶこの辺のコンビネーションが上達したらしい。


「研究? 魔法成分? そんなのどうだっていいから早く俺らを魔界へ連れて行けよ」


「いや、これは一大事なのでござる。

 昨晩タマちゃん殿と希咲殿から抽出した魔法成分が吾輩の研究に……」

「な……っ!?

 てめえ、また覗き見しやがったのか!!」


 今日という今日は許せねえ!!

 俺は怒りの魔力を丹田に溜め、少女体のくろを一気に霧散させようと左手をかざした。


「待つでござるよ。

 今吾輩を殺せば、タマちゃん殿と希咲殿のためになりませぬぞ」


 俺の左手を見つめながら、常と変わらぬ落ち着きでくろが言う。


「うるせえっ!! お前を生かしておく方が俺らのためにならねえよ!」


 丹田に溜めた魔力を左手に集める。

 掌がびりびりと熱くなる。

 後ろの壁も黒焦げになるが構やしねえ。


 あどけない少女の姿をしたくろが、そんな俺の怒りをかわすようにコホンと咳払いを一つした。


「吾輩が回復魔法の第一人者であることはタマちゃん殿もご存知です?

 貴殿のおかげで、吾輩の悲願であった人間の寿命を延ばす妙薬を開発できそうなのでござる」


「……どういうことだ?」


 くろの唐突な言葉。

 動揺を見せないように、俺は左手をかざしたまま尋ねた。


「実は今回の厳命より以前に、吾輩は魔族と結婚する人間の寿命を延ばす魔法を編み出すという使命も受けていたでござる」


「親父が、それをあんたに命令したのか?」


「さよう。タマちゃん殿の母君がまだご存命の折に父王より仰せつかったのでござるが、残念ながら間に合わず。

 有効な成分が見つからないまま、今に至るまで完成の目処が立っていなかったのでござるが……」


 俺と希咲を交互に見遣りながらくろがにこりと微笑んだ。


「まさか、ここ下界で最後の糸口が見つかるとは思わなかったでござる」


 *****


 キュウやろくに宥められ、なんとか怒りをおさめた俺がテーブルにつくと、くろが説明を始めた。


「皆様ご存知のとおり、これまで魔物に愛された人間は、老化メカニズムの進行は止まっても寿命を延ばすことはできなかった。

 そこで、吾輩は人間の生涯心拍数を増やすための研究を長年に渡り行っていたところ、昨晩この店の外でこれまでになく強力な愛の魔力を感知したのでござる。」


「サト、そこニヤつくとこじゃねーよ! 空気読め!」


“愛の魔力” というワードに反応して俺をチラ見したサトリを窘め、気恥ずかしさをごまかした。


 くろの話はなおも続く。


「キュウちゃん殿やタマちゃん殿のような強力な魔力を持つものから生まれる愛情が妙薬に必要な成分になりうることまではわかっていたものの、それだけでは他の有効成分と魔学反応した妙薬を作り出すことができず。

 キュウちゃん殿やタマちゃん殿の寝室に忍び込んだのも開発の糸口を見つけるためでござった。

 そしてついに昨晩、強い魔力と強い愛情、そして人間側の強い愛情が渾然一体となって昇華された希少な魔法成分を入手することができたのでござる」


「じゃあ、それがあれば人間の寿命を延ばす薬ができるってことか?」


「先ほど吾輩が行った実験では魔学反応が実際に起こり、有効性が認められたでござる。

 ただし、この先成分の培養や有効性のブラッシュアップ、さらには臨床試験などを経ての開発となるため、数年あるいは数十年単位の期間がさらに必要かと」


「長いな……」

 ろくが嘆息するが、わびすけは目を輝かせた。

「でも、魔物の長い人生を美月と共に歩める希望が出てきたんだ! 僕は薬ができるのを待ちます!」


 オムレツの他にも、こいつらにとっていい餞別ができたみたいだ。


「くろ、薬ができたらすぐに “ToTここ” に届けてやってくれ。

 あと、エジプトのミィのとこにもな。

 あんたも一刻も早く魔界で研究を進めなきゃだろ?

 そろそろ行こうぜ」


「承知いたした」


 少女姿のくろが霧散したかと思うと、黒いもやが俺と希咲を取り囲んだ。


「じゃな。みんな。この15年、けっこう楽しかったぜ」

「ありがとうございました。皆さんもいつまでもお元気で!」


「王子! 希咲ちゃん! いつか魔界で……」

「希咲ちゃん! 幸せにね……っ!!」


 黒いもやが濃霧のように俺たちの視界を遮り、奴らの泣き顔を見えなくした。

 次に視界が開けたときには、久しぶりに見る魔界の風景が広がっていることだろう。


 奴らからも俺の顔は見えなくなったはず。

 ちょっとばかし目頭が熱くなったが、そんな顔を見られなくて良かっ……




「ちょっと待って!」




 姉さんの声が、別れの空気を一刀両断した。


「タマが魔界に戻る必要はないわ!!」


 え!?

 それってどういう──


 俺らを包んでいたくろの霧が人形ひとがたに集まり、眼前に “ToT” の風景が戻る。

 俺は頬をつたう涙を見られまいと慌てて拭った。


「どういうことでござる?」


 少女体に戻ったくろが尋ねると、姉さんが唇に企みをのせて引き上げた。


「タマと希咲ちゃんから抽出した魔法成分は、下界でないと抽出できないってことにすればいいのよ。

 人間の寿命を延ばす妙薬を作り出すためには、タマ達の結婚を認め、なおかつ下界で暮らすことを許さなければならないってお父様に報告するの」


「それは魔界での成分抽出結果を検証せねばなんとも……」

「はぁっ!? そんなとこあんたに二度と見せるかっ!!」

「検証しなくたって、クロマリーがお父様への報告にそう付け加えればいいだけの話じゃない」


 涼しげに微笑む姉さんが、俺とキュウの肩にそれぞれ手をかける。


「この二人、将来魔界のツートップになるのよ?

 敵に回さない方があなたのためだと思うけど」


 くろは一瞬目を見開くと、やれやれといった感じで嘆息した。


「王女は転生しても相変わらずのお気の強さ。

 承知いたした。魔王にはそのように報告しておくでござるよ」


「「「やったーっ!!!」」」


 わびすけやサトリ、ガールズ達が飛び上がって喜んでる。

 ろくもキュウもほっと安堵したように頬を緩ませる。

 ソラは緩んだ口元を見せまいと片手で覆って隠しているが、大人の目はごまかせねえぞ。

 そしてうっしーは相変わらず「ふんもおーーー!!」だ。


「それでは、研究の続きもありますゆえ、吾輩はこれにて。

 魔法成分が足りなくなったら、またこちらへ伺いますぞ」

「ちゃんと培養して二度と来んな!!」


 俺の言葉には答えずにくろは黒い霧となり、少し開いた窓の隙間から流れ出ていった。



 ここに残るのは、結局俺と希咲を含めたいつもの面々だ。



 別れの決意が空振りとなった恥ずかしさと、変わらずここで皆と暮らしていける嬉しさや照れ臭さと。


「ふぁーあ。眠くなってきたから俺は部屋に戻る」

「あ、じゃあ私も……」


 希咲を連れて階段を上りかけた俺の背中に、ろくが声をかけた。


「部屋に戻ったらしっかり寝ておけよ?

 ランチの営業もあるんだしさ」


 キュウがニヤつきながら言葉を続ける。

「まだその辺にクロマリーがいるかもしれないからね?

 愛の語らいは夜まで我慢しときなね?」


「ば……っ!! 余計なお世話だ

 っ!!!」


 赤面した顔を見られまいと、同じく赤面している希咲の肩を押すように階段を上る。


 部屋に戻ると程なくして、階下から奴らの賑やかな声が聞こえてきた。

 いつもよりはしゃぎ声が大きく聞こえるのは気のせいだけじゃないはずだ。


「大好きな “ToTここ” の皆さんとずっといられることになってよかったですね!」

 ベッドに倒れ込んだ俺の横に希咲が腰掛けて微笑んだ。


「あいつらに店を任せるのは頼りねえしな。

 ……しかし、もしクロマリーの妙薬が完成したら、希咲はどうしたい?

 人間としての本分をさらに越えることになるし、何百年と生き続けるのも結構退屈だぞ?」


「昨晩も言いましたよ?

 私はあなたの腕の中で生きていければそれでいい。

 あなたを悲しませずにすむならば、何百年先までずっと一緒に生きていきたい」


 希咲は穏やかな中に意思の強さを秘めた微笑みを見せ、癖のある俺の前髪をそっと上に撫で上げた。


 その仕草が、表情が、魔族と共に歩む人生を選んだ母さんの思い出と重なった。


「それに……」

 希咲がくすりと微笑む。


「“ToTここ” の皆さんと一緒なら、数百年でも退屈しない気がします」


 俺の大切な青い小鳥。


 前髪を撫で続ける細い腕を掴んで引き寄せると、ぱたりと胸の上に落ちてきた。


 壊さないように、

 でも離さないように、

 ぎゅっと優しく抱きしめる。


「そうだな。

 希咲とあいつらがいれば、何百年の寿命もきっとあっという間だな」


 希咲が体を動かして、俺の肩口あたりに頭をのせる馴染みの位置に収まった。


「俺が親父の後継いで魔界に戻ったら、“ToT” も移転だな」

「魔王になっても玉子料理作り続けるんですか?」

「当たりめえだろ? あいつらには任せられねえからな」


 ふふっと笑い合って、口づけを交わし、目を閉じる。





 ああ、眠い。





 体の重みと共に、意識も深く沈みこんでいく。





 俺は守るよ。


 希咲を。


 仲間を。


 ずっと……


 ずっ……と……


 …………


 ──



 *****



 かあー かあー かあー 

 かあー かあー かあー ……



 魔界製のからす時計が間抜けな声で時を告げる。


「お待たせいたしました。レストラン “Trick or Treat” ランチタイム開店です」


 メートルディーのサトリの声と、ギイと扉の開く音。

 続いて聞こえるのはいつもの通り、女性客の黄色い声。


 一気に華やかな賑わいに満たされたホールから、いつもの通り、玉子料理のオーダーがひっきりなしに届き始める。


「玉子頼んだやつ誰だぁぁぁ!! 」


 いつもの通り、

 俺はホールのアンティーク家具を軋ませるくらいの怒声を張り上げた。





 ─fin─



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王子は小鳥の刻(とき)を奪う ~Twilight Alley~ 侘助ヒマリ @ohisamatohimawari

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