第4話 王子は小鳥と共に誓う

「タマ。今日も希咲ちゃん来なかったじゃない。顔を見せなくなってもう一週間よ」


 ディナータイム営業後、食べ終わったまかないの皿を下げているときに姉さんが話しかけてきた。


 俺はいまだにくろからの妥協案を保留し続けている。


 ここにいるのはみんな気の良い連中だ。

 そいつらの居場所を守れるのなら、俺が一人で魔界に戻ることは厭わない。

 美味い料理を作れる奴がいないのが気がかりだが、ソラがもう少し経験を積めばそれも解決するだろう。


 だが――


 俺が手の中に大事に囲ってきた小鳥。

 それを手放すべきかどうか、俺はいまだに葛藤し続けている。


 バシッッ!!


「っっってぇっ!!」


 突然、姉さんが俺の背中を思い切り叩いた!


「男がうじうじ悩んでんじゃないわよ!

 希咲ちゃんがどうするのが幸せかなんて、あんたが一人で決めることじゃないでしょ!?

 さっさと希咲ちゃんのとこに行って話し合ってきなさい!!」


 姉さんの魔力に、戸棚の皿がカチャカチャと暴れた。

「うっしー! タマを外に追い出して!」

「ふんもお!」

「あっ!ちょ、やめろ……!」


 コック服のまま、俺はうっしーに背中をぐいぐいと押され、店の外に押し出された。


 バタン、とドアが閉まる。


 仕方ねえな──


 俺がドアに背中を向けて歩き出そうとしたときに、再びドアの開く音がした。


「これ、王子の着替え。油臭いコック服じゃムード出ないでしょ」


 ろくが手提げ袋を差し出してきた。


 まったく。

 おせっかいな連中ばかりだ。


「サンキュ」

 紙袋を受け取って、俺は希咲の住むアパートに向かった。


 *****


「どこから聞いていた?

 そして、どこまでわかっている?」


 着替え終わった俺はベッドに腰掛けて、コーヒーの入ったマグカップを二つミニテーブルに置いた希咲に尋ねた。


 希咲の肩がぴくんと跳ねる。

 廊下から、俺のコック服を入れた洗濯機がゴウンゴウンと回る音が聞こえてくる。


「聞いたのは……美久さんが、二人の罰金が高いとか、お父さんが自分勝手だとか怒っていた辺りからです」

「で?……希咲はどこまでわかっている?」

「……」


 八畳の部屋の中で、ベッドに腰掛けた俺とミニテーブルの横に正座した希咲。

 洗濯機の音が俺たちの間に無遠慮に入り込んで隔たりをつくる。


「異和感は……付き合い始めて間もなくから、少しずつ感じてました。

“ToT” の皆さんにも、王子さんに触れているときの自分自身の体にも」


「じゃあなんで聞かなかった?

 俺が化け物だってこと、認めたくなかった?」


 希咲は首をふるふると振った。

 瞳いっぱいにたまっていた涙がぽろぽろと零れる。


「王子さんがどこの人であろうと、どんな種族の人であろうと、私の気持ちは変わりません。

 私が怖かったのは──」


 ぎゅ、と希咲が膝の上に置いた手を握る。


「私が真実を知ることで、繋いだ手をあなたから離されることでした──」


 拳をゆるゆると開き、俯いた顔を両手で覆う。


 縮こまった肩を震わせる希咲に、俺はたまらずベッドから降りて両腕を回した。


 嗚咽を漏らす希咲の唇を塞ぎたい。

 震える肩を壊れるほどに強く抱きしめたい。

 胸いっぱいに広がった不安を、胸を重ねて押しつぶしてやりたい。


 けど。


「ごめん。俺は、お前のときを奪うことしか……」


 懺悔の言葉を発した俺の唇を、希咲の唇が塞いだ。

 俺の背中に回った細い腕が、精一杯の力で俺を抱き締める。

 押しつけられた体の温もりと柔らかさに、固く閉ざしかけていた心が弛緩していく。




 こうして欲しかったのは、俺の方だったのかもしれない──




 なおも躊躇う俺の唇を、希咲は何度もついばんできた。

 観念して口を開くと、いつにも増して熱を帯びた小さな舌が迎えにきた。


 頭ん中が狂おしいほどの愛しさでいっぱいになる。


 俺を抱き締める希咲の腕がさらに俺を引き寄せ、引力の作用するままに床へ倒れ込んだ。


 薄いカーペットの上で、腕の中の小鳥は何度も小さくきながら、俺が落とす口づけを全身に受け止める。

 俺の想いの欠片を僅かも逃すまいと、か細い手足が縋るようにまとわりつく。

 互いの吐息が甘い疼きを絡め取りながら、熱情の深みへとふたりをいざなう。



 愛おしい。

 愛おしい。



 愛おしい──。



 希咲を抱き上げてそっとベッドへうつすと、熱っぽく潤んだ大きな瞳を俺はまっすぐに見つめた。


「俺はこれからもお前の刻を奪い続ける。

 お前は俺の腕の中でしか生きることができなくなる。

 それでもいいのか──?」


「奪うも何も……」


 希咲は再び俺の背中へ腕を回す。


「私はとっくに全てをあなたに捧げています。

 あなたの腕の中で生きていければ、それでいい……」


 俺の体を引き寄せて、唇を重ねる。


 洗濯機の音も、ベッドの軋む微かな音すらも入り込めないほどに溶け合って。


 その晩、俺は希咲の刻を奪い続けた。


 *****


「魔界に……私を連れて帰ってください」


 甘美で気怠い余韻の中、腕の中の希咲が呟いた。


「美久さんやキュウさん、“ToT” のみんなのためにあなたが魔界に戻るなら、私も一緒に行きます」


「希咲……」


 俺の中でできたもう一つの覚悟を口にする。


「俺はもう何があってもお前を離さねえ。

 たとえ魔王親父と争うことになっても、絶対にお前を守り抜く。

 ……それに、のことも」


 希咲がもぞもぞと動いて、俺の胸に上気したままの頬をのせてきた。

 少しこそばゆいが、枕にしていた腕を折り曲げて、彼女の柔らかい髪を指で梳く。


「“ToT” で王子さん達の話を聞いてしまった次の日に、キュウさんと美久さんがアパートに来てくれたんです」

「え? マジで??」

「はい。私にあなたと生きていく覚悟があるならば、あなたの代わりに自分たちが魔界に戻るから心配しなくていいと」

「姉さんとキュウがそんなことを……」


「その次の日には、小夜ちゃんと美月ちゃん、シオンちゃんが来ました。

 自分たちも私と同じ覚悟をもって人ならざるものを愛してる、と。

 ひとりで悩まないで、みんないるよ、って」

「そうか……」


「その次の日には、むっちゃんさんとサトさんが来ました。

 もし私が望むなら、あなたの記憶も “ToT” の記憶も私の中から消してあげると。

 辛くて耐えられなくなったら、いつでも言ってね、って。

 もちろん、その場でお断りしました。

 たとえどんなに辛くても、私にはあなたを忘れることはできないから」

「希咲……」


「その次の日には、フラさんとシルフさん、ソラくん、わびさん、はなちゃんが来ました」

「あいつらまで!?

 なんだよ、そのオールスター感」

「なんだかわちゃわちゃと喋って帰っていきましたけど、励ましに来てくれたことは伝わりました」

 希咲がたまらずクスクスと笑い出す。

「まあ、どんな風に騒がしかったは想像がつくな」

 俺も思わず苦笑いが出る。


「さらに次の日には、うっしーさんとウシツツキちゃんが来てくれました」

「……あいつら、何しに来たんだよ」

「『ふんもお』って言われました」

「ってか、それしか言えねーし!」


 たまらず、俺も希咲も笑い出した。




 ほんとにおせっかいな奴らだぜ。



 そんな奴ら、やっぱり俺が守ってやらなきゃしょうがねえよな──




「結局、ここに来たのは俺が一番最後だったのか……」


 笑いすぎで目尻にたまった涙を指で拭いながら、俺は自嘲した。


「そろそろうっしーが朝メシ作る時間だろ。

ToT” に戻るか。

 あいつらへのはなむけに、俺がプレーンオムレツを作ってやる」

「じゃあ私が玉子を割りますね」

「あんま寝てねえけど、平気か?」

「大丈夫。王子さんこそ、朝食終わったら少し休んでくださいね」


 顔を上げた希咲と瞳を合わせて微笑んだ。

 それから、唇を合わせてまた微笑んだ。


 服を着て外へ出ると、うごめく前の街の空気が柔らかく頬を撫で、生まれたての陽射しが見るものすべてに淡く優しい光のヴェールをかけている。


 見納めに希咲の住むアパートのベランダを見上げると、一本きり掛かった物干し竿に、ハンガーで架けられた白いコック服が陽射しの中をたゆたうように揺れていた。


「あ、コック服、干しっぱなし……」


「もう着ることはねえからあのままでいいだろ。

 希咲の部屋の片付けは、小夜と美月に頼んでおけば何とかしてくれるさ」

「……そうですね」


 ベランダに向けたままの希咲の瞳に、寂しさと不安が僅かに滲んでいた。




 俺がいるよ。


 互いの覚悟を寄せ合えば、きっとどこでも生きていける。




 風が希咲の髪を揺らす。

 覗いた額に口づけると、滲んでいた瞳に強く穏やかな光が戻る。


 指と指をしっかりと絡めて、俺たちはあの路地を目指して歩き出した。



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