第3話 王子は小鳥を手放すか

 魔物の血というのは完全なる優性遺伝らしく、夢魔などの低級な魔物を除けば、魔物と人間の間にできた子供はほぼ100%の確率で魔物になる。

 無論、顔立ちや先天的な性格などは人間の方の血を受け継ぐこともあり、俺や姉さんの顔立ちは、人間である母さんにそっくりだ。

 俺に限って言えば、この優しい心根も。

(ちなみに異論反論は一切受け付けない)


 魔物は元来雌の個体が生まれにくく、魔物同士でつがいになるのは難しい。

 加えて、魔物同士が子をつくると双方の遺伝子が干渉し合うため、自分より魔力の劣る者との間に生まれた子はどうしても魔力が弱くなる。

 それ故、己の魔力を次代に完全に受け継がせようと、魔力の強い者ほど人間を伴侶に選ぶことが多いのだ。


 魔王親父も、そうやって下界で見初めた母さんを魔界に連れてきた。


 魔物と身体的に濃密な接触を続けると、人間の体も魔力の影響を受け、細胞レベルでの老化メカニズムの進行が極めて緩やかになるらしい。

 母さんが95歳という天寿を全うした時にも、見た目はまだ30歳そこそこの美しい姿のままだった。

 しかし、人間をはじめとする下界の哺乳類は、一生のうちに心臓が約20億回動くと寿命を迎えることになっていて、魔力の影響を受けてもその回数を延ばすことはできないようだ。


 母さんも、定めの数だけ鼓動を刻み、美しいままにその短い生涯を閉じた。


 そして、親父は母さんの死をとても悲しんだ。


 娘と妻。

 愛する者を失い、虚無の深淵にうずくまるような絶望を、親父は二度も味わった。


 俺は親父に言われたんだ。


 王族の魔力が多少削がれようが、他の種族より強大であることは揺るがない。

 だからお前は人間をめとるな。

 幾百年の寿命を共に歩める番を探せ、と。


 *****


「そう……。お父様が、私たちを魔界に連れ戻そうとしてるのね」

「ああ。姉さんの覚醒の事実確認と、俺らを魔界に戻す算段をつけるためにクロマリーが遣わされたらしい」


 店の閉店後、姉さんが出勤後にくろから聞いた話をキュウも同席の上で彼女に伝えた。


 他の奴らは俺ら王家一族の問題だからと首を突っ込まないように決めたらしく、まかないを食べた後は早々に部屋に引っ込んでいった。

 俺ら三人だけが残ったホールはがらんとしていて、いつもよりずいぶんと広く感じられる。


「僕は魔界に戻れるだけの罰金を貯めてあるし、美久が魔界に戻りたいというのならいつでも一緒に戻るよ」


 キュウはいつもどおりの柔らかい眼差しで姉さんに微笑む。

 だが、サトリじゃなくたって今のキュウの心は読める。

 たぶん姉さんにもわかってる。

 それに、姉さんだってきっと俺たちと思いは同じだ。


「私は――。魔界のあの赤い満月も見たい気持ちはあるけれど、それよりも下界の桜を毎年キュウと見ていたいわ。

 それに、お父様はもっと一人で頭を冷やした方がいいと思うの。

 キュウやタマを一方的に下界に落とすなんてひどい! しかも二人の罰金を高額にしてなかなか魔界に戻らせないようにしたくせに、私が覚醒したら一緒に戻ってこいだなんて自分勝手もいいところよ」


 姉さんの怒りは半分は本音で、半分は “ToT"ここ に未練のあるキュウのためだ。

 そのうち3%くらいは俺のためも入ってるのかもしれないが。


「それに……。タマはどうするのよ? 希咲ちゃんのこと」


 あ、10%くらいは俺のこと考えてくれてたのか。


「どうせ頭の固い親父は人間との結婚は認めねえだろうな。

 魔界に希咲を連れて行って、彼女だけ下界に追い返されたら厄介だ。

 国境管理局にも親父の息がかかってるから、俺が追いかけて下界に戻るのも至難の業だろうし。

 魔界の混乱を招かないためにも親父と全面的に争うべきじゃねえだろ。

 ……てか――」


 最近、希咲を愛していると思うたびに、俺の心をかき乱す迷いがある。


「俺、このまま希咲を腕の中に囲っていていいのかな……」


 俺の方はとっくに覚悟はできている。


 たとえ希咲の寿命が俺の十分の一ほどしかないとしても、俺は希咲を愛し続ける。

 失う悲しみや虚無の深淵が俺を待ち受けているとしても、俺はそこから決して目を背けない。


 けれども、希咲は俺に愛されて幸せなのだろうか。


 俺が彼女を愛すれば愛するほど、彼女は俺の魔力の影響を受けて自分自身の時を止める。

 周りの人間が時と共に少しずつ姿を変えていくのに、希咲だけは時の流れに置いていかれてしまうんだ。

 それはキュウの言うとおり、人間界では生きにくいことだと思う。

 このままでは、希咲は人間界にも魔界にもいられずに、生きていく場所を失ってしまう。


「俺が希咲を腕の中に閉じ込めている限り、俺は希咲のときを奪い続けてしまう。

 それならいっそ希咲を手放した方が――」


 ぱさぱさっと、乾いた軽い音がした。


 その音にはっとして吹き抜けの階段を見上げると、希咲が手に持っていた洋服を床に落としたところだった。


「あっ……。ごめんなさい。聞くつもりじゃなくって……。

 くろさんがいつ女の子の姿になってもいいように私の服を貸しておこうと思って。それで、くろさんを探していて……」


 声も肩も、黒く大きな瞳も震えていた。


 重くのしかかる沈黙のさらに上の方から、「吾輩ならばここにいるでござる」という声が落ちてきた。

 驚いた俺たちが見上げると、ホールの高い天井にいつの間にか黒いもやがかかっていて、それが集まり濃くなったかと思うと俺らのテーブルの横に下りてきた。


 青白い光が人の輪郭をかたどり出したところで、姉さんが「おじさんの全裸は見たくありません」ときっぱりと言うと、「そうでござるか……」と発光が金色に変わった。

 床に落ちた服を拾い上げた希咲が駆け寄ってきて、人型になった黒い霧に慌ててトレーナーワンピースを被せる。

 おかげでくろは裸体を晒すことなく少女の姿になった。


「あんたさぁ、覗き見趣味もたいがいにしないと吹き飛ばすぞ!?」


 霧が本体ならば容易いことだ。

 鋭い視線に込めた俺の魔力が剃刀かみそりのようにくろの頬を切った。

 しかし血が流れてくることなく、くろは平然と頬を一撫でして傷を治す。


「吾輩は魔王からの厳命を遂行するべく動いているまで。

 それにしても困りましたな。王女とキュウちゃん殿は下界に未練があるようでござる。

 しかしながらタマちゃん殿。もし貴殿が希咲殿との関係を解消し、父君の取り持つ縁談に応じると約束の上で魔界に戻られるならば、父君の温情に訴えることもできますぞ」


 妥協案の交渉か。


 頑固おやじのことだ。俺と姉さんが揃って魔界に戻らないなんて言ったら、このレストランそのものをぶっ潰しそうだ。

 姉さんをたぶらかした罪とかなんとか言って、私怨の深いキュウにさらなる重罰を課すかもしれねえ。


 もし、俺がおとなしく魔界に戻れば――

 魔界に戻って、親父の組んだ縁談に応じる代わりに、姉さんとキュウが下界で暮らすことを許してほしいと条件を出せば、たしかに交渉の余地はあるかもしれねえ。


 それに――

 希咲のときをこれ以上奪うことが許されるのだろうか。



「……少し考えさせてくれ」


 ため息交じりにそう告げた。

 怒声でもないのに、希咲の小さな肩がぴくんと跳ねた。


「私、今日はアパートに戻ります……」


 俯いたまま小さな声で告げた希咲が、重く緩い足取りでドアへ向かっていく。


 ギイイ、バタン、と重たい扉の閉まる音。




 俺は希咲を追うことができなかった。



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