15センチ


 わたしはその日、翔から久々に連絡が入り、遊園地へ向かっていた。わたしと翔が初めてデートをした場所だった。しかし、皮肉にもこれが翔との最後のデートになる。わたしは今日、翔と別れ話を切り出そうと決めていた。翔との関係はこの1年で劇的に変化した。結局、遠距離恋愛というものは無謀だったのだ。


「やあ、久しぶり」


 久しぶりに見た翔は、なぜだか気持ち悪い程の笑顔で挨拶をした。


「……久しぶり」


 わたしは少し怖くなって、声が小さくなる。


「なんだか懐かしいなぁー、この遊園地」


 翔は観覧者を眺めながらつぶやいた。


「うん。懐かしいね」

 

 懐かしい。けれど、それが虚しい。


「さあ、行こうか」


 翔は手を差し出す。その手にどう応えるべきか悩んでいると、翔は無理やり手を引いた。


「あっ……」

「ん、どうした?」

「ううん、なんでもないや」

「そう」


 過去の光景を思い浮かべたわたしは、翔に手を引かれることを選んだ。


*                 *                 *


 こうして、わたしと翔は過去を歩むように遊園地を周った。

 錆の多いメリーゴーランド。色褪せた観覧車。わたしたちが来た時には無かったお化け屋敷。やはり、時間は確実に過ぎている。1年なんてあっという間の時間で、そのあいだに成長するものもあれば、廃れるものもある。


「ここは変わってないね」


 翔はどこか遠くを見ているように言った。

 気が付けば日も落ちかけ、わたしと翔はシロツメクサの絨毯に来ていた。


「うん」


 そう、変わっていないものもある。でも――


「――変えよう」

「え?」

「わたしたちは変わろうよ」

「どういうことだ?」

「本当は分かってるんでしょう?わたしと翔。この関係は変わるべきなのよ」

「どうして?」


 翔は信じられないと言う表情をして、わたしに一歩ずつ近づく。


「どうしてって、わたしたち全然会ってないじゃん。連絡すら、だよ?こんなの付き合ってるなんていえない」

「……嘘だ」

「嘘を言っているつもりはないよ」

「嘘だ」

「だから――」

「嘘だ!」


 翔は突然叫び声を上げる。そして、静寂。風がわたしの髪を揺らす。


*                *                  *


 嘘だ。俺は知っている。美香が嘘を吐いていると。


「――美香、おまえ、勝之と寝たんだろ?」


 美香の目が見開く。目をパチパチとさせて否定する。


「いきなり何言ってるの!?そんなこと誰が――」

「勝之だよ。美香と寝てる写真を見た」

「……」


 美香は黙り込む。


「俺は、美香のことを愛してるんだよ」


 俺は美香に触れようと一歩近づく。


「わたしは……」

「なあ、美香――」

「離して!」


 俺が美香の手を掴むと、美香は力いっぱい振り払った。


「……美香、待ってろ。俺が助ける」


 俺は背負っていたリュックからタオルで包んだものを取り出す。


*               *                   *


「それは……」


 翔が鞄から取り出したもの、それは刃渡りが20センチもあろうかという包丁だった。それが何を意味するか、理解した時に遅かった。翔はわたしに包丁を向けて突進してきた。咄嗟にできた行動は手を前に突き出すことだった。


「……っ!!!」


 お腹に冷たいものが突き刺さる。激痛のあまり、声が出ない。


「美香ぁ、みかぁ、みかあああああっ!」


 目の前には狂気に満ちた翔が立っている。その表情に顔を背け、下を向くと、包丁がお腹に刺さっているのが確認できた。

 ――まだ、まだ大丈夫。

 刺される寸前に腕を突き出したのが良かったのか、刃は5センチほどしか刺さっていない。

 残り15センチの命かもしれない。


「美香ぁ、どうして、どうしてなんだよおおおぉぉぉぉ!!!」


 しかし、翔の力は弱まらない。腕の力がガリガリと削られていく。助かる方法を必死に模索する。そして


「翔……」

 

 顔を上げて、翔に呼びかける。


「……もう15センチ」

 

 わたしが助かる唯一の方法、それは


「わたしはあなたのことを愛している。だから、その手を離して!」


 助けを乞うことだった。

 しかし、そんなことが通じるわけがない。15センチの距離は縮んでいく。

 でも、これでいいのかもしれない。わたしは翔に殺されてもいいことをしたのだ。

 

 涙が出てくる。

 

 ああ、どこで間違ったんだろ。


 走馬灯のように記憶が流れていく。


 そして、記憶の灯は消えて、わたしは静寂へ解き放たれた。




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赤く染まるシロツメクサ 四志・零御・フォーファウンド @lalvandad123

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