“偽装”の果てに、読者が見るものはなにか?

かなり分厚く“カムフラージュ”されている本作。ある種のモノローグ的な主人公タクミの語り口は自身の嗜好、人間関係観などに割り振られており、序盤は中二病的な直感を読者に与えるよう設計されている。またヒロイン、ミキは“軽度の発育障害”と紹介されていることから、そういった類の重いテーマを背負った作品と錯覚させる要因ともなっている。これらがカムフラージュだと気付くのは、ある程度読み進めていった後、ということになる。

作者さつきまる氏が、こういった作品構造にした理由として、連載の過程で読者を良い意味でのハッタリにかけ続ける狙いがあったのだろう。そのため終盤の怒涛の展開は予想の斜め上……いや、真上を行くものとなっており、衝撃のラスト(とらえ方は人それぞれだろうが、私にはそう感じられたのだ)につながっている。私も騙された一人だ。ちッ、やられたぜ……

最後、タクミは愛を得る代償として“あるもの”を失うが、驚くほどに悲壮感を感じさせない。ドライな筆致は読後のモヤモヤを吹き飛ばすものだ。さつきまる氏が人物たちの後悔や慚愧をよしとしなかったのかもしれない。得た愛が損傷したものを埋めるほどに大きかったのか? それともラストまで付き合った読者への気くばり、だろうか? ここは氏に訊いてみたいところだ。

メッセージ性を匂わせながらも、この手の作品にありがちな書き手の主張は感じられない。私の勝手な想像だが、作者さつきまる氏はタクミにさほどの感情移入をせずに書いたのではないか? 書き手とキャラクターはしょせん血も世界も繋がらぬ赤の他人だが、実は共感すら覚えることなく淡々と書き続けたのかもしれない。結構な苦行だが、それもまた達人の技。見事な人間描写で我々を唸らせてくれる小説に仕上がっている。

しかし……それにしても、いろんな意味で偽装(カムフラージュ)が目立つ作品だ。序盤のモノローグが偽装ならば、エロは所詮、作風の味付けとして使われている程度のやはり偽装。タクミとミキ、それぞれの両親との歪な関係は凄まじい偽装。ミキの覚醒要因となる“とある生活必需品”も偽装用途(笑)のアイテムだ。それが何かは読者の皆様の目でたしかめていただきたい。突然の強風には注意! 

もっとも、実はこの作品……我々人間は外面内面に何重もの偽装をしいて生きているものである、というさつきまる氏のサジェスチョンなのかもしれないが……

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