エピローグ「新世界の幕開け」
翌日、緊急速報のニュースを皮切りにして経済界に激震が走った。
全世界ボロス通貨普及率――99パーセント。主だった銀行が倒産の危機に陥り、ありとあらゆる人間がこの日、銀行のドアを叩いた。それは一斉に報道されたニュースに出演した評論家が、銀行に預けた預金がボロスに書き換わるとお金の価値が無くなるというデマが流布させたからだ。
たしかに半分は的を射ていたがボロスには決められた使用期限があり、TVで報道されているような突然、全てが消えて無くなるという事態は起こり得ない。預金は全て個人IDにタグ付けされていて、ボロスにアクセスすれば簡単に引き出せたからだ。
だが――実際に追い詰められたのは富を貪欲に蓄え続けた資産家達だった。金額が大きいほど、失われる損失が莫大なものになる。簡単には使い切れないお金をどうにか手元に残そうと現実社会に吐き出し始めた。ある者は土地やマンションなど物に替え、ある者は将来有望な企業へ投資や買収に明け暮れる。一番の人気は貴金属で金(ゴールド)が盛んに取り引きされた。
こうした影響で一時、日経平均株価が史上最安値を付けて第三の金融危機だとメディアが大々的に報道する。
そして、更に一週間が過ぎ去る――。
この日、下がり続けていた株価が落ち着いて折れ線グラフがV字に跳ね返ると、昇り龍の如く高値を更新し始めた。
理由は簡単だ。これまで貯め込まれた富が
さらに望みを叶えたことでストレスも解消され、せわしない世の中にささやかな喜びを与えてくれた。その幸福指数は右肩上がりの株価に比例して昨日……日経平均株価、史上最高値の5万1034ボロス(旧日本円)を記録し、その勢いは未だ衰えを知らなかった。
遊馬はボロスを介してそんな内容のレポート記事に目を通すと、修理した叔父のボロスグラスをちゃぶ台の上に置いた。
「は~、おっかねぇ……。俺が世界を滅ぼしちまったのかと思ってたぜ」
今日の日付は9月1日――時刻は午後14時。
白雨村分校の始業式を終えて、遊馬は午後の暇な一時をダラダラと無駄に過ごしていた。約一ヶ月ぶりの登校でアメリカに帰国していたテッドや、潤と久々に顔を合わせると、二人は相変わらず、マジカル・モモカルのことで仲違いを繰り返していた。
だがテッドはこの度、寄稿した次世代ボロス研究に関する論文が学会で認められ、日本にあるボロス関連の研究所に推薦されることになった。普段は馬鹿なことばかりしている彼だが、ボロスに関していえば未来を担う貴重な人材であることは間違いない。
一方、潤は先月上京して花梨の母、杜若舞花が所属する事務所のオーディションを受けて、見事一次審査に合格したそうだ。また冬に二次審査があり、それに合格したら東京で下積みを積み、夢のアイドル声優としての第一歩を歩むことになるだろう。
同級生たちが躍進的に自らの夢に進み出す中、遊馬は相変わらず昼寝とツーリング、趣味のカメラで時間を潰す日々だった。
キーを回してもかからないエンジンのように、モヤモヤを抱えたまま今日もその日を終えるかと思っていたが、玄関の呼び鈴が遊馬のくすぶった心に淡い期待を抱かせた。胸を高鳴らせて早足で玄関へと向かう。磨りガラスの戸に大きな麦わら帽子に、開けたスカートみたいなシルエットがユラユラと風でなびいていた。
――間違いない、どれだけこの日を待ちわびたことか!
遊馬は勢いよく玄関の引き戸を開放した。
「どうして一言も連絡くれなかったんだ? 俺はお前のことずっと心配して……」
麦わら帽子が言う。
「金を払え」
「何だ……テメェかよ、キノコ」
「その名でボクを呼ぶんじゃないっ!」
目前に立っていたのは遊馬が期待した人物ではなく、自称元王侯貴族マリウス・ド・ブーケンビリアだった。不吉を呼び寄せることに定評がある我が家の呼び鈴は、毎度のことながらろくでもない人間しか引き寄せない。
彼は以前着こなしていた白いスーツではなく、白いTシャツにベージュのチノパン。腰にはエプロンを身に付けていて、車は地上最速のランボルギーニから、大量の牛乳やビールの空き瓶を積載した軽トラックに鞍替えしていた。
あの日以来、破産したマリウスは住む家さえ失い、今では母国へ帰る飛行機代を稼ぐために浅葱商店で住み込みのバイトをしている。
「今月分の牛乳代、耳を揃えて払ってもおうか」
「へいへい」
ボロス決済の端末に親指を乗せて牛乳の支払いを済ませる。マリウスは几帳面に帳簿へ、徴収した金額、支払いをした人物など、浅葱の婆さんに仕込まれたことを細かにメモすると一言も喋らずこの場を去ろうとした。
「おい、キノコ」
「何だ、ボクは忙しいんだ。夕方までにあと13軒も回らねばならん。貴様などに構っている時間などない!」
「……お前、今幸せか?」
「フン、愚問だ。このボクが下賎な仕事をやらされているんだ。言うまでもないだろう」
「それにしては仕事っぷりが板に付いてるぜ」
俯いたマリウスは少し言葉を詰まらせると、
「……人間、プライドを捨てれば何処でだって生きていけるもんだ」
そう言い残して隣の加藤さん宅へと軽トラックを走らせた。
遊馬はマリウスを見送ると、少し心悲しく思った。
別に彼の境遇を憐れんだわけではない。
――浅葱家の女に捕まったら最後、二度とそこから抜け出せない蟻地獄。
それが白雨村での通説だということを彼がまだ気付いていなかったからだ。
「ありゃ完全にハメられたな……俺には関係ないけど」
そして、夕刻――。
「そうだ、叔父さんに会いに行こう」
遊馬はふと、あの森に足を運んでみようと思い立った。今日は見回りの日ではないが、叔父が眠っているあのモノリスにいると何処と無く心が安らぐ。今から徒歩で行くには遅すぎるので叔父のボロスグラスからアクセスした。
目映い光が解けて、周辺に見慣れた森が広がる――。
あの日以来、時間の流れが狂っていた《聖域》は外界と接続したことで時間が同期され、現実と変わらない時が流れていた。遊馬は夕陽で緋色に染まった木々を潜ってモノリスの前に立つ。すると、そこには先客がいてジッと白い巨塔を見上げていた。
「やっべ、ロロ子さんと出くわしちまった……逃げよう」
踵を返して退散しようと早足で立ち去ろうとする。
だが、後ろから風を斬る音が近づき遊馬が振り向くと……何かが足を絡め取った。
「アイテっ!」
草の上に倒れ込んだ遊馬はぶつけた額を擦って足元を見る。足には《ボーラ》と呼ばれるロープの両先端に金属球が付けた狩猟用の投擲武器が絡まっていた。
「どうして逃げ出すのかしら? 挨拶くらいしていきなさい、遊馬くん」
「こ、こんちわっす……ロロ子さん」
冷や汗を流して遊馬がロロ子の忠告に従うと別の人影が頭上を覆う。
「……遊馬?」
その声を耳にした途端、遊馬の鼓動が一瞬止まる。
「ナズ……ナ……? お前、どうしてこんな所に……?」
「……ご、ごめんなさい」
意外な所で意外な再会を果たした遊馬は、一ヶ月ぶりに会ったナズナにどう声をかけていいものかと迷う。すると、こちらに歩いてきたロロ子がことの事情を語り出した。
「この子ね、前回の騒動でなかなか面白いプログラムを組んでたから、うちに雇い入れることにしたわ。それに学歴を尋ねたら、あらビックリ。ナズナちゃん、実は飛び級でハーバード大学の学位を取っていて、さらに個人でさまざまな特許を取得しているスーパーエリートだったの~。人材不足だったうちの部署に持ってこいの逸材! ゆくゆくはここの管理を任せるつもりよ」
つまりは、未成年を青田刈りしたということだった。
「へ、へぇ……」
「それに今日は永住権の申請やら住居探しやらで大変だったわ。とりあえず、手続きが全て完了するまでは、あのお屋敷で過ごしてもらうことになるけれど」
「本当なのか、ナズナ?」
「は、はい……ロロ子さんがいろいろな所に掛け合ってくれたので。でも学校の手続きが間に合わなくって、登校は来週からになっちゃいますが――」
「いや、そのくらい気にすんな。良かったな、お前の夢が一つ叶ったじゃないか!」
「は、はい! 私もまた白雨村に戻って来られて本当に……また遊馬の近くに居られます」
そう言ってナズナは頬を林檎のように赤く染めた。
遊馬は彼女を祝福し大いに喜んだが……ふと、ロロ子の言葉が頭に引っ掛かる。
「じゃあ、俺はどうなるんですか? 爺の代わりに4年もここを管理してきた実績がある、この俺は?」
「なーに言ってるるのかしら、やってたのは見回りだけじゃない。それに実質、ここのデバックやキャッシュ管理は私がやっていたもの。代わりが見つかった以上、キミを雇うはずがないでしょ?」
「そ、そんな……俺のお気楽人生設計がぁああああああああああああっ!」
ナズナは申し訳なさそうに顔を隠す。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……」
卒業後は正式に管理者となり、気楽な毎日をエンジョイする予定だった遊馬にとってそれは驚愕の解雇通告だった――。
END
巡り廻るはボロスの尾 誠澄セイル @minus_ion
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