第二十三幕「世界を変える鍵」

 星明かりさえ届かない茫漠とした暗い森――。

 初めて足を踏み入れる森の最深部は、冷たく、空虚で、虫の囁きさえ聞こえない完璧な静寂に包まれていた。ここに踏み入った時から淡く輝きだしたボロスコイン。それが指し示す一筋の赤い光が唯一の道標だった。

 遊馬とナズナは手を繋ぎ光が導く方角へ慎重に歩みを進める。しばらくすると、海中を漂うプランクトンのような粒子が宙を漂い始めて、その量がどんどんと増していった。周辺がリーフグリーンの光で満たされると、前方に白く巨大なモノリスと人影が瞳に映り込み、遊馬の心臓が急激に鼓動を刻み出す。

 しかし、近づくに連れてそのシルエットが叔父のそれとは違うことが分かり、逆に強い警戒心を抱かせた。


「誰なんだ?」


 正体不明の人影がハッキリとした輪郭を現し、光に照らされた白髪によって相手が老人だと知った。さらに意外にを名をナズナが言い当てた。


「お……お、お父様、どうしてこんな所に!」

「お父様?」


 思わず遊馬の声が裏返る。


はお前だったか、ナズナ」


 ガッチリとした体格にイタリア製の黒いテイルコートで身を固め、彫りの深い顔には長いアゴ髭と銀をあしらったモノクル。手には金細工がふんだんに使った杖を握っていた。

 老人とは思えない鋭い眼光が向けられ、遊馬の背筋に今まで感じたことがない緊張が走り、体中からどっと冷や汗が吹き出した。その貫禄はマリウスなど及びもしない、高貴な威圧感がある。

 するとそこで――何もない空間にプログラムコードが渦を巻き、女性の姿を形作ると森の番人がすぐ隣に転移してきた。


「ウェル、ウェル、ウェル……ようこそボロスの中枢、マスター・コンソールへ」

「ロロ子さん?」


 ロロ子はふわりとマントを波打たせて地面に着地すると、対面にいたナズナの父に深々と会釈する。


「ご無沙汰しております、ベルナボ・デ・ソルフェリノ様」

「荒木の助手をしていた山吹と言ったか? キミがこの地を秘匿していたのか」

「はい、を見届けるため、微力ながらそのお手伝いをさせて頂きました」

「手伝い、か。その割りには少々あの二人に肩入れしすぎではなかったか?」

「ウフフ、相変わらず厳しいご指摘ですわ」


 二人は知り合いなのか、会話が弾む。

 状況が呑み込めず、遊馬とナズナは顔を見合わせた。


「どういうことっすか……さっぱり意味が分かりませんよ!」

「あら、ごめんなさい。つい夢中になってしまって。ん~そうね、これはゲーム、荒木先生とソルフェルノ氏の間で交わされた《余興》だったの」

「余興……?」


 すると、ロロ子の代わりにベルナボ本人が口を開き重いトーンの声で語り出した。


「あれは10年前、《G2D》が発生して世界経済が一度、崩壊した日のことだ。妻の千歳がシチリア島沖に墜落した飛行機事故によって他界した。原因は人為的ミスだった。海中から墜落機の残骸が引き上げたが遺体は発見できず、連絡を受けた私は遺留品が引き上げられた格納庫へ足を運んだ。そこは私の傘下だった航空会社であり、私の命令で大規模なリストラを敢行した直後でもあった」


 ベルナボは一度咳払いをすると少し間を空けて再び言葉を紡ぐ。


「妻を死に追いやったのは、利益を追求し、感情を捨て、合理的なまでに突き進んできた私の生き様が招いたことだ。それに引き上げられた残骸を目にした時でさえ、何一つ感情というモノが湧いてこなかった。ただ、胸の内にあったのは霧。モヤモヤと重く私を包み込み、何故ここへ足を運んだかも理解ないままその場を立ち去ろうとした……その時だった。私は出会った、縹荒木という男に」


 10年前――叔父がどうしてそこにいたのか、遊馬はよく知っている。その飛行機に、遊馬の両親も乗っていたからだ。事故の報を訊いた叔父は心配するなと告げ、幼い遊馬を残して日本を発った。当時のことはあまり記憶に残っていないが、叔父が酷く哀しげな顔をしていたことだけはハッキリと覚えている。


 両親、そしてナズナの母の死――欠けていたピースが一つ埋まっていくのを感じ、遊馬はベルナボの話に耳を傾けた。


「縹荒木は私にある問いを投げかけた。最良の人生とは何かと。それは死ぬまで金を集め続けることなのか。それとも他人を受け入れ、絆という輪を広げることなのかと。私は最初その問いを一蹴した。しかし、あの男が語った新たな世界構想に私は大いに魅了され、胸を覆った霧が晴れていくのを感じた。これまでの人生は間違っていたのか? その疑問に答えを出すため私はあることを条件に、荒木が示した夢に全面的な出資を約束したのだ。そして、あの男は見事にやり遂げた――自らを犠牲にしてまでな」

「え……?」


 犠牲という言葉に思わず遊馬の呼吸が止まった。

 悲しげな顔でロロ子が遊馬の肩に手を乗せる。


「ごめんなさいね、今まで黙っていて。荒木先生はずっとここで眠っているのよ」

「叔父さんが、このモノリスの中に……?」

「ボロスシステムが無数の量子コンピュータを《グリッド・コンピューティング》(並列処理)することで成り立っていることは、学校で習ったわよね?」

「はい……」

「目の前にあるモノリスもその一つ。でも、これだけは他のモノリスとまったく違う役目がある。つまり、ここが全てのボロス情報を統括しているマスター・コンソールだということよ」


 つまりは、人間で言う《脳》に当たる場所だということ。

 ボロス全ての命令、管理、運用をこのモノリスが集約しているということだ。


「でも、どうして叔父さんがこの中に眠ってるんですか?」


 その問いにロロ子は軽くアゴを下げる。


「足りなかったのよ、スペックが。地球規模の現象を再現するには今の技術ではあまりにも足りなさすぎたわ。でも、荒木先生はあるを思い付いたの。それは人の脳を使うこと。人間は柔軟な判断や発想を生み出す能力がある、それを現代の技術で再現することはまだ不可能……。荒木先生は躊躇ことなく決断し、生体パーツ一つとしてここに入った。そして、アナタたちをずっと見守っているのよ」

「そ、そんな……」


 心の何処かでいつか叔父に再会できるかもしれないと期待していた遊馬にとって、それはあまりにも酷い結末だった。


「嘆くな、少年。あの男は自らの理想を実現させてここにいる。全てはお前たち、若い世代に選べる未来を託すために。荒木と始めた余興も《人の絆》と《金の力》、どちらがより尊ぶべきモノかを見定めるためだ。キミは勝利し、過去の私を討ち果たしてくれた。ありがとう、そして済まなかった」


 両親の死、叔父の末路。全てに関わる眼前の男を何故か恨むことができなかった。

 この老人も叔父と同じく、心に傷を負い、悩み、それを償うため、新たな人生の選択肢を与えてくれたから。遊馬はベルナボの言葉に返答はせず軽く頭を下げた。


 すると、そこへ――。


「み……見つけたぞ、小僧! 鍵を返せ、ボクの未来を返すんだ……!」


 遊馬とナズナの後を追ったマリウスが暗闇の中から現れた。その姿は酷い有り様で、髪は焦げ、袖を無くし、ズボンは膝から下が千切れている。満身創痍のマリウスが遊馬の前に立つ人物に目を見開くと、仰天して地面に倒れ込んだ。


「ソ、ソルフェリノ侯!」

「……マリウスか」


 短く答えたベルナボは冷たく鋭い眼差しで彼を刺す。慌てふためいたマリウスは無様に敗れたこの状況を必死に弁明しようとした。


「ナズナです、ナズナが今手にしている鍵こそ、次世代経済の全てを手中にできる《神の力》です! それを渡せとナズナに命じて下さい。アナタの言うことであればナズナは従うしかない。そして、ソルフェリノ家とブーゲンビリア家の新たな門出を共に祝おうではありませんか!」


 しかし、ベルナボはそんな言葉に微動だにせず冷徹な裁定をマリウスに下す。


「最初に伝えたはずだ、これは全てを賭けたであると。お前には多少なりとも目を掛けてやった。お前は若い頃の私によく似ていたからだ。しかしお前は敗れ、結論は導き出された。勝者には惜しみない賛辞と美酒を、敗者には辛酸たる恥辱と失望を。それが既得権力者たるお前が準じてきた世界の法だ。喜んで受け入れるがいい」


 ベルナボが右手を伸ばすと面前に半透明の操作パネルが現れ、表示された株価チャートや資産売却の画面を指先で斜めに線を引く。その直後――ブーゲンビリア社の株価が大暴落し始めてマリウスの顔が青ざめた。


「ボクが、ボクが築き上げてきた城がぁあああああっ!」


 莫大な資産が泥舟のように溶けて沈み、錯乱したマリウスが隠し持っていた拳銃を抜いて三発乱射した。一発目は木の幹に当たり、二発目は遊馬に向けて飛んできたが、寸でのところでロロ子がマントで弾き……三発目はベルナボの胸を貫いた。


「お父様!」


 ナズナが口に手を当てて悲鳴を上げたが心配することはなかった。

 遊馬がその理由を口にする。


「ホログラム……」


 最後にベルナボが絶望して立ち尽くすマリウスを一瞥して告げる。


「あとの処理はキミに一任しよう」

「はい、おまかせを――」


 ロロ子はベルナボに一礼すると大きな帽子のつばを摘む。何かの呪文を詠唱して足元に2mほどの魔方陣を刻むと、それが強烈な光を放った。周囲に充満したドス黒い霧が風に乗ってゆっくりと溢れ出し、そこから獣のような唸り声が聞こえてくる。


「皆さん、《ジェヴォーダンの獣》ってご存じかしら? 18世期のフランス、マルジェリド山地に現れ、百人近くの人間を食い殺したと言われる魔獣の話を――」


 黒煙の中で赤い眼光が揺らぎ、遊馬とナズナそれにマリウスがゴクリと息を呑む。


「そして、私が今ここに召喚したのは、お見合い会場に現れ、百人近くの男性に見限られたと言い伝えられる伝説の魔獣。その名は――浅葱鳴子!」


 そして、前振りとはまったく関係ないクラス担任が姿を現した――興ざめである。


「ちょっと~、ここ何処なのよ~?」

「酒臭さっ!」


 遊馬はたまらず鼻を押さえる。強制的に呼び出された鳴子はベロンベロンに泥酔していて、地酒である大吟醸萌桜の一升瓶を破廉恥な下着姿で抱きかかえていた。


「鳴子、アナタにささやかなプレゼントがあるの~」

「プレゼント~? それって美味しい~?」

「それはもうピッチピチよ。何せ大企業を取り仕切る若社長。しかも、爵位を持った貴族の御曹司よ~」

「ドコ、それドコにいるの!」


 目が血走った鳴子が辺りを見澄ますと、その両目に子鹿みたいに怯えたマリウスを捉える。


「グフフフフフ……み~つけたぁ~」

「何だ、何なんだ、その女は! ボクに近づけるんじゃないっ!」


 マリウスは必死に拳銃のトリガーを引いたが、弾切れでカチカチと虚しい音を立てる。鳴子は一升瓶を抱いたまま四つん這いになって駆け出すと、マリウスの肩に食らい付いて激しく彼を振り回した。それでも抵抗を諦めないマリウスは、鳴子が手にした一升瓶で頭をどつかれると意識を失い、救いを求めた腕がパタリと地面を叩いた。

 鳴子は、気絶したマリウスの襟元を咥えて闇の中に引きずり込むと、辺りは静けさを取り戻した。


「これで彼女が彼の自尊心や虚栄心を、残さず食らい尽くしてくれることでしょう」

「うむ」


 ロロ子の言葉に短く頷くと、ベルナボは遊馬とナズナにこう告げた。


「さぁ行きたまえ、そろそろ時間だ。この《世の全て》がこの先にある。そして――」


 ベルナボは少し口籠もって間を空けると、


「ナズナ、これが終わったら一度イタリアへ戻ってきなさい。会食しながら旅の話を私に聞かせてくれ……ではな」


 最後にそう告げてボロスからログアウトしていった。

 父親の言葉にきょとんとする、ナズナ。


「どうかしたのか?」

「いえ私、お父様から会食に呼ばれたの、これが初めてだったので……」

「ええ~?」


 不器用なのにもほどがある。そう思った遊馬だったがそういう点で見てみれば、よく似た《親子》なのかもしれないと自然に笑いが込み上げてきた。

 そして、白い外壁の一部が扉に変化するとロロ子が二人の背中を軽く押す。


「行ってらっしゃい、荒木先生によろしくね」

「――行ってきます」





 モノリス内部は円柱の吹き抜け構造になっていて、終わりの見えない螺旋階段が天にも届く勢いで伸びている。まるで一匹の蛇。足元は薄暗く、唯一天井から僅かに差し込む光を頼りに遊馬とナズナは頂上を目指して登り続けた。


「平気か?」

「は……はい、少し休めば平気です」


 遊馬はナズナを気遣い、彼女に負担がかからないペースで捻れた階段を一つ、また一つと残りの段数を減らしていく。

 これが何段目なのか、登り始めてどのくらい時間が過ぎ去ったか?

 目眩がするような感覚に陥ると、ようやく出口らしい扉が遊馬の目に留まった。

 もう喋る元気などなく扉の前に立った二人は力を合わせて取っ手を引く。


「うわっ」


 一瞬、突風がモノリス内に吹き込み遊馬はナズナの背中を支える。風が止んでまぶたを持ち上げると、これまで目にしたことのない光景が瞳に飛び込んできた。


「こりゃ、すげぇ……」

「とっても綺麗ですね……」


 頭上には満天に輝く星空の天幕、足元には深緑の木々が敷き詰まった絨毯。

 二人が手を繋いで天を仰ぐと、茫漠とした夜空に一際大きな星が瞬いた。


 アルタイル、ベガ、デネヴ――夏の大三角形。


 そして、遊馬の背後では巨大な《全天星座時計》がひっそりと時を刻んでいた。


「これがボロスの時と命を刻んでいるのか……」

『――その通りだ』


 遊馬がぽつりと呟いた言葉に誰かが返事をする。

 もちろんナズナではない。

 それは遊馬が昔からよく知っている、懐かしい声だった。


「叔父さん!」

『大きくなったな、遊馬。それにナズナも――』

「ふぁ……」


 ナズナは声も出せず目許に大きな雫を撓める。目前にプログラムコードが人型に編み込まれ、足元から上へとテクスチャが描かれると白衣を着た叔父が姿を現した。


『二人とも、よくここまで来てくれた。俺のワガママに付き合わせて悪かったな』


 久々の再会に遊馬はどう返事をしたらいいかと戸惑ったが、当時と変わらない温かみのある声に安心感を覚える、そして。


「そんなことなかったよ。そりゃ最初は今更何しに出てきやがった~って思ったけど、叔父さんがくれた、ちょっとした冒険は充分楽しめたよ。それに一番嬉しかったのは俺にナズナを引き合わせてくれたことさ」


 少し照れくさかったが叔父に隠しても仕方ない。

 どうせこの人は全てお見通しだということを遊馬は知っていたからだ。

 すると、気恥ずかしそうに遊馬の背へ隠れていたナズナも嬉しそうに挨拶する。


「荒木先生、ご無沙汰しています」

『ナズナ、キミもすっかり美人さんになったもんだ。教えたことは役に立ったかい?』

「はい、一生かけてもお返しできないほどに――」

『そんな大層なもんじゃないさ。これから先もキミが道を切り開くための武器にしてくれればいい。今回、そうしたようにね』

「……はい」


 荒木は優しくナズナに微笑みかけると話の本題を切り出す。


『積もる話もあるが、そろそろなので手短に済ませよう。成り行きはすでにベルナボさんから話を聞いているだろうから、俺はこれからお前たちに二つの選択肢を与える』

「選択肢……? 叔父さん、それがお宝なのか?」

『うむ、ある意味ではこれまでに誰も手にしたことがない、途方もない宝と言える。どちらを選択したとしてもな。だが、これから提示する二つは、世界にの結果をもたらすことになるだろう』


 二人の緊張した面持ち一瞥すると、荒木は言葉を続ける。


『一つめは、ボロスの全てをお前たちの意思で決定することができる管理者権限だ。これさえあれば莫大な富もいかなる権力も思いのままにできるだろう――』

『二つめ、これは世界の富をボロスに還元してこの世に蔓延る不平等を是正すること。つまりお前たちに何の得もないが、全ての人に夢を叶えるチャンスを与えられる――どうだ、すごいだろ~?』


 叔父が語ったことはあまりに現実離れしていて、遊馬は理解するのに苦心する。


 一つめを選べば、働かずに生きていける理想の暮らし。

 二つめを選べば、不景気で報われない今の世が少しはマシになるかもしれない。


 遊馬の認識はそんな程度だった。

 ついこの間までの遊馬だったら迷わず一つめを選択していただろう。しかしナズナと出会い、臆病ながらも運命に立ち向かう彼女の姿に心動かされてしまった。それに欲に塗れたマリウスの末路は思い出しただけでも身震いする。


 つまり、答えは一つしかない。


『決まったかい? そろそろ時間だ。二人とも見ておくといい』


 叔父が何も無い空と陸の境を指差すと星座時計が午前0時を告げる。


 その刹那――全方位に祝いの花火が打ち上がり地平を七色に染め上げた。もちろん本物ではなく仮想現実で生成されたものだったが、その光景はこれまで見た何よりも美しく圧巻だった。そして最後、夜空に一行の文字が書き添えられる。


《ビギニング・オブ・ザ・ニューワールド》


 新世界の幕開け、と――。


 この日、この時間、全世界のボロスシステムが統合される。

 そんな話をロロ子がしていたことを遊馬は思い出す。


『さぁ、準備は整った。お前たちが導き出した未来を見せてくれ』


 すると、無数に絡み合った星座時計のローターやゼンマイ、歯車やパネルがCTスキャンで輪切りにしたように、前面へ迫り出した。巨大なバンド(針)を固定していたパーツが手元で止まると、そこに鍵穴が現れる。


『そこに鍵を差し込め。右へ回せば一つめの、左へ回せば二つめの未来が開かれる。決心が付いたら二人で回すといい――』

「ナズナ……」

「分かっています、私も遊馬さんと同じ想いですから」


 ボロスコインの鍵を鍵穴に差し込むと遊馬はナズナは頷き……鍵を回した次の瞬間、モノリスは青白い十字の閃光を放った。光が四方へ伸びるように走り、遠くにある別のモノリスに到達する。さらにそれが四方へ分散して次々と別のモノリスと繋がっていくと――温かみのある向日葵色ひまわりいろの光が世界の全てを包み込んだ。


 最後に荒木は……生前、伝えられなかった言葉を遊馬に託す。


『俺は親しい人を誰一人、幸せにできなかった男だ。お前も、花梨も、妻や兄夫婦のこともだ。さぞかし爺さんは愚痴を漏らしていただろう、ダメな男だったと。何もかも中途半端になってしまったが最後に一つだけ頼みたい。花梨のことをよろしくな』

「そんなことなかったぜ……俺は救われたよ。花梨のことは俺と婆さんに任せとけ、爺は花梨を甘やかすばかりで役にたたないからな」

『そうか……』


 最後に荒木は嬉しいとも哀しいとも言えない笑みを見せると、微細な光の粒子となって消えた。そしてナズナが腕組みをしてきてぽつりと呟く。


「私、今日のことは一生忘れません……」


 遊馬は何も言わずに頷くと、格子状に広がったボロスの光を望見した。


 西暦2049年7月22日、午前0時3分――。


 この日、各国で使用されていた通貨が全てボロスに書き換えられた。ボロスは世界通貨となり全ての金銭に寿命が与えられ、金融至上経済は終焉を迎えた。そして、数千年の時を経て金は無限増殖を続ける《神》から朽ち果てる《モノ》へと、本来あるべき姿に戻った。

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