偽典レ・ミゼラブル

只野夢窮

第一章:貧苦の沼は底なし沼なり

ミリエル司祭のおっしゃるには 

 1806年、私はナポレオンによってディーニュの司教職に任命されました。そして今までその職を務めてきたのです。

昔は法官、つまりは法律関係の仕事をやっておりまして、その仕事の界隈にはよくあるように、20のころに早く結婚しました。いわゆる政略結婚というものですね。私の若いころは、恥ずべきことに、社交界での情欲だとか、まあそういったものに時間をつぎ込んだものです。妻がいるというのにね。そうして革命が来た。革命によって多くの法官が殺されました。私は妻とイタリーへ亡命しましたが、妻はそこで死んでしまった。そうして私は......とにかくいろいろあって、神の愛を信じ、フランスにもどってきたころには聖職者となっていたのです。

 まあ小さい町ですから、そういったところにはよくあるように、噂話などもいろいろされました。嫌じゃなかったのかって?彼らは悪しき心からそうしているわけではないのです。

 私には妹のバティスティーヌとマグロアールという召使がいて、この二人が私の世話をしてくれました。私が貧しい人に多くの施しをなしたり、お客さんが来た時にもてなしたりできるのは、ひとえにこの二人がうまく節約してくれたからです。もちろん、感謝していますよ。

 それにしても、司教に任命されたときには、司教邸の広さに驚かされたものです。たった三人しかいないのに、三十人以上は入れるんじゃないかと思うぐらいには広いのです。なのに、この町の病院ときたら、まあ狭いこと!あんな狭いところに二十六人もベッドを詰め込んだら、とてもじゃないけれど治るものも治りません。片方は広すぎて、片方は狭すぎる。なので、交換したのです。なに、三人で済む分にはこれでも広いぐらいです。

 え、私が司教に見合う生活ができているのかって?私は革命の時期にだいぶん資産を失いましたが、妹の年金と、国からのお給金とで、なんとかうまくやっていますよ。ああ、四輪馬車のお話ですか。確かに、この土地で巡回のための四輪馬車のお金を要求するのは、批判されても仕方ないかもしれませんね。この間は議員さんが批判するのを聞きましたよ。実はですね、あれは孤児や捨て子のために使っているんです。うーん、確かに国からいただいたものの支出先をごまかすのはよくないかもしれないですけど、それは国のものである前に民のものですから。特に、苦しんでいる民のね。

 私が莫大なお金を持っているといううわさがある。なるほど、確かに、多くのお金がこの手を渡っていますね。でも、本当にわたっているだけなんですよ。右から左へ。富める者から貧しき者へ。そうして行き来してるんです。

 ええ、ありがたいことに、多くの人が私を頼ってくれましてね。みなさん私のことを「ビヤンヴニュ閣下」と呼ぶんですよ。ビヤンヴニュというのはフランス語で歓待、という意味でしてね。この響きが好きなんです。閣下という仰々しいものを、少しは打ち消してくれるんじゃないかとね。ええ。

 巡回はしていないのか?もちろん、していますよ。四輪馬車がなくともできます。まあラバだったり、歩いたりですね。なに、難しいことをしゃべる必要なんてないんですから、楽なものです。だれでも聞いてわかるようなことを、だれでもわかるような例を引いて話す。これが一番なんです。人の心に届かない美辞麗句は、結局のところ、御心にそぐわないんですね。

 最近の社会情勢について......?私は政治家ではなく司教なのですが......窓の税は、私の心を痛めるもののうちの一つです。そのせいで多くの貧しい人々が、窓のない、あるいは一つしかない場所で生きています。そのような場所では病が流行るのです。いったいどうして、神のものである空気を人々に売ることができるのでしょうか。あれは悪弊です、変えなければなりません。それに、最近の人は簡単に怒りすぎです。過ちを犯さない人などいません。人が誰かの過ちに対して猛り狂うとき、それは自らの偽善が白日にさらされ、抗弁し、隠れようとしているということなのです。そして、これは明白に言っておかねばなりませんが、婦人、子供、無学者の罪は、男、大人、学者の罪なのです。心に欠落があるとき、そこに犯罪が行われるのです。咎があるのは、犯罪を実際に犯したものではなく、その欠落を生み出したものなのです。

 私の一日、ですか。まずは朝早く起きて、瞑想を小一時間ほど。そのあとミサをして、朝食のパンを食べます。そのあと仕事に入り、司教書記や助任司祭に会います。そのあと司教区、要するに私の管轄内での説教や教書などを処理して、国と法皇様にいろいろの報告を送り、貧しい人たちに会いに行き、それでも余った時間は畑を耕します。忙しくはないのか、と?しかし貧しい人たちは私より忙しく苦しい生活を送っております。ああ、それと少しは学問もやっておりまして、恥ずかしながらいくつか研究などを。

 私の家、ですか、先ほども申し上げた通り、もとはこじんまりとした病院だったところで、一応二階建てです。変わったところと言えば、鍵がないことでしょうか。私が言って外させたのです。ええ、バティスティーヌとマグロアールは随分と心配しましたけどね。神様がこの家を守ってくださらないのであれば、私がいかに強く鍵をかけようとも無意味なのです。それに、司教の家はこれすなわち神の家。神の家は万人に開かれているべきものです。そうでしょう?

 えっ私が盗み。はて......ああ、それはもしかしてあの事を指していらっしゃるのかもしれない。けれども私は神のものを苦しめる貧しき人の子へ、すなわち正当な持ち主へと返しただけなのです。まあ聞いてください。

 山の奥にね、善良で温和な羊飼いたちの小さな村がありまして。そこにはもう三年も見舞ってなかったのです。そんなわけで司教の義務として、そこに行かなくてはならない。しかしその山の中にはクラヴァットとかいう山賊がいて、これがまた随分と危ない人で、なんでもアンブロンのノートル・ダーム寺院からありったけのお宝を奪ったりしているらしい。だから行くなと、そう周りの人たちに言われたわけですね。しかし行かねばならない。私を待っている人々がいるのです。そういうわけで押し切って行きました。

 無事にたどり着いたけれども、よく考えたら正式な祭祀を執り行うための道具がほとんどなかった。でもまあなんとかなるでしょうと思っていると、見知らぬ男たちが騎馬で教会に乗り付けて、大きな箱を置いていったではないですか。

 怪しく思って中を見てみると、金襴の法衣、金剛石をちりばめた司教の冠、大司教の十字架、見事な笏杖、その他一月前にアンブロンのノートル・ダーム寺院から盗まれたすべての司教服がはいっていたわけですね。箱の中に一枚の紙があって、その上にこう書いてありました。「クラヴァットよりビヤンヴニュ閣下へ」と。

 つまりはその山賊が私に、それをくれたわけですね。そうしてなんとか祭祀が執り行えた。

 あなたが聞きたいのはつまり、祭祀の後に、それらの宝がどうなったか、ということですね。それは......ええ、正直に言いましょう。貧しき人々のものになりました。もとより我ら聖職者が豪奢を極めることは、神の御心に背くことです。あるべきものを、あるべきところに返したにすぎません。

 なに、私の怪しい話がほかにもあるのですか。民会議員G、と。まず初めに申し述べておきますが、彼のことをGと呼ぶのはいけません。彼にはジルというちゃんとした名前があり、それをみな不当に縮めて読んでいたのです。

 はい、私が彼の臨終において看取りに行ったのは確かです。彼の小姓が医者を探しにこの町に来たので、彼の臨終が近いことがわかったのです。実のところを言うと、これは私が懺悔すべきことなのですが......彼のところには行きたくなかった。嫌々行った。なにせ彼はあの革命期に権力をふるい、王を処刑した時に議会にいたのですから。

 そして......ああ!なんたる恥ずべき事!私は彼と論争をした!革命、神、そういったものについて!私は司祭として彼のもとに赴き而して彼をことさらに痛めつけた!それも私の中の、革命に対する個人的な怒りからくる軽率な言葉で!なんたる!なんたる!なんたる!......罪か。ただ最期には彼を祝福したけれども、それがいくらか贖いになるのでしょうか。

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