ファンティーヌの想起

 それにしても、テナルディエご夫妻の優しいことと来たら!こんなしがない女工の子供を預かってくれるとは優しい人たちです。なにせ、生まれ故郷のモントルイュ・スュール・メールじゃあ、夫のいない子連れ女を、働かせてくれるところなんてありゃしないんですから。あそこの人たちはパリと比べて不親切でいけない。しかし私のほうでも、トロエミスのことを信じたのが間違いだった。彼は私より十も年上、禿げ始めるし歯は抜けるし、どうして快活なだけのあんな男に恋したのか、まったくわかりゃしない。とにかくあいつに身体を許したのが間違いだった。

 忘れもしないあの日、あいつらは私たちを郊外の散策に誘った。トロエミスと私、ファムイュとゼフィール、リストリエとダーリア、ブラシュヴェルとファヴォリット。四組のカップルはいつも一緒で、あの日も随分と愉快に遊んだものだわ。私が一番若くて、トロエミスが一番年寄り。そして遊び疲れて、汚い飯屋にたどり着いた。

 食べて、飲んで、男たちは議論をおっぱじめるし私たちは笑ってたわ。でも男たちは途中で部屋を出て行った。彼らは「面白いもの」を私たちに見せてくれると言ってたの。確かに、それは私たちがずっと前に約束さしたことで、たまには、そう、サプライズがあってもいいと思ったの。でも、あんなふうに驚かされるとは思ってなかったわ。彼らが出て行って一時間もたつから、やけに遅いと思ってたら、店員がこんなものを渡したんですもの。

「愛する方々よ!

我々には両親がいる。田舎に残してきたのだ。両親、貴女たちはそれがいかなるものであるかよく御存じあるまい。幼稚な正直な民法では、それを父および母と称している。ところで、それらの両親は悲嘆にくれ、哀願し、われわれを放蕩息子ほうとうむすこと呼び、帰国をねがい、こうしを殺してごちそうをしようと言っている。要するに、そろそろ後を継いで安心さしてほしいということらしい。われわれは徳義心深きゆえ、彼らのことばに従うことにした。貴女たちがこれを読まるる頃には、五頭の勢いよき馬はわれわれを父母のもとへ運んでいるであろう。我々には義務がある。世間の人のごとくになり、祖国と家族とに必要な人になるという義務である。われわれを尊重せられよ。われわれはおのれを犠牲にするのである。あなた達と別れるのは辛いが、とにもかくにも二か年はあなた達を幸せにしたのだから文句は言わないでほしい。早く次の男を求められたし。さらば。

署名 

ブラシュヴェル

ファムイュ

リストリエ

トロミエス

追白、食事の払いは済んでいる。」

 尊重!尊重ですって!女を捨て郷里に戻る!しかし連れていかれない道理はないはず!そんなに立派な男になるのなら、女を捨てては行かれぬはずでしょう!

 徳義心!徳義心ですって!そんなに偉くて法律などをかじっているなら、徳の何たるかを教えてください!それは、それは、子の孕んだ娘を置いていくことですか!

 そして周りで笑う女どもよ!どうして捨てられたというのに、これを愉快なサプライズと思えるのでしょう!?驚かすにも驚かし方というものがあるでしょう!

 そうして私はパリでただ一人となった。ゼフィール、ダーリア、ファヴォリットとも会わなくなった。彼女らは別の男を見つけたらしい。私はトロエミスが忘れられなかった。ある日ひょっこり戻ってこないかとーー彼の軽薄さから言えば、ありえないことではないーー待ち続けた。

 仕事は手につかなかった。つくはずもない。首になった。そうこうしているうちに子供が生まれた。私は今まさに貧しくなっていく。私はいい。子供は?そうして私は生まれ故郷のモントルイュ・スュール・メールで、仕事を探すことにした。なんでもそこではマドレーヌなる市長が産業を興していて、だれでも働き口が有るという噂だ。しかし子供がいて夫がいないでは、あの地方の嫌な頑固な連中が働くのを認めないだろう。やれ不貞だなんだと騒ぎ立てるのが目に浮かぶよう。だから子供を抱いて故郷に戻っている最中に、あのモンフェルメイュで、テナルディエ夫妻に出会ったのは本当に幸運だった。

 テナルディエ夫人は、随分と太っていて、歌いながら自分に似た赤毛をしている二人の子供が遊んでいるのを見守っていて、それはまさに母の慈しみと呼べるようなものを私に感じさせた。だから、私は同じ母親として、声をかけたくなった。

「まあかわいいお児さんたちでございますね。」

 そこから話が盛り上がって、なるほどこの人は信用できそうだと思った。ちゃんとした宿屋を営んでいるし、子供に対する愛情と来たら、この上のない様に思われた。それにコゼット、愛しい我が娘はすぐに二人の子供と仲良くなり、まるで三人の姉妹のようだった。だから思い切って言ってみた。

「私のこれから帰る国では、子供連れの女やもめでは仕事が見つからないのです。全くおかしなことです。私はお子さんたちのあんなにきれいで楽しそうなところを見まして、ほんとに心を取られてしまいました。ああいいお母さんだ、そうだ、三人で姉妹のように見えるだろう、と思いました。それに私はじきに帰って参ります。子供を預っていただけませんでしょうか。」

 そうすると宿屋から夫のほうのテナルディエさんが出てきて、入り目を渡さなきゃあダメだという。それは道理だろう。月に七フラン(翻案者注:1万4000円ほど)を半年前払い、もろもろの支度に十五フラン、少し高いなとは思ったが、パリで家具を売り払ったお金でなんとか払えた。そうしてコゼットを預けて、また歩き出したのです。

 ああ、それにしても、コゼットと別れる時の心と来たら!コゼットのいるテナルディエの宿屋と、これから行くモントルイュ・スュール・メールとの間で、心が二つに割けるかと!いやむしろ割けてしまったら、どれほどよかっただろう!そうすれば少なくとも、片方はコゼットのほうにいられたのに!

 ああ、もうすぐモントルイュ・スュール・メールにつく。そこで頑張って働いてお金を作って、すぐに迎えに行こう。半年もかからないだろう。いや絶対に半年のうちには迎えに行きましょう。私の愛しいコゼット。

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