第5話
化粧をしながら煙草を吸うのはずっと続いている癖の一つだ。下地からファンデーション、お粉をはたいた段階で、火を点ける。大体終わるまでに3本は消費する。煙草には集中力を高める効果があるという。そう、私はいつも集中している。自分の顔の造形にとても神経を遣っているのだ。
着替えてから向かった私はもう、既に40分の遅刻をしていた。佐伯さんに連絡をすると、店の外まで迎えに行く、との返信があり、ありがとうございます、とそれに返す。佐伯さんも三好さんも好みではないし、きっと何も起こらないだろう。高めのヒールがこつこつと地面を叩いて、駅前の雑踏に辟易とする。これを越えればただ酒だ、と自分を奮い立たせて、念のために安定剤を一錠飲んだ。一錠くらいなら唾液で飲み込める私を、ミカは「ミンティアみたいに服まないでよ」と笑うけれど、ミンティアとそう変わらない、と思う。
どこにいますか?喫煙所にいるよ。
喫煙所に行ってきょろきょろとあたりを見回したけれど、佐伯さんは見つからなかった。噴水のまえにギャング風の男、ホスト風の男、大学生の群れ、少し離れてサラリーマンが各々煙を吐いており、サラリーマンの中に佐伯さんの姿はない。そもそも、私は佐伯さんを判別できない、ということに気が付いた。派遣先の社員、三好さんではない方。佐伯さん単体での顔を思い浮かべること自体が困難で、ああ、困った。そうしているうちにギャング風の男が私に近づいてきたので、風俗のスカウトだろうかと思い目を伏せた。
「お姉さんお仕事は」
「探してないです」
「知ってます」
「…は?」
顔を上げて、息を飲んだ。にんまり笑っている顔が、私の知っているそれと重なる。
「レーイちゃん。さっきから見てたのに気づかないんだもん」
「すみません、私服、初めて見て…誰だかわかりませんでした」
「ああ、俺こんなんよ?レイちゃんは結構ギャルいんだねえ」
ミヨさんはもう酔ってるけどリナちゃんはさっき来たとこだし大丈夫よー、とへらりと行って、佐伯さんは私を連れて歩き出した。ハーフパンツにシルバーアクセサリー、開かれたグレーのパーカーの胸元で、キリストが逆さに吊るされていた。ギャング風の男と連れ立って歩くのは初めてで、店に着くまでの間だとしても、どぎまぎする。好みではない。佐伯さんを横目で見ながら、居酒屋に着いた。
三好さんは既に聞いた通り酔っていて、先輩の派遣レディである平田さんはそれを見て笑いながら、日本酒を飲んでいるところだった。
「あーレイちゃん」
「遅れてすみません」
「いーのいーの、まだ始めたばっかだよー」
レイちゃん日本酒呑む?と平田さんが言って、呑みます、と笑う。ビールと日本酒が私の手元に来たところで、乾杯、とへろへろの三好さんが言った。
「佐伯さんは飲まないんですね」
「俺は運転手。まあ飲めないんだけどね」
見た目と中身がよくわからなくなる。胃の中の安定剤を溶かすように、私はビールを一息で飲んだ。三好さんがリナさんに絡んでいて、リナさんが曖昧に笑っている。そのうちリナさんの隣に行きたいと三好さんが言い出したので、私の隣には佐伯さんが来ることになった。徐々にアルコールが血液に乗って全身を巡る。火照る感じに身を任せて、私は相槌を打つことに徹した。わかったのは、三好さんも佐伯さんも妻帯者で、子供がいるということ。佐伯さんは浮気がばれて離婚届を保留されている、ということだった。どんな女の子が好きなんですか?そりゃあ、巨乳でしょ。おっぱいだよおっぱい。私は口を尖らせる。じゃあ私はダメなんですねー。そうだねレイちゃんはちょっと…ボリュームが…。日本酒。日本酒。枝豆。佐伯さんがトイレに立った。ふらふらしている三好さんも一緒に。
「レイちゃんは佐伯さんのことどうなのよ」
「どうって、ん。でも私のことナシっぽくないですか」
平田さんが私のおちょこに冷酒を注ぐ。私も彼女に注ぐ。
「化学変化、みたいな」
「化学変化?」
「お互いに会ったことないタイプなんじゃない?」
きっとそうだ。彼の歴代の女の中に、私みたいな女はいなかっただろう。でも奥さんいるんでしょ、とリナさんが言った。不倫もありかな、となんとなく思った。だって、好みではないのだから。本気になることなんて、あるはずはないのだから。
二人がトイレから帰ってくると、佐伯さんは私の方に灰皿をずらした。それが、私のスイッチだった。
「佐伯さんは私みたいな女嫌いですか」
「なに!どうしたの?何があった!」
リナさんが曖昧に笑っている。平田さんが茶々を入れる。
「レイちゃんが佐伯くんとヤりたいんだって」
「ヤりたいとはまだ言ってないですよー」
日本酒、日本酒、豆腐枝豆日本酒、煙草。私はどうしても今日、佐伯さんとヤらなければいけない、と思った。別に好意はない。ただ、どうしようもなく、この人と、セックスをしてみたかった。しないと、私は生きている価値がないと思った。何としてでも、私はこの人と今日、セックスをする。
三好さんの呂律が怪しいのをきっかけに、カラオケに行こうという話になる。カラオケボックスに入って数曲聞くと、頼んだジントニックがお腹の中で日本酒と混ざり、軽い吐き気を覚えたのでトイレに立った。
トイレの前。佐伯さんと遭遇する。私は、佐伯さんのパーカーの袖を引っ張ると、彼の腰に腕を回した。
「レイちゃん。酔ってるね」
「佐伯さん。私のこと嫌いですか」
「嫌いなわけないでしょー」
「なら、キスしてください。今すぐ抱きしめてください。佐伯さん。」
私は、大抵の男性を見上げれば、上目遣いになる。あああもう、と佐伯さんが頭を掻きむしった。ぐ、と身障者用のトイレに押し込まれる。
「こんな可愛い子にそんなこと言われて嫌なわけねえだろ」
「私は、可愛いですか」
「かわいいよ」
「本当ですか」
「本当だよ」
キスをした。佐伯さんのキスは身体中がとろけてしまうように気持ちがよくて、私は、しがみついていた。これできっとこの人とヤレる。そう思った。理由なんてないのだ、ただ、この人とセックスがしてみたい。
二人で部屋へ戻ると、三好さんと平田さんが茶化した。私はカラオケが終わるまでの間、佐伯さんの足を、触っていた。
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