第7話
三好さんとリナさんを送り届けた後、私は佐伯さんの車の助手席にいた。信号待ちの間に、キスをして、手を繋いだ。
「普通こういう時、ホテル直行なんだろうけどさ」
「はい」
「例えば月曜、どんな顔して会えばいいのかとか考えない?」
「私は、おはようございます、って普通に言えますよ」
「そう、俺はドキドキしちゃうかも」
そう言いながら車は真っ直ぐにホテル街へと近付いていっていて、赤や黄色のネオンが禍々しく光っている。私を選んでよ、っていう顔をしているペットショップの高い熱帯魚みたいだ。溺れていく感じがするけれど、大丈夫、これ一回きりだろうから。二人がそれ以上会うことに、何のメリットも無いのだから。飲み会で酔った勢いでホテル行った、っていう、365日世界のどこでも起きている、ありふれた事象でしかない。
「ここでいい」
「どこでも。」
青いネオンのホテルの駐車場に入ると、それは本当に水槽をイメージして作られたホテルのようで、私が魚になった気分になった。アルコール臭い自分と、ウーロン茶しか飲んでいない彼。この人が何を考えているかとかは、どうだってよかった。私とセックスをするためにここへ来た。私を拒絶しなかった。その事実だけで充分じゃないか。
週末ということで部屋はぱらぱらと埋まっていて、ああ私なんか1番安い部屋でいいのに。私に一泊1万以上の価値なぞあるのだろうか。自己否定的な思いと微かに溶け残っているプライドと理性が、彼が部屋を決めるボタンを押す間、私の口を押し黙らせていた。この日見た光景を私はこの先忘れないだろう。いつか、何年先か、私の呪いが私を再び殺すまで。
部屋へ入ると佐伯さんは、上に着ていたパーカーを脱いだ。タンクトップ姿が私の脳内に鮮烈な衝撃を与えて、私は、息を飲むより先に、押し黙らせた口を動かしていた。
「墨、入ってるんですね」
「ああ、みんなには秘密な。」
しぃ、と人差し指をくちびるに当てる。
彼の二の腕から肩にかけて。そして、肩から背中一面、尾てい骨まで、彼だけの絵が、彼の肉体には描かれていた。だから、仕事中も長袖なのだ。そんなことを考えながら、サービスでフリーだったウィスキーをロックで舐める。
「何、入れてるんですか」
「まだ途中なんだよ。」
見る?と訊かれたので、頷くと、彼はタンクトップを脱ぎ捨てた。その姿は何処か優雅で、見惚れるしかなかった。
「…綺麗です」
「そう?」
彼がじり、と自分の煙草に火を付ける。セブンスターの匂いの中、私は彼の背中を食い入るように見つめていた。学生時代に行った、イタリアの教会でしたように。
「途中なのは、あと天使を入れるんですか?」
「そう、よく分かったね」
「一応、専門だったもので」
「そっか、大学出てんだもんな」
背中には幼子イエスを抱き上げたマリアがいた。そこに刻まれる祝福の言葉。あと描き足すならば、天使だろう。肩にはトライバル。そして、矢があった。
「…綺麗です。ほんとに。」
「はは、後輩に彫り師がいんだ。そいつに褒められたって言っとくよ」
彼が私の方を振り向くと、噛み付くように口付けをされた。舌の先から何か電撃みたいなものが走って、私はびくりと身体を揺らす。
「上、脱いでみな」
「えっ、と」
「早く。」
言われるままに羽織っていた薄手のカーディガンを脱ぐ。ワンピース1枚になった私を、佐伯さんは自分の足の上に乗せた。
「お前が上脱げねえ理由はこれだろ?」
「…はい。」
羞恥心と被虐心で言葉が詰まる。ああもう殺して欲しい。殺してくれないかな佐伯さん。ヤクザっぽいしめっちゃ殺してくれそうなんだけど。ってか絶対カタギに見えないんだけど。佐伯さんの指が私の腕をなぞる。ギロみたいになったガタガタの腕を。
「知ってたんですか」
「いや、脱がねえな、と思ってはいたけど。こういうのって普通手首にするもんじゃねえの?」
「手首は、見えちゃいますから」
「今俺に見られてんじゃん」
「こういう時しか、見られませんから。」
トライバルの入った腕が私のアームカットの痕を撫でる。
「気持ち悪い、ですか」
「別に?ただの傷だろ」
「見ただけで萎える、って人もいるんですよ」
「ああ、そうなの」
じゃあ俺はどうだろうね、そう言って、佐伯さんはもう片方の腕で私の手を取って、自分の下腹部に持って行った。硬くなりかけているそれの存在に、私は、濡れたみたいな溜息をつく。
「シャワー、浴びといで」
「はい」
そこからの記憶が殆ど無い。裸で二人でベッドに潜り込むと、佐伯さんは信じられないほどに丁寧な前戯をした。そして彼の性器が私の中に入った瞬間、私は世界を歪められてしまった、と思った。私の膣はこの人の性器を入れる為にあったのだ。そう何の疑いもなく思ってしまうほど、私の性器は、彼を喜びを讃えて受け入れていた。今までしてきたセックスなどすべてこの人の性器を入れるまでの誤魔化しまやかし練習だったのだと思った。あまりの気持ち良さに朦朧としながら喘いでいると、佐伯さんの気持ち良いな、という声が聞こえる。そして、彼は、嘘みたいな言葉を言った。
「首絞めていい?」
「は、い」
彼の腕は、私の頸動脈を確実に捉える。ビビりながらお遊びみたいに締めるのとは全然違う。なんでこの人あたしが首絞めフェチって知ってるんだろー、なんて思っていたら、彼はライオンみたいに私の首の後ろも掴んで、私はさながらひと息で捕らえられた子ウサギっていうところ。そして律動が終わってから、しばらく私たちは重なり合っていた。永遠みたいな瞬間だった。ずっと溶けることのない南極の氷みたいに、今も何処かで重なり合っているのではないかと思う。ここではない何処か、遠い美しいところで。
「…お前さ、めちゃくちゃにしてやりたくなるな。顔歪ませて、泣かせて、苦しませたくなる」
「私、マゾだから。オーラ出てんのかな」
「途中殺したくて仕方なかった」
彼の手が私の首に触れて、ぞくぞくとした感覚をおぼえながら、金原ひとみの登場人物みたい、と言った。俺はアマじゃないよ?そう返ってきて、違うよ、シバさんだよ、と返す。そうか、そうだよな。佐伯さんが笑っていて、私はどうにかなりそうになりながら、目を閉じた。相性いい、よな。佐伯さんが独り言のように言う。すごく。小さく返すと、彼の腕の中で眠り込んだ。私は彼の背中のマリアに祈っていた。聖母マリア、幼子を抱く聖母マリア。私は神を信じません。貴女が処女懐胎したなぞ信じるものですか。売春婦の子、イエスよ。どうか私に祝福を。ああ、我を憐れみたまえ。アーメン。
その日は、朝まで一緒にいた。
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