僕らVS隕石

 踏み出すたびに軋む足の音は、己の鼓動と息遣いで聞こえはしない。

空には相変わらず、月ほどの巨大な物体が僕を見下ろしている。それはまるで、焦げたハンバーグのように見えて、いったい何1000人、いや何1000万人分のおかずになるのだろうかという規模であった。

隕石は直径200mくらいの大きさでも、落ちれば億単位の死者が出るといわれている。1kmともなれば、地球を滅ぼすことはたやすい。過去に、おそらく恐竜絶滅の原因である、ユカタン半島に落ちた隕石の直径は約10kmとされているが、上空でゆうゆうと見下ろしているのは、まさにそれだった。冗談ではない。

以前からテレビでは隕石問題についての特集が度々見られ、胡散臭い編集に、預言者を名乗る人物まで出てきたものだから、誰も信じてはいないだろうと思っていた。

どうせノストラダムスの大予言みたいなものだ、アルマゲドンじゃあるまいし、同じ轍は踏まないよと。それがどうだ、この状況は。ブルース・ウィリスもマイケル・クラーク・ダンカンも助けちゃくれないぜ? 続編だって作れやしない。

そんなことを考えながら、僕は喫茶店の角を勢い良く曲がった。


 「どうして、バッドエンドなんかあるんだ」

伊勢君はとても不満そうな顔で言う。

店内は清潔感があり、適温に保たれた空間に控えめなジャズが心地よい。客はまばらで、それぞれ、会話や読書を楽しんでいる。

「そりゃ......一定の需要があるからじゃないのか?」

巨大なカツサンドを一切れ掴み、少しづつ咀嚼していく。サングラスを弄びながら伊勢君は熱弁する。

「さっきみた映画もそうだ。エベレストに登頂した結果、生還したのは一部の人間だけ。中には家族や恋人がいる者もいただろう! 大金を支払い、準備に多くの時間をかけたのにあっけなく死んでいくんだ......最後は全員生還しました! バンザイ! でよかったんじゃないのか?」

「元が実話だから仕方ないよ」

しまった。カツサンドが多すぎた。皿には半分ほど残っている。たいしたことはないと高を括っていたが、なるほど噂に違わぬ大きさであった。若い頃なら余裕で食えただろうと思いつつ、ゆっくりと手に持つカツサンドを皿に戻す。

「なぜ山に登るのか? 登れるからだ......いや、登るだけじゃダメなんだ、きちんと下山しないとさ」

「ところで、どうしてバッドエンドが嫌いなんだ?」

残したカツサンドを伊勢君が指差す。もう食べないのか? 俺が食ってやるよと目で訴えている。皿を彼の方へ押しつけると、子供のように嬉しそうな顔で食べ始めた。

「そりゃあ......気分が悪いからな。せっかく映画を楽しみに来たのに、最悪の気分で帰るなんて嫌だろ? それがいいなんてよっぽどのマゾだぜ」

「僕はバッドエンドでも、内容がよければそれでいいけどなぁ」

向こうの席にスーツを着た男と、まるでブロッケンJr.のような体格の男が座ったのが見えた。スーツの男はやたらとペコペコと頭を下げており、ブロッケンJr.も遠慮しがちな様子だった。その珍しい組み合わせに、ついつい目線がそちらへおもむく。

「100歩譲って、ホラー映画ならそれでいいかもしれない。むしろその方がいい。しかし、今回は違うだろ?」

「そうだな。所詮、人間は自然にとってちっぽけなもんだったってことだろう。それを伝えたかったのさ」

向こうの席を見ながら、適当に僕は言う。

「さっきから何を見ているんだ? とんでもない美人でもいるのか?」

伊勢君も同じ方向を向く。しかし、呆れた顔で再びこちらを見る。

「おいおい、どんな美女に見惚れているのかと思えば! サラリーマンとテリーマンがいるだけじゃないか。なぜあの超人タッグを見ていたんだ?」

サラリーマンは超人ではないと言いたかったが、不毛な会話になりそうだったのでやめた。

唐突にスーツの男が頭を下げる。テーブルに額を擦りつけるようにしており、とてつもなく誠意が感じられた。何かやらかしてしまったのだろうか。はたまた、残虐超人の魔の手から救ってもらったのだろうかと考える。

「よく分からない組み合わせだな。きっとあのサラリーマンが足を引っ張り、それを助けようとしたテリーマンまでピンチになるという展開になるな」

素っ頓狂なことを言う伊勢君を尻目に、超人タッグの観戦を続ける。すると、スーツの男が号泣し始めた。何か酷いことでも言われたのだろうか。周囲の客も、一時的にそちらの方を見やる。若いウェイトレスのお姉さんがパタパタとやってきて、ハンカチを渡す。スーツの男は、そのハンカチで鼻をかんでいた。

「さて、そろそろ散歩にでも行こうか。冬の夜の散歩ってのもいいもんだ! さぁ、行こうぜ」

もう少しあの異色コンビを見ていたかったが、伊勢君に急かされてしまったので、立ち退きざるをえなかった。そして外に出ると、その寒さに後悔をしながら歩き始めた。


 ようやく病院の入り口が見えてきた。それで安心したのか、足の力が抜け、躓きそうになる。あともう少しだ、頑張れ。

自動ドアからちょうど人が出てきたところで停止していたため、すんなりと中に入ることができた。分娩室はどこにあるのだろうか。フロアマップを探すと、どうやら2階にあることが分かる。

エレベーターは使えないため、階段を使うしかない。きつい、辛い、吐きそう、それらの感情が一気に押し寄せてくる。しかし妻は自分より遥かに苦しんでいるのだろうと考えると、足は限界を超えて動きだす。

階段を登りきり、分娩室と表記された札を見つける。あった、きっとあそこだ。中に入ると、分娩台に乗せられた妻と、生まれたばかりの赤ん坊が抱かれており、周囲には助産師や看護師、先生が祝福している様子だった。しかし、いまだに時は止まったままである。いつ動きだすのだ。僕は周囲の人を押し退け、妻の肩に手を添える。

「おい! しっかりしろ! 大丈夫か? 動いてくれ!」

妻に必死に呼びかける。

「ああ、僕。ほら、生まれたよ。見て」

「え?」

突如、時間は動きだす。音と動きが戻り、その喧騒に、静寂に慣れた耳が痛くなる。「いつの間に来たんですか?」と先生が言う。そうだ、隕石だ、妻と子供に伝えなければ。

「子供は、天からの贈り物、真冬に咲くバラだ。お前は、庭いっぱいに咲いたバラの花だ」

とっさに出た言葉がこれだ。なぜだか、これしか思いつかなかったのだ。

「なに、急にブルース・ウィリスみたいな事言いだして......それより見て、この子。何か持って生まれてきたのよ」

新生児の小さな小さな手には、四角い形をした白色の物体が握り込まれていた。

「それは、まさか......」

妻はきょとんとした顔で僕を見る。

「信じられないわよね。まるで、神様からのプレゼントみたい」

僕の考えが正しければ、人類の危機は回避できるかもしれない。妻の手を労わるように、力を込めて握る。

「頼む、僕の言うことを聞いて欲しい。大事なことなんだ」

「なに?」

「その小さな手に握られたスイッチを押して欲しいんだ。理由は聞かず、ただ僕を信じて欲しい。お願いだ」

妻の目をしっかりと見て、僕は言う。

「この世の終わりじゃなきゃ、あなたとは組まない」

妻はいたずらをするような微笑みで言った。

「そうだよ。世界の終わりなんだ。だから、この『スイッチ』を押そう、3人で、一緒に」

「うん、いいよ。そこまで言うなら、信じてあげるわ」


外界の音は人々の悲鳴やクラクションでいっぱいになり、隕石の接近により、ガタガタと窓が震え、飾られた花瓶が地面に落ちて砕け散る。


せーのという掛け声を合図に、僕たちはスイッチを押した。


すると、上空の超巨大ハンバーグは、巨人が丸呑みしたかのように姿を消した。

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