神様スイッチボックス

葦元狐雪

牛乳

 母は振り返ると、僕に対してこう言った。


「ちょっと牛乳買ってきてくれない?」


思わず手から離れたクッキーは、無惨に砕けた。


夜は、寒いから外へ出るのは苦手だ、と、古市勘太郎ふるいちかんたろうは、不満をこぼしながら、玄関の扉を開いた。


 玄関から外へ出ると、冬の厳しさを知らしめるように、冷気が身体中を駆け巡る。空を見上げると、チラチラと星が瞬き、月の光に負けまいと、一所懸命に輝いている。


 母、古市晶子ふるいちあきこの、急遽「牛乳」を買ってきてほしい、という「お願い」を、勘太郎は断ることができなかった。それは、断ると、後々面倒なことになると身に染みて知っているからである。


 過去に一度、晶子の「お願い」を断ったことがあったが、その時は、晩御飯に出されたものは、全て緑色になるという事態が発生したのだ。しかも、それは半月も続いた。


 また、お目当ての牛乳は、スーパーにも、コンビニエンスストアにも取り扱っていないもので、自宅から、徒歩10分ほどの場所にある。


 歩くたびに吐き出される、湯気のような白い息は、見るたびに、冬であることを実感させられる。冬だけに許された特別な権利だと考えている勘太郎は、わざとらしく、暖かな息を吐く。


 勘太郎は、「牛乳専門自動販売機」までたどり着くと、財布から、320円を取り出し、硬貨専用投入口へと、手を伸ばす。


 「牛乳のくせに、高すぎるんだよな。」


 その呟きに応えるかのように、硬貨を飲んだ自動販売機は、牛の鳴き声を鳴らす。


 取り出し口から、「コトン」という、まるで飲みきったペットボトルのような軽々しい音がした。


 「おかしいな。いつもはビンだから重い音がするはずなのに...牛乳じゃなかったら、業者に連絡しなければならないじゃないか。」


 そう思いながら、取り出し口に手を突っ込む。しかし、その手に触れた物は、あきらかに牛乳ではなかった。


 それは硬く、角ばっていた。


 勘太郎はその「牛乳ではないもの」を取り出すと、蛾の集った街灯にかざし、観察してみる。光のまぶしさから、思わず目を細めてしまう。


 それは、正方形をしており、白色で、面の1つに、赤色のボタンらしき物体が、ちょこんと取り付けられている。


 様々な角度で観察するも、正方形の箱には、小さなボタンらしきものが取り付けられていること以外、変わった所はない。


 「どうして、自動販売機からボタンが出てくるのか......新手のテロだったらどうしよう」


 先日のニュースで、とある国で、大規模なテロが発生したことを思い出す。


 勘太郎の心内は、不安と好奇心がでミックスされていたが、5分ほど悩んだ末、最終的に好奇心が勝った。


「押したら死ぬかもしれない......でもさ、『押してはいけない』と思えば思うほど押してみたくなるのが人間なんだよね。違うかい?」


 スイッチを、人差し指で強く、押した。



 勘太郎は、玄関を開く。

両手が使えないため、靴は、無造作に投げ捨てるしかない。リビングへの扉を開き、勘太郎は、晶子にたった今帰ったことを報告する。


 「あら、勘太郎、おかえりなさい。随分と、可愛いお土産を持って帰ってきたのね。」


 晶子は、一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに優しく微笑んだ。


 勘太郎は困ったように笑うと、彼の腕に抱えられた猫は愛らしく鳴いた。

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