第9話 ファイナルファンタジー8
「初めて店でコーヒーを飲んだわ。いままでミルクティーばっかりやった」
「あんな店があるんだね。問いかけみたいなのしてくるなんて魔女みたい」と僕は言った。
「そうや。言った通りやろ」
彼女は僕の背を叩いた。
「また魔女が出てこないとあかん。あんた魔女だしてくれるか?」
「もう店には行きたくない」
「透明な氷やったら触れられるかもしれん。めっちゃ喉が渇いてたら、持てるかもしれん。今度は手で持って飲めるかもしれへんで」
公園から家まであと少しだった。肩と腕と手の疲れに集中しないように、意識をぼんやりとさせて、体力を保たせた。
「また行くのか……」
「やっぱりどっちでもええよ」
「どっちだよ……」
「やってから分かるねん。持ったら、持てると思う。持つまでは喉が渇いてなあかんやろ。で、思わずとる。そういう勢いやねん。あんたにおんぶされてるのも、勢いやねん。ほんまに、あんたにも触れなかった。でも、遊園地行くねんなーっていう」
「足に乗るのも?」
「椅子より太腿しかない、勢いや」
「コーヒーも、喉渇いてた勢いだと」
「そう」
彼女の家の前に辿り着いた。汗はひいていた。すっかり日が暮れていた。
「ピンポン、押せるか?」
彼女は黙ったままだった。
僕が押した。リビングまで行く。「ほんと、ごめんなさいねぇ」と、彼女の母が言った。
帰りに、チョコパイやアイスミルクティーをごちそうになった。
そこで、氷の話をした。
「お父さんは、ウイスキーか何かを飲まれるんですか?」
「何年も前からお酒やめてるから……それにウイスキーなんて飲んでたかしら」
「……」
「たぶん、〈お父さんが氷を使ってたから〉と言いながら、嘘だと気づいたんじゃないかしら。でも最初は嘘じゃなかった。本気だった。自分の目の前に、お父さんがウイスキーを飲んでいる光景が目の前に浮かんだと思う。だからそれを言い通した……本気の嘘をついたんやねぇ……あの子」
彼女の母の言葉をなぞるように僕は「本気の嘘……」とつぶやいた。
両親の姿が浮かびそうになっては消した。引き戸の向こうの自室で、彼女は眠っていた。僕と同じくらいかそれ以上に、彼女も色々と戦っていたのかもしれない。わがままなのに、疲れているとは一言も漏らさなかった。
きっとそういうルールなのだろう。
■
背中が軽かった。今日一日でだいぶ鍛えられた気分だった。
彼女が歩道に立てる日はいつだろう。靴を履くところ、靴下を履くところから始まって何年後だろう。裸足の生活は何年続くだろう。
「なんで歩けてると思う? 横断歩道の白い部分だけ歩いてたやろ。で、黒い部分だけ歩く飛び方をしてみてん。そのうち、めんどくさくなって、信号を渡れるようになったわけ。ようは勢いやな」
疲れた思考に彼女の言葉がとびとびに浮かんだ。
喫茶店から帰る黄昏の中、
「自由帳の魔女のことやねんけど」
「うん」
「あれなぁ、今さっき思い出したで」
「なんだそれ」
「いや、今度の新しいやつで」
「ああ、ファイナルファンタジー8ね」
僕は淡白に頷いた。
「あんた、よう知ってるなぁ……」
と、彼女は僕の頭を何度か叩いた。結構な回数で、痛かった。頬をぶった仕返しかな、と思った。
■
今日も彼女の家に行った。部屋には入れさせてもらえなかったが、数センチしかない引き戸の隙間から自由帳のやりとりをする。って、ファイナルファンタジー8やらせてよ!
「したかったら、隙間から見ててや」
「いや、無理! 数センチもないよ。せまっ」
自由帳を開くと、村を滅ぼしたのは魔女で、あがりのコマに、ファイナルファンタジー8に続くとあった。
8は魔女を巡る物語だった。時間を圧縮して遥か未来に存在する魔女のアルティミシアが、魔女が迫害されてきたこの世界をすべて否定するため、自分が思うがままの世界にするため、全ての時代に生きる魔女を取り込もうとするが、魔女討伐の使命を背負う主人公に倒される。最後の戦いが大詰めになり、魔女がいよいよ死んでいく時、奇妙な台詞を残すという。
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