第2話 一日一時間

 対戦ゲームをしている時、彼女は負けそうになると途轍もなく不機嫌になった。実際に負けるとゲームの電源を切った。もしくは暴れて物を壊した。気が済んだらこちらも見ずに画面に向かってニヤッと笑ったりする。結局、対戦では引き分けか負けるしかないという理不尽な目に遭うので、誘いは断りたいところだが……ゲームをしたい誘惑には勝てない。


「おう、すぐ行くわ!」

 ああ、返答してしまった……。しかも我ながら驚くほどイキイキして。


 彼女は七階に住んでいた。僕は同じマンションの六階だった。移動所用時間はわずか一分だった。

 そして怒りを通り過ぎ、呆れるを通り越し、ありのままを受け入れるしかないのだが、ゲーム機と共にいるはずのリビングに彼女の姿はなかった。


「は?」


 昨日のサヨナラゲームを消したりしておいて、仲直りでもするのかと家に行けばこの仕打ちかよ。


 彼女の部屋をノックすると「私がええで~って言うまでそこにおっといて」と言われた。引きこもるために作られた、つっかえ棒で少ししか開かない手作りの引き戸越しに、

「おい」

「……」

 引き戸の向こうから彼女の返事はない。

「おい。おーい。なぜ。なぜなんだ」

「……」

「ほっといてゲームしてるで」と僕はテレビの下の棚を見た。スーパーファミコンのあるべきところに……ない。行動が先読みされていて、思わず舌打ちした。


 彼女の母にアイスミルクティーを作ってもらい、二人でテレビを見ながら待った。先日起こった大韓航空機八〇一便の飛行機墜落のニュースが流れたが、すぐに話題は切り替わった。神戸の少年のニュースだった。この話題はいつまで続くのだろうと思った。僕はぎこちない敬語で両親の話をした。彼女の母もだいぶ気を遣っているのがわかった。


「いつも遊んでくれてありがとうねぇ。もう本当に宿題もせずにゲームばっかりで、わがままで……」


 どう返事してよいものか困っていると、「あの子、あなたのことが本当に大好きなのよ。今からでもお嫁さんに、はやく行って欲しいくらい」

 僕は愛想笑いをして、更に返答できずにいた。この場に父親とかいたら、ドラマや漫画にあるような、娘に手を出したらただじゃおかん的な顔をするんだろうな。

 それから僕は両親を思い出し、目が眩んだ。彼女の母、父、自分の両親と連想していくうちに、呼吸をするのを忘れていた。ため息に気がつかれないように、静かに大きく息を吸った。

 彼女の父の姿は見たことがなかった。どこかの会社の社長だった。彼女の母は良家の娘で、笑顔の絶えない人で、話し上手だった。

 彼女は徹底して甘やかされて育ったのだ。ゲームもたくさん買ってもらっている。

 僕の両親は……普通だった。僕の血は普通なんだ。特別な血ではない。たぶん何の才能もない。ゲームを遥かに僕よりしているはずの彼女のほうが、成績は上だった。


 塾も通ってないのに、ゲームが一日一時間と制限もされてないのに。


 僕の父は福祉関係の団体職員で、糖尿病で痩せ細って、ぼそぼそとしか声が出せない。何のために生きているかも、生きている理由も考えたこともないような人だ。母は……ただの母だった。この二人は、僕が勝手に死んだことにした。両親は死んだ。僕はそれを信じた。今の義理の両親は……また福祉関係の団体職員で事務の日々を過ごす頬の痩けた男と、何の特徴も血統もない女だった。僕の中では死んでしまった両親が、僕の世話をしてくれていた。結局、僕は何でもない。何でもないんだ。


 こうしてゲームしに遊びに来て、良家で過ごしていると、自分が特別な家の中に迎え入れられた、物語の主人公になれた気がした。実は、彼女の両親と僕は血が繋がっていたりする……とも時々考えたりした。

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