魔女とアイスコーヒー
猿川西瓜
第1話 プール
プールから帰った僕らはまっさきにテレビの前へ行き、ゲームの電源を入れた。エアコンでヒンヤリとしたカーペットに正座した。お互い、塩素の匂いがまだ体に残っていた。
ゲームに夢中になると、セミの声が聞こえなくなった。
実況パワフルプロ野球。1997年、東京ドーム、プロ野球オールスター戦。
点数は0―0。
9回裏、2アウト。
打席には巨人、清原。カウントは2ストライク3ボール。
伊良部のフォークボールを強振がとらえた。
センターを越え、バックスクリーンへ一直線。
『ドカーン、入ったー! ホームラン! 文句なしっ!』と機械音声の実況が叫んだ。
―――テレビ画面が暗転した。
ゲームのコントローラーがブラウン管にぶつかって、明後日の方向へ飛んでいった。スーパーファミコンの本体を、彼女はやけくそにひっくり返した。機体はくるんと一回転して元通り着地した。
僕は彼女に、
「それはない! うーわ、それはない!」
と何度も叩き付けるように言った。
せっかく勝った試合が台無しだ。女だから、グーで殴るわけにもいかず、怒鳴るしかなかった。
彼女は真っ黒なテレビ画面を不機嫌そうに見つめていた。僕のほうを見ようとしないのは、少しは悪いことをしたと思っているからだろうか。
「今の試合は無しな」と彼女は再びゲーム機の電源を入れた。
「ふっざけんなよ……お前」
僕は彼女の白い頬を睨んだ。彼女はわざと画面を凝視したままだ。血が上った頭を理性で冷やそうとした。カーテンの隙間から差し込んだ夕陽が後頭部にあたっていて熱い。
「うっさい、知らんわ」吐き捨てるように言われた。
ゲームのオープニングが空々しく流れていた。
「やってられない……帰る……」
僕はコントローラーを放り出した。鞄を手に、予定よりだいぶ早く塾へ向かった。
翌日、家に電話がかかってきた。彼女からだった。
「ゲームしに来いやー」
受話器越しに上機嫌な声が聞こえた。
昨日のことなんてなかったかのようだ。彼女の声が半笑いだったのは、自分のしたことを反省しない図々しさをわかってのことか。いや違う。「お前で遊んでやるわ」という、ただの嘲笑だ。
僕の家では「ゲームは一日一時間」と決まっていた。彼女の家は二十四時間やりたい放題だ。しかも、おやつとしてチョコパイやホットケーキやフルーツサンドが食べ放題で出た。飲み物はアイスミルクティー、アイスコーヒー、バナナジュースが飲み放題で出た。
学校が終わると毎日のように彼女の家に寄って帰った。帰るのが遅くなりすぎて、親が迎えに来たこともあった。「いつもご迷惑をおかけして申し訳ありません」と、母は頭を下げた。僕は悪いことをしたとも何とも思わなかった。「関係ない」と言って僕は謝る母を横目に先に帰宅した。
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