最終話 陽子が魔女を倒すまで


  思い出したことがあるかい 子供の頃を

  その感触 そのときの言葉 そのときの気持ち 

  大人になっていくにつれ 何かを残して 何かを捨てていくのだろう

  時間は待ってはくれない にぎりしめても ひらいたと同時に離れていく

  そして……



 ここで魔女は息絶える。

 ゲーム攻略情報が載っている雑誌を僕はすでに入手していたため、先に物語の顛末は知っていた。彼女は魔女が出てくる程度しか知らない。いつも攻略本なしで挑戦する。

 彼女はこのゲームを何十時間とかけてクリアするとき、魔女の死ぬ間際の台詞を目にする。どんな風な感想を持つのだろうか。喫茶店のときと違い、すぐに彼女の姿が頭の中に浮かんだ。

 彼女は無言でテレビ画面を凝視して、何を考えているのかわからないが、ただニヤッと笑う。


「おい」

「……」

 僕が話しかけても返事はなかった。

 僕はチョコパイを食べながら「絶対ファイナルファンタジー8、クリアしろよ」と言った。

 部屋の中から氷をかき混ぜる音がした。

「アイスコーヒーやで」

 戸の隙間から、コーヒーの水滴をかけられた。

「もう陽子ったら……ごめんなさいねぇ」

「陽子……」

 追うようにつぶやいた。

 陽子の母がひそひそ声で、「陽子、今からゲーム始めるから、外に出てこないわよ。用事とか塾とか他にあるなら、お家帰ってもいいよ。高校受験でしょ。陽子には言っておくから」

 僕は「ありがとうございます」と返事して、何度か戸を叩いた。

「なにー?」と、彼女が戸の隙間から僕を見た。

「主人公の名前、何にした?」

「まだ決めてへんよ」

「じゃあ、陽子にすればいい。ようこ、夕陽の陽だろ」

「嫌やわ、なんで自分の名前にすんねん。殴んぞ」

 強く反発されたが、僕は臆さなかった。

「だって魔女に会うんだろ。僕の代わりに会ってくれ。本気だしてくれ」

「何言うてんねん。魔女に会うんは自由帳RPGからの主人公のあんたやん」

 僕は一瞬、自分の言葉が浮かばなかった。

 僕が主人公かよ……。

「そう…。じゃ、僕の名前にして」適当な相槌だった。

 すると、閉ざされた引き戸がいきなり開いた。

「というかあんたの名前、なんやったっけ?」

 水色のTシャツではなく、ひらひらした紺のワンピースを着ていた。驚いて何も言えなかった。

 うわ、開けた……。

 これが勢い。そうかもしれない。

「名前なんやねん」

 思わず自分の名前を言った。新調された服に、僕は呆然となってしまい、続けて言葉が出なかった。

「そっかー」

 彼女は何も聞かなかったようにスーッと戸をそのまま閉めて、ゲームを始めたらしかった。引き戸を開けようとすると、つっかえ棒でびくともしない。仕方ない。

 僕はリビングに戻り、陽子の母に「すみません。僕もアイスコーヒーをお願いしてもいいですか?」と言った。僕の名前で陽子が魔女を倒すまで、待つことにした。

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魔女とアイスコーヒー 猿川西瓜 @cube3d

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