第5話 同級生をおんぶして行く
原因や関連なんてないのだ。ただ、そうだからそうなのだとしかいえないものだった。
リビングで一時間ほど話し合いが続いた。その間、何杯も僕はアイスミルクティーをおかわりした。飲みほしては「すみません」と言った。
話の内容は、彼女がとにかく遊園地に行きたいと言って聞かない。でも、地面に足を着けることができない。なので、おんぶしていかねばならない。だが、母親には長いことおんぶするのは無理だ。父親は? 彼女は、父親にはなぜか触れることができない。僕ならおんぶされてもいいという。彼女の母と僕とで一緒に行くかとなると、彼女はそれは嫌だという。ついて来るなと怒る。遊園地に連れて行ってくれるまでご飯を食べないという。お腹がどれだけすいてもゲームをして紛らわせている。断食二日目だけど、さすがに心配になってきて彼女の母親のほうからギブアップしてしまった。
どうか、大変ご迷惑をおかけいたしますが、娘をおんぶして遊園地に行ってくださいとのことだった。良家の女が頭を下げている。そしてその血をひく娘をおんぶするのだ。これは、僕が得ようとしていた何かなんじゃないか。嫌そうにしつつも、胸がうずいてじんわりした。義母は、息子がいつもお世話になっておりますのでと、もっと深々とお辞儀していたが、親を気取るな、僕は選ばれたのだと心の中で毒づいた。
――そして、彼女の体重がとても軽かったことを、はじめて知った。
遊園地に到着してから、自分の汗の量に気が付いた。ズボンがべったりと太腿に張り付いている。彼女からはまだせっけんの香りがした。鼻から意識的に僕は吸い込んでいた。ベンチ、花壇、電車のシート……彼女が「地面」と認識していない所で休憩を挟みながら、なんとか遊園地までたどり着いた。
入場ゲートで翼の生えたネコの着ぐるみから風船を渡された。地面を歩こうとしないのに、ひもを触ることはできるんだなと思った。彼女はマスコットが触ったところから微妙にずらして握っていた。僕の背の上で、更に風船をせがんだ。通常一人一つまでらしいが、しぶると叫びだした。僕からも「よろしくお願いします。もう一つください。どうしても必要なんです」と頼み込んで、結局十個の風船を手に入れた。
ベンチの上で、休んだ。白いベンチで彼女は汗も拭かずに仁王立ちしていた。彼女の着ている水色のTシャツとジーパンのところどころが墨を流したように濡れていた。彼女の裸足の指が、頼りなく細かったのが印象的だった。
生温かくても風が吹くたび僕は助かった思いがした。わずかな涼みも全身に行き渡る心地がした。僕は三本目のポカリスエットを空にした。
「遊園地、来たことあるん?」
「ない」と僕は素っ気なく返事した。彼女に何か気にさわることを言うと壊れたり爆発したりしそうだった。ふと、何年か前に遊んだ実況パワフルプロ野球での、清原のライナー性のあのホームランを思い出した。強振がボールを捉えたとき、実況が「ドカーン」と言ったのだ。あの時が、まだ昨日のことのようだった。それくらい、彼女はそのままだった。
――まさか初めての遊園地が、同級生をおんぶして行くなんてありえないなぁ。
僕は心の中で呟いて、前を向いたままため息をついた。
「なんで行ったことないん」
「連れて行ってくれる人、いないから」
すると彼女が急にふさぎ込んだ……と思う。
「そっかー」と、無言の時間が長かった。
またおんぶして歩いた。背中の感触で僕は彼女の行動や感情を受け取っていた。肩に手がかかっている感触が一つなくなっていた。彼女は片腕を服の中へと隠していた。
腕を無くした人の真似らしい。手すりとか人混みとか、触ってはいけないものの多い場所だと、そうして手のない人間が歩いている高揚感にひたって、乗り切るのだった。みんな手のない子だと思うだろう。これでテンションをあげて、勢いをつけるらしい。風船のひもが、引っ込んだ手の袖から伸びていた。
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