エピローグ 後
十一月十九日。昨日と同じ、冷たい風が吹く。
私が押すベビーカーですやすや寝息を立てる息子を見て、この子が生まれた日の不思議な出来事を思い出した。
去年、私が二十五歳のときのことだ。
目を覚ますと、白い天井が視界に入ってくる。私が寝ていたのは、病院の一室だった。
そして、とても懐かしい感覚。
高校二年生のある時期、私は突然よみがえった前世の記憶に悩まされていた。
月守風呼という女の子が、私の前世だった。
最後に見たのは、クラスで孤立する月守風呼が担任の先生に心配される記憶だ。それから約九年間、そんな不思議な現象とはまったく縁がなくなっていた。
しかし、月守風呼の記憶とシロちゃんの正体に悩まされた日々は、今も鮮烈に覚えている。人生の中で一番印象深い数日間だった。
自分の運命は自分で決める。
私は前世のわたしに、そんな生き方を教わった。
今回よみがえってきた記憶の内容は、九年前にも見た、とある途切れた記憶の続きだった。
月守風呼が、シロちゃんこと
しかし、高校生のときに一度よみがえったその記憶では、シロちゃんの台詞の途中で、記憶が途切れてしまっていた。
「そうだ! 二人の――」
その先が気になったけれど、結局わからないまま今まできてしまっていた。それどころか、そんな疑問があったことすら忘れていた。
なぜ九年も経ってから、そんな記憶が二十五歳の私によみがえってきたのか。当時、入院中だった私の状態と、記憶の内容を知ってみれば、納得のいく出来事だった。
その内容はこうだ。
月守風呼とシロちゃんが、お互いの想いを確かめ合ったあとに、シロちゃんがこう言ったのだ。
「そうだ! 二人の子供が生まれたら、
すでに子供の名前を考える中学生カップル。はたから見れば微笑ましくも恥ずかしいだけの風景。しかし、二人は本気だった。本気で将来を誓い合っていたがゆえに、引き裂かれたときの喪失感は大きかっただろう。
そして、この記憶のよみがえったタイミング。月守風呼が、生まれ変わった私に対して、メッセージを残したことは明白だった。
息子の誕生の前日に、この記憶がよみがえってきたことが、何よりの証拠である。
その翌日のこと。
「琴葉!」
病室の扉を勢いよく開いた夫に対して、私は言った。
「ああ、ごめんね。この子の名前、あなたと色々考えてたけど、全然違うところから決めちゃったの」
「違うところ?」
生まれたばかりの息子を抱いた私を見て、彼も安心したようだ。
「うん。ずっと遠いところ。私たちがいくら手を伸ばしても、届かない場所」
「なんだかよくわからないな。で、その名前ってのはどうなったんだ?」
「風舞。この子の名前は、
「琴葉?」
「ああ、ごめん。何?」
夫である弓槻
「いや、ずいぶんボーっとしてるなと思ってな。いつも以上に」
「いつも以上には余計です」
私はぷくっと頬を膨らませる。
「相変わらず仲がよろしいことで」
架流とは反対側を歩く、
ちなみに、架流も大学を卒業してからは、嶺明高校の数学教師として働いている。教師になると聞いたときは意外だと思ったけど、生徒からの評判はいいようだ。
「榮槇先生、この人ったら、高校生のときから全然変わってないんですよ。真顔で冗談は言うし、コーヒーには砂糖とミルクを入れすぎるし……」
「このやり取りも毎年聞いてるな」
微笑ましい目で見られてしまった。年をとって大人になっても、榮槇先生からすれば、私たちはずっと生徒なのだろう。
「それで? ボーっとして、何を考えてたんだ?」
「ちょっと去年の、風舞が生まれたときのことを思い出してね」
「そうか。風舞くんは、風呼に会うのは初めてだっけ」
「そうなんです」
私と、夫の弓槻架流、そして榮槇華舞先生の三人は、黙って目的地へと歩を進めた。ときおり、線香の香りが漂ってくる。
月守風呼のお墓に到着する。今日は、彼女の命日だった。
ベビーカーに収まっている風舞が、そのタイミングで目を覚ました。
「うあー、あぁー」
「はいはい。ああ、起きちゃったかぁ」
私はしゃがみ込んで、風舞に哺乳瓶をくわえさせる。
「風舞にはね、ママとパパが二人ずついるの」
私は、愛しい息子の頭をゆっくりと撫でながら言った。まだ言葉が理解できない一歳の男の子は、哺乳瓶を大事そうに抱えて、見慣れない景色を不思議そうに観察している。
「パパと私とは別に、名前を付けてくれたパパとママがいてね。そのパパがこの榮槇先生」
「やあ、風舞くん。もう僕のことは覚えてくれた?」
榮槇先生がしゃがんで風舞と目線を合わせると、風舞はキャッキャッと笑った。
風舞は榮槇先生と何度か会っているが、彼の顔を見ると、決まって嬉しそうに笑うのだ。私はそのたび、ほんのちょっとだけ嫉妬する。
「それでね、ママはこの下にいるんだ」私は月守風呼の墓を見て言った。「でもときどき、風になって会いに来てくれるんだよ」
墓石を掃除し、花と水を供えて線香をあげた。私たちは目をつむって手を合わせる。
そうして、三人で拝んでいるときだった。
近くで突然風が吹いて、落ち葉が宙に浮いた。舞い上がった色とりどりの枯れ葉は、その場でくるくると回転する。
風舞はそれを見て、またキャッキャッと笑った。
風が呼んだ記憶 蒼山皆水 @aoyama
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