第7話 カフェしろがね

『商店街一奇妙な店……』


 あれから季節はいくつか過ぎ、この街も最近の流行に便乗し、どこもかしこもオレンジ色のカボチャを飾り付けていた。

 ポスターはいまだに完成していない。

 バタンとノートパソコンが閉じられた。フタを閉じたのは、怒り心頭と言った顔のかすみだった。


「……何すんだよ?」

「だからその奇妙なって言葉をやめてよ!」

「正しいだろ!こんな箱置いてある奇妙な店がどこにあるんだよ!店長は仕事しないし!」

「別に忙しくない時間に限定してるんだからいいでしょうよ!」

「良くないよ!なんで金取らないんだよ!」

「そんな事したら学生が来なくなっちゃうでしょうが!」

「学生無料でいいだろ!」

「学生以外なんて一人か二人くらいしか来た事ないもん!」


 東がこうしてかすみと仲良く喧嘩をしていられるのは、あの箱のお陰も多分にあるだろう。

 人気は少しずつ出ていて、相談は常に抽選で順番を決めている状態だ。売上も客層が増えた事で多少上がっている。

 でも、翠はその相談については一切金を取ろうともせず、それを続けていた。


「今日の人、長くないか?」

「うーん。仕方ないんじゃないかな?」


 仕方ないって誰なんだ。相談者は女性が圧倒的に多いので、管理は基本的に翠とかすみがしている。

 東が目を離しているうちに誰かが入ろうものなら、中の人物がトイレに立ったり、返ったりした時に見る以外、把握できたものではない。


「知ってる人が入ってるの?」

「うん、薗田先生」

「え?」


 十も年下の女の子を泣かせておいてよくもまぁ相談なんてしにきたもんだ。

 なんて、薗田先生が交際を断るのは本人の自由に過ぎず、東の知るところではないのだが。


「そ、相談の内容は?」

「秘密厳守に決まってんでしょ。裕理可愛いし、今更惜しくなったんじゃないかな?でも裕理は今大学であの小山内に告られて心揺れてるから、薗田の入る余地なんて無いけどね。無様なり薗田!」


 嫌な笑みだ。我が最愛の相手ながら性格悪いなぁ、と東は思わざるを得なかった。

 ボスンという音とともに、薗田先生だけが相談席と書かれた箱から出てきた。


「おかみさん、会計宜しく」


 薗田先生が爽やかな態度でかすみを冷やかした。


「はいはい。そういう冷やかしは甘んじてお受けします……あ、あれぇ?打ち間違いかな?先生、大人のくせに人件費が一番高い店長の時間あっれだけ使っておいてコーヒー一杯だけなんて事ないですよね?あれぇ?」


 冷やかされた時のかすみのニヤケ顔は、最近の東のお気に入りだ。しかし、その後の台詞が黒過ぎる。


「分かったよ。東、いつもの奴、いつもの挽き方でよろしく」

「はいはい毎度」


 薗田先生がいつも購入している豆を二百グラム取り、電動ミルに流し込む。


「あれ?二人とも羨ましいなぁ。18歳の分際で薬指にいいもんはめて!」


 挽いた豆が入った袋を持った東の左手薬指には銀色の指輪が光っていた。先日からずっと東は指輪を付けるという違和感に苦戦していた。


「あはは……いやその、私達アラサーの先生の先越しちゃってすいませんね。まぁ、気分だけですけど」

「のろけながら嫌味を言うなよ。気分だけでも羨ましいな」


 かすみの手にももちろん、似た物が光っている。

 かすみも東もそこを突っ込まれると、少々気恥ずかしいので、付き合った記念のように言って友人には誤魔化しているが、実際のところは正真正銘、結婚指輪だ。


「はいお釣り。今日はこのくらいで勘弁してやるわ」

「かすみ!ちゃんと接客してよ!」


 東の恐れていた通り、かすみの両親は、翠にかすみの全てを押し付けていた。

 何度もうるさく迫る翠に業を煮やしたのか、それとも翠が両親に業を煮やしたのかは分からないが、かすみはもう、帰る家を失っていた。

 東はかすみを婚約者として我が家に迎え入れたいと、絶望的と思われた交渉を父に持ちかけたのだが、東の父は反対するどころか、かすみを両親の手から完全に引き離すべく、一番手っ取り早い手段を取ったのだ。

 あれだけ将来の事を考えて行動しろと言っていた父が、刹那的に大胆な行動に出て、しかも問題は起きてから潰せばいいと、全てを処理してくれたのは、東に限らず翠にもかなりの混乱を招いた。

 ともかく、羽川かすみは、弱冠18歳ではあるが、日陰かすみとして生まれ変わったのだ。


「はぁ、ディナーセットの仕込み始めようか。あれ?姉さんどこ行った?」


 東が見渡した限り、翠はどこにもいなかった。これから忙しくなるのにどこに消えたんだ。


「み、翠!?」


 箱の中を覗いたかすみが叫ぶような声を上げた。

 東が駆けつけると、翠は箱の中の椅子の背もたれに体重を預け、上を向いて口を開けていた。


「ど、どうしたの?」


 東が助け起こそうとしたが、翠はぴくりとも動かなかった。


「もしかして先生の体臭きつかった!?」


 かすみが気になるような事を言う。東は自分の体が臭くないか心配になってきた。


「帰って寝る」

「え?これからディナーセット仕込むのに何言ってんだよ」


 ここまで魂が抜けきった顔の翠を見るのは久しぶりだ。

 以前見た時は婚約者が失踪した時だったか。


「み、翠、何があったの?何相談されたの?」

「……秘密厳守」

「姉さんそんな事言ってる場合かよ!欠勤早退する場合の理由は必ず言えってルールでしょ!」


 翠が上を向いたまま、息を深く吸い込んだ。


「……た」

「何?聞こえないよ翠」


「申し込まれた……」


 東とかすみの頭の上にはてなマークが飛び交う。


「……交際……的なやつ」

「はぁ!?」


 思わず東は大声を上げてしまった。

 我が姉に何をしてくれてんだと、東は薗田先生を追いかけたくなったが、当事者同士の事だ。そんな事をしても仕方がない。


「私ちょっと薗田と話をしてくる」

「待てって!なんでペーパーナイフ持ってんだよ!」


 いつの間にか飾りの一つであるシルバーのペーパーナイフを掴んだかすみは、黒い炎を放っているかのようだった。


「話するのに必要だもの」

「必要無いから!姉さんならちゃんと冷静に対処出来るって」


 まさかかすみが粘着質な小姑のような性根をしているとは思わなかった。


「そ、それもそうか。翠、ちゃんと振ったんでしょ?」

「いや、無碍には出来ねえよ……同級だし」

「ど、同級生!?」


 かすみがうろたえたように訊く。


「……言ってなかったか?あいつとは保育園から高校まで一緒だし、よくつるんでたけど」

「お、幼馴染!?」

「……ま、まぁ、そうなる、なぁ」


 さすがにそこまでは東も知らなかった。

 ちょくちょく店に訪れては東にコーヒーの知識を訊きまくるのは翠を狙っていたんだろうか。


「ねぇ、振ったよね!?ちゃんと振ったよね!?」

「かすみ!」

「いやぁ、結婚前提でなんて言いやがるから、まぁ、前向きに検討するとは答えたけど……あれ?何てこと言ったんだアタシ?」

「薗田ぁ!」


 今にも飛び出していきそうなかすみを押さえつけながら、東はこの箱の奇妙さに途方に暮れてしまった。

 本当に、奇妙だ。

 まさか設置した主にまで、こんな変化を与えるとは。


「離してよ東!」

「だから姉さんが決めることだろ!」


 かすみの動きがピタリと止まった。そして悔しそうな目で東を見るが、落ち着いてくれた。

 結局、厨房の奥の階段へとフラフラ歩いて自宅へ帰る翠を、東もかすみも止めることは出来なかった。


「はぁ……なんだか、すごいね、この箱」


 かすみがしみじみと呟く。


「うん。え?何してんの?ちょっと!」


 かすみに押されて箱の中へ入らされてしまった。

 すぐにかすみが入ってきて、ドアを閉めた瞬間、東の唇にベタっとした物が当たった。

 リップがついたかすみの唇の感触は、なかなか慣れない。


「だ、だから仕事中にはその」

「何それ?男らしくない」


 男は色々大変なんだよ。

 東はそう思わざるを得なかった。愛する若きに妻君にこんなことをされるだけで、体の一部が大変よろしくない反応をしてくれるのだ。

 そして、変わっていくかすみの性格に少し付いていけない。それは嬉しい事なのだが。


「もう一度してくれたら仕込み頑張る」

「わ、分かったよ」


 と言いつつ、東の方から何度か唇を重ね、厨房へと戻った。

 そして、手伝いに降りてきていた東の母に案の定こっぴどく叱られた。

 でもいくら怒られても、先程のようなタイミングがあれば、きっと同じ事をしてしまいそうだ。

 仕込みも進んだところで入口のドアが開き、数名の常連が顔を出した。


「おじさん達おかえり。早いね」

「かすみ、いらっしゃいませくらい言おうよ」


 カフェ銀の奇妙な箱は、今もたくさんの秘密をその中に抱えながら鎮座し、相談者を待ち構えている。

 一コマ三十分ワンオーダー。秘密厳守。

 ただし、相談の際は出来ればで良いので、二点以上の注文をお願いしたく。

 それから是非、相談が無い時も気軽にお立ち寄りいただきたい。それが副店長とその妻からの願いである。
















あとがき

昔々、新世紀GPXサイバーフォーミュラというアニメがありまして。

そのエンディングテーマ「Winners」の歌詞に「今が苦しいからこそ、明日が輝くのさ」という言葉があります。ええ曲です。涙なしには聞けません。

翠は今は苦しいと思い込んで、気がついたら思い描いた未来のための大切な部品を失ってしまいました。東もそうやって今苦しんでいる自分が当然の状態だと思って、自己流に走って失敗の山を築いて土壺に嵌ってました。ですが、主観にハマる前に客観的な目に救われました。

今は苦しくなくたって明日は誰にでも来るんです。

周りの助けを借りて、ちょっとだけ苦しい毎日を送るくらいの人生をちょぼっとだけお勧めします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カフェくろがね アイオイ アクト @jfresh

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ