また、出会うために
繋がれた手は、お互いに少し汗ばんできているものの離れるのを躊躇っている。
「ずっと……」
笑顔を陰に潜め少しうつむいて、柚希がそっと口を開いた。
「ずっと、会えなくなるわけじゃ、ないもんね」
顔を上げると、細い涙の筋を二つ作ってそれでも柚希は笑っていた。
「私ならもう、大丈夫。望道がいなくたって、ちゃんとやっていけるから……」
加速する涙の速度に見かねてぐいと柚希を引き寄せて胸を貸す。頭を撫でてあげると、珍しく彼女は嗚咽を漏らしてしばらく俺にしがみついていた。
「絶対、会いに行く。約束するから」
柚希の手をとって、その細い小指に自分の小指を絡めた。
「次に会うときには、もっといい男になってくるから、な?」
そう言って笑いかけて、再び柚希は笑顔を見せてくれた。一瞬、やっぱり離れたくない――そう思ってしまうほど胸に痛く響く笑顔だった。失うわけじゃない。でも物足りなくて空っぽな日々しか、今は想像ができなかった。
でもそんな不安を見せてしまったらきっと、もっと離れるのが辛くなるだけだろう。
「あの林は、俺たちにはもう必要ないよ」
え? と問い返すような瞳が不安げに揺れる。
「思い出は思い出として俺たちの中で生きていればそれでいい。たまに思い返して懐かしむくらいがちょうどいいよ」
すっと身体から柚希を離す。冷たい外気が、今しがたまでの温もりを際立たせた。
「懐かしくなったらまた、来たくなるに決まってる」
別れは決して喪失じゃない。でなければ、再会も約束も存在し得ない。
「会いたくなったら、会いに来ていい。会いたくなったら、いつでも言ってくれればいい」
寂しいのはお前だけだなんて、いつ誰が言った?
「できる限り、寂しい思いはさせないから。寂しい分、いくらでも甘えてくれ」
失うのが怖いんじゃない。きっと、自分という存在が相手のなかで薄れて消えてしまうのが、怖いんだ。柚希の涙を指先で拭って、黒く濡れた瞳に訴える。
「遠くなるのは、距離だけだ。気持ちが離れることも変わることもない」
お前だけが寂しいみたいな顔、してんなよ。
「会いたいのは、お互い様だ」
強がらなければならない立ち位置も、柚希のためならなんてことないことだった。
「本当は……やだ……離れたくない」
「分かってる、分かってるよ」
柚希に出会って、少しだけ強くなれた気がする。どんなものからも柚希を守りたいと思いながらがむしゃらに生きてきたからだろう。抱き締めてあげられる今のうちに持っている全ての気持ちが伝わるようにと、彼女の身体を両腕に包み込む。そうして彼女の香りを全身に刻んだ。
冷たい廊下を真っ直ぐ行く。二本の廊下が交わって階段へと続くあたりで、上の階から知ってる声が聞こえてきた。
「……バカ! 本当に知らないんだからね!」
「なに照れちゃってんの? まだ彼氏もいないくせに」
「うるさーい!」
柚希の方を伺うと、柚希も俺を見ていた。あの声は。
「おいおい、卒業式にも痴話喧嘩かよ」
案の定、勢いよくこちらの方に降りてきたのは駒浦と仁岡の二人だった。
「楽しそうね、お邪魔した?」
柚希まで二人をからかう。微笑ましく笑っていた俺たちに、仁岡は胸を張って爽やかにこう言いのけたのだ。
「楽しくなんかないわよ、初恋を捨ててきたんだから」
初恋を……捨てた? 隣に立つ駒浦に目を向けても、曖昧な笑顔しか浮かべてくれない。
「小径が私を捨てたことを後悔するくらいいい女になって、超かっこいい彼氏つくってみんなに自慢するんだから! 楽しみにしててね!」
……なんて元気だ。言葉を失うほどに。
「俺に発言の機会を与えてくれないわけ?」
大げさにすくめる肩が、生意気だけど憎めない。
「女たらしに口なし」
仁岡が容赦なく駒浦の左耳に手をかける。
「いててっ、俺は死人扱いか……」
四人で笑う。空っぽの校舎に笑い声が響く。
「
「ああ、お前と柚希は都会進出だな」
「みゆきちゃんはどこかしら?」
「あたしも引っ越すよ! でも大学はそんな都会じゃない感じ」
会話に花が咲く。無事に終わった勉強のこと、大学のこと、引っ越しのこと、将来のこと。みんなこれから離れるというのに、どうしてこんなに楽しいんだろう。
出会いは理由のない、それこそ『偶然』と呼ばれるものだったかもしれない。でもまた、こいつらに出会う日が来たら。
「じゃあ、帰ろうか」
「ああ。近いうちに、また」
右手を駒浦の方に伸ばしかけて、思いとどまる。駒浦と握手? ……考えただけで照れくさいじゃないか。
引き合わせる引力は決して不思議な力じゃない、もっと理論的に説明できる、なによりも強い力で導かれているんだと――信じられるようになりたい。
【物理学シリーズ 完】
フィジックス・ガール 灯火野 @hibino_create
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