終幕
原稿用紙約11枚
鼓動は生を告げている
――国家反逆者チ・ジュイキン。
この者、安命養生百六十八位正神統領・
後の歴史に『
逢露宮に居た
彼らがその答えを知る時が、
◆
逢露宮での戦いから数日――ジュイキンとグイェンは、
切断されたジュイキンの腕は、接合に失敗。その代わり、切断面に
時間と共に、葉緑素混じりの肉と骨が伸びてくるはずだ。ただ、人間の手先までは再現出来ないので、適当な所まで伸びたら、ローが上から義手を被せる予定だった。
左目は当面の傷こそ治したものの、失明を治す処理は後回しになっている。今は医療用眼帯を付けているが、グイェンはそれを見るたび、すまなそうにしていた。
「やっぱり、オレがあの時、間に合ってれば良かった。……そうしたらお師さまも、ジュンちゃんも、今ごろ元気にしてたかもしれないのに」
ジュイキンにあてがわれた一室で、寝台に腰掛けながらグイェンは言った。あれから、打神翻天内に武術の師匠を見つけ、日々しごかれているらしい。
今日も鍛錬の後なのか、少し汗の臭いをさせながら、顔にアザと擦り傷を作っていた。その様子を、ジュイキンは寝床から見ている。
神灵を殺した際に、大量の内力を消費したとかで、彼は何日も眠りこけていた。ようやく目を覚ましてからも、毎日眠くて堪らない。
足元では、丸くなってミアキンが眠っている。
「オレ、やっとわかった。人が死ぬって、こういうことなんだ」
何か声をかけてやりたいが、グイェンは次から次へと自分の心情を吐露した。
「お師さまは、もういない。どこにも……いない。オレから見えない所にいるワケでも、オレの知らない所で寝てたり、ごはん食べたり、修行してるワケじゃなくて、……なにもしてない。もう、何もしないし、感じないし、考えない」
徐々に涙声になる相棒の声に、ジュイキンは重たい手をゆっくりと伸ばした。何とか、グイェンの手を握ろうと試みる。
「
声は、ほとんど嗚咽に変わっていた。横たわったジュイキンの位置からは、表情がよく見えないが、泣いていることだけは間違いない。
「それだけで。それだけが……っ。……だから、ごめん、ジュンちゃん。お兄さんが死んだ時、こんな気持ちだったんだね。オレ……」
グイェンは体ごとこちらへ向き直った。
「〝お兄さんを助けられなくてごめん〟と言ったらお前を殴る」
ぐ、と言葉を詰まらせる顔はあまりに分かりやすい。ようやく目が覚めて来て、ジュイキンは寝台の上で身を起こした。
「それとも、また師姉に会いたい、か」
「会いたい! そりゃ、会いたいよ! でも……もう、お師さまは」
グイェンはうつむくと、腹を抱える格好で背を丸めた。自分の内側から悲しみが洪水になって、溢れ出そうとするのを押さえ込もうとするように。
「お前は、私の兄の絵を描いただろう? 記憶の中からでも、リュイ師姉の絵を描いたらどうだ。大切に、忘れないように。ずっと彼女のことを、教えられたことを、覚えておけ。生きている者に出来るのは、忘れないでいることぐらいだからな」
「……うん」
グイェンは少し顔を浮かせて、ジュイキンに耳を傾けた。
戦いの中で随分としわくちゃになってしまったが、グイェンからもらった絵は今も大切に持っている。蒸気樹車の中であれを見せられた時、泣きそうに嬉しかった。
「それにグイェン、お前は〝一緒に死のう〟などと言ったが」
「ごめんってば」
ばつの悪い顔になって、肩をすくめる相棒に思わず相好を崩す。
「今更、怒ってない。それより……お前はもし、これからの神灵殺しで、次の神灵殺しで、次の次の神灵殺しで、私と一緒に死ぬことになっても、構わないか?」
大切な人を死によって失うこと、その悲しさと恐ろしさをグイェンは理解したと言う。それならば、自分自身の死にも、以前とは違う印象を持つだろう。
その上で、八歳の子供に訊くには、残酷な質問。だが彼も自分も、もはや後戻りは出来ない。滅ぶか滅ぼされるか――神灵の元で生きるか死ぬか。
グイェンの返答は簡潔だった。
「うん」
ああ……今、世界は間違いなく美しい。静かに決意と自信を秘めたグイェンの顔を見ながら、ジュイキンは胸の内を震わせた。そこには、神灵の心臓がある。
「言ったな。もう取り消せんぞ」
鼓動が告げるままに、大切な親友の手を握りしめ、ジュイキンはこれ以上なく幸せそうに微笑んだ。死んだ者は帰ってこない、失ったものは取り戻せない。
これからいくつ、取り返しのつかない破滅を乗り越えていくのか。どれほどの惨劇を巻き起こして、神灵を狩っていくのか。
ともすればその凄惨さに慄然としながらも、足を止めるという選択肢は既に封じた。兄のこと、ウォンのこと、リュイのこと。そして、グイェン。
『死を肯定し、殺生を是とするその価値観こそ、まことに殺戒の悟り』
ロー・ジェンツァイは、ジュイキンを指して
(……いいだろう。私は私自身を知った、そこから逃げるのは無しだ)
とくり、とくりと胸の内で高鳴るこの鼓動は、それ自体が〝生きろ、戦え〟と告げているようだった。ならば、どれだけ憎まれようとも、生きて、戦ってやる。
それこそが自分の命。
これが私自身。
腐った果実の罪悪感など振り捨てて、自分は生きるために、神灵を殺す。
血塗られたその道行きを、共に歩み、生きてくれる彼がいるならば、恐れるものは何一つとてない。無数の命輝く世界で、この火を燃やし尽くしてやる。
――
殺戒者の足元で、黒猫はのんびりとあくびした。
(終)
人でなしジュイキンの心臓 雨藤フラシ @Ankhlore
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