終幕

原稿用紙約11枚

鼓動は生を告げている

――国家反逆者チ・ジュイキン。

 この者、安命養生百六十八位正神統領・如夷にょい霊王母れいおうぼ娘々にゃんにゃん、を〝殺害〟せり。


 後の歴史に『打天だてん事変じへん』の名で刻まれるこの日は、世界で初めて神灵カミが打倒された日だ。これを境に、ジュイキンと反動集団テロリスト打神だしん翻天はんてんはその名を轟かせた。

 八朶はちだしゅうそのものは、かつてのような力こそ失ったものの、公教こうきょうきょくの下部組織として今も存続している。逢露ほうろきゅうの外には多くの猟客が残されており、彼らの戦闘力は充分に有用だ。そして――霊母を滅ぼした打神翻天を、決して許さないだろう。

 逢露宮に居た無缺環むけつかんは、逃げた者や他の八朶宗に合流した者もいたが、大部分は打神翻天にそのままくみした。霊母を通して接続され、洗脳された状態から脱した以上、無理なからぬことである。

 大閻だいえん帝国ていこくの人々は、ジュイキンと打神翻天の名を憎悪し、恐怖するだろう。死してなおよみがえりを約束された安寧を、なぜゆえ奪うのか、と。

 彼らがその答えを知る時が、神灵世カミよの終わりとなるだろう。


                 ◆


 逢露宮での戦いから数日――ジュイキンとグイェンは、天梯像てんていぞうトンネル内部の打神翻天アジトに逗留していた。

 切断されたジュイキンの腕は、接合に失敗。その代わり、切断面に補肉ほじく樹械を植え付けて成長と回復を促している。

 時間と共に、葉緑素混じりの肉と骨が伸びてくるはずだ。ただ、人間の手先までは再現出来ないので、適当な所まで伸びたら、ローが上から義手を被せる予定だった。

 左目は当面の傷こそ治したものの、失明を治す処理は後回しになっている。今は医療用眼帯を付けているが、グイェンはそれを見るたび、すまなそうにしていた。


「やっぱり、オレがあの時、間に合ってれば良かった。……そうしたらお師さまも、ジュンちゃんも、今ごろ元気にしてたかもしれないのに」


 ジュイキンにあてがわれた一室で、寝台に腰掛けながらグイェンは言った。あれから、打神翻天内に武術の師匠を見つけ、日々しごかれているらしい。

 今日も鍛錬の後なのか、少し汗の臭いをさせながら、顔にアザと擦り傷を作っていた。その様子を、ジュイキンは寝床から見ている。

 神灵を殺した際に、大量の内力を消費したとかで、彼は何日も眠りこけていた。ようやく目を覚ましてからも、毎日眠くて堪らない。

 足元では、丸くなってミアキンが眠っている。


「オレ、やっとわかった。人が死ぬって、こういうことなんだ」


 何か声をかけてやりたいが、グイェンは次から次へと自分の心情を吐露した。


「お師さまは、もういない。どこにも……いない。オレから見えない所にいるワケでも、オレの知らない所で寝てたり、ごはん食べたり、修行してるワケじゃなくて、……なにもしてない。もう、何もしないし、感じないし、考えない」


 徐々に涙声になる相棒の声に、ジュイキンは重たい手をゆっくりと伸ばした。何とか、グイェンの手を握ろうと試みる。


媽京まきょうに初めて来た時、さびしくっても、その気になればすぐお師さまと話せた。離れた所にちゃんといてくれたから、お師さまもオレを心配してくれてたから。でも、もうそれもないんだ。もう、本当に、どこにもいない。それが、こんなに……」


 声は、ほとんど嗚咽に変わっていた。横たわったジュイキンの位置からは、表情がよく見えないが、泣いていることだけは間違いない。


「それだけで。それだけが……っ。……だから、ごめん、ジュンちゃん。お兄さんが死んだ時、こんな気持ちだったんだね。オレ……」


 グイェンは体ごとこちらへ向き直った。


「〝お兄さんを助けられなくてごめん〟と言ったらお前を殴る」


 ぐ、と言葉を詰まらせる顔はあまりに分かりやすい。ようやく目が覚めて来て、ジュイキンは寝台の上で身を起こした。


「それとも、また師姉に会いたい、か」

「会いたい! そりゃ、会いたいよ! でも……もう、お師さまは」


 グイェンはうつむくと、腹を抱える格好で背を丸めた。自分の内側から悲しみが洪水になって、溢れ出そうとするのを押さえ込もうとするように。


「お前は、私の兄の絵を描いただろう? 記憶の中からでも、リュイ師姉の絵を描いたらどうだ。大切に、忘れないように。ずっと彼女のことを、教えられたことを、覚えておけ。生きている者に出来るのは、忘れないでいることぐらいだからな」

「……うん」


 グイェンは少し顔を浮かせて、ジュイキンに耳を傾けた。

 戦いの中で随分としわくちゃになってしまったが、グイェンからもらった絵は今も大切に持っている。蒸気樹車の中であれを見せられた時、泣きそうに嬉しかった。


「それにグイェン、お前は〝一緒に死のう〟などと言ったが」

「ごめんってば」


 ばつの悪い顔になって、肩をすくめる相棒に思わず相好を崩す。


「今更、怒ってない。それより……お前はもし、これからの神灵殺しで、次の神灵殺しで、次の次の神灵殺しで、私と一緒に死ぬことになっても、構わないか?」


 大切な人を死によって失うこと、その悲しさと恐ろしさをグイェンは理解したと言う。それならば、自分自身の死にも、以前とは違う印象を持つだろう。

 その上で、八歳の子供に訊くには、残酷な質問。だが彼も自分も、もはや後戻りは出来ない。滅ぶか滅ぼされるか――神灵の元で生きるか死ぬか。

 グイェンの返答は簡潔だった。


「うん」


 ああ……今、世界は間違いなく美しい。静かに決意と自信を秘めたグイェンの顔を見ながら、ジュイキンは胸の内を震わせた。そこには、神灵の心臓がある。


「言ったな。もう取り消せんぞ」


 鼓動が告げるままに、大切な親友の手を握りしめ、ジュイキンはこれ以上なく幸せそうに微笑んだ。死んだ者は帰ってこない、失ったものは取り戻せない。

 これからいくつ、取り返しのつかない破滅を乗り越えていくのか。どれほどの惨劇を巻き起こして、神灵を狩っていくのか。

 ともすればその凄惨さに慄然としながらも、足を止めるという選択肢は既に封じた。兄のこと、ウォンのこと、リュイのこと。そして、グイェン。


『死を肯定し、殺生を是とするその価値観こそ、まことに殺戒の悟り』


 ロー・ジェンツァイは、ジュイキンを指して殺戒者さっかいしゃと呼んだ。


(……いいだろう。私は私自身を知った、そこから逃げるのは無しだ)


 とくり、とくりと胸の内で高鳴るこの鼓動は、それ自体が〝生きろ、戦え〟と告げているようだった。ならば、どれだけ憎まれようとも、生きて、戦ってやる。

 それこそが自分の命。

 これが私自身。

 腐った果実の罪悪感など振り捨てて、自分は生きるために、神灵を殺す。

 血塗られたその道行きを、共に歩み、生きてくれる彼がいるならば、恐れるものは何一つとてない。無数の命輝く世界で、この火を燃やし尽くしてやる。


――ニャー


 殺戒者の足元で、黒猫はのんびりとあくびした。


                                   (終)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人でなしジュイキンの心臓 雨藤フラシ @Ankhlore

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ