編集済
第44話への応援コメント
読了しました。
面白かったです。丁寧かつ繊細な圧倒的筆力に感服すると共に、文章もキャラも世界観もあらゆる意味で「美しい物語」だと感じました。この一言に尽きます。また途中で長い歳月を掛けて紡ぎあげた作品だと知り、改めてじっくりと再読したいなとも感じています。
作者からの返信
最後まで読んで頂いて本当にありがとうございました!
いやもう、こんな訳の分からない、テンポの遅い、エンタメ要素の少ない、無駄に長い長編を忍耐強く読んで頂いたばかりか、素敵なレビューまで……。本当にありがとうございます(>_<)
表現のひとつひとつにこだわるあまり、書き上げるまでに何年もかかってしまいましたが、祭人さんの心に少しでも何かを残せたのなら、それが一番嬉しいです(^_^)
編集済
第39話 エピローグへの応援コメント
なんとなく。。。
思いのほかミステリー要素が高そうなので、最初から読み直そうかと葛藤中です。
第44話への応援コメント
未来の物語は、これから紡いでいけばいい。運命に導かれた2人なら、きっとまた出会えるっ!!
ああ、素晴らしかったです。綺麗でした。文字に魅せられるとはまさに、って感じでした。
うん、物語も含めて、良い物読ませて頂きました。
凄く良い余韻。
終わっちゃったなぁ。。
どうもありがとうございました。
作者からの返信
最後まで読んで下さって、本当にありがとうございました(^_^)
書いては消し、消しては書いての試行錯誤を繰り返しながら、数年かかってようやく完成させることが出来た初めての長編小説なので、こうして褒めて頂いて本当に嬉しいです(>_<)
読み終えたあとの余韻はすごく意識して書きました。なんというか“少しさびしいけれど爽やかな、夏の蒼空のような読後感”を目指していたので、「凄く良い余韻」と感じて頂けたことは、作者としてこれ以上ない喜びです(^_^)
まだまだ未熟な作者ですが、これからも物語を紡いでゆきますので、お目に留まることがあれば、またよろしくお願いいたします。
本当にありがとうございました(^_^)
第41話への応援コメント
お父さんに捨てられたと気づいたミルイと、
ミルイに拒絶された小鳥遊さんが、
僕の頭の中で重なって、辛い。。
誰を恨めば良いのか、何が正解なのか、諦めて忘れる事が懸命なのか、思い続ける事が光なのか。。
自分で何書いてるか分からなくなったけど、今まで読んできて、ここが一番辛かった。
第30話への応援コメント
消滅してしまいそうな物語を、紡いでいくような会話が、凄く好きです。
作者からの返信
ありがとうございます!
この場面はおっしゃる通り、消えてしまいそうな“物語”を必死に繋ぎ止めようと二人がもがくシーンなので、意図が伝わってホッとしています。
どうすればいいのかも、自分たちが何をしたいのかも、さらに言えばいずれ現実に帰らなくてはならないことも二人は知っていて、けれども萎えそうになる心から精いっぱい目を背けながら、二人は儚い“物語”にすがってゆく。そんなやり方でしか現実に抗うすべを知らないから……。
エピローグにすべての伏線を回収していますので、どうか最後までおつきあい下さい(>_<)
第27話への応援コメント
未熟な自由が、とても清々しくて、とても、羨ましい!
決意を込めた逃避行は、きっと立ち向かった証なのかなぁと、思ったり。
ああ、どこまでも行ければ良いのに!
第17話への応援コメント
ドキドキの質がこんなにすぐ変わるとは。。胸が締め付けられる。
弟、悔しいなぁ。でも立ち向かったんだ。今はそれだけで良い。
でも、悔しかっただろうなぁ。。
第16話への応援コメント
杉原おめでとうっ!
ご陽気なヤツは一様に悩みを吐き出したりしないんですよねっ。実はずっと杉原好きでした。良いヤツなんだろうなぁと。
そして、それに気付かないのも、気付いたときに距離を感じるのも、他愛のない悩みに信じられないほど苦しむのも、青春だっ!
なんだか色々と思い出してドキドキしました。
第12話への応援コメント
SFでした。
夢と現実が混濁した様な、朧げでも質量のある世界。。理解が追いつきそうで追いつかない。
これぞSFっ!!
第8話への応援コメント
主人公が自分で気づいて良かった。霧絵ミルイに冷た過ぎる。翻弄されてるとはいえ、主人公の態度に僕も傷ついてしまいそうでした。
楽しかったって言ってあげたら良いのにっ!!
第44話への応援コメント
読了後、しばらくして、「ミルイはピーターパンに似ている」と、いきなりひらめきました。少年口調もそうなんですが、存在がピーターパンです。彼女は綺麗な少女に育ちましたが、中身は小学生のままだったのだと思います。
自分のチカラを否定したくせに、「母親を助けるために」自分が消えることを望みます。自分が消えれば本当に母親が助かるなんて保証はないのに、そうしたのは、チカラを信じているからではなく、神仏にお願いする気持ちと同じ「誰か助けて! お願い!」という気持ちだと思います。彼女の行動は、彼女が取る行動として「正しい」。(その後の、残された人たちのことを考えれば、やってはいけなかった行動なのですが)
そして、彼女は消えてしまった。
ここから先は、考察(?)です。独り言みたいなものなので、あまり真面目に取らないでください。
この作品を評価するなら、間違いなく、★★★★★です。(あとで、レビューを書こうと思っていますが、まだ、読み終わった興奮でレビュー文が思いついていません。できれば作者様の意向をお聞きしたいです。この作品はどんな路線で売り込みたいですか?)
ただ、じゃあ、★★★★★★★★★★かというと、そこまではいかない。
作品や登場人物に肩入れしないで突き放して考えると、果たしてどんな作品だったんだろう?
冒頭で、「物語のラストに、ミルイはいない」と分かるような主人公のモノローグが入っている。
あんな感じで始まる作品は他にもあるし、冒頭で読者を引きつける役割としてはいいと思う。
けれど、あれがあったために、かくれんぼの結果「ミルイはいなくなる」ことが予測できてしまった。それは良かったのだろうか。タイトルに「神隠し」とあるから、それでもいいのか。
いきなりミルイが飛び降りるシーンから始まり、「飛び降りた結果がどうなったか分からない状況のまま」時間が遡って日直の仕事のシーンとしても、冒頭の「興味の引きつけ」は充分だったのではないか。いや、それでは作品のイメージが「幻想的」ではなく、もっとライトノベル的な、読者層が違うようなイメージになってしまう可能性もある。
ミルイとの逃避行の前と後では、別の物語のようにも思える。描かれ方が変わった。その前の第16話あたりからが転機だったのだろうか。
第16話くらいまでは「不思議で魅力的な少女」が絡みながらも、ごく普通の学園ものだった。
より正確に言えば、冒頭に「少女」=ミルイを出してきて、ミルイについて深められていくのかと思ったら、友達の半井や杉原とのシーンが割り込んできて、「友達はどうでもいいから、ミルイ出して」と思うこともあった。友達が出てくることに魅力がなかった。
ただ、この友達は伏線で、のちに主人公が打ちのめされる(置いてきぼりと感じる)原因になる。必要な人物。それならば、友達の出て来るシーンを「余計だ」と思わせてはいけない。
場合によっては「都合のよい脇役キャラ」と思うこともあった。(ミルイが主人公の電話番号を知ったのは、杉原から聞いたから)
弟に関しても同じく。主人公を大きく揺さぶる存在になる。
友達とは違って、余計な脇役とは思わなかった。主人公の家庭環境を表しているな、と思った。けれど、だったらもっと、登場初期から家の経済状況とか主人公が「責任感ある長男」であることとかを引き立てる役割を持っても良かったのではないか。
そのあとで、弟のトラブルが入る方がいい。それから、ひとことでいいから、家出した兄が帰ってきたときに、彼の言葉が欲しかった。彼の成長を見たかった。
逃避行の瞬間は、読者の私は主人公と一緒に「行こう!」という気持ちだった。
けれど、だんだんと、主人公が何を考えているか、分からなくなってきた。
彼らに目的がないのは分かってはいるが、読み進めるうちに「彼らは本当に、どこまでも行こうとしている」のか「自殺する場所を求めている」のか「いずれ終りが来ると分かっていて、不安と戦いながら前に向かっている」のか、分からなくなった。
読者に明確に分かるようなことを書かずに進めていくのも、ひとつの書き方だと思う。だが、個人的には、あの瞬間に、一緒に「行こう!」と思った主人公の心が分からなくなるのは勿体ないと思った。
「性描写あり」レーティングになっているけれど、それを付ける必要はなかったのではないか。(具体的な描写がない場合はつけなくても良い気がする)ついていると、そこで引き返す読者も要るはず。
ただ、そもそもあのシーンで、ふたりが性行為をする必然性がまったくなかったと思う。精神的には未熟であり、母親を「男遊びしている」と言って嫌っている思春期の少女が行為に及ぶだろうか。一般に「君のことを知りたい」を暗喩で行為を意味することは分かっているが、彼女の場合は、本当に言葉で語り合うことで主人公のことを理解するべきだったし、そうしたかったのではないだろうか。彼の家庭環境、友達から置いて行かれたような気持ち、そんなものを彼女は理解してあげるべきだったのではないだろうか。
エピローグは、どうなのか。
あのエピローグは必要だったのか。
エピローグが「謎解きの解決編」だなんて思っていた読者はいないと思う。まず間違いなく、読者は驚いたと思う。
けれど、作者は初めから「解決編」をやると決めていたはず。きちんと「答え」を用意していたのだから。だから作者にとっては絶対に必要であったはず。
読者としては、幻想的な雰囲気のまま、「神社の狐によって神隠しにあった」としてもよかったと思う。その場合は、できれば、今まで起きたチカラの発動は全部、現実としてあり得るもので(子供の自分にあったりはしない)、最後の神隠しだけが理屈で説明できないものにしてほしい。そうすれば、すっきりとして納得がいく。
ただ、作者は絶対に、ミルイのチカラは「存在する」としたかった。豹変した小鳥遊さんを出したかったと思う。
あの構成なら、読者は確実に驚く。作者は、それを狙っていると思う。
けれど、「読者は解決編があることを望んでいたのか?」
あれは「読者が望んでいた解決編なのか?」
これらがYesではないと、蛇足と思われかねない。
驚かされることは面白みのひとつだけれど、それがいい作品とは限らないと思う。
読者が解決編を望む=答えが欲しくなるためには、疑問に思うことが必要だと思う。
答えはあるのだ、最後には明かされるのだと、信じて読み進めることができなければ、「不思議なチカラ=理屈では説明できない=規則性・発動条件はないのだ」という気持ちになり、あのエピローグは「え? 今更、なんかあるの?」になってしまう。
解決の答えそのものは面白かった。だから、答えがあるのはいい。
けれど、小鳥遊さんとの会話で話が進んでいくという形式は、本文とはかなり異なる。違う物語のようにも思えた。浮いている感じがした。
本編だったら、どんなふうに、「答え」を明かしただろうか。主人公が、ミルイの家を訪れ、箱を見つけるという行動を描いたのではないだろうか。「ミルイの家に行った」という台詞ではなく。
そうやって、ヒントを積み重ね、読者に示し、読者も答えがあることを期待し、できれば自分でも答えをあててみたいと思いつつ、読み進めたのではないだろうか。
破られたページについては本編に出ていたが、あそこでもっと、主人公がそのページを気にする描写をいれたら、興味が高まっただろうか。
また、条件が3つあるが、2つでよかったと思う。理解するのが難しくなる。
3つ目は必要なのかもしれない。けれど「条件として」出すのではなく、ミルイの言葉の裏の意味、みたいな表現の仕方で「助かることを望んでいた」とできればいいと思う。
小鳥遊さんとの会話で進められるという、ミステリーのラストのようなシーンも悪いわけではない。ただ、今までとノリが違うな、と思う。
……なんか、分かった気がする。
ミルイのものだったはずのヒロインポジションが、最後の最後になって、小鳥遊さん(変身後・可愛くない)に奪われたのが納得できなかった――というだけの気がしてきた。
だったら、幻想的にミルイが姿を消したシーンで終わるので良かったのではないか、と。
長文、本当に失礼しました。
コメント欄が読みにくくなってしまった気がするので、削除して構いません。
本当に、これ、迷惑だ……。
最後に。
この作品の世界に、どっっっぷりはまって、楽しい時間を過ごさせていただきました。
良い作品を本当にありがとうございました。
作者からの返信
読了後、しばらくして、「ミルイはピーターパンに似ている」と、いきなりひらめきました。少年口調もそうなんですが、存在がピーターパンです。彼女は綺麗な少女に育ちましたが、中身は小学生のままだったのだと思います。
→あぁ……確かに。書いているときは特に意識していませんでしたが、言われてみれば似ていますね。
ミルイとの逃避行の前と後では、別の物語のようにも思える。描かれ方が変わった。
→そうですね。ジェットコースターに例えるなら、最大の山場を越えて、あとは加速しながら下ってゆく感じでしょうか。
「友達はどうでもいいから、ミルイ出して」と思うこともあった。友達が出てくることに魅力がなかった。
ただ、この友達は伏線で、のちに主人公が打ちのめされる(置いてきぼりと感じる)原因になる。必要な人物。それならば、友達の出て来るシーンを「余計だ」と思わせてはいけない。
→鋭い!(月ノ瀬さんの批評を読みながら、何度そう思っただろう笑)
この友人たちとの場面は、私も苦労しました。理由は月ノ瀬さんもおっしゃるとおり、退屈なんですよね。いや、私はまだ書きながら“これは伏線ですよ”ということが分かっているからまだしも、初見の読者にとっては、つまらないシーンだろうなという自覚がありました。
ただ、この時点では主人公はまだ自分の中の焦躁や葛藤に気付いておらず、あまり彼の心を深くは掘り下げられない。もっと軽やかな会話劇のように、コメディをいれつつ、読者をひと休みさせるように描けばよかったかなと思ってもみたのですが、そうなるとライトノベル調になってしまって、全体のトーンと合わない(そもそも私には軽やかな会話劇など書けない苦笑)
うーん……、友人たちに何かしら興味を持ってもらえるような仕掛けなり描写なりが出来ればよかったのですが、なかなか難しいです。
登場初期から家の経済状況とか主人公が「責任感ある長男」であることとかを引き立てる役割を持っても良かったのではないか。
そのあとで、弟のトラブルが入る方がいい。
→あまりの正論に、ぐうの音も出ません(苦笑)
全体を読み終えて、主人公の立ち位置が中途半端だなと反省しているところです。
家族のために進学を諦めて就職する決断をし、それが自ら鬱窟していた“自分自身の人生を生きられない”という苦悩に火を付ける遠因になっているのであれば、彼にもっと(まさしく)責任やプレッシャーを与えることが必要でした。
それから、ひとことでいいから、家出した兄が帰ってきたときに、彼の言葉が欲しかった。彼の成長を見たかった。
→……あ、書くの忘れてた……(爆)
すみません! いや、エピローグの主人公と小鳥遊さんとのやり取りにばかり気をとらえて、書くの忘れていました!
本当は「弟は今はフリースクールに通っている。弟と同じように、いじめられていた子たちが多いらしく、友達も何人か出来たようだ。
少しずつではあるけれど、真人も前に進んでいることが僕には嬉しかった」
というようなモノローグを入れるつもりだったのが、上記の理由から完全に失念していました。申し訳ない……。
逃避行の瞬間は、読者の私は主人公と一緒に「行こう!」という気持ちだった。
けれど、だんだんと、主人公が何を考えているか、分からなくなってきた。
彼らに目的がないのは分かってはいるが、読み進めるうちに「彼らは本当に、どこまでも行こうとしている」のか「自殺する場所を求めている」のか「いずれ終りが来ると分かっていて、不安と戦いながら前に向かっている」のか、分からなくなった。
→ここは作者としても二転三転した箇所でした。おっしゃるとおり、彼ら自身も、作者でさえも、二人が何を考えているのか分からなかったのです。
客観的に大人の視点から見るならば、彼らの行動は後先のない逃避でしかなく、目前に迫った“大人になる”ということへの最後の抵抗であり、モラトリアムを伸ばしたくてもがいている、といえます。
しかし義務や責任からでなく、感情的に行動を起こすことに慣れていない二人は、すぐに戸惑って行き場を失います。どうすればいいか分からない。自分たちが行きたい場所も分からない。やりたいことさえ分からない。
そうした醒めてしまう心を意識しないよう、彼らは精いっぱいあらがう(二人が妙にテンション高いのはこのため)。
けれど、水槽から出ては生きていけない金魚たちを見て、二人は見ないふりをしていた自分たちの心を見ざるを得なくなる。最初から逃げ場所なんてない、と。
ただ、そもそもあのシーンで、ふたりが性行為をする必然性がまったくなかったと思う。精神的には未熟であり、母親を「男遊びしている」と言って嫌っている思春期の少女が行為に及ぶだろうか。一般に「君のことを知りたい」を暗喩で行為を意味することは分かっているが、彼女の場合は、本当に言葉で語り合うことで主人公のことを理解するべきだったし、そうしたかったのではないだろうか。彼の家庭環境、友達から置いて行かれたような気持ち、そんなものを彼女は理解してあげるべきだったのではないだろうか。
→上記の理由から、二人は完全に行き詰まり、文字通り“どうしていいかわからない”状況に陥ります。
夢の終わり。辛い現実への帰還。醜い自分たちを受け入れるしかない葛藤。(蛇足で言うと、ミルイは服が透けて、下着や肌を男性である主人公にさらしています。主人公をからかったり、なじったりするほどの余裕もなく、しかし普段より性的なものを意識せざるを得ない)
そうした、いっぱいいっぱいの気持ちが溢れて、二人は互いを慰めあった……ということなのですが、どうでしょう?
ちなみにミルイには「生理が始まって、自分の身体が少女から女へ変わってゆくことに、どうしようもない嫌悪感と恐怖を感じた。母のようになるのか、と」というような台詞を入れる予定でしたが、そこまで拡げるとテーマがばらけてしまうと思って、やめました。この作品のテーマは「自分の力だけではどうしようもない環境で、それでも何かを得ようとあらがう少年と少女」なので、性的なことに抵抗感を強く描くことはやめにしました。
また、当初は主人公がミルイへ今までの自分を語るシーンを入れるつもりだったのですが、途中まで書いて、「これ、くどいな」と思ったのです。すでに読者は(ウンザリするほど長く)主人公の独白や心理を読んできたことですし、主人公とミルイが語らうシーンは直接は描かず、ああいったかたちになりました。もちろんピロートークで色々と話しているということをそれとなく伝えて。
そしてエピローグについてです。
読者としては、幻想的な雰囲気のまま、「神社の狐によって神隠しにあった」としてもよかったと思う。その場合は、できれば、今まで起きたチカラの発動は全部、現実としてあり得るもので(子供の自分にあったりはしない)、最後の神隠しだけが理屈で説明できないものにしてほしい。そうすれば、すっきりとして納得がいく。
→そうですね。個人的にはそういう終わり方は大好きなので、やりようによっては月ノ瀬さんのおっしゃったような終わりにしても良かったかな、と思います。
私がエピローグに“謎解き”を持ってきたのは、二つの理由からです。
ひとつは“結局ミルイの能力って何だったの?”と、最後の最後で白けてしまう読者もおられるのではないだろうかな、と思ったこと。
そして二つめの理由は、もし何も解決しないまま作品を終えてしまうと、つまるところ主人公はミルイに対して何も出来なかった(事実その通りなのですが)という印象が強く残り、これではいかん、と。
主人公にミルイの能力の謎を解かせることで、彼はミルイ自身も気付いていなかった彼女の弱さや、ずるさ、“物語”の裏に隠された表に出さなかった彼女の願いといった、“霧絵ミルイという少女の本質”に迫ることが出来た。そんな終わり方にすることで、主人公は“もっと早く気付いてあげられればよかったという後悔を抱きつつ、ミルイを捜す”というエンディングがより切なさや情感を盛り上げるかなと判断して、ああいったかたちになりました。
また、条件が3つあるが、2つでよかったと思う。理解するのが難しくなる。
→ここは私も悩んだところなのですが、自分で書いていて、“物語”と現実が交差する瞬間が、作者にとって都合がよすぎないか? という内なる声をどうしても否定出来なかったのです。ミルイが何か大切な想いを口にしようとする度に、“物語”が侵食してきますからね。それは作者にとってのご都合主義的展開だろう、と。だったらそこにもきちんと理由付けが必要じゃないか? という感じに。
小鳥遊さんとの会話で話が進んでいくという形式は、本文とはかなり異なる。違う物語のようにも思えた。浮いている感じがした。
→ここはまさしくその通りです。だからエピローグにしたのです。主人公と霧絵ミルイの“物語”は、もう終わりましたよ、しかしミルイがピリオドを付け忘れたので、代わりに主人公が付けますよ(そこにはもう、ミルイはいない)という意味で。
主人公が作中でも「これは僕にとってのけじめだ」と言っていますが、この言葉はそのまま作者にとってのけじめでもあるのです。
最後に。
この作品の世界に、どっっっぷりはまって、楽しい時間を過ごさせていただきました。
良い作品を本当にありがとうございました。
→ありがとうございます。作者にとって、その言葉が一番嬉しかったです。
少し話が反れますが、私のペンネームは「読んだ人が、まるでキツネに騙されたかのような、強烈な幻視体験──現実と非現実の境界を越えた、忘れがたい夢のような印象──を心に焼き付けたい」と思って付けた名前なので、月ノ瀬さんにそう言って頂いて、小説を書いてきて本当によかった、と思いました。
まだまだプロになるには未熟な点が多いですが、お互いにこれからも切磋琢磨していきましょうね♪
ありがとうございました\(^o^)/
“宵を待つ、夏の狐”より
第42話への応援コメント
第39話。
エピローグが、エピローグじゃない!
と、内心で叫びました。
いえ、れっきとした、立派なエピローグなのですが、私の予測としては「落ち着いた後日譚」「ミルイがどうなったかの結末」そんなものを描きながら、ページを捲ってここに来たので、「エピローグが!!」となったわけです。
最後の最後で、憎らしいほど引き寄せられる展開。これは予想外でした。
第40話。
ミルイのチカラのことは、白黒つけた終わり方ではなくて、幻想的なままになるのだと思っていました。子供の頃の自分たちを見た=現実ではありえないこと、が起きたのも、神社の狐のエピソード=ファンタジーを肯定するチカラ(?)、で解決したのかな、と。
第41話。
まさかの小鳥遊さん豹変。
エピローグの登場の仕方から、これは……と思ったのですが、それ以前では、彼女のことを「凄くいい子」にしか見えていませんでした。
うーん……。うなります。
第42話。
小鳥遊さんが「ミルイのお父さんのことはよく知らない」と言いながらも、お父さんに連れて行ってもらった場所を知っているのは変だな、と、思っていました! 今更書くと、後出しジャンケンみたいですけど。
小鳥遊さんの嫉妬心。人間らしくてリアルで、(良いことではないのですが)読んでいて引き込まれます。これは充分、動機になりますね。
そしてミルイのほうも、小鳥遊さんを「下」に見る自分が許せない。この気持も(良いことではないですが)実に人間らしい。
半井や杉原に嫉妬した主人公の心情も、ぐっとくる描かれ方をしていました。この作品は、そういった人間の感情と、どうしてもそう思ってしまう、嫌悪したくなる自分との戦いの物語だと思います。
作者からの返信
まさかの小鳥遊さん豹変。
エピローグの登場の仕方から、これは……と思ったのですが、それ以前では、彼女のことを「凄くいい子」にしか見えていませんでした。
うーん……。うなります。
→小鳥遊さんの描写にこだわったのは、この展開を見せたかったからなのです(ニヤリ)
小鳥遊さんが「ミルイのお父さんのことはよく知らない」と言いながらも、お父さんに連れて行ってもらった場所を知っているのは変だな、と、思っていました! 今更書くと、後出しジャンケンみたいですけど。
→再びニヤリ(笑)
さりげなく伏線を置いておいたのですが、気付いて頂いてうれしいです。
小鳥遊さんの嫉妬心。人間らしくてリアルで、(良いことではないのですが)読んでいて引き込まれます。これは充分、動機になりますね。
そしてミルイのほうも、小鳥遊さんを「下」に見る自分が許せない。この気持も(良いことではないですが)実に人間らしい。
半井や杉原に嫉妬した主人公の心情も、ぐっとくる描かれ方をしていました。この作品は、そういった人間の感情と、どうしてもそう思ってしまう、嫌悪したくなる自分との戦いの物語だと思います。
→ありがとうございます。
この小鳥遊さんの気持ち、ミルイの気持ち、主人公の気持ちは、すべて私自身が抱いていたことなのです。
プロの小説家を目指すのであれば、まずは己自身の心の弱さや醜さと向き合い、さらにそれを表す勇気を持たなくてはならないと考えていますので、月ノ瀬さんに“引き込まれます”と感想を頂いて、“あぁ……、書いてよかった。きちんと伝えられたようでホッとした”なんて思いました。
第26話への応援コメント
第26話。
感想として書くべきか否か、悩みました。
なんか「悪い」みたいに書いてしまっていますが、決してそんなことはなく、こんなことがちょっと引っかかってしまいました、というだけです。シーンとしては、逃避行? のどんどん加速して盛り上がっていくいいエピソードだと思っています。
主人公が「自分が流されるままだった」と言うことに気づき、気持ちが爆発する。ここは盛り上がりました。彼が受動的であるのは気になっていたので、良い爆発の仕方とは言えないけれども、動き出すことは、読んでいて気持ちを揺さぶられます。
気になったのはミルイ。チカラの正体が「両親が演じてくれたこと」というのは、展開として良かった(面白い、興味深い、凄いの意味で)と思います。(ただ、主人公と見た「過去の自分たち」のことがあるので、それだけじゃないと期待しています)
彼女は、まだ本当に両親に仲直りしてほしいと思っているのでしょうか。ここが気になってしまいました。
小学生の頃、まだ離婚する前の状態だったら、心の底から願っていると思います。けれど、既に離婚して何年も経っていて、彼女ももう17、8歳です。
「仲直り」の意味が「互いを罵りあったまま別れたのを謝って赦し合う」ということなら、納得できます。けれど「昔のように三人で仲良く暮らす」だと、再婚してほしいということです。自分は、まだまだ子供のままで、愛されるのが当たり前でいたい、ということです。
彼女ほど頭のいい人が、そう思うでしょうか。それとも頭はいいけれど、子供の頃の環境から精神的な傷を負ってしまい、そのため心は子供のままという感じでしょうか。
冷静に考えれば、両親が元通りというのは、不可能です。父親の方も、既に自分の生活があるでしょう。再婚しているかもしれません。
女として母親を最低と思うなら、大好きな父と最低な女を再婚させたいと思うのかも、気になります。母親のことは「汚らしい」ものとして見ていると思います。思春期の女の子の潔癖な感覚です。人によりますが、この年頃は同性の親と反発しやすいと思います。そういう感覚は、ミルイはしっかり17、8歳の精神だと思います。
ミルイ本人が自分の言っていることが、子供っぽいことに気づかなくても、主人公がなんの疑問も持たないのが気になります。
ミルイとこの主人公なら、「ミルイの家庭は元には戻らない」と承知の上で、それでも、「幸せであった過去」を求めてしまう。
主人公も、「どうにもならなくて、現在の自分までたどり着いてしまった」というやり場のない悔しさがあると思います。
ふたりとも、「『自分ではどうすることもできなかった過去の自分』が幸せであったら良かったのに」という、今更どうすることもできない思いがあって、だからこそ共感しあって、手を取り合って一緒に「ここ」から飛び出す。そんな感じなのではないか、と思いました。
いろいろと、すみません。
作者からの返信
彼女は、まだ本当に両親に仲直りしてほしいと思っているのでしょうか。ここが気になってしまいました。
→ミルイの中での家族像というのは、幼いころのまま時間が止まっています。
後で明らかになる理由によって、彼女は両親が離婚した理由が母親にあると一方的に思っていてます。それは“小箱の中に隠した物語”によって、ある種の呪いのように彼女の精神や心に影響を及ぼし、しかも「自分が上手に“物語”を創ることが出来ないせいで、家族はいつまでたっても戻れない」という自らを追い詰めてしまう性格が、さらにその思いを加速させているのです。
それとも頭はいいけれど、子供の頃の環境から精神的な傷を負ってしまい、そのため心は子供のままという感じでしょうか。
→まさしくその通りです。そもそも歳相応の精神年齢であれば、“物語”を現実にさせるチカラがある、などとは思いませんからね。
ミルイ本人が自分の言っていることが、子供っぽいことに気づかなくても、主人公がなんの疑問も持たないのが気になります。
→主人公は「そこに触れると、霧絵ミルイは壊れてしまう」と思っている(たびたびミルイのことを“危うい”と評しているように)と同時に、彼自身もかなしいばかりの現実よりも、ミルイと一緒に夢とも現ともつかない世界をたゆたっていたいと思っているのです。
……ここはもう少し分かりやすい、主人公の台詞をどこかに入れた方がよかったですね。
第25話への応援コメント
第25話。
これはあくまでも、私個人の感覚なので、正しいとは限りません。
ただ、第16話以降、すんなりと物語に溶け込めていたので、気になってしまいました。
主人公の家は貧しいです。そして、バスが結構頻繁に走っていて、交通の便はそれほど悪い土地ではないと思われます。なのに、自家用車を持っているのはおかしくないでしょうか。
これよりも前の話で、「雨だからお母さんに迎えに来てもらおうか」と一瞬考えてやめるシーンがありますが、お母さんが必死に働いている家庭で、高校生の男の子が「お母さんに迎えに来てもらう(その時は傘を持ってきてもらうことだと思ったけれど、どうやら車で迎えに来てもらおうとしていたのかな、と思い直した)」なんて、考えないと思います。
経済感覚が、あまり貧しく思えなくて、他のところがリアルな物語だけに、どうしても彼の家庭の状況がちぐはぐに思えてしまいました。
また、お母さんが主人公が就職を選んだことを喜ぶ、というのは、違和感がありました。
親ならば、進学してほしいと願うと思います。「進学か、就職か、悩んでいるから、進学校に入学した」のなら、その時点で、「多少の無理はあるかもしれないけれど大学に行かせることができるはず」と思っていたからです。
たとえ本気で、生活が楽になるから就職を選んでくれて助かった、と思っていたとしても、「あんたを収入源として期待している」とは、本人には言えないと思います。そこまで苦しい家庭なら、そして、優しいこの主人公ならバイトで家計を助けています。毎朝の朝食の準備も、幼い頃から母子家庭なら、母親ではなく子どもたちがやっていると思います。徐々に家事を覚える形で。そうでないということは、お母さんは必死にひとりで頑張る人なわけで、虚勢でも「大学行けばよかったのに」くらいは言いそうです。
作者からの返信
──経済感覚が、あまり貧しく思えなくて、他のところがリアルな物語だけに、どうしても彼の家庭の状況がちぐはぐに思えてしまいました。
→ここは自分でも認識していました。あまり経済的に苦しいという感じがしないな、と。
この小説を書く際、主人公の家庭は貧しいという設定だけれども、あまりわざとらしく貧困を描かないようにしよう、と決めていました。
というのも、既存の小説や映画では、本当に目を覆いたくなるような環境で育てられてきた主人公やヒロインがしばしば登場します。その方が分かりやすいし、ドラマチックだからです。
しかし、ある調査によると、大学生のおよそ六割は何らかのかたちで奨学金をもらっているそうです。この六割という数値は深刻なもので、もし本当にこの調査が正確なものならば、大学生のおよそ半数以上は貧困か貧困に類する環境だからです。そして当然、この六割の人たちは、幼いころから貧困家庭で育っています。
しかし貧困といっても程度の差があり、物語の主人公や社会問題としてクローズアップされるのは、多くの場合、下の下の人たち。すなわち、日常の生活をおくることさえ困難な、憲法で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」すらままならない人ばかりです。
私はそこにいつも不満がありました。
確かに社会問題として考える場合は一番酷い環境にいる人たちのことを考えなくてはなりませんが、物語にまでその決まりを遵守しなくてはならない義務はない。
そこまで極端でなくとも、下の中、下の上くらいの環境にいる人たちにも、悩みや苦しみはあり、ままならない人生への焦りや、どこにぶつけていいのか分からない苛立ちがある。
むしろ、そういった環境にある人物の方が、より読者は身近に感じるのではないだろうか。
そういった思いから、主人公の家庭は“経済的に苦しいけれども生活が立ち行かないほどではない”という、微妙な立ち位置にあります。私の家がまさにそうであるように。
しかしそれも描写のバランスの問題で、読み返してみると、月ノ瀬さんが言われたように、あまり貧困家庭という感じがせず、もっと具体的に“お金が足りない”という描写があっても良かったかな、と反省しているところです。
──たとえ本気で、生活が楽になるから就職を選んでくれて助かった、と思っていたとしても、「あんたを収入源として期待している」とは、本人には言えないと思います。
→実はこれ、私の実体験だったりします。こんなに露骨には言われませんでしたが、大学へは行かず、就職すると母に報告して(ちなみに私も進学校でした)しばらくたつと、母は自分が今まで苦労してきたこと、これから自分は老いていくだけの身であることを、折に触れて言うようになりました。
そして私自身も物語の中の主人公と同じく、周りにいる友人たちと自分を比べて、徐々に焦りが出始めたころ、いつものような台詞を言う母へ向けてこう言いました。
「お母さんは、何をしてくれるの?」
母はハッとした顔になって、何も答えられませんでした。そのとき初めて気が付いた、というふうに。
主人公はその言葉を言えなかった。彼の母親は、私が何も言わなかったころの、私の母です。
そして主人公がミルイを連れて逃避行へ行く直前のモノローグは、私自身の心の叫びであり、この作品のテーマそのものでもあります。
第17話への応援コメント
第16話以降、主人公が能動的に動き出した気がします。
もちろん、今までも、彼は悩みながらも行動し続けたわけですが、「焦り」を感じたことから「強い思い」を持つようになり、急に変わった気がします。勢いが出て、より面白くなってきたと思いました。不思議系ファンタジーから、ヒューマンドラマになった感じもします。本来、こういった人間の内面を書きたい作品だったのか、とも。
このあたりから、友人二人が登場する意味、彼の家庭が貧しい設定である意味、効果が出てきました。それまでは、「友達とのシーンよりも、ミルイについて、もっと知りたいな」「この設定いらないのでは?」と思っていました。すみません。今までの感想は、読みながらのリアルタイムの感想です。
ただ、個人的には「このシーン、設定は、要らないのでは?」と思いながら読むのは、面白みに欠けると思います。
例えば、弟がいじめられて不登校なのは、家が貧しいことを書いたところで書いてしまっても良かった気がします。そして、弟が登場するたびに、主人公が弟を気にかけているという心情を出しておけば、のちのち、何か事件があるんだな、と期待できます。(長袖の上着が伏線ぽいのは感じていました。それが明らかになる第23話を考えると、弟がいじめられていたことは先に出すのは勿体ないのかもしれません)
友人二人の登場シーンは、ほぼ同時で、印象が薄いです。それぞれの「得意」が活かされて将来への道を開いていくので、登場シーンからもっと注目できる存在のほうがいいかな、と思いました。登場シーンでは「あ、お友達が二人いるんだ」くらいの印象で、どちらが何が得意なのか流し読みの感じです。
もちろん、今まで隠しておいて、一気に明かす、という書き方もあるので、なんとも言えません。
第16話。
「半井は、しっかり将来を考えているんだな、凄いな」と言い合った杉原に、抜け駆けされたような気分、ですよね。これは辛い。
半井の家でのエピソードが、今頃になって、ずーんと、効いています。
正直なところ、今まで、あのエピソードが浮いているな、と思っていました。ミルイと関係ないので。私が浅はかでした。すみません。
(テスト終了直後に、このエピソードを持ってきたかったから、テスト期間中に小鳥遊さんのエピソードがあったのかな。
でも、それなら、小鳥遊さんのエピソードはテスト前でも良かったのかな。ミルイと図書館のエピソードと時間的に近くなるから良くないのかな……。テスト後に小鳥遊さんでもいいかな。
いや、そんなことを考えては、作者側の意図で登場人物を動かしていることになるから、それはよくないな)
第17話。
主人公の弟には、そんな事情があったんですか。
今まで、なんか変な家庭だな、なんて思っていましたすみません。
貧しい家である必要ないんじゃないか、なんて。すみません。
お母さんが一生懸命働いているのに、ゴロゴロ寝ているだけの弟、というイメージがあって、勘違いしていて悪かったなぁ……なんて。
第14話への応援コメント
たまたまタイミングが悪いだけならまだしも、ひょっとして避けられているのではないかと考えると、余計に気分が重くなってくる。(第11話)
違和感があった。
タイミングが悪いのか、避けられているのか、はっきりしない状況で、「まだしも」とは言わない気がする。
その後も三十分近く頭を捻っていたけれど、視界の端に映っていたものが焦点を合わせた途端に消えていってしまうような、歯がゆいもどかしさばかりが【改行が入っています】
募っていった。(第11話)
「時計の針は十二時半を指していて(第12話)」となっているが、 第11話で「正午の空は蒼く」となっていて、その時から主人公は30分以上悩み、そのあとミルイに1時間勉強を教えてもらったので、12時半ということはない。
第12話。
いよいよ、「不思議」の始まりという感じでワクワクしました。
そっくりな子どもたちは何者なのか。
ミルイの書いた物語が現実になる時は、現実の人間のみが登場すると思っていたので、凄く意外でした。「自分自身」が登場するということは、もっと深い事情がありそうです。楽しみです。
生徒たちはこの中休みを使って、テストに向けての勉強や今までの復習をするように先生から何度も言い渡されるが、ほとんどの生徒たちが渋々ながらもその言い付けに従う中、一部の生徒は反発心なのかやけくそなのか、ここぞとばかりに遊び尽くす輩もいる。(第14話)
一文が長いのと、「先生から何度も言い渡されるが」の「が」という逆説の位置がおかしい。あるいは、逆説でなくてよいのかも。
「生徒たちはこの中休みを使って、テストに向けての勉強や今までの復習をするように先生から何度も言い渡され、ほとんどの生徒たちが渋々ながらもその言い付けに従う中、一部の生徒は反発心なのかやけくそなのか、ここぞとばかりに遊び尽くす輩もいる。」
「生徒たちはこの中休みを使って、テストに向けての勉強や今までの復習をするように先生から何度も言い渡される。だが、ほとんどの生徒たちが渋々ながらもその言い付けに従う中、一部の生徒は反発心なのかやけくそなのか、ここぞとばかりに遊び尽くす輩もいる。」
「一部の生徒」=「遊び尽くす輩」なので、重複しているのが違和感かも。
「一部の生徒は反発心なのかやけくそなのか、ここぞとばかりに遊び尽くす。」
「反発心なのかやけくそなのか、ここぞとばかりに遊び尽くす輩もいる。」
進学を考えている半井が、遊びに誘ってくることはなさそう。
そして、小鳥遊さんが真面目に勉強しようと思っているかもしれないのに、彼女に相談しようと思うのも、主人公が身勝手。テスト明けでもいいはず。声を掛けたら、小鳥遊さんは本当は勉強したくても、来てしまうはずだから。
もし、それでも「この日に」小鳥遊さんを呼び出すのなら、主人公は「それだけ切羽詰まっている」と解釈するか、「自分勝手な人」と解釈するかになってしまうから。
小振りな足には、鼻緒のところに水色の花のついたかわいらしいサンダルが控えめに彩っていて、そこまでを見れば、霧絵ミルイほどの華やかさはないにしても、控えめながら夏らしい、涼やかな格好であるのに、彼女は厚ぼったい紺色の――おそらくは父親のものと思われる――男物の傘を脇に持っていて、重たげな黒いおかっぱ頭に被さっている姿を想像すると、どうにもアンバランスというか垢抜けない感じがする。(第14話)
小鳥遊さんの服装について、一文が長すぎ。
彼女らしさを表すのに、彼女の服装は重要な要素であるけれど、物語の本筋からすると関係ないので、分かりにくい=理解するのに労力を必要とする、ものでは行けないと思う。読者の労力はメインのストーリーの理解に使ってもらったほうがいいんじゃないかと。
第10話への応援コメント
読了しました!!
最終話の応援コメントに、一気にコメントしようと思ったのですが、文字数制限があったら引っかかりそうな分量なので、数カ所に分けてコメントします。(すごく迷惑ですね。すみません)
お返事は、何か気になることが書かれていたときや、私の書いている意味が分からなかったときなど、宵待さんが特別に私に何か言いたいな、と思ったことのみ、書いてください。なにしろ沢山書き込むので、いちいち返事していたらきりがありません。そもそも、このコメントの山を読むこと自体、大変なことなので、お暇なときに目を通すので構いません。「あ、なんか書き込まれている。(読んでないけど)サンキュー!」って感じでいいです。
途中から、物語に夢中になって、文章に突っ込むことを忘れていました。私の思考が、「こういう文章のほうが分かりやすいな」という、物語の「外」から見たものではなく、「テスト期間中に呼び出すなんて、勝手な奴!」などという、物語の「中」から見たものになっていました。
あとから、自分のコメントメモを読み返すと「そんなことに突っ込むな! そこ、全然、的外れだから!」と言いたくなることも多いです。
読み返すと、かなり恥ずかしいアホなコメントが多いのですが、リアルタイムのメモなので、そこを読んだ瞬間の読者の生の声だと思って、参考に(なるかな)してください。
主人公の家庭の生活がかなり苦しそうな割に、当たり前のように携帯を持っていて、お昼ごはんをお母さんが用意してくれているにも関わらず、お昼に出かけて、おしゃれな店で食事をしている、というのが、現実的ではないかな、と、思った。
(休日にバイトするわけでもなく、電車とバスを乗り継いだ(交通費が掛かる)ショッピングモールに行くというのは、どうなんだろう。でも、ミルイに付き合うって言ってしまったし。ショッピングモールって駅ビルにあるのでもいいのでは、とか)
主人公の家庭が一般的な家なら、なんの疑問持たないことなのだけれど、この先、彼の家庭環境が大きく意味を持つのだろうか、と思った。
(→第13話で、出てきましたね)
半井のバイトが「デバッグ」(第9話)
デバッグはバグ修正をする作業なので、高校生のバイトに「デバッグ=ソースプログラム(企業秘密であることもある)を見ることができ、かつ、修正し、その修正を信用して製品化することになる」作業を任せるのはあまりないような気がする。
バイトに任せるのなら「テスト」。内部構造(ソースコード)は知らず、使ってみて、おかしな動きをしたら報告する、そんな作業だと思う。
これはそのための機器。と、半井がラックを指す。よく見れば下の段には難しそうなパソコン関連の本がたくさん並んでいる。(第9話)
ここで半井が差したのは、主人公たちが注目したハードディスクを含む「パソコン一式」だと思う。けれど、ぱっと読んだとき、「沢山のハードディスク」のみを指すのだと思った(接続されているパソコン本体は、半井の私物だと思った)。
なので、「自由に使っていい、と言われても、ハードディスクがたくさんあったって、なんの得もないのでは?」と思ってしまいました。(実際には、借り物のハイスペックマシンを使い放題でお得、なんですよね)
誤解した理由は「外付けのハードディスク」かな、と。パソコン本体ごと借りているのなら、外付けである理由がないので、外付けと言うからには「ハードディスクのみ」借り物なのかと。
冷静に考えれば、ちゃんと分かったことなのですが。すみません。ひっかかってしまいました。(ハードディスクを複数台使うってのは、RAIDでしょうか。あまり現実的ではないような。詳しくはないのですが)
外付けハードディスクの注目するのではなく、タワー型の高そうなパソコンがあって、かなり大きなディスプレイが接続されていた、でいいような……。
「事務処理用のOS」(第10話)
「OS=(オペレーティングシステム)」は、WindowsやiOSといった、コンピュータを動かす下地のようなもので、事務処理用にOSを開発することはないと思う。
おそらく、この部分は「事務処理用のアプリケーションソフトウェア(アプリ、あるいは、ソフト)」なのではないかと思う。
……すみません。この辺は、本当に本来のストーリーとは関係のないことですね。
作者からの返信
いやぁぁぁ!
すみません、私、パソコン関係の用語とか意味とかまったく分からずにかいてました……。
恥ずかしい! これは恥ずかしいよ!
いや、調べたんですよ。基礎的なことくらいなら……と思って調べたんですけど、パソコン用語って香水の商品説明なみに特異なカタカナ語が多すぎて(?_?;)
「これは、基礎用語の辞典がいるな。あ、でも用語を知ったところで技術が得られる訳じゃない……」
となり、結局もう仕方がないので、分からないまま書いて、詳しい方に指摘してもらおう……、と。
いや本当にお恥ずかしい限りなのですが、ご指摘ありがとうございました(汗)
第5話への応援コメント
いろいろ、書きます。
けれど、私の書いたことが必ずしも正しいとは限りません。無視しても構いません。
悪いことばかり書いてしまいますが、「よさそうだな」と思って読み始めた作品で、第5話まで読んで、「いい!」と思った作品なのです。気に入っています。
だからこそ、こうしたらもっと良くなるかも? と私なりに考えたことの報告です。
悪いことばかり書いても、悪いと思っているわけでは決してありません。だったら、もっといいことを書けばいいのに、と思いますが。すみません。
第○話のところに、そのエピソードのタイトルがあったほうが、分かりやすく、目次の見た目が華やか。目次から、第一話に進む気持ちが大きくなる気がする。
(あくまでも個人的なイメージで、今から付けたほうがいい、という意味ではありません。今後、他の作品を書かれるときに、「そういえば、そんなこと言う人もいたなー」程度に思ってください)
私自身は、Web小説ではよく使われる、「段落ごとに空行を入れる」という手法は使っていません。この作品と同じスタイルです。
その私が、冒頭から数話が、文字が詰まっていて読みにくいかな、と思いました。
長い期間を掛けて書かれた作品だそうなので、始めの頃は少し書き方が違うのかもしれません。また、始めの頃は特に、主人公の語りが多いので、文字が詰まり気味、とも言えます。(会話のシーンになると、自然に改行が多くなるから)
一文が長く、かつ、一段落の文が多いです。
自分と同じなので、他人事とは思えずに、気になりました。冒頭で読んでもらえなくなってしまうおそれがある、勿体ない、と思いました。
実のところ、短く切った文章のほうが読みやすく、伝わりやすいと思います。それは承知していても、作者様が書きたいのはそういう文章ではなくて、「流れるような文章」なのではないかと思います(私がそうなのです)。
自分の中に文章のリズムがあって、それを表現したいと思う。その形容詞はなくても意味は通じるけれど、でも、その一語がないとリズムがおかしくなる、だから書く(――というのが私の場合で、ぜんぜん違うかもしれません。すみません)
だから、長い文章が悪いなんて、ちっとも思いません。(個人的には好きです)
ただ、ちょっと読みにくい。
霧絵ミルイ。それが彼女の名前だった。
彼女とはそれまでにも廊下やクラスの合同授業のときに何度か見かけたりすれ違ったりしていたけれど、僕は一度も話しかけたことはなかった。(第1話)
ここが、一番初めに引っかかった文です。
引っかかった理由は「一文が長いから」ではないかもしれません。ただ、長いので、引っかかったときに、どうして引っかかるのかより分かりにくい気がします。
読んだとき、違和感がありました。それが何故なのか、少し考え込まなければ分からないくらいの些細な事です。でも引っかかってしまう、というのは望ましくないと思います。
理由は「けれど、僕は一度も話しかけたことはなかった」でした。
文の前半「廊下やクラスの合同授業のときに何度か見かけたりすれ違ったり」とあるので、クラスメイトではないことが分かります。合同授業と言うくらいなので、学年は同じでしょう。
そして問題の、「けれど、僕は一度も話しかけたことはなかった」。この部分は「本来なら、そこそこ話しかける可能性がある間柄なのに、話しかけたことがなかった」という意味に取れるのです。
しかし、クラブや委員会で一緒というのでもないなら、別のクラスの女子と話す可能性なんて、それほどありません。それなのに「話しかける可能性がある」なら、「え? ミルイって、ひょっとしてクラスメイトだった?」なんて思ってしまったのです。
絶対におかしいということはありません。なんとなく、文の前半と後半で矛盾している気がする、だから、「?」と思った。それだけのことなんです。
でも、こんなところで「?」と思われてしまうよりも、「けれど、僕とは何の縁もない存在だった」あたりにしておけばよかったのではないか、と思ったのでした。
そんな感じの、小さな「?」が、時々あって、それで、読みにくいかな、になったのだと思います。
一段落が長いところ、メモを忘れてしまいました。
一段落が長い、というよりも、文と文の内容から言って、これは別の段落にしたほうが良い、という感じでした。
文章の読みやすさは音読すると良いと言われています。私は自分で読むのが恥ずかしいので、音声読み上げソフトに読んでもらっています。耳で聞いていると、分かりにくいところが客観的に分かります。
僕はあくびをひとつかみ殺すと、気だるい身体に喝を入れて、重たい鞄を抱え直した。(第2話)
バスで気持ち悪いと思っていた人が、「あくび」というのは、ちょっと違うと思う。
昨日のことがあったから寝不足、というのだけで、充分なシーンだと思うけれど、そこに更に「貧血」「耳鳴り」の要素を入れるなら、具合いの悪い方向が少し違うと思う。
僕は今に至るまで霧絵ミルイとはクラスが一緒になったことはないので、全て人から聞いた話だけれど、多少の誇張はあるにしても、彼女が普通一般の人とは大きく異なっていることは確かなようだった。(第3話)
音読すると辛い。二文に分けたほうがいいかもしれない。分けなくても「普通一般」は、どちらかで良い気がする。そんな言葉で一文が長くなっている気もする。
霧絵ミルイはそう言って、その無表情な顔にわずかに小悪魔的な笑みを浮かべ【ま】がら、そのまま振り返ることもなく教室を出ていった。(第3話)
「ま」→「な」
それは車が危険であるという事実を知っていながら、事故に【逢う】まで全く意識していなかったということと似ている。(第4話)
「逢う」→「遭う」
中庭には僕たちの他にも弁当を【改行が入っています】
食べている生徒やグループで騒いでいる生徒たちで賑わっていて、僕たちはその中に紛れるようにベンチに座った。(第4話)
「初対面とは心外だね。昨日屋上でキミと逢ったじゃないか」
「あれは」
僕は思わず言葉に詰まった。目の前でいきなり飛び降り自殺の真似事をしてみせた当の本人が、何事もなかったかのように再び僕の目の前に現れて、しかも運命の人とまで言われているこのおかしな状況は、あのときから既に始まっていたのかもしれない。(第4話)
やり取りがちぐはぐ。
ミルイが初対面じゃない、と言ったけれど、主人公としては「あんなの初対面とは言わない」と思っているし、そう言って良いはずの状況。言葉に詰まる必要がない。
話の流れ的には、その先の「あのときから既に始まっていた」につながれば良いので、主人公が「あんなの初対面と言わない」と言い、ミルイが主人公の言うことを聞き流すなどして相手にせず、主人公が「おかしな状況は既にあの時から始まっていた」とすればいいのだと思う。
それでも霧絵ミルイは全く意に介した様子もなく、僕ひとりが何だか気持ちを宙ぶらりんにされたまま、数日が過ぎたある日の放課後。(第5話)
「意に介した様子もなく」と言うからには、彼女の様子を彼が見ているような表現なのだけれども、実際には、「あれから音沙汰もない」ので、見ていないはず。違和感がある。
もしかしたらト書きのようなさっきの言葉を何度も僕に向けて言っていたのかもしれない。(第5話)
「ト書きのような」という意味がよくわからなかった。彼女が言ったのは「決まり文句のような台詞」だと思ったので。
小鳥遊さんが「話がある」と言っていて、主人公は(ひょっとして告白!?)と密かに思っている状況で、すぐにバスに乗るというのは、不自然な気がした。何処かゆっくり話ができる場所に移動するのだ、と思い込んで読み進めていると、二人がバスに乗ったところで「え?」と思った。
「告白するのならわざわざバス停なんかを選ばなくても他にふさわしい場所がいくらでもあるし」となっているけれども、小鳥遊さんが声を掛けたのはバス停よりも、もっと前。
告白してくれると舞い上がっているのなら、バスがすぐに来てほっとするのはおかしい。むしろ、ふたりきりにならなければ、と焦るはず。
(凄く申し訳ないのですが、失礼なことを申し上げれば、このシーンは、作者の意図で物語が進行していて、主人公の気持ちをないがしろにしていると思いました)
小鳥遊さんとの話のシーンをバスの中にしたのは、あまり良くなかったような気がしました。
電車なら降りるはずの駅を越してもホームで話を続けることができます。けれど、バスは頻繁に乗り降りがあり、揺れることも多く、終点に来てしまったら、定期のない部分は追加料金を払って強制的に降ろされてしまいます。しかも、知らないバス停だと「……ここ、どこ? 次のバスはいつ……?」ということになります。
おとなしい小鳥遊さんが、バスの運転手さんの「お客さん、終点なんだから早く下りてくださいよ」という視線に晒されながら、バスの出口で主人公に必死のお願いをするのも、ちょっとおかしいかなと思いました。(段差があるところで話している。中途半端なところでバスから降りていない)
バスの中で話す必要がないのなら、ふたりだけで話せる、景色のきれいな場所を選んだほうがシーンとしても映えるのではないかと思いました。ミルイと出会った日のように、日直の仕事などで遅くなった日ではないので、学校のそばに止まるバスがガラガラというのも不自然です。放課後になって一気に学生が乗り込んでこんでくる気がします。
情景描写は凄く綺麗だと思います。それだけに、他のところで、本筋とは関係のない疑問が出てきてしまうのが、勿体ないと思います。内容自体は素敵だと思うので。
あ、あと。小鳥遊さんが「まるで物語の登場人物みたいなしゃべり方」と言っているけれど、客観的にミルイの喋り方を聞くなら「物語の人物」というよりも「演技がかった」「お芝居でもしているみたいな」のような気がしました。「物語」という単語が出てしまうと、どうしても、タイトルの「物語の神隠し」を連想してしまって、「ああ、つまりミルイは物語を演じているのだな」と思ってしまいます。それを狙ってのことならいいのですが、「小鳥遊さんの」台詞としては、どことなく作者の意図を感じてしまいました。
(もっとも、図書館友達なのだから、「物語」という言葉が小鳥遊さんから出るのもおかしくない、ともいえて、私の意見は考え過ぎのものかもしれません。ただ「物語」でなくても「本の中の」とかのほうが自然かな)
凄くうまいと思います。だから、それだけに、ほんの些細な「?」があったときに、凄く目立ちます。
ミルイが主人公を呼び出して会話したとき、飛び降りたら普通自殺と思う。自殺するように思えなかった。などの論理的なやり取り、面白かったです。
けれど、話の本筋は、ここじゃないですよね。もっと幻想的な、「物語を現実にしてしまうチカラ」のことですよね。この先が楽しみです。
(張り切って書きすぎました。今度は、もう少し考えて書きます。すみません)
作者からの返信
すごい! ものすごく丁寧に読んで、真摯に批評して下さっているのがとても嬉しいです。ありがとうございます!
私はもともと書いた小説を読んでもらえるような友人がおらず、こんなにも深く読んで頂けることが本当にありがたいです。
さて、ではお返事を。
──文章が少し読みにくい
→おっしゃるとおりだと思います。そのせいで冒頭から読んでもらえないことも多いのかもしれません。
確かにネット小説においては、センテンスを短く、表現はシンプルに、が原則だろうと思います。
しかし私は小説を書くとき、いつも“本になった状態”を想定して書いています。
例えば文庫本でいうと、形態によって違うでしょうが、おおよそ一頁あたり40×17が平均値だと思います。そうすると、ネットに合わせた分量だと物足りない。だからこそ表現にはこだわりたい。
実のところ、短く切った文章のほうが読みやすく、伝わりやすいと思います。それは承知していても、作者様が書きたいのはそういう文章ではなくて、「流れるような文章」なのではないかと思います(私がそうなのです)。
自分の中に文章のリズムがあって、それを表現したいと思う。その形容詞はなくても意味は通じるけれど、でも、その一語がないとリズムがおかしくなる、だから書く(――というのが私の場合で、ぜんぜん違うかもしれません。すみません)
この部分、まったく同じ考えです(読んだときに、“そう! それ!”と思わず独り言を言ってしまいました笑)
──一番始めに引っかかったこと
→そうでしたか……。いや、私が学生のころ、クラスの違う男女が仲良くしている場面を結構見たもので……。
当時も今もリア充とは程遠い私には、彼らがどういう繋がりを持って仲良くしていたのか、今もって分からないのです。
なので、とりあえず“主人公とミルイは今まで関わってきたことはないですよ”という情報を早めに提示する目的で、あの一文となりました。
──あくび、というのはちょっと違う
→あれ? しんどいときってあくびが出ませんか?
とくに寝不足、低血圧、密室の人混み、がコンボで合わさると、眠いあくびと生あくびと深呼吸もどきのあくびが何度も出るのですが……。わたしだけ?
──やりとりがちぐはぐ、言葉に詰まる意味がない
→この場面で表したかったのは、ミルイと主人公とのやりとりにおける彼女の優位性(余裕)と、状況に混乱する対照的な主人公です。
二人を互角に渡らせてしまうと、のちに“ミルイの要求に主人公が付き合ってもらう”という展開が、ややしづらくなる。
なので、主人公は少し押しに弱いというか、流されやすいところをもたせ、同時にミルイはそんな主人公を引っ掻き回すという関係性を持たせています。
言葉が詰まる点については、確かに主人公は「あんなのは初対面とはいわない」と考えていますが、しかし事実だけをみれば屋上での出逢いが初対面と言えなくもない。それよりも、そのときのインパクトがあまりに強すぎて(目の前で人が飛び降りたのですから)、思い出してつい言葉が出なかった、という訳です。
──意に介した様子もなく、あれから音沙汰もない
→音沙汰もない、というのはむこうから接触して来ないという意味で、主人公自身はミルイのことを遠巻きに見てます(笑) やっぱり気になるので。
ただまあ、わざわざ描写するほどでもないかな、と。
小鳥遊さんが「話がある」と言っていて、主人公は(ひょっとして告白!?)と密かに思っている状況で、すぐにバスに乗るというのは、不自然な気がした。
→まずこの場面をバス停(およびバスの中)にしたのは、読者に“これは愛の告白ではありませんよ”という認識を早めに持ってもらいたかったからです。
というのも、序盤から主人公の目の前で女の子が飛び降り、次にその子から“運命の人”と呼ばれ、今度は別の女の子から告白される(みたい)。
となったときに、読者は「なんじゃこれ(白け)」とならないだろうか、という不安があったのです。後まで読んでもらえれば違うと分かってもらえると思いますが、何というか、いかにも告白する場面のように描くと、読者に上記のような誤解を与え、物語の展開がとっ散らかった印象になってしまうのではないか(そしてそのまま読むのをやめてしまうのではないか)と。
主人公がバスに乗ってホッとしたのは、彼の心の中で、告白されるという喜びと同時に戸惑いや混乱や恐怖もあったからなのです。
なので「バスの中で告白はされないだろう」という時間稼ぎが出来たことへの安堵からです。とは言うものの、やはり気にはなる。そこで「……で、話って?」のセリフへ繋がる訳です。
……が、考えてみれば、そういった主人公の不安や戸惑いまで描写していなかったかもしれません……。ごめんなさい。
──おとなしい小鳥遊さんが、バスの運転手さんの「お客さん、終点なんだから早く下りてくださいよ」という視線に晒されながら、バスの出口で主人公に必死のお願いをするのも、ちょっとおかしいかなと思いました。
→実はこの場面を書いたときスランプに陥っていて、小鳥遊と主人公がどういう場所で話をするかのイメージがまったくわかなかったのです。
前項の理由からあまり告白じみた場面にはしたくないし……どうしたものか、と。加えてさっさと主人公とミルイの物語を進めないと、
という焦りもあって、結果、中途半端なシーンになってしまったかなと反省しているところです。月ノ瀬さんのおっしゃるように、別にバスから降りてゆっくり話をしてもよかったじゃん、と。
こんなところでしょうか。
やはり自分では「よし! これで完璧!」と思っていても、他の方から見て頂けたら、自分では気付けなかった綻びやミステイクがぽろぽろ出てきますね。
特に具体的にご指摘を受けるとショック半分、嬉しさ半分で、何とも複雑な気持ちになります(笑)
それでも今回頂けた批評はすごく勉強になりましたし、冒頭にも書きましたが、丁寧に読み込んでくれているのが何より嬉しかったです(^_^)
これからも精進して、より高い完成度の作品を目指していきたいと思います。
ありがとうございました!
第1話への応援コメント
はじめまして。
竹神チエさんの『私の読書日記』を読んで気になったので読みに来ました。
まだ第5話くらいまでしか読んでいませんが、丁寧な文章で読み応えを感じます。情景描写が綺麗です。今のところ、ストーリーはスムーズに流れていて分かりやすいと思います。(竹神さんのところで書かれていた「分かりやすいか」というのは、この先、もっと複雑な話になったときのことをおっしゃっているのだと思いますが)
竹神さんの企画が、批評寄りの感想企画だと思っていたので、気になったことをメモしながら読み進めていたら、メモがまるでクレーマーになってしまいました。そんな感想(批評?)を貰ったら執筆意欲を失う、というようなものです。
そういうものは、求めてらっしゃらない……ですよね。
「クレーマー」というのは、話についてではなく、主に話の魅せ方の点です。こういうのは、作者によっては口出しされたくない部分だと思います。
もし、私のクレーム(?)をコメントで書いたほうが良いのなら書きますが、「そういうのはちょっと……。知りたかったのは、ストーリーの分かりやすさについてだから」と思われるのなら、ストーリーについてのみ、コメントします。どうしましょうか。
(なお、私のコメントの文章は、物凄くぶっきらぼうです。すみません。読みながらのメモなので)
時間が取れたり、取れなかったりなので、ゆっくりですが読ませていただきたいと思います。
作者からの返信
こんにちは。
読んで下さってありがとうございます!
話の魅せ方についてはおっしゃるとおり、作家によって十人十色だと思うのですが、だからこそ色んな方のご意見を窺って勉強したいと思っています。というか、他作家さんのそういった考えを聞けるのは、すごく興味深いです。
ですので、遠慮なく忌憚のない意見、感想、批評をしちゃって下さい♪
急ぎませんし、読んで頂けるだけでも嬉しいので、時間のあるときで構いません(^_^)
第39話 エピローグへの応援コメント
いよいよ核心に迫ってきました。
ミルイが登場人物?具現化した姿?小鳥遊さんがそもそもの発端?
ここにきて物語がまた大きくかしいできました。
第1話への応援コメント
こんにちは、コメント失礼します。
この度は企画に参加していただき、ありがとうございました。
夕の教室の情景に、私も沈んでしまうような文章でした。個人的な話にはなりますが、自分は三人称ばかり書いているので、一人称視点でこのような綺麗な文章が書けるんだ……と脱帽しております。
そして文体だけでなく、展開もとても気になりますね。最初の主人公の語り、そして簡単に"落ちて"しまったミルイさん……彼女のキャラクターも、とても魅力的を感じます。
続きも気になりました。余裕が出来た時に、また拝読したいと思います。
素敵な物語と出会わせてくださり、ありがとうございました!