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2017年9月26日 23:17
第25話。 これはあくまでも、私個人の感覚なので、正しいとは限りません。 ただ、第16話以降、すんなりと物語に溶け込めていたので、気になってしまいました。 主人公の家は貧しいです。そして、バスが結構頻繁に走っていて、交通の便はそれほど悪い土地ではないと思われます。なのに、自家用車を持っているのはおかしくないでしょうか。 これよりも前の話で、「雨だからお母さんに迎えに来てもらおうか」と一瞬考えてやめるシーンがありますが、お母さんが必死に働いている家庭で、高校生の男の子が「お母さんに迎えに来てもらう(その時は傘を持ってきてもらうことだと思ったけれど、どうやら車で迎えに来てもらおうとしていたのかな、と思い直した)」なんて、考えないと思います。 経済感覚が、あまり貧しく思えなくて、他のところがリアルな物語だけに、どうしても彼の家庭の状況がちぐはぐに思えてしまいました。 また、お母さんが主人公が就職を選んだことを喜ぶ、というのは、違和感がありました。 親ならば、進学してほしいと願うと思います。「進学か、就職か、悩んでいるから、進学校に入学した」のなら、その時点で、「多少の無理はあるかもしれないけれど大学に行かせることができるはず」と思っていたからです。 たとえ本気で、生活が楽になるから就職を選んでくれて助かった、と思っていたとしても、「あんたを収入源として期待している」とは、本人には言えないと思います。そこまで苦しい家庭なら、そして、優しいこの主人公ならバイトで家計を助けています。毎朝の朝食の準備も、幼い頃から母子家庭なら、母親ではなく子どもたちがやっていると思います。徐々に家事を覚える形で。そうでないということは、お母さんは必死にひとりで頑張る人なわけで、虚勢でも「大学行けばよかったのに」くらいは言いそうです。
作者からの返信
──経済感覚が、あまり貧しく思えなくて、他のところがリアルな物語だけに、どうしても彼の家庭の状況がちぐはぐに思えてしまいました。 →ここは自分でも認識していました。あまり経済的に苦しいという感じがしないな、と。 この小説を書く際、主人公の家庭は貧しいという設定だけれども、あまりわざとらしく貧困を描かないようにしよう、と決めていました。 というのも、既存の小説や映画では、本当に目を覆いたくなるような環境で育てられてきた主人公やヒロインがしばしば登場します。その方が分かりやすいし、ドラマチックだからです。 しかし、ある調査によると、大学生のおよそ六割は何らかのかたちで奨学金をもらっているそうです。この六割という数値は深刻なもので、もし本当にこの調査が正確なものならば、大学生のおよそ半数以上は貧困か貧困に類する環境だからです。そして当然、この六割の人たちは、幼いころから貧困家庭で育っています。 しかし貧困といっても程度の差があり、物語の主人公や社会問題としてクローズアップされるのは、多くの場合、下の下の人たち。すなわち、日常の生活をおくることさえ困難な、憲法で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」すらままならない人ばかりです。 私はそこにいつも不満がありました。 確かに社会問題として考える場合は一番酷い環境にいる人たちのことを考えなくてはなりませんが、物語にまでその決まりを遵守しなくてはならない義務はない。 そこまで極端でなくとも、下の中、下の上くらいの環境にいる人たちにも、悩みや苦しみはあり、ままならない人生への焦りや、どこにぶつけていいのか分からない苛立ちがある。 むしろ、そういった環境にある人物の方が、より読者は身近に感じるのではないだろうか。 そういった思いから、主人公の家庭は“経済的に苦しいけれども生活が立ち行かないほどではない”という、微妙な立ち位置にあります。私の家がまさにそうであるように。 しかしそれも描写のバランスの問題で、読み返してみると、月ノ瀬さんが言われたように、あまり貧困家庭という感じがせず、もっと具体的に“お金が足りない”という描写があっても良かったかな、と反省しているところです。 ──たとえ本気で、生活が楽になるから就職を選んでくれて助かった、と思っていたとしても、「あんたを収入源として期待している」とは、本人には言えないと思います。 →実はこれ、私の実体験だったりします。こんなに露骨には言われませんでしたが、大学へは行かず、就職すると母に報告して(ちなみに私も進学校でした)しばらくたつと、母は自分が今まで苦労してきたこと、これから自分は老いていくだけの身であることを、折に触れて言うようになりました。 そして私自身も物語の中の主人公と同じく、周りにいる友人たちと自分を比べて、徐々に焦りが出始めたころ、いつものような台詞を言う母へ向けてこう言いました。「お母さんは、何をしてくれるの?」 母はハッとした顔になって、何も答えられませんでした。そのとき初めて気が付いた、というふうに。 主人公はその言葉を言えなかった。彼の母親は、私が何も言わなかったころの、私の母です。 そして主人公がミルイを連れて逃避行へ行く直前のモノローグは、私自身の心の叫びであり、この作品のテーマそのものでもあります。
第25話。
これはあくまでも、私個人の感覚なので、正しいとは限りません。
ただ、第16話以降、すんなりと物語に溶け込めていたので、気になってしまいました。
主人公の家は貧しいです。そして、バスが結構頻繁に走っていて、交通の便はそれほど悪い土地ではないと思われます。なのに、自家用車を持っているのはおかしくないでしょうか。
これよりも前の話で、「雨だからお母さんに迎えに来てもらおうか」と一瞬考えてやめるシーンがありますが、お母さんが必死に働いている家庭で、高校生の男の子が「お母さんに迎えに来てもらう(その時は傘を持ってきてもらうことだと思ったけれど、どうやら車で迎えに来てもらおうとしていたのかな、と思い直した)」なんて、考えないと思います。
経済感覚が、あまり貧しく思えなくて、他のところがリアルな物語だけに、どうしても彼の家庭の状況がちぐはぐに思えてしまいました。
また、お母さんが主人公が就職を選んだことを喜ぶ、というのは、違和感がありました。
親ならば、進学してほしいと願うと思います。「進学か、就職か、悩んでいるから、進学校に入学した」のなら、その時点で、「多少の無理はあるかもしれないけれど大学に行かせることができるはず」と思っていたからです。
たとえ本気で、生活が楽になるから就職を選んでくれて助かった、と思っていたとしても、「あんたを収入源として期待している」とは、本人には言えないと思います。そこまで苦しい家庭なら、そして、優しいこの主人公ならバイトで家計を助けています。毎朝の朝食の準備も、幼い頃から母子家庭なら、母親ではなく子どもたちがやっていると思います。徐々に家事を覚える形で。そうでないということは、お母さんは必死にひとりで頑張る人なわけで、虚勢でも「大学行けばよかったのに」くらいは言いそうです。
作者からの返信
──経済感覚が、あまり貧しく思えなくて、他のところがリアルな物語だけに、どうしても彼の家庭の状況がちぐはぐに思えてしまいました。
→ここは自分でも認識していました。あまり経済的に苦しいという感じがしないな、と。
この小説を書く際、主人公の家庭は貧しいという設定だけれども、あまりわざとらしく貧困を描かないようにしよう、と決めていました。
というのも、既存の小説や映画では、本当に目を覆いたくなるような環境で育てられてきた主人公やヒロインがしばしば登場します。その方が分かりやすいし、ドラマチックだからです。
しかし、ある調査によると、大学生のおよそ六割は何らかのかたちで奨学金をもらっているそうです。この六割という数値は深刻なもので、もし本当にこの調査が正確なものならば、大学生のおよそ半数以上は貧困か貧困に類する環境だからです。そして当然、この六割の人たちは、幼いころから貧困家庭で育っています。
しかし貧困といっても程度の差があり、物語の主人公や社会問題としてクローズアップされるのは、多くの場合、下の下の人たち。すなわち、日常の生活をおくることさえ困難な、憲法で保障された「健康で文化的な最低限度の生活」すらままならない人ばかりです。
私はそこにいつも不満がありました。
確かに社会問題として考える場合は一番酷い環境にいる人たちのことを考えなくてはなりませんが、物語にまでその決まりを遵守しなくてはならない義務はない。
そこまで極端でなくとも、下の中、下の上くらいの環境にいる人たちにも、悩みや苦しみはあり、ままならない人生への焦りや、どこにぶつけていいのか分からない苛立ちがある。
むしろ、そういった環境にある人物の方が、より読者は身近に感じるのではないだろうか。
そういった思いから、主人公の家庭は“経済的に苦しいけれども生活が立ち行かないほどではない”という、微妙な立ち位置にあります。私の家がまさにそうであるように。
しかしそれも描写のバランスの問題で、読み返してみると、月ノ瀬さんが言われたように、あまり貧困家庭という感じがせず、もっと具体的に“お金が足りない”という描写があっても良かったかな、と反省しているところです。
──たとえ本気で、生活が楽になるから就職を選んでくれて助かった、と思っていたとしても、「あんたを収入源として期待している」とは、本人には言えないと思います。
→実はこれ、私の実体験だったりします。こんなに露骨には言われませんでしたが、大学へは行かず、就職すると母に報告して(ちなみに私も進学校でした)しばらくたつと、母は自分が今まで苦労してきたこと、これから自分は老いていくだけの身であることを、折に触れて言うようになりました。
そして私自身も物語の中の主人公と同じく、周りにいる友人たちと自分を比べて、徐々に焦りが出始めたころ、いつものような台詞を言う母へ向けてこう言いました。
「お母さんは、何をしてくれるの?」
母はハッとした顔になって、何も答えられませんでした。そのとき初めて気が付いた、というふうに。
主人公はその言葉を言えなかった。彼の母親は、私が何も言わなかったころの、私の母です。
そして主人公がミルイを連れて逃避行へ行く直前のモノローグは、私自身の心の叫びであり、この作品のテーマそのものでもあります。