応援コメント

第5話」への応援コメント

  •  いろいろ、書きます。
     けれど、私の書いたことが必ずしも正しいとは限りません。無視しても構いません。
     悪いことばかり書いてしまいますが、「よさそうだな」と思って読み始めた作品で、第5話まで読んで、「いい!」と思った作品なのです。気に入っています。
     だからこそ、こうしたらもっと良くなるかも? と私なりに考えたことの報告です。
     悪いことばかり書いても、悪いと思っているわけでは決してありません。だったら、もっといいことを書けばいいのに、と思いますが。すみません。

     第○話のところに、そのエピソードのタイトルがあったほうが、分かりやすく、目次の見た目が華やか。目次から、第一話に進む気持ちが大きくなる気がする。
    (あくまでも個人的なイメージで、今から付けたほうがいい、という意味ではありません。今後、他の作品を書かれるときに、「そういえば、そんなこと言う人もいたなー」程度に思ってください)

     私自身は、Web小説ではよく使われる、「段落ごとに空行を入れる」という手法は使っていません。この作品と同じスタイルです。
     その私が、冒頭から数話が、文字が詰まっていて読みにくいかな、と思いました。
     長い期間を掛けて書かれた作品だそうなので、始めの頃は少し書き方が違うのかもしれません。また、始めの頃は特に、主人公の語りが多いので、文字が詰まり気味、とも言えます。(会話のシーンになると、自然に改行が多くなるから)

     一文が長く、かつ、一段落の文が多いです。
     自分と同じなので、他人事とは思えずに、気になりました。冒頭で読んでもらえなくなってしまうおそれがある、勿体ない、と思いました。

     実のところ、短く切った文章のほうが読みやすく、伝わりやすいと思います。それは承知していても、作者様が書きたいのはそういう文章ではなくて、「流れるような文章」なのではないかと思います(私がそうなのです)。
     自分の中に文章のリズムがあって、それを表現したいと思う。その形容詞はなくても意味は通じるけれど、でも、その一語がないとリズムがおかしくなる、だから書く(――というのが私の場合で、ぜんぜん違うかもしれません。すみません)
     だから、長い文章が悪いなんて、ちっとも思いません。(個人的には好きです)
     ただ、ちょっと読みにくい。

     霧絵ミルイ。それが彼女の名前だった。
     彼女とはそれまでにも廊下やクラスの合同授業のときに何度か見かけたりすれ違ったりしていたけれど、僕は一度も話しかけたことはなかった。(第1話)
     ここが、一番初めに引っかかった文です。
     引っかかった理由は「一文が長いから」ではないかもしれません。ただ、長いので、引っかかったときに、どうして引っかかるのかより分かりにくい気がします。
     読んだとき、違和感がありました。それが何故なのか、少し考え込まなければ分からないくらいの些細な事です。でも引っかかってしまう、というのは望ましくないと思います。
     理由は「けれど、僕は一度も話しかけたことはなかった」でした。
     文の前半「廊下やクラスの合同授業のときに何度か見かけたりすれ違ったり」とあるので、クラスメイトではないことが分かります。合同授業と言うくらいなので、学年は同じでしょう。
     そして問題の、「けれど、僕は一度も話しかけたことはなかった」。この部分は「本来なら、そこそこ話しかける可能性がある間柄なのに、話しかけたことがなかった」という意味に取れるのです。
     しかし、クラブや委員会で一緒というのでもないなら、別のクラスの女子と話す可能性なんて、それほどありません。それなのに「話しかける可能性がある」なら、「え? ミルイって、ひょっとしてクラスメイトだった?」なんて思ってしまったのです。
     絶対におかしいということはありません。なんとなく、文の前半と後半で矛盾している気がする、だから、「?」と思った。それだけのことなんです。
     でも、こんなところで「?」と思われてしまうよりも、「けれど、僕とは何の縁もない存在だった」あたりにしておけばよかったのではないか、と思ったのでした。
     そんな感じの、小さな「?」が、時々あって、それで、読みにくいかな、になったのだと思います。

     一段落が長いところ、メモを忘れてしまいました。
     一段落が長い、というよりも、文と文の内容から言って、これは別の段落にしたほうが良い、という感じでした。
     文章の読みやすさは音読すると良いと言われています。私は自分で読むのが恥ずかしいので、音声読み上げソフトに読んでもらっています。耳で聞いていると、分かりにくいところが客観的に分かります。


    僕はあくびをひとつかみ殺すと、気だるい身体に喝を入れて、重たい鞄を抱え直した。(第2話)
     バスで気持ち悪いと思っていた人が、「あくび」というのは、ちょっと違うと思う。
     昨日のことがあったから寝不足、というのだけで、充分なシーンだと思うけれど、そこに更に「貧血」「耳鳴り」の要素を入れるなら、具合いの悪い方向が少し違うと思う。

    僕は今に至るまで霧絵ミルイとはクラスが一緒になったことはないので、全て人から聞いた話だけれど、多少の誇張はあるにしても、彼女が普通一般の人とは大きく異なっていることは確かなようだった。(第3話)
     音読すると辛い。二文に分けたほうがいいかもしれない。分けなくても「普通一般」は、どちらかで良い気がする。そんな言葉で一文が長くなっている気もする。

     霧絵ミルイはそう言って、その無表情な顔にわずかに小悪魔的な笑みを浮かべ【ま】がら、そのまま振り返ることもなく教室を出ていった。(第3話)
    「ま」→「な」

    それは車が危険であるという事実を知っていながら、事故に【逢う】まで全く意識していなかったということと似ている。(第4話)
    「逢う」→「遭う」

    中庭には僕たちの他にも弁当を【改行が入っています】
    食べている生徒やグループで騒いでいる生徒たちで賑わっていて、僕たちはその中に紛れるようにベンチに座った。(第4話)

    「初対面とは心外だね。昨日屋上でキミと逢ったじゃないか」
    「あれは」
     僕は思わず言葉に詰まった。目の前でいきなり飛び降り自殺の真似事をしてみせた当の本人が、何事もなかったかのように再び僕の目の前に現れて、しかも運命の人とまで言われているこのおかしな状況は、あのときから既に始まっていたのかもしれない。(第4話)
     やり取りがちぐはぐ。
     ミルイが初対面じゃない、と言ったけれど、主人公としては「あんなの初対面とは言わない」と思っているし、そう言って良いはずの状況。言葉に詰まる必要がない。
     話の流れ的には、その先の「あのときから既に始まっていた」につながれば良いので、主人公が「あんなの初対面と言わない」と言い、ミルイが主人公の言うことを聞き流すなどして相手にせず、主人公が「おかしな状況は既にあの時から始まっていた」とすればいいのだと思う。

    それでも霧絵ミルイは全く意に介した様子もなく、僕ひとりが何だか気持ちを宙ぶらりんにされたまま、数日が過ぎたある日の放課後。(第5話)
    「意に介した様子もなく」と言うからには、彼女の様子を彼が見ているような表現なのだけれども、実際には、「あれから音沙汰もない」ので、見ていないはず。違和感がある。

    もしかしたらト書きのようなさっきの言葉を何度も僕に向けて言っていたのかもしれない。(第5話)
    「ト書きのような」という意味がよくわからなかった。彼女が言ったのは「決まり文句のような台詞」だと思ったので。

     小鳥遊さんが「話がある」と言っていて、主人公は(ひょっとして告白!?)と密かに思っている状況で、すぐにバスに乗るというのは、不自然な気がした。何処かゆっくり話ができる場所に移動するのだ、と思い込んで読み進めていると、二人がバスに乗ったところで「え?」と思った。
    「告白するのならわざわざバス停なんかを選ばなくても他にふさわしい場所がいくらでもあるし」となっているけれども、小鳥遊さんが声を掛けたのはバス停よりも、もっと前。
     告白してくれると舞い上がっているのなら、バスがすぐに来てほっとするのはおかしい。むしろ、ふたりきりにならなければ、と焦るはず。
    (凄く申し訳ないのですが、失礼なことを申し上げれば、このシーンは、作者の意図で物語が進行していて、主人公の気持ちをないがしろにしていると思いました)
     小鳥遊さんとの話のシーンをバスの中にしたのは、あまり良くなかったような気がしました。
     電車なら降りるはずの駅を越してもホームで話を続けることができます。けれど、バスは頻繁に乗り降りがあり、揺れることも多く、終点に来てしまったら、定期のない部分は追加料金を払って強制的に降ろされてしまいます。しかも、知らないバス停だと「……ここ、どこ? 次のバスはいつ……?」ということになります。
     おとなしい小鳥遊さんが、バスの運転手さんの「お客さん、終点なんだから早く下りてくださいよ」という視線に晒されながら、バスの出口で主人公に必死のお願いをするのも、ちょっとおかしいかなと思いました。(段差があるところで話している。中途半端なところでバスから降りていない)
     バスの中で話す必要がないのなら、ふたりだけで話せる、景色のきれいな場所を選んだほうがシーンとしても映えるのではないかと思いました。ミルイと出会った日のように、日直の仕事などで遅くなった日ではないので、学校のそばに止まるバスがガラガラというのも不自然です。放課後になって一気に学生が乗り込んでこんでくる気がします。
     情景描写は凄く綺麗だと思います。それだけに、他のところで、本筋とは関係のない疑問が出てきてしまうのが、勿体ないと思います。内容自体は素敵だと思うので。

     あ、あと。小鳥遊さんが「まるで物語の登場人物みたいなしゃべり方」と言っているけれど、客観的にミルイの喋り方を聞くなら「物語の人物」というよりも「演技がかった」「お芝居でもしているみたいな」のような気がしました。「物語」という単語が出てしまうと、どうしても、タイトルの「物語の神隠し」を連想してしまって、「ああ、つまりミルイは物語を演じているのだな」と思ってしまいます。それを狙ってのことならいいのですが、「小鳥遊さんの」台詞としては、どことなく作者の意図を感じてしまいました。
    (もっとも、図書館友達なのだから、「物語」という言葉が小鳥遊さんから出るのもおかしくない、ともいえて、私の意見は考え過ぎのものかもしれません。ただ「物語」でなくても「本の中の」とかのほうが自然かな)

     凄くうまいと思います。だから、それだけに、ほんの些細な「?」があったときに、凄く目立ちます。

     ミルイが主人公を呼び出して会話したとき、飛び降りたら普通自殺と思う。自殺するように思えなかった。などの論理的なやり取り、面白かったです。

     けれど、話の本筋は、ここじゃないですよね。もっと幻想的な、「物語を現実にしてしまうチカラ」のことですよね。この先が楽しみです。

    (張り切って書きすぎました。今度は、もう少し考えて書きます。すみません)

    作者からの返信

     すごい! ものすごく丁寧に読んで、真摯に批評して下さっているのがとても嬉しいです。ありがとうございます!

     私はもともと書いた小説を読んでもらえるような友人がおらず、こんなにも深く読んで頂けることが本当にありがたいです。


     さて、ではお返事を。

     ──文章が少し読みにくい

     →おっしゃるとおりだと思います。そのせいで冒頭から読んでもらえないことも多いのかもしれません。
     確かにネット小説においては、センテンスを短く、表現はシンプルに、が原則だろうと思います。
     しかし私は小説を書くとき、いつも“本になった状態”を想定して書いています。
     例えば文庫本でいうと、形態によって違うでしょうが、おおよそ一頁あたり40×17が平均値だと思います。そうすると、ネットに合わせた分量だと物足りない。だからこそ表現にはこだわりたい。

     実のところ、短く切った文章のほうが読みやすく、伝わりやすいと思います。それは承知していても、作者様が書きたいのはそういう文章ではなくて、「流れるような文章」なのではないかと思います(私がそうなのです)。
     自分の中に文章のリズムがあって、それを表現したいと思う。その形容詞はなくても意味は通じるけれど、でも、その一語がないとリズムがおかしくなる、だから書く(――というのが私の場合で、ぜんぜん違うかもしれません。すみません)

     この部分、まったく同じ考えです(読んだときに、“そう! それ!”と思わず独り言を言ってしまいました笑)


     ──一番始めに引っかかったこと

     →そうでしたか……。いや、私が学生のころ、クラスの違う男女が仲良くしている場面を結構見たもので……。
     当時も今もリア充とは程遠い私には、彼らがどういう繋がりを持って仲良くしていたのか、今もって分からないのです。
     なので、とりあえず“主人公とミルイは今まで関わってきたことはないですよ”という情報を早めに提示する目的で、あの一文となりました。


     ──あくび、というのはちょっと違う

     →あれ? しんどいときってあくびが出ませんか?
     とくに寝不足、低血圧、密室の人混み、がコンボで合わさると、眠いあくびと生あくびと深呼吸もどきのあくびが何度も出るのですが……。わたしだけ?


     ──やりとりがちぐはぐ、言葉に詰まる意味がない

     →この場面で表したかったのは、ミルイと主人公とのやりとりにおける彼女の優位性(余裕)と、状況に混乱する対照的な主人公です。
     二人を互角に渡らせてしまうと、のちに“ミルイの要求に主人公が付き合ってもらう”という展開が、ややしづらくなる。
     なので、主人公は少し押しに弱いというか、流されやすいところをもたせ、同時にミルイはそんな主人公を引っ掻き回すという関係性を持たせています。
     言葉が詰まる点については、確かに主人公は「あんなのは初対面とはいわない」と考えていますが、しかし事実だけをみれば屋上での出逢いが初対面と言えなくもない。それよりも、そのときのインパクトがあまりに強すぎて(目の前で人が飛び降りたのですから)、思い出してつい言葉が出なかった、という訳です。


     ──意に介した様子もなく、あれから音沙汰もない

     →音沙汰もない、というのはむこうから接触して来ないという意味で、主人公自身はミルイのことを遠巻きに見てます(笑) やっぱり気になるので。
     ただまあ、わざわざ描写するほどでもないかな、と。


     小鳥遊さんが「話がある」と言っていて、主人公は(ひょっとして告白!?)と密かに思っている状況で、すぐにバスに乗るというのは、不自然な気がした。

     →まずこの場面をバス停(およびバスの中)にしたのは、読者に“これは愛の告白ではありませんよ”という認識を早めに持ってもらいたかったからです。
     というのも、序盤から主人公の目の前で女の子が飛び降り、次にその子から“運命の人”と呼ばれ、今度は別の女の子から告白される(みたい)。
     となったときに、読者は「なんじゃこれ(白け)」とならないだろうか、という不安があったのです。後まで読んでもらえれば違うと分かってもらえると思いますが、何というか、いかにも告白する場面のように描くと、読者に上記のような誤解を与え、物語の展開がとっ散らかった印象になってしまうのではないか(そしてそのまま読むのをやめてしまうのではないか)と。
     主人公がバスに乗ってホッとしたのは、彼の心の中で、告白されるという喜びと同時に戸惑いや混乱や恐怖もあったからなのです。
     なので「バスの中で告白はされないだろう」という時間稼ぎが出来たことへの安堵からです。とは言うものの、やはり気にはなる。そこで「……で、話って?」のセリフへ繋がる訳です。
     ……が、考えてみれば、そういった主人公の不安や戸惑いまで描写していなかったかもしれません……。ごめんなさい。


     ──おとなしい小鳥遊さんが、バスの運転手さんの「お客さん、終点なんだから早く下りてくださいよ」という視線に晒されながら、バスの出口で主人公に必死のお願いをするのも、ちょっとおかしいかなと思いました。

     →実はこの場面を書いたときスランプに陥っていて、小鳥遊と主人公がどういう場所で話をするかのイメージがまったくわかなかったのです。
     前項の理由からあまり告白じみた場面にはしたくないし……どうしたものか、と。加えてさっさと主人公とミルイの物語を進めないと、
    という焦りもあって、結果、中途半端なシーンになってしまったかなと反省しているところです。月ノ瀬さんのおっしゃるように、別にバスから降りてゆっくり話をしてもよかったじゃん、と。





     こんなところでしょうか。
     やはり自分では「よし! これで完璧!」と思っていても、他の方から見て頂けたら、自分では気付けなかった綻びやミステイクがぽろぽろ出てきますね。
     特に具体的にご指摘を受けるとショック半分、嬉しさ半分で、何とも複雑な気持ちになります(笑)
     それでも今回頂けた批評はすごく勉強になりましたし、冒頭にも書きましたが、丁寧に読み込んでくれているのが何より嬉しかったです(^_^)

     これからも精進して、より高い完成度の作品を目指していきたいと思います。
     ありがとうございました!