序章4 ある夫婦の物語
いつものように大学での講義をすべて終え、寄り道もせずに自宅に戻ったベルイーニ・フリストベルは夕食まで書斎に籠もることもなく、夕食の支度に勤しむ妻ミーネの顔を穴が開くほどにしげしげと眺めていた。
「どうしたの、あなた?」
彼の妻はいつもと違った素振りの夫に怪訝そうな眼差しを向けている。
「至って普通だな、ミーネ」
「えっ?」
妻は食器棚に皿を片付ける手を止めて思わず夫の顔を見た。ときどき彼女の夫は唐突な言葉とともになにを考えているのだかわからない顔をする。
「俺とお前がかつて棄てた名を名乗っていたときは“普通”からは到底ほど遠かった。毎日に酷い苦痛が伴っていたし、あるいはそれが未来永劫続くもんだとばっかり思っていた。実際、長い年月だった。でも気がつけばこの通り“普通”だ。普通に『夫婦』として暮らし、普通に子供を育て、一見すると普通に年老いているようにも見える」
「なにが言いたいの?あなた・・・」
ミーネは露骨に警戒し、そして怯えた。その先にあるのは二人にとって“禁忌”だった。なにがあっても絶対に口にしない。口にした途端に二人の穏やかでつましい日常は根底から崩壊してしまう。もう今や二人だけの問題ではなく、二人の血を分けた4人の子供たちにも関わる問題だった。
「そんなに目くじら立てて怯えるなよ、ミーネ。俺も馬鹿じゃない。こんなに平和で穏やかな日々に波風立ててどうすんのさ」ベルイーニは苦笑した。「いや、運命なんてものはさ。そこに至るまでは分からないものなのだなってことさ。ウチの家族にしたってディアとアニが普通の子供たちよりも成長が遅いことを除いてしまえば、ごく普通の平凡な家族にしか見えない。あのニブチンのトワメルなんかはその事実に気づいてさえもいない」
「そうねぇ・・・」
妻は遠い目をして過去の数々を思い返した。彼ら家族は一つところに居続けられない。どんなに気に入った場所でも滞在は数年で夫婦は「ベルイーニの気まぐれ」が原因で転居する。
ミーネは子育てを行う母親という立場上、夫がある言葉を切り出すのを極端に恐れていた。そして、ミーネはその言葉を夫の口から聞いてしまった。
「そろそろ潮時だな」
嗚呼、とミーネは内心深い嘆息を漏らした。遂に恐れていた一言が夫の口をついてしまった。
ここは住みやすい国だった。異邦人である夫婦にも親切だったし、娘達も気に入っていた。なにより父の居場所に近くて安心も出来た。出来ることならば、許されることならば、ずっとずっとここで暮らしていたかった・・・。
「・・・そう、わかったわ。荷物はまとめて数日したら出て行け・・・」
「その必要はないよ、ミーネ」
ベルイーニはある男から直伝の魔法を使った。
詠唱を破棄するかわりに、指をパチリとやるその癖も同じだった。
ベルイーニとミーネの容姿が若々しく瑞々しい姿に変わる。
「馬鹿なことはやめて、こんな姿を誰かに見られたら・・・」
人目を憚りミーネが狼狽する。
「いいから黙って俺の頭を見てくれよ」
夫の真意を測りかねながらミーネは言われた通り夫の頭を怪訝そうに見た。
「しらが?もしかしてこれって白髪なのっ」
試しに一本引き抜いてみた。あいたっと夫が叫ぶのをお構いなしに透かし見る。たしかにそれは白髪だった。
よく見ると一本だけではない。普段、ベルイーニとして見せている姿と比べれば遙かに若々しく、トワメルよりもその実年若い年齢に見える筈の夫の頭髪にまばらとはいえ白髪が目立ち始めている。
「正直言って俺も驚いた。俺たち“夫婦”が老いるなんてな」
「えっ?」
ミーネは驚き慌てて洗面所に駆け込んだ。備え付けたの鏡に自分の顔を写しみてミーネは喜びのあまりポロポロと涙を流しはじめた。
自分の頬に皺が目立ちはじめている。分け目に白髪も若干交じっている。もうそのままでも十分に「中年女」として通用するほど老け込み、肌つやにも衰えが目立ってきている。
リビングに戻ったミーネは思わず夫の首筋に飛びついて泣きじゃくった。
「どうしたんだろうね私たち、こんなことが、こんな“奇跡”があるだなんて」
ミーネの気持ちは痛いほど伝わる。他人の目を欺き、姿を偽り、名前を変えて長い長い歳月を生きてきた二人・・・
「それがさ、この前、トワメルが訪ねてきた晩に酔って寝ちまったアイツをベットまで抱えて運んでやろうとしたらどうも腰の具合が悪くて持ち上げられなくてさ、見た目こそおっさんだが中身は違うだろって苦笑して試しに鏡の前で“変身”を解いたらこのザマだった」
「そうなの、そうなの・・・」
ミーネは泣きながら繰り返した。
「さすがにソレはないだろと思って眠っているお前の“変身”も解いてみたら、普段とそんなに変わらないオバさんが横で寝ていた。あるいは酔って見間違えたかなとか、俺の中にある願望がそう見せただけなのかなと思って様子をみることにしたんだが、痛めた腰は何日もいてーわ、白髪はあるわ、徹夜のあとしばらく眠くてたまらんわ、お前はお前で世間の女どもとおんなじで化粧で化ける前の状態だわ、乳も垂れ下がってきてるわ。おまけに自分では気がついてないだろうけど、『どっこらしょ』とか、肩が凝るとか無意識に言ってるし、いよいよこれは俺たち夫婦の願いが叶ったんだと思ったわけだ」
笑いながら髪を撫でる夫にミーネは憮然とする。
「なんか私だけじゃなく、世の中の女性たちに対して物凄く失礼な言い方ね。でも許すわ。だって、本当に嬉しいもの」
「これが世に言う“所帯疲れ”ってヤツなのかと思ってある意味なるほどと納得したよ。少なくとも俺たち二人の『不老不死』の終わりは子育てで苦労することで訪れるんだってな」
「やっと、『潮時』の意味がわかったわ。『なんかあっても世話になりたくねー』なんて言ってたのをやっと改める気になって、お父様に知らせに行くんでしょ」
「ああ、皮肉にも世界中で一番時間の影響を受けないあの場所の近くでこのザマなんだし、あるいは」
「あるいは?」
「義父殿もそうかも知れないってこと。それにアニたちが育ちきる前に俺たちの寿命が尽きる可能性があるかも知れない。その場合は義父殿に子育てを任せる必要があるかもしんねー」
「ちょっ、ちょっとまってフ・・・いえベルイーニ。もしかしてだけど・・・」
「幸いにしてトワメルのヤツが義父殿を訪ねることになるらしいし、どさくさに紛れて一緒についてく。もっけの幸いにしてあっちにはちゃんと『女手』もあることだし、あの糞ガキもいっぱしになって姐さんたちも手持ち無沙汰になってることだろうし、この際俺たちは子供たちを『寄宿学校に入れたこと』にしてこの家で二人だけの余生を過ごすっていうのもアリなんじゃないかなと思ったわけだ」
「あー、やっぱりぃー」
その言葉はミーネが予想していた通りだった。母親としてはちょっと寂しくもあるのだが、ベルイーニの気持ちは十分すぎるほどに理解できた。なにしろミーネは母親だった。
「いや、俺たちはじゅーぶんに世間に恥じない親としての責務を果たしたよなっ。それに俺たち夫婦ほど子育てで苦労した夫婦はこの世界に間違いなくいない。はっきりそうだと断言できる。なにしろフツーの子供なら自分の足で立てるようになるまで2年足らずだ。俺たちは一人につき10年は夜泣きやらおしめの交換やらで寝不足に耐えてきた。反抗期だって軽く10年だ。もう、娘の顔見るのもイヤになって逃げ出したいのを我慢して足取り重く家に帰るのはヤだし、ノイローゼ気味のお前に当り散らされるのに耐えるのもキツい。その上、100年かけてやっとこさ一人前に育てた娘がいまやどこをほっつき歩いてるんだかわかんないし、なにを考えてるんだかわかんないと来ている・・・先に出てったあの二人が嫁入りする感慨に浸るなんてことはまずこの先200年はあり得ない」
「あー、そうねー。あの子たちにとっては若い頃の私たちと同じで通常の時間の概念なんてないでしょうからね。最後に手紙を寄越したのが60年前だってことも忘れてるんでしょうね」
『長女』に関しては巣立ったものだと思ってお互いに存在を気にしないと決めていた。そうそうなにか起きない限り夫婦が心配するような事態にはならないだろうし、なんかやらかしてしまったらその事実はミーネの耳に届くことになっている。あれこれ気を揉み続けるのも限界だったし、多少の騒動とご乱行にも慣れた。今も何処かで元気でやっている筈だ・・・たぶん。
「あっちはあっちで俺たちが殺しても死なないと思ってるから慌てる気なんかさらっさらないだろ。まぁ、護身用にアレも持たせているから滅多なことも起きないハズだ。それに俺が見せたアレに夢中になっている。俺に似て根が単純なバカだからなぁ・・・」
まぁ、今のベルイーニならアレなどに頼るまでもない。
寄る年波で体が重くて剣を取れなかった師匠の晩年をミーネは知らなかったが、ベルイーニは今のところはそこまで老いぼれていない。たとえ、持っているのが竹箒だろうが便所たわしだろうが20人30人の手合いなら軽く叩き伏せられる。
なにしろなににつけても反抗的だった『長女』のひねた根性をただの一発で叩き直したのだ。
『次女』に至ってはもっと複雑な気持ちにさせられる。長女の養育に手を焼く両親に『同情』して自ら要求を最小限に絞り込み、泣きもしないかわりに笑いもせず、手がかからないかわりに親離れするのも異常に早かった。
アルテアの対岸にあるハン帝國の中つの宮で暮らしていた折、まだ普通の子供で言うところの10歳程度だというのに『おじぃちゃんのところに行く』と言い出し、自ら陸路の定期馬車や船便を手配し、ベルイーニが信用できると見込んだ男性を護衛につけてアルテアに渡った。ポロニウムへの道中も馬車を自ら交渉して手配するなど、あらかた自分の力だけでなんでもやってのけて祖父のもとに辿り着いた。
報酬受け取りのために戻った護衛の男性は「私はなんにもしてないけど本当に報酬を貰って良いのですか?」と言ってきて心配しながら送り出した夫婦を唖然とさせた。
それっきりその後の消息は夫婦にもよくわからない。
よくわからないというのは『長女』の場合とは全く意味が違っており、毎月定期的に便りを寄越してきているのだが『次女』が手紙に書き記して語る内容については大学教授のベルイーニでさえチンプンカンプンで、正規の教育を受けておらず夫に教わって滞在する土地土地の公用言語をギリギリ読み書きが出来る程度のミーネに至っては「外国語?それとも暗号文?」と思うほど難解すぎて、娘がなにが言いたいのやら意味がまったくわからない。
どうやら極めて高度な研究に没頭しているらしく、それもお祖父ちゃんの居る場所に近くて遠いところに一人で籠もりきって居るらしいのだ。本人がそうしたくてそうしているらしい。
年に一度くらいは顔を見せに“下界”へと降りてきてふと気がつくとミーネの背後に物も言わずじっと立っていたりする。
そして気がついたミーネに一言。
「かあさん、お腹すいた。ひさびさにかあさんの作ったビミョーな味のシチューが食べたい。あとちょっと焦がして失敗したパンと、父さんの好みにあわせてるせいで塩っ気が濃いクリームソースのかかったこればっかりは誰も母さんに真似できない焼き加減のお肉・・・」
ミーネが腕によりをかけて作ってやると、それをがつがつ無言で食べ、食べ終わると「それじゃまたね、おやすみ」とあたかも同居しているかのような自然な口ぶりで別れを告げて姿を消してしまうのだった。
まぁ、『次女』に関しては普段の食事には心配していない。
祖父の研究と能力に関しては間違いなく隔世遺伝(?)で受け継いでいるらしく、飢えない程度には食べているだろうし、前述の通り瞬間移動の魔法も会得している。
本人にその気があれば料理の腕前はミーネが嫉妬するほど才長けた『あの方』がそばにいるせいで良い物を食べている筈であり、母親の作る得意料理をビミョーにけなすのも舌が相当肥えている証拠だろうかと思う。
『次女』の養育に関してはすべて父に任せてある。
たぶん、『次女』の言葉やら研究を正確に理解できるのはこの地上において父だけだ。あるいは、母親として産み落としたことでもうあの子に対し、してあげられることのすべてが終わっているのかも知れないと思うのだった。
それでも反抗的だった『長女』とは違い、素直に上手く示せないだけでベルイーニとミーネを心から愛しているが故に、極めて異質な己自身を自ら世間から隔離したのかも知れないと思うしかなかった。
たぶん、あの子が誰かと共に生きていける環境はこの地上のどこにもない。産まれてくるのが早すぎたのか、あるいはやがて到来する時代より前に打てる手を打つためにわざわざ早く産まれてきたのかも知れない。
そして、今現在夫婦が育てているのは『三女』と『四女』だ。なぜか女の子ばっかり産まれてくることにベルイーニは無念さを隠そうとしなかった。
なんだかんだと子育てで苦労しながら四人目をもうける気になったのも今度こそ男の子が欲しかったせいもある。
『三女』は変わり者すぎている上の子たちと比べてしまえばよくも悪くも普通の子だ。普通の子よりは感受性が強くて人見知りが激しい。トワメルが訪ねてきてもいまだに苦手にしているらしく、すすんで側に寄っていこうともしない。嫌っているわけでもないのだが、「トワメルおじさんは優しいけど哀しい匂いがするから、近寄りたくない」と言っているのが全てなのだろう。多分、“見えすぎ”てしまうのだ。
なぜか酷く警戒心と感受性が強かった昔の自分自身を見ているような気持ちになりミーネはやっと自分の子供だと確信できる子が産まれてきたと安心した。
ベルイーニも同じように思っているらしく、「この子が世間に出ていくためにはちょっと強引すぎるくらいの気概がある男の子が必要だな」と冗談だとも本気だともつかないことを言っている。
しばらくは箱入り娘だろうし、ある意味世間と少しずつ接点を持たせていくためにベルイーニが言う寄宿学校とかに通わせるのも一つの方法なのではないかと思っている。どの道、あと20年ほどで巣立つ。
そして、この子だけは間違いなく自分のように運命の男性と結ばれて子供を成し、母親の苦労を知って自分への感謝の言葉を口にしてくれることになると断言できるのだった。
実を言えば夫婦にとって一番の悩みの種は末娘のアニである。
親娘のお互いの言い分が衝突してケンカして出て行った『長女』、なにを言っているのだかチンプンカンプンだが気持ちだけは痛いほど伝わる『次女』、感受性が鋭いせいであるいは親の真意さえ見抜いた上で“箱入り”でいる『三女』の誰一人とも違い、アニだけは両親はおろか、姉妹の誰しもがなにを考えているのかわからない。
ときどきゾッとするようなことを言う。ホントのところ、アニが興味を示すにはあの童話集はまだ早い筈だった。
童話集はベルイーニが所用のためやむを得ずアルテアを訪れた際に書店で見つけたものだ。
当時はまだ『長女』と『次女』を育てていた時期で、『長女』は反抗期真っ盛り、『次女』はそんな『長女』を冷ややかに眺めている時期だった。
あまりにも性格が正反対のせいで姉妹の仲も芳しくなく、『三女』が乳飲み子だったミーネは主に『長女』が原因で起きる姉妹ケンカの仲裁に手を焼いていた。
『長女』は手が早く乱暴だったが、『次女』も黙っておらず、親からすれば深刻なほどの毒舌だった。腕力に任せたケンカでは『長女』に一方的にやられる『次女』だったが、本気で怒った『次女』に口喧嘩で完膚なきまでに論破され、『長女』は心に沢山の疵を負った。その落ち込みようは母親からしても堪らないほどで、ある意味いつも精一杯に生きている『長女』は『次女』のせいで沢山泣いた。
「あんたは私よりも長く生きている癖に父さんや母さんの苦労が少しもわかんないのね。あなたは産まれてきて今までで一度だって我慢したことがある?お腹がすいたと言って泣き、寂しいといって泣き、私が産まれても構って欲しいと泣いてきた。今も母さんがディアのために手が離せないのを知ってて悪さをしては注意を引こうとする。それでも姉なの?私はゼッタイに認めないわよ、ファル。あんたは自分自身のことしか考えてないどうしようもないクズよ」
・・・と精神年齢が6歳児程度の『長女』に精神年齢はとっくに大人並みというよちよち歩きの『次女』が吠えたのだ。さすがにミーネは聞き捨てならぬと『次女』をひっぱたいた。
「本当のことでも言っていいことと悪いことがあるでしょ。それが分からない子じゃないでしょ」
滅多に親から叱責されたことのない『次女』が突然母親にぶたれたことに驚いて珍しく泣きじゃくった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
誰にともなく謝り続ける妹の姿を見て、少なくとも自分ではないことにとっくに気づいていた『長女』は疎外感を感じた。姉としての意地があって泣かなかったかわりに心に深い深い疵を負った。
本当は時間をかけて少しずつ理解すべきことだった。それに本人も多少なりとも気づいていてわざとやっている時期でもあった。それを妹に指摘されたのでは立つ瀬がなかった。そうして姉としての責務を放棄して両親や妹たちの力にならない出来損ないのクズなのだとすっかりふて腐れ、屈折していった。
そして、一足飛びに親と相通じるほどに成長した妹をますます毛嫌いするようになった。
『長女』と『次女』の姉妹ケンカはその後も度々繰り返され、結果的に『次女』はこのまま家に居続けたら、いつか『長女』に殺されるかも知れないと身の危険を感じるようになり、祖父の許に行くと言い出して出ていった。
「二度と帰ってこなきゃいいのに」
露骨にそう吐き捨て、ベルイーニに叱責された『長女』は逆に自分の方が一度家を出たきり二度と帰らなかった。
そういう姉妹間の深刻な諍いがあった時期だけにベルイーニなりになんとかしなければと童話集を娘達へのお土産に購入したのだった。
幸いにしてその効果はてきめんだった。
『長女』は長女なりの理解力で話を楽しんだ。『次女』も次女なりの理解力で話の裏に描かれたドラマに想いを馳せた。逞しい想像力が物語の間に色を根付かせ、二人は親たちがはっきり見てとれるほど話に夢中になった。
『長女』は魔王の物語を聞いて「いつかアタシが魔王を倒して英雄になる」と息巻いた。
『次女』は「もう少しスマートな方法で陛下の理想を実現させる」とこちらも息巻いた。
その時期に関しては姉妹は魔王戦争ごっこに夢中になった。どっちがどっちを演じたかは言うまでもない。ケンカはめっきり減った。夢中になり過ぎて服を破いて帰ってくることはあったが、妙に満足そうに今日はどっちが勝ったなどと仲良くしていた・・・その時期だけはの話だったが
ある意味、二人は分かり易かった。成長して大人びて言ってることも、することも派手になったが、基本的な二人の動機は其処からスタートして今もその延長線上にあるのだ。
ある意味、屈折しているとはいえ長女・・・ファルローゼ・フリストベルは頭と口先では妹には絶対に敵わないと思っている。とにかく親に対しては反抗的でましてや自分の置かれた運命にも否定的だった。ワガママで自己中心的だったが、心が比較的普通の子供だったせいで、初恋もしたし悲しすぎる失恋も経験してわんわん泣いた。
泣きじゃくっても無駄だと悟ってからは剣術に夢中になりはじめた。頭が悪くて腕っ節だけしか頼るものがないとでも自分なりに悟ったようだった。そのあたりでやめておけばまだ可愛げのある子だったが、「腕試し」と称して様々な相手にケンカを売って歩くようになった。街の顔役やら闇の世界の住人だろうが相手などお構いなしであった。そのせいで家族は住まいを追われた。
さすがに家族全員を危険に晒したこのことに頭にきた父親が本気で娘を叩きのめした。それがまたファルローゼの反骨精神に火をつけてしまった。父に出来たことが自分に出来ない筈はないという負けず嫌いと意地っ張りから、この数十年というもの一人山に籠もって紅蓮剣の習得に夢中になっている。
将来の夢は魔王だろうが叩き斬れる勇者になることで、もうそういう娘に育ってしまった以上はある意味なるようにしかならない。あるいは母のマスター、父の師匠の域を目指した修行バカで一生を終えるつもりかも知れない。だから心配は少しだけしかしていない。
炎の四宝剣の継承者は間違いなくあの子になる。
次女のエルミーユ・サイアスは祖父と正式に養子縁組して祖父の継承者たることを家族の前で宣言した。
そのおかげで世間的には非常に複雑な関係になってしまったが、あくまで『稼業の継承』のためでベルイーニとミーネという両親を捨てたわけではない。
サイアスを名乗るようになっても突然現れての「おなかすいた」は続いている。
記憶力が抜群でしっかり者のあの子のことだから一度口にした言葉には責任を持ち、研究に邁進する筈なのだが・・・「世界の組成式」だとか「魂の構築式」だとか、「管理者の権限によるアクセスコードのプロテクト解除」だとか、親が到底理解出来ない領域奥深くにに足を突っ込んでいるらしい。
なんにせよ大変な子になったものだが、もうなるようにしかならない。
『三女』のディアドラは姉たちほどには童話集に関心を示さなかった。エルが出ていったあと、急に姉らしくなったファルが父に代わって読み聞かせていたが、話が佳境に入る前に寝てしまいファルをがっかりさせた。ただ、姉妹の中でもファルを特に慕い、件の理由でファルが巣立つとき一番嫌がったのはディアドラだった。
・・・で問題の『四女』アニだ。
「なんかおもしろいね、おじさんも、おとうちゃんも、おかあちゃんも、おじいちゃんも、そこにいたんだよね」
最初、ベルイーニはアニがなにを言っているか理解出来ず曖昧に微笑んだ。寝物語に語って聞かせていたので頭もぼーっとしている。
「おじちゃんはべるみーさまってよばれてる。なんかおとうちゃんのなまえとちょっとにてるね。だからおじちゃんのことだいすき。おじちゃんはね、いっつもおうじさまなんだよ。だってかっこういいもんね」
そこまでだけだったら、アニの感受性と想像力が優れており、トワメルのことが心底大好きなのだと思うだけで済んだ。だが、そのあとがいけなかった。
ベルイーニは思わず跳ね起きて末娘の顔をまじまじと見据えた。
「ねぇ、おとうちゃんはなんでふれいあってよばれているの?ふれいあはおとうちゃんのおかあちゃんのなまえだよ。おかあちゃんがみねばってよばれているのもなんでだろう。おじいちゃんはまおうさまだよね。でも、どうしてつむぎさまやおれさまがいないのかな?めすびるおじさんがおかあちゃんのさいしょのごしゅじんさまで、おとうちゃんはおじちゃんのぐれんけんをうけついだんだね。こんどはふぁるねぇちゃんのばんだ」
この一言にベルイーニは真っ青になり、先にディアドラを抱いたまま休んでいたミーネを思わず叩き起こした。そしてこの子、アニだけは表に出してはマズいと思うようになった。ミーネも同感だった。
アニは産まれながらにして天然の予言者なのだ。悪意などはこれっぽっちもない。だが、この子には過去が、あるいは未来に起きることさえもはっきりと見えている。それがなにかのキーワードによって呼び覚まされるのだ。
善悪の分別や話して良い相手とそうでない相手を選ぶようにならない限りはこの子に滅多なことを言わせてはならない。あるいはどのように扱うべきか義父殿に相談しなければならないとベルイーニは本気で思い詰めた。
幸いにしてアニが大好きなトワメルに関してはこう言うだけでよかった。
「おじちゃんはね、昔たくさんつらいことがあってたくさん傷ついてきたんだ。だからおじちゃんにそのことを話したら嫌われてしまうよ」
するとアニは、
「そうだね。おじちゃんがおんなのひとのまえでないてる。おくさんがあかちゃんといっしょにしんじゃったんだって。おじちゃんのおとこのこもせきがとまらなくてとってもくるしそう。おじちゃんはびんぼうでくすりをかうおかねもなくて、だいじなたんけんをうっちゃった。でもくすりがまにあわなくておとこのこはしんじゃった。おじちゃんはとってもかわいそうなひとだね。だれもみえないところでけんをぬいて、ひとりでないてる。しにたい、しにたいってないてる」
やなこと聞いたなとベルイーニは正直思いながらも、たぶんこれで二度とアニがトワメルの前で余計なことを言わないと確信できた。あとはベルイーニ自身がトワメルの過去に対して必要以上に同情的にならないように振る舞うだけだ。
アニの語った話はトワメルが語りたがらない亡国と放浪の時代だと思われた。なにかあるとは察して絶対に深く掘り下げて聞かなかったがアイツも辛すぎる過去を背負っているのだ。あの強靱な信念と意志の塊が家族の死に自殺を試みた過去を抱えていたなんて・・・
そのことを考えるだけでアニの恐ろしさは筆舌に尽くしがたい。ベルイーニやミーネ、そして祖父であるリーアムの過去だっていつ洗いざらい暴露されるかも知れないのだ。
だが案に相違するということは往々にしてあるものだった。
フリストベル夫妻の語らいから100年後・・・
西大陸サンドロードの交易都市フォルナー
子供たちが一斉に通りを走り抜けていく。
「しじんのおねぇちゃんがきたよー」
誰ともなくそう叫んで広場へと集まり始める。
子供たちばかりではない良い年をした大人や年寄りまでもが彼女が到着すると聞いて一日中そわそわしっぱなしだった。
その詩人はただの詩人ではない。
どこの街でも彼女が現れたという噂はたちまちにして広まり、瞬く間に黒山の人だかりが出来る。彼女が到来すること自体が「お祭り」であり「イベント」だった。屋台が建ち並び、会場となる広場は大賑わいとなる。
彼女には不思議な魔法の力があった。望む者すべてに同じ韻律で物語を聞かせるのだ。
そのくだりさえも有名な詩になっていて、詩人の実の姉で大魔導師エルミーユが妹の詩を聞きたいばかりに窓から身を乗り出して足を踏み外し三階から転落して亡くなった少年を悼み、詩人のたった一つの相棒であるギターに魔法をかけたのだ。
近くでも遠くでも同じに聞こえる素晴らしい魔法。鮮やかな魔法を施した魔導師もさることながら、そんな悲しい出来事さえも物語に仕立てて人々の心に刻みつける詩人の技量も素晴らしかった。
どこにいても望めば聞こえるので、恋人たちは人波を離れ月を眺め肩を抱き合いながら聞いたし、足の悪い老婆は自宅で糸繰りの手を動かしながら聞き入った。警備の仕事をしている兵士たちも、屋台でもろこしを焼く物売りもみんな聞けた。
それでも年若き詩人の美しい姿と物語の佳境で披露する麗しいダンスを一目見たいばかりに最前列はみっしりと人で埋め尽くされている。人々で埋まる広場の真ん中にぽつんと置かれた椅子が詩人のアニだけに許された玉座だった。玉座の隣には彼女が愛してやまないバーボンも置かれる。
彼女はきっちり一週間だけ滞在してその間に人々の目と耳とを楽しませ、次の街へと渡っていく。
生きた伝説の吟遊詩人と謳われるアニ。半日遅れで隣町から到着した辻馬車からあらっぽいほどに引き出された彼女は歓迎で抱き寄る子供たちにもみくちゃにされながら、旅の垢もそのままに広場に引き立てられていく。
相棒のギターと亜麻色の髪に緑の帽子。彼女の母ミーネが長女ファルローゼの為に仕立て、姉が自身の手で妹に合うサイズに仕立て直したカーキ色のスカート。
そして、彼女の大好きなおじさまことトワメル・ティグレーンが送ったとされる臙脂色のブーツ。
「いずれ必要になる。だから、これを見たら私たち家族を思い出して欲しい。苦しいことがあったときは決して一人じゃないんだと思い出して欲しい」
別れ際のトワメルはそうつぶやいて、まだ幼かった彼女を力一杯に抱いた。アニにはわかっていた。トワメルとはそれが最後なのだと・・・
不意にそんな過去の感傷が胸を衝き、一瞬自分の置かれた場所を見失う。だが、アニは大勢の家族に囲まれて楽しく過ごした一夏の想い出を愛しげに旋律に変える。
彼女の形の良い唇が開かれるのを皆が固唾を呑んで見守る。
「いやぁ、ありがとう。いつもほんとうにありがとう。またここで一晩中弾いて語るよ。じゃっ」
相棒のギターをポンポンと叩く。それが魔法の始まりだった。
流れる雲、遙かな大地で
人々は生き、笑い、戦い、泣き、やがて、永遠の眠りに落ちる
うたかたも消えて寒空へ呑まれ、輝く星になる
これは我が祖父の話
これは恋の話
黒き乗り手と
呪いの剣と
悲劇の女性と
龍と闇と
過去と今と
物語は開く~♪
こうして最初の物語は語られることになる。
《黒き徘徊者》が泉のほとりで目の不自由な娘と出会うその場面から。
だが、出来ることならばもう少しだけ私の語る序章を聴いて欲しい。
続く
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