第2章 その男、フリーアン
創世記
はじめに龍ありき。
龍は大陸各所にその存在が確認されり。
やがて始祖の魔術師が現れ、眠れる城の封印を解けり。
眠れる城にて封印されし人間と魔族とはやがて生活域を広げ、大陸にも満ちるようになる。
始祖の魔術師と龍が一体いずこから現れたかは分かっていない。
後に人々は『真理の門の向こう側』だと推察せり。
始祖の魔術師は東の果てにある塔を根城とし、求めに応じて人々に知恵と魔法を授けり。人々は始祖の魔術師を大賢者と崇め、大賢者は最初の王が誕生する見届け人となり、王は塔の周囲を大賢者に授ける。
最初の王は全土を平定し、善政を敷く。
しかし、大陸に散った人間たちはそれぞれに各地を支配して王を名乗り、やがては争い合うこととなるのだった。
吟遊詩人アナロータ・フリストベル
0.運命の交差点
まさかこんなことになるなんて・・・
そういうはじまりもあって、やがてそれが「運命」と呼ばれるものだと分かってもなお、その時点においては「まさか」から始まる。そういう物語もある。
そして皮肉なことに、このボク自身の物語の中で「まさか」は何度も起きる。
だけれども「奇跡」ではない。奇跡はこの世に存在しない。現実の中で起こりうることの中で想像の範疇を超えた出来事。配剤が揃い、カードが並んで意味を成す。その過程が認知出来なかっただけで既にヒントは示されていて、事態の兆候はとっくに現れていることも多い。
想定外の出来事が起きることはある意味想定内なのかも知れない。「神様」にすら分からない出来事、気付くことが出来ないあまりにも些細で小さな物語。
やがて、小さな出来事が奔流となって横たわる。小さな雨粒が大河となるように。
わかっていたつもりだった出来事。わかっていたつもりだった未来。
だが、それはボクにとって特別でその先数百年に渡る運命のはじまりだった。
重ねて言うが奇跡なんてこの世には存在しない。すべてが仕組まれている。
皮肉にも神様に「奇跡」を求めた直後に「まさか」が起きた。
奇跡の代償としてボクは一人の逃亡者に堕とされた。自分自身が半生をかけて構築したシステムから逃れる憐れな逃亡者。それがボクだった。
1.はじまり
ボクにとって物心というのがいつから備わったかは正直な所わからない。
最初にある記憶というのは孤児院を叩き出された所だろうか?いや、孤児院時代の出来事は断片的にではあるが覚えている。正確をきせば、それよりも以前だということになる。
孤児院に入る前は、養父母に育てられていたらしい。なかなか育ちもしないボクを養父母は辛抱強くよく面倒見てくれたらしい。「取り替え子」だと分かっていてそれでも育てるというのは並大抵のことではない。それは後々、ボク自身が思い知ることになる。
ただ、残念ながらボクが育ちきる前に養父母の寿命が先に尽きてしまったらしい。仕方なく孤児院に引き取られたらしい。伝聞形にならざるを得ないのはその頃まだ自我も記憶もなかったからだ。
フリーアンというボクの名は養父母がつけたものではない。ボクが産まれてから初めて発した言葉らしい。ではそれまでなんと呼ばれていたのか?実際、分からないことだらけだ。
せめてもの温情として自分の足で歩けるようになるまで置いてくれただけでも孤児院には感謝しなければならない。社会の構造と時代背景を後に知ったボクは貧しい食事と狭い部屋での生活が実は得難いものだったのだと後に知る。
魔王戦争後の復興は実際のところなかなか進まなかった。
おそらく戦争勃発頃に産まれたと考えられるボクだが、戦争の終息から100年が過ぎても普通の人間で言うところの幼児程度だった。
孤児院も立ちゆかなくなるほどに国は荒れ果て貧しかった。
フィーブル王国。
王都ベルーシの近郊でボクは食べていくためになんでもやった。畑に入って作物を盗み、森に入って動物を捕らえて食べ、山に入って野草やらキノコやら取りあえず食べられそうなものならなんでも食べた。
実際ヒドイ目に遭ったのも一度や二度ではない。キノコに中毒ったり、畑に入ったら農家の親父が怒り狂って逃げに逃げ回ったり、野犬の群れに食い殺されそうになり木の上で一晩中怯えて過ごしたり・・・思い出すだけでも嫌になる。
ひどく成長が遅いのもあるいは栄養状態が不十分だったからなのかも知れない。
そんなある日、変なヤツに出会った。
なにが変かって今まで目にしたことのあるどんな人間とも違っていた。
・・・というより、目の前に青い光の輪っかが現れ、そこから現れたのだ。
後に知ることになるがそれは「テレポート」という非常に高度な魔法らしい。
要するにそういうことさえ簡単にやってのけられるヤツだった。
丁度、罠にかけた野ウサギをバラしにかかっていた最中だったが、様子がおかしいと感じて身構えていたのだ。他はともかくカンだけは冴えている。
青い光の中から現れたのは、目立たない身なりの風采の上がらない30代くらいの男だった。
「アンタなにものだ?」
当然の如き質問に対してその男は少々面食らった様子だった。
「お前こそなにやってんだ?」
質問に質問で返す無礼なヤツだ。だが、ボクは敢えて『大人になってやる』ことにした。
「見ての通りさ、捕まえたウサギを解体中。足は切り取って干しておけばお守りがわりになるらしいんでさ、街に持ち込んで小銭に換金。はらわたはマズイけど栄養にはなる。肉は焼いて食う。皮はなめしてコレも換金だな」
「逞しいなぁ、その年齢で」
男は感心したとも呆れたともつかない顔を向けている。
「つーかさ、生きてるだけで奇跡みたいなもんなんだよ、ボクは」
「というと?」
「孤児院おんだされてからずーっとこんな調子。というより大分マシにはなったかもな。誰に教わったでなく罠も仕掛けられるようになったし、小銭の稼ぎ方も覚えた。まっ、今もちょいちょい盗みで食い繋いでる」
「はー、可愛くないガキだなぁ。嫌われてるだろ」
男の指摘は間違いじゃない。『嫌われている』どころの騒ぎじゃない。『忌み嫌われている』・・・つまりは『捕まえたらぶっ殺す』というレベルだ。顔を見られた途端に血相変えて追い回すヤツらには事欠かない。
「可愛いければ男妾でもやるってか。冗談じゃねぇ。自分自身は売り物にしないのがボクの主義。だいたい人から触られるなんてまっぴらだ。食い物と寝床さえあれば何処ででも生きてけるって。だから高望みはしない。とっくに縛り首になるだけの罪を重ねてる。でもそれがボクにとって生きるってことだもんよ。しゃーない」
男は大きなタメ息と共にひょいと手の平に取り出した金貨の袋を放るなり消してみせた。
「おっ、今のなにさ」
「魔法。・・・というかその年齢だったら生活に困ってると思って一応用意はしたんだけど、その様子だといらないみたいだな」
魔法というより手品だった。
「まあね、なにしろ国自体が貧しいんだぜ。そんな大金持ってた日にゃ命が危なくて仕方ない」
音とパッと見だけど、ざっとどの位かは勘定出来る。というのもいよいよ追い込まれたらスリ稼業を働いていた。
けどスリ取るのはせいぜい銅貨が数枚の財布だ。それも財布ごと盗むと間違いなく手配されるんで、数枚だけくすねたら返してやっている。やられたと気付いても、盗られたのが数枚だと勘違い扱いされて衛兵たちも取りあわない。それも経験からの知恵だった。
「大体この見てくれで金貨なんざ換金しようもんなら間違いなく後を付けられて巻き上げられる。良くてソレさ。悪ければその場でしょっぴかれる」
「・・・仕方ない出直すとするか」
「はぁ?出直す?」
そもそもこの男は一体なにをしに現れたのだろう。
「おいオッサン。そもそもなにがしたいんだ?金貨をタダで恵んでくれるってか?酔狂にも程があるぜ」
男は露骨にイヤそうな顔をした。
「お前に『貸し』を作ろうとしたんだよ!」
「間に合ってる」とキッパリ即答した。
「あー、どうやらそのようだなっ!なんでも一人で出来るって粋がってるガキに『貸し』作るなんてそもそも無理難題のようだしな」
「ていうかオッサン、そもそもなんでボクに『貸し』を作る必要があるんだ?」
「『借り』があるんだよ。今のお前には見当もつかないだろうけどな」
「てか、そもそも初対面のオッサンにどうやって『貸し』つくったんだ?なんかやったっけ?」
男の我慢も現界に達したようだった。
「あー、もう面倒臭い。未来のお前に『借り』・・・っていうか本当は過去なんだけど・・・あー、イライラする。要するにいずれお前はいずれこのボクに正式に対面することになるんだよ、フリーアン・フリストベル」
「ちょいまち。確かにボクはフリーアンだけど、フリストベルってなんだ?」 庶民は姓を名乗れないし、名乗る必要もない。今の所は手配書の名前が少しばかり長くなるだけしか意味がない。
「あー、もー、いちいち面倒だなぁ。ボクになにかして欲しくなったら名前を呼べ。リーアム・ポロニウス・サイアス。忘れるなよ。それがボクの名だ。面倒だからリーアムでいいぞ」
「ん?マテよ。どっかで聞いた名前だぞっ?」
そのときのボクは気付かなかった。その名の持つ恐ろしさに。
「いつでも駆けつけてやる。というか、たった今お前に魔法を仕込んだ。『リーアム』に反応して発動する。頭の中で考えるだけならいいが声に出したら発動しちまうから気をつけろよ」
「『助けてリーアモ・・・』・・・みたいなカンジか?」
わざと末尾だけ変える。慎重さにかけてはボクの右に出る者なんていやしない。うっかり発動させても今の所は『肩揉んで』くらいしか頼み事がない。というよりない。
限りなく胡散臭いことこの上ないが、どうやらこの男の魔法に関しては相当のモノのようだ。つまり、いよいよヤバイということになったときには、生きる上での保険になる。
「つくづくすっげえ嫌なガキだなお前。まー、そんなカンジだ」
「へいへい。それよりオッサン。折角だからウサギ食ってくか?」
「いらんわっ。その気になればこうだ」と言った瞬間に、リーアムの手の中に丸々と太った生きたウサギが居た。しかも相当上物らしい。
「おー、すげえな」
「だいたい誰がお前みたいに自分で解体して食うもんかっ、野蛮人っ。じゃ、いずれな」
ウサギを投げて寄越すとリーアムは青い輪っかを呼び出して例の如く消えた。礼をいう間もなかった。
リーアムが消えた瞬間にふと思い出した。
魔王リーアム。
かつては『知の番人』あるいは『東方の大賢者』と呼ばれ、大陸の東の果てにある島国の更に東の果ての塔で番人をしていた人畜無害な魔術師・・・だった。
『魔王戦争』という人類史上最悪の災厄を引き起こすまでは、の話だ。
幸いにしてその名を口に出す者などやたら滅多にいやしない。そんなことは子供“でも”知っている。
孤児院で暮らしていた頃、世話役の寝物語で聞き知った。リーアムという名が呪われた魔王の名で、その名を口に出すこと自体が憚られると世話役は語っていた。
おとぎ話の類いではなく、まさに現実の教訓だ。実際、このフィーブル王国が寂れ果てたのだって、若い働き手が兵士としてかき集められて戦に駆り出され、一人として帰らなかったことによる。
結果的に出来の悪い大人と女子供と年寄りしか残らなかったし、結果的にそんな連中ばかりだったせいですっかり荒れ果てたのだった。
(つーか、なんでも自在の魔王にどうやって『貸し』を作ったんだ?)
ボクはまだ抵抗しているウサギを片手に途方に暮れた。
2.ボクらの革命
リーアムとの出会いからかれこれ100年近くが経過した。いまだその名を呼ぶ必要も、その機会もなかった。
それというのも、幸いこの上ないことに同類の相棒と巡り会ったのだった。
ギリアム。
見た目はボクよりも年上に見える。身長が高いせいもあった。だが、この世で生きた年数については似たようなものだとヤツ自身が語った。
それまで『相棒と組む』という発想自体がなかった。だが、一人でやってきたことを二人でやれるようになると遙かに効率が良くなる。安全も確保出来るし、手の込んだ芸当だって出来るし、危険も減る。なにより気易い話し相手が出来たことが孤独を紛らわせてくれた。
ギリアムもそれに関しては全くの同感だったらしい。一人で苛酷極まりない世界を生き抜いてきた。そのためにならなんでもやったというのは似たようなものだった。
なによりギリアムは腕利きだった。『人を殺す』ことにかけてはボクなんかよりも遙かに上を行った。
邪魔なヤツは『消して』しまう。なんの躊躇もなく、ギリアムは人を殺した。
人殺しに関して、ギリアムを悪く言えたギリはない。ボクだって追い詰められたら、相手を容赦なく殺してでも身の危険を切り抜ける。それが生きるということの意味だった。
どうして?と問われてもそれがこの苛酷溢れる世界のルールだった。
弱肉強食。
あるいはリーアムと遭った頃よりも、ボクは遙かに世情に通じていた。ギリアムと話すことで更に視野と世界とが広がった。
フィーブルは相も変わらず貧しい。・・・が、そうでない国もあるということを知った。
復興が早かった地域ではすでに魔王戦争の災禍はとっくに過去のものとなっていた。そして、乱世は再び西大陸を覆っていた。
人間同士の醜い争い。王様たちの支配ゲーム。
戦争に勝てば国土が広がり、新たに支配した土地でなんでも奪うことが許された。いや、罰する者がいないから“なんでも出来た”。生きるために必要なことだからではない。力をひけらかし、己の名を歴史に刻みつけるためにだった。
思えば、魔王リーアムという人智を超えた強大な存在がいたからこそ、人間は団結して戦うことが出来た。あるいはリーアムこそ、人の傲慢を罰する『神』だったのかも知れない。
ボクが遭ったあの風采が上がらない男が魔王リーアムその人なのだとしたら、あの男は人間ほど欲深くない。それどころか、訳の分からぬ理由でなにも知らないボクに『借り』を返すためにわざわざ現れた。
必要としないから金貨の袋を一瞬だけ出してやめた。こともなげにウサギを取り出してそれをサービスとして投げていった。
気前が良すぎる。
物欲などそもそも“ない”のだろう。欲しいモノ、必要なモノは全てその手にある。なければ魔法で取り出せる。だからこそ、かつては何も特別なことを望まない人畜無害な存在で居たのだろう。
人間達に支配や服従を求めたか?いや、魔王を僭称したリーアムはあらゆる国を単に嵐のように通り過ぎていった。正に災厄だった。
立ち塞がった者たちと戦った。なんのためにか?それも定かではない。
誰もあの男を理解しようとはしなかった。なにを成そうとしたのかさえ分からなかった。だから、なにも記録が残っていないし、単にその得体と底の知れない強大な力を畏れることしか出来なかった。
なぜ?初対面で少し会話をかわしただけで、あの男が理解できた。プライドだけが異様に高いことだけが珠に傷の、気さくで話の分かる男。あきれ顔でもちゃんとボクの話を聞いた男。
たぶんあの男は人間が嫌いだ。話を聞こうともしない、相手の事情を知ろうともしない。なんでもかんでも力尽くで解決しようとし、『弱肉強食』こそがこの世界の唯一無二の絶対的ルールだと考えている人間が嫌いなのだ。
心の何処かであの男に自分を重ね合わせていた。
ギリアムもボクも好きでこんな身体に、つまりは年を取りにくい体質に産まれたのではない。
自分が生きるため以外に・・・たとえば快楽のために誰かを傷つけ殺したこともない。食べるために、生きるために盗んだ。その必要がないときは自力で獲物を捕まえるなりした。
獲物が捕れない冬場をしのぐために盗んだ。けれども全部ではない。
盗む相手だってなけなしの金品で齧り付くようにして生きているのだ。全部奪ってしまったら命を奪うのと同じことになってしまう。
人間に『値段』をつけたこともない。『商品』だと思ったこともない。
この歪んだ世界は誰あろう人間によって歪められたのだ。魔王の仕業なんかじゃない。
二人でコンビを組んで食うに困らぬようになったことで、いつしかボクとギリアムは『義賊』と呼ばれるようになっていた。生活に余裕が出来たので同じように不遇な境遇に置かれた『取り替え子』の子供たちに住処を与えて食わせていた。子供たちに色々と教えるために、少しは学も身につけなければと二人で文字を書く練習をし、読めるようになると本を読み漁った。
やがて、ボクらはフィーブル王国が『支配するに値する価値のない国』だから侵略されないという事実を知った。資源が乏しい。産業も技術もない。人口も少なくて兵士も少なく軍事力もない。
貢ぎ物を差し出して哀れみを請う。つまり大国に朝貢することで辛うじてギリギリ成り立っている国だということを知る羽目になった。
それでも、もっと豊かな国に行こうとは思わなかった。
この国で育った。この国で散々悪事を働いた。国というものはそんなに簡単に捨てられるものではなかった。
この国の最大の貢ぎ物。それは女だった。
少しでも器量の良い女は『奴隷』として『値段』がついて他国に贈られる。
だから人が増えず、実入りも少なく、奪い合いばかりが生じ、ゴロツキばかりが溢れている。
ボクら取り替え子たちが孤児院で育てられるのは、あるいは子供を産む筈の女たちが奪われているという現実があってのことかも知れない。たとえそれがバケモノの子だと分かっていても無力に泣かれると愛おしくなる。
この世の誰に同じ人間を売り買いする権利がある。
そんなことをギリアムと二人で夜通し語り合った。
そんなとき、ボクらと全く同じ事を考えている人間が王宮に居るという噂を耳にした。
フィーブルに掃いて捨てるほど居る悪党たちを集めてなにかをやらかそうとしている男。それはこの国の王子だった。
「“まさか”と思ったよ。二人組の凄腕の義賊。私が子供の頃から活躍していると聞く。大使館を荒らし回って金品を強奪し、孤児院を影で支援し、朝貢の女達を奪い返していると聞く。キミたちの方からわざわざ出向いてくれるとは思わなかった」
かつて耳にしたことのない上品な言葉遣いでその男は微笑みを浮かべながら窓から闖入したボクとギリアムとを歓迎した。
アレント・ヴァズイール王子。
王宮にすら忍び込もうと思えば忍び込める。いや、何度か忍び込んだことがあった。
王宮とは名ばかりでめぼしいものなどない。他を知らないがためにそういうものだとばかり思っていた。
「アンタが面白いことをしていると聞いて詳しく聞きたくなった」
「ふむ」
「何故この国は貧しい。何故この国は女を奴隷として他国に贈らなければならない。何故みんな変わろうとしない。ボクとギリアムは変わろうと思った。もっと沢山のことを知れば『盗人』でも『義賊』でもなく、なにかを成せると思った。誰も教えてくれなかったせいでボクらは裕福なヤツらから奪うことしか出来なかった」
「なんのために産まれてきたかをコイツとよく話した。年を取らない身体を維持していくため、多くを奪ってきた。奪うばかりで与えることが出来なかった。今は奪ったものを与えるようになった。ガキどもを養うようになった。それでわかった。知識があれば奪う必要などない。学があれば、もっと別の方法で養うことが出来る。俺たちですらそう思った。学のあるアンタならなにか方法を知っている。そう思ったからここに来た」
堰を切ったようにボクとギリアムはアレントに語った。
意外だったのはギリアムの話の途中で、アレントがむせび泣きし出したことだった。
「私には学はある。だが、技術がない。自由もない。時間も限られている」
「俺たちには学がない。忍び込む技術、奪う技術、殺める技術はある。なにより自由で、時間はウンザリするほどある」
「王子。ボクたちはなにをしたらいい?どうしたらこの国を豊かに出来る?子供達に学問を学ばせて、女達に子供を産ませて、なにより厄介者扱いの俺たち『取り替え子』が誰かの役に立つ?」
アレントは居住まいを正して向き直った。その真っ直ぐな眼差しにボクらは・・・少なくともボクはリーアムに通じたものを感じた。
「金品を奪う必要なんてないんだ。情報だ。情報は金になる」
「情報?」
「そう。中原諸国は戦に明け暮れている。だからこの国の貢ぎ物は女たちばかりじゃない。男手も多く奪われている。だから、新しい産業が興せない」
「情報を奪えばいいんだな。王子ならそれを金に換えられるのか?」
「そうなんだ。幸いにしてこの国は戦を出来る状態にない。だからゲーム盤から見事に弾き出されている。この狂った世界で何かを変えられるとしたら情報だ。軍の情報。要人の動き。物と人の流れ。全てが情報だ」
「そんなものが金になるのかっ!」
怒ったのではない。ギリアムは声を張り上げ、頭に雷が落ちたかのように身震いした。今まで思いつきもしなかった発想に頭に雷が落ちたような衝撃を受けたのだ。
「あるいは誰かの命。人間は決して『平等』なんかじゃない。それぞれ命に値段がついていて、ある者の命は高額だ。この私にさえ、値段がついている。たまたまこんな貧しい国の第三王子だから安いものだし、誰も狙おうとしていないだけの話だ。キミたちの方がよっぽど高値がついているよ。大使館を荒らしているせいで、キミたちには高額の懸賞金がかけられている」
「なんだ。ボクらにも『値段』がついてたのか。知らなかった。今の今まで」
ボクは皮肉っぽく笑った。
「この国に掃いて捨てるほどいる悪党。けれど、この国を豊かにするための財産にもなり得る。組織としてまとまれば旅商人や両替商を襲うよりも遙かに莫大な富を生み出せる。私は少しばかりの皮肉を込めて『盗賊ギルド』と名付けることにした」
「その力で戦争に明け暮れる愚かな連中に一泡吹かせられるのか?情報やお偉いさんの命を奪うことで」
多分、ボクの目はギラギラしていたと思う。愉快だ。多分、世界でも一番貧しいフィーブルのボクらが、戦争に明け暮れる余裕のある連中からなにもかも奪い尽くしてやる。ヤツらがこの国から奪っていったものを取り返す。
「そう。結果的にそれが戦争をやめさせることになるかも知れない。現実に私たちは貧しいせいでなにも出来ずにいる。首根っこをおさえてしまえば貪欲な蛇も動きを止めざるを得ない。それが嘘でも仮初めでも『平和』だとしたら、私たちは乱世を終わらせることが出来るかも知れない」
「いいぜ。俺は乗った。殺しなら得意だ。今までは単に他に生き残る方法を知らなかっただけだ」
「王子。アンタの考え方は少しも嫌じゃない。この狂った世界をかき乱して、偉そうに豊かさを独り占めしているヤツらに自分がボクらと同じ、『ただの人間』だってことを思い知らせてやれるのなら痛快だ」
「ありがとう。まずはこの国の足場から固めよう。一般の国民たちにも協力して貰う。なにか見聞きしたことはどんな些細なことでも報告して貰う。その情報がなにかに利用出来るか、そうでないかは私たちが判断する。私は身近なことからとりかかる。例えばこうだ。浮気を疑う夫人の頼みを聞いて夫の不貞があるかを確かめる。こんな話は社交界に幾らでも転がっている。追ってたしかめればいい。そうやって信用を得ていく。そうすればもっと大きな依頼が向こうから飛び込んでくる」
「いきなり危ない橋を渡る必要はないものな。それこそ新米を鍛えて、組織を固めていくには丁度いい」
こうしてこの夜に交わされた言葉からボクらの『革命』は始まった。
ボクとギリアムは王子が既に恩赦と引き換えに集めた悪党達を組織化していった。なにが出来てどんな取り柄があるのかを確かめ、世界各地に送り込んでいく。はじめは半信半疑だった連中の顔がみるみる引き締まった。そして、依頼のために行動するプロの顔つきになっていった。
敢えて言うならヒトとしての尊厳を取り戻した。
結果が報酬となり、目に見えて逞しさを増したゴロツキの盗賊達は実戦の場で磨かれ洗練された工作員になっていった。
アレント王子の巧みな話術。ギリアムの暗殺術。そしてボクの潜入、工作、流布。一度も捕まったことがないボクはスリや狩りの要領でありとあらゆる『秘密』を盗みまくった。それを誰かれなしに吹聴する。
『盗賊ギルド』あるいは『シーブズギルド』の名は少しずつだけれども高まっていった。
瞬く間に月日が過ぎ、ギルドマスターたるアレントの首にかけられた賞金はかつてのフィーブル王国が丸ごと買えるまでにふくれあがった。ギリアムとボクに掛けられた懸賞金もリーアムが掌で弄んだ金貨の袋でも全然足らないほどにつり上がった。
ただし、アレントは国を少しだけ豊かにし、人々に繋がりを持たせた代償として老いた。仕方がないことだと思っていた。王子はボクらとは違う。
ボクとギリアムとがアレントの寝首を搔かせたりしなかったせいで、皺深い老人に成り果て、やがて話すのも困窮するようになっていた。
初代シーブズギルドマスター、アレント・ヴァズイールはその生涯を静かに閉じようとしていた。
「フリーアン、ギリアム、頼みがある・・・」
苦しげに息をつき、時折咳き込みつつ、豪華なベッドの上に横たわったアレントは澱んだ瞳でボクとギリアムとを見ていた。
すでにアレントは『王子』の座を追われて『公爵』と呼ばれている。それでもボクとギリアムにとっては王子は王子だった。
「王子。必要なものがあるなら言ってくれ、なんだって用意してやる」
ボクはつとめて笑顔を見せる。
「そうではないんだ。約束してくれ・・・」
「なにを約束すればいい?この国をもっと豊かにすることかい?大丈夫だ。ボクらに任せておいてくれよ」
「違う。子供たちのこと孫達のこと・・・」
「心配はいらないぜ。アンタの家族の安全は万全だ。仮に俺が命を狙っても取れないよう。しっかり守ってある」
「苦しませないでやってくれ。マスターの任とギルドの秘密はヴァズイール公爵家の跡取りただ一人が知ればいいこと・・・。そして、ギリアム、フリーアン、お前たちの『同志』は私ひとりだ・・・」
「どういうことだ、王子」
「苦しかった。危険だと分かっていながら、『任務』に送り出さなければならないことが。何日も帰って来ないのが『潜入』だとわかっていても心細くて心配だった。こんな苦く、不安で心細い思いは私一人で十分だ・・・」
「えっ・・・」
「・・・・・・」
ボクとギリアムは王子の意外すぎる言葉に驚いた。
「ギリアム。お前にクライドの姓と爵位を授ける。ギリアム・ベルーシ・ラ・クライド男爵。お前が養子にしている『取り替え子』の子供たちのためにそれが必要だろうと判断した。将来ギルドに加わる者もいるだろうが、中には学問を役立てて身を立てる者も出るだろう。国に奉仕する者も出てくる。そのときに恥ずかしい思いをさせてはならない。そのためにはお前がギリアム・クライド男爵でいなさい」
「ちょっとまて、俺だけか?」
ギリアムは相当に面食らった様子だった。
「フリーアンはいいだろう。好きにしていろ。その幼な顔で爵位を名乗っていたら、皆に笑われてしまう」
「ひでえなぁ。でもいらないよ」
フリストベルと言いかけてやめた。ギリアムとは違ってまだ必要ではない。
ギリアムは同族の伴侶を得ていた。実の子もいる父親になっていた。それで集めていたガキどもはみんなギリアムの養子ということにされていた。
「それよりな。娘の初恋の相手が実はお前だったんだ」
「へっ?」
正に面食らった。予想外だった。
「そればっかりはダメさ。娘にも大層手を尽くして諦めさせた。一族の者と会うときは仮面をつけていなさい。どうもお前の童顔は女には魅力的で堪らないようだ」
「いや、冗談じゃない。ボクは・・・」
「知っている。女が苦手なんだろう。話かけられるといつも困った顔をしているものなぁ」
バレていた。どうも若い女に話しかけられるのが苦手なのだ。ダンナも居る宿屋や商店のおかみとだったら不自由なく話せる。彼女たちは相変わらず子供のように見えるボクを可愛がりはしたが、妙な目線で見たりはしない。それ以上に誰かに肌を触れられるのが嫌なのだ。そういう性分らしい。
「だからって男ならいいっていうのでもないぜ」
「それも知っているさ」アレントはひとしきり笑い、そして咳き込んだ後に静かに続けた。「それより夢を見たよ。私の夢の中でお前は立派に成人した姿になっていた。傍らには長年連れ添った奥方らしき女性と可愛らしい娘たちがいた。彼方の夢、あるいは冥王が戯れに見せてくれた未来か・・・」
「・・・・・・」
「ギリアムとは今生限りではないかな。だが、フリーアン。お前とはまた別人として出会うように思う。そのときはまたよろしく頼む。ただ・・・」
「ただ、なんだい王子」
「今度こそは対等の“親友”として出会いたいものだ・・・」
それきり、アレント公爵はむっつりと黙り込んでしまった。
今際の際が迫っていたように思う。
「フリーアン、あとは家族たちに任せよう」
「・・・わかった・・・」
多分、別れが辛いのはギリアムも一緒だろう。だが、次代のギルドマスターへの継承もある。ギルドマスターの役割について説明し、納得させる役目にアレントはギリアムを充てていた。
組織は確実に育ちつつあった。国内はほぼおさえ、そして諜報網は国境を越えようとしていた。
さらに手狭になったベルーシから新都移転事業が今現在進められている。それにかかる莫大な費用の大半はボクらのギルドが稼ぎ出した。大規模な移転工事で人手は沢山必要だったし、十分に増えた国民が担っていた。
アレントの前を離れ、公爵私邸の屋上で空を見上げた。
「ダメだぁ。雨が降ってきやがった・・・」
「なにいって・・・って、フリーアン・・・」
秋晴れの空は雲一つ無く晴れ渡っている。けれどもボクの真上にだけ見えない雨雲があるようだった。
人の死がこんなにも辛いということを知らなかった。
アレントはボクの中で特別な存在だった。
同志であり、マスターであり、それ以上に兄か、父親のような身近な存在として感じていた。
「なぁ、ギリアム。お前は逝かないよな」
「バカ言うな。俺の方こそお前がいつか黙ってどっかに行ってしまいそうだって心配なんだよ」
ギリアムは怒った調子で言う。ギルドでも時々、ボクは勝手な行動をしていた。良かれと思うから勝手に一人でやる。大抵、それが功を奏した。
「もう、とっくに俺たち二人“だけ”じゃないんだ。いい加減それを理解しろよ」
「なんだよ、怒るなよ」
「本当にわかんねぇみたいだからこの際はっきり言ってやる」とギリアムは前置きして真顔で睨んだらしい。「雨とかほざいてたが、泣いてるんだよ。アレントとの別れが悲しくて涙を流してるんだ」
「えっ・・・」
「勝手して結果出す。それがお前の良いところでもあるし、悪いところでもある。お前は今、自分でも自覚出来ないほどに悲しくて辛い癖に、お前を大事に思う誰かに悲しい思いをさせて涙を流させたいのか?」
「・・・・・・」
一瞬、意味がわからなかった。組織のために動くことが誰かを悲しませることになるとは全く考えなかった。
「やるなとは言わない。だが、少しは周りの人間の気持ちも考えろ」
吐き捨てるように言って背を向けたギリアムの言葉に、なにか大切なことがあるような気がした。でも、理解したかと問われたら“出来なかった”ことになる。
それで、ボクはやがて相棒をも欺く結果になってしまった・・・
程なくしてアレントは逝った。
フィーブル王国は希代の治績に相応しい彼の名を新しい都に冠することで、その長年の功に報いた。
新都はアレンテと名付けられた。
3.報いのはじまり
一体何度目の“暗殺計画”だろうかとフリーアンは指を折って数え、指の数が足りなくなり馬鹿馬鹿しくなってやめた。
シーブズギルドの暗躍が各国を苛立たせるようになり、諸外国の勢力が手間と金をかけて“似たような組織”を自前で持つようになった。フィーブルに多額の資金が流れるのが惜しくなったのだろう。あるいは二番煎じや参番煎じを狙ってのことだろう。
だが、組織の本質を彼らはまったく理解していない。あからさまに国家に雇われた工作員は所詮その国の工作員でしかない。つまり、上意下達の指揮系統の中でしか動けない。自国の利のためにしか動けない。
だが、シーブズギルドは違う。完全自律型の組織だった。下からあがってきた情報で上が動く。本質的に互助組織であり、波風を立てないために自発的に情報が集められる。変装と潜入専門のモール部隊。普段はなにごともなく商店や宿、酒場を経営するピープルズ。間に入って取り仕切るストレンジャー。
ひどく目立つのもその身を狙われるのもストレンジャーの仕事だった。あたかも彼ら“だけ”がシーブズギルドの構成員のように傍目には見える。
だが、シーブズギルドのストレンジャーに情報を提供するのは一人当たり数千人規模のピープルズであり、目的を持って監視対象を見張る数百人のモールたちだ。つまり、一人のストレンジャーは抱えた頭数の二倍の目と耳を持っている。そこから逃れられるほどフィーブルとその周辺国は甘くない。
アレンテはそら恐ろしくなるほどに繁栄している。なぜなら国に軍事力がまったくなく。そこに多額の費用も割かれない。軍事に金が流れない分、産業と投資とに回される。王国は単なるハリボテだった。それ自体にほとんど価値はない。むしろ、誇るべきは、国と都に全体を把握するのが不可能だというほどの綿密な諜報網が敷かれていることだ。
情報至上主義。それがフリーアンの目指した理想像だった。
精鋭先制主義。それがギリアム・クライドの目指した理想像だった。
国防などは考えない。そもそもフィーブルは『軍事力で制圧出来ない』し、『しても意味が無い』。軍を動かそうとした結果、実際に失敗した例はあまりにも多かった。まず、言い出しっぺが消される。国王だろうが将軍だろうがフィーブル制圧を企てた途端に“不慮の事故”に見舞われる。
隣国との関係は非常に良好だった。なにより、シーブズギルドにとって『大のお得意様』であったし、優先的に便宜が図られる。本音はともあれ表向き仲良くしていさえすれば交易路の安全は図られ、犯罪発生率は限りなくゼロに近くなり、資産を商工業に回す方が国を安全で豊かに出来る。影では常にギルドが目を光らせている。
そして、隣国が軍事力を備えているからフィーブルがわざわざ軍を持つ必要性がない。事を構えるつもりがなければ王族の安全まで担保され、謀略は発覚段階で阻止される。だが、親しい国の要人だろうが、後ろ手にナイフを構えた途端に消される。
シーブズギルドの諜報網は周辺国深くにまで及んでいた。大衆は戦争など望んでいない。その大衆がシーブズギルドのピープルズになっているのだ。彼らは自分の国に対する忠誠心よりも、シーブズギルドへの帰属意識の方が高く、よほど信用している。
提供した情報には正当な対価が支払われる。自分たちの生活も安全にしている。なにより隣に住む人間もまたギルドに所属しているのだ。横の繋がりが深い。そして、隣にも目が光っていると考えるからこそ、やましいことを考えたり企てたりするのを恐れている。不審な動きや不穏当な言動をした人間はいつの間にか“居なくなる”。それがどういう意味なのかよく理解されていた。
その実、恐怖であっても恐怖には歳月により慣れさせられる。恐怖以上にギルドが掲げる“互助”の持つ本当の意味をピープルズは痛感させられる。シーブズギルドによる実質的な支配体制が確立して以後、飢えて死んだ人間も、戦争に駆り出されて死んだ人間もいない。街中で殺される人間もほとんどいない。困ったことが起きたら何処からともなく現れたストレンジャーたちが大抵の場合解決する。暮らしぶりに困ると多額の資金が惜しげも無く撒かれる。
シーブズギルドは莫大な財を蓄え、有事には惜しげも無く使う。多少の出費よりもピープルズに不信感が生じ、諜報網に綻びが生じることの方が組織にとって重大な危機だった。
平和ボケした都だと油断した各国の工作員は都に入ったその日のうちにストレンジャーに動きを捕まれる。人相、風体、訛り、身体的特徴。事を起こす前からすべて押さえられ、動き出した途端に実働部隊に始末される。
今回、ひっかかったおバカさんたちは海洋国家ナレイン。
フィーブルとの間に通商はあるが地理的には離れている。工作依頼に費用をふっかけられてフリーアンを暗殺するという大それた計画を命令してしまったのだった。
フリーアンの隣にはやや緊張気味のテオドールがいた。
ファミールの難民だったテオドールは難民グループから組織された盗賊団の一員でアレンテの高級ホテルで強盗を企てようとして、一夜にしてギルドに壊滅させられた。盗賊団を潰した張本人であるフリーアンは引き込み役として先に潜入していたテオドールの才能を見込んでストレンジャー候補として破格の待遇でギルドに迎え入れた。
そんな彼にとっても初の修羅場だ。命を狙われているのは隣にいる師匠のフリーアンだった。テオドールは自分の身にも危害が及ぶのではないかと緊張気味に身構えている。
ギルドを敵に回すとどういう目に遭うかというのをテオドールに見せるため敢えて実行日当日まで泳がせた。テオドールも一度はそうした場を目にしている。だが、国家機関でさえ簡単に手玉にとられる様を見ておくことは経験になると考えてのことだった。
今夜、フリーアンが若い手下と共に波止場近くのこの場所で他の幹部と落ち合うという情報はナレイン大使館経由の「精度の高い情報」として流布してある。夜陰に乗じて襲撃を決行するのはナレインの工作員6人。それぞれに実働部隊とは別に尾行がついている。
月明かりが揺れ、フリーアンはサッと手を挙げ、下ろす動作をした。
「終わったよ。テオ。帰って寝よう」
現場を確認するでも死体を確認するでもなくフリーアンが歩き出すのをテオドールは呆然と見守った。
「えっ?」
「始末に失敗していれば監視役が合図をする。それがないということは無事に始末がついたということだ」フリーアンはこともなげに振り返る。「それとも一人ぐらいはこの手で始末するところを見たかったかな?」
「そっ、そんなつもりは・・・」
かつて盗賊団の親方がこの少年のように見える男に呆気なく首を落とされて息絶える様をテオドールはその目で目撃していた。自分の命もないと目をつぶって天を仰いだ。
「この首についた値段で一生遊んで暮らせると思っていたかと思うと、多少心は痛むけどね。ボクはそんなに簡単に死ねないのですよ」
「死なれたら困る」と何処からともなく現れたギリアム・クライドがツッコミを入れる。「まったく、後学のためとか言って面倒な真似させやがって」
わざと泳がせて殺すためにギリアム率いる実行部隊は獲物を前に長いことお預けを食わされてストレスもピークになっていた。宥め役のギリアムこそいい迷惑だった。
「後学が必要なのはさ、実のとこテオじゃないんだな」
「誰だよ」
「ナレイン」
テオドールは耳を疑った。一国家もフリーアンにかかると不勉強な悪戯坊主扱いにされてしまう。
「今回のことはとっても勉強になったでしょ。調査報告書を請求書付きで送っておいたので大使様も“なんとかする”でしょ」
「それじゃ、オレたちは胴体の方を“なんとかしておく”か。手持ち無沙汰の部下どもの気晴らしもかねて盛大に弔ってやるさ」
「まったく、バラした人体をエサに魚を集めて釣って食うなんてオマエらもホントいい趣味してるよ」
テオドールはその一言に唖然とした。実働部隊の肝っ玉と胃袋はそういう仕様で出来ている。
翌日早朝に6つの首がアレントのナレイン大使館正面玄関前に並べられた。
そして、陰謀に荷担した大使がギルドに始末される前に自ら首を吊って命を絶った。
しばらく後、ナレインはギルドの報復を恐れ、幼い王太子ラースを人質として差し出す決定をした。
毎度ながらの暗殺計画と阻止行動。そして、顛末だった。後にそれがどんな事態を招いてしまうかについて、このときのフリーアンには全く分かっていなかった。
4.惨劇
「本当にこんなことでたった一度の奇跡を消費するのかい?」
依頼内容と趣旨を聞き終えた神様は悪戯っぽく笑っていた。
極めて正確な言い方をすれば神様ではない。この世界では神に匹敵し得る魔術師。いや、東方の大賢者リーアム・ポロニウス・サイアス。
遂にその名を口にした。魔法が発動するや。あの時と同様にリーアムは青い輪っかから登場した。なにも変わっていない。あのときと同じ姿で。
「そうするしかないと判断したんだ。為し得ることは全て自分の手で成し遂げてきたこのボクが、ボクの行使出来る力ではもうこの事態を穏便に収めて解決する方法がない。本来、ボクに『奇跡』なんて必要なかったんだ。誰かのために使う。そういう自覚はあったさ」
リーアムに依頼した行為が正に『奇跡』だという自覚はあった。
こじれてしまった問題の根幹にはボク自身の不覚があった。そして、ボクはシェラの気持ちよりも、アレントとの古い約束を選んでしまった。
いや、選ぶ必要があったのだった。愛されてしまった者ゆえのボクを愛した人への精一杯の償い。
その対価としてボクは半生を捧げて緻密に育てた組織から追われる道を選び、そこにリーアムの持つ奇跡の力を必要とした。
華やかな宴の場は一瞬にして惨劇の舞台と化した。
ボクが愛用の短剣で刺し貫いたのはボクの長き人生において誰よりも・・・あるいは古き盟友その人よりもボクを愛してしまった不幸な女性と、報われない愛への埋め合わせとして彼女が選んだ最愛の男性だった。
つんざくような悲鳴が響いた後、ボクとリーアム以外の“すべて”が停止した。
「第一段階は終了だな」
常に冷笑を浮かべるリーアムもこのときばかりは神妙な顔つきで笑ってなどいなかった。
仮面に素顔を隠し綺麗に着飾った二人の男女が折り重なるようにして血だまりに倒れていた。衣装が豪華だからこそ、血まみれの姿がより陰惨に見える。
フィーブルもすっかり豊かな国になったものだ。仮面を被った男女がお互いを知らぬ仲だとしてパーティーを催す。そして、気に入った者同士が物陰で愛撫を交わす。
そうした熟した果実のように熟れて蠱惑的な香りを漂わせている。古き盟友の名を冠した都は『魔都』と化しつつあった。
果物は腐りかけた時が一番旨い。かつてアレントやギリアムと豊かにすると誓い合った国は腐敗の直前に置かれていた。
しばし、自分のしたことの残酷なまでの現実と向き合った。
だが、迷っている時間も少ない。
「第二段階に取りかかるとしよう」
ボクは惨劇の共犯者であることすら、快く引き受けてくれたリーアムに冷たく鋭い視線を向けた。
「冷静なんだな。本当に」
事ここに及んでさえなお、ボクの心は少しもブレなかった。
真っ赤な返り血がボクの全身を染めている。
それはそうだ。ギリアムほどではないにせよ、“殺しのプロ”でもあるこのボクが視覚効果を最優先して公衆の面前という場所で最も派手で、最も効果的な殺害方法を選んだのだから。
「平静ではないよ。今まで行ってきた蛮行の数々よりもこれは遙かに度を越してしまった、正に許されざる行為だ」
「だからこそ私の手を必要としたか。第二段階だ。二人を蘇生する」
リーアムの手が右に軽く振られただけで心臓を一突きした致命傷は瞬く間に塞がり、軽く手を触れられただけで二人の男女は完全に息を吹き返した。
指がパチリと鳴る。青い光が倒れた二人の男女を包む。リーアムが転送術と移動に使いる詠唱破棄の極めつけに高度な魔術「テレポート」。
惨劇の舞台から二人の主役は見事に姿を消し、かわりに見た目ではわからないダミーの遺体が二つ並んだ。偉大なる魔術師にしてかつて全人類を欺いた彼得意の幻術。
それはこの世界の人間たちには決して見破ることが出来ないものだった。
「転送させた二人から完全に過去の記憶を消して偽の記憶を与える。私にとっては造作もないことだけれど、一つだけはっきりしていることがある」
リーアムは敢えてそこで言葉を切って再度の意思確認のためにボクの目を見た。
「コレでは君は間違いなく憎悪と軽蔑の対象となるよ。なぜこの場から自分も消えるという選択肢が君にはないんだ?その程度のことなら喜んで引き受けるが?」
小さなタメ息が口を衝いた。
「ボクらは奇跡を信じない。だから皆かつて貴方に欺かれたんじゃないのか?」
時間を静止させたかのようにし、致命傷を負った人間をいとも容易く蘇生させて別の場所に転送させ、記憶をすり変え“第二の人生”を与えて送り出す。並の常識的な人間なら絶対に信じない正に『奇跡』だった。
「奇跡を信じない人たちも、ボクを信じてそんなことは起きない、起きるはずが無いと断言する優秀な部下たちと無二の相棒はボクを始末してこの事件の落とし前をつける筈だ。だから何処に逃げても無駄だし、半生をかけてそうした高度な組織を作ったつもりだ」そして小さく微笑んだ。「最初から逃げるつもりはない。ただ、全力で抗う。それがボクが長き人生で奪ってきた命への責任とケジメのつけかただ。だが、簡単に首を取らせるつもりはない」
「変わった考え方をするヤツだよお前は。だが、お前の運命がそう簡単なものでないことを私は知っている。そもそもお前に奇跡で乗り切る機会を与えた理由はなんだった?」
以前の記憶が蘇る。リーアムへの『貸し』。だが、この場では意外すぎるその言葉に虚をつかれた。
「『貸し』なんて本当にあったのか?万能なまでに力を持て余した魔術師の単なる気まぐれだと思っていた。よりによってボクを選んだことは皮肉とさえ思える。この数百年、大抵のことはボク自身とボクの組織で片付けてきた」
前提にコイツはそういうヤツだという見立てがあり、だから「奇跡」を行使するというのを死ぬ前に一度は見てみたかったという気持ちがあった。だから、敢えて無理難題をふっかけた。
そしてそれを難なくやりきった。顔色一つ変えることはない。リーアム・ポロニウスはボクの知る限り間違いなく東方の賢者の名に相応しい『この世で神に最も近い男』だった。
「いずれお前はその力を私に貸す。その前に死ぬなんていうことを私は簡単に許すほど甘い男ではないつもりだ」
甘い男ではないというのは紛れもない事実だった。300年ほど前にこの男は全世界の人類の半数近くを死に至らしめた過去を持つ、容易に名を出すことさえ憚られる魔王だった。
リーアムは微笑み、そしてボクのこれからの半生を暗示するかのような謎の言葉を残した。
「娘に会ったらよろしく伝えてくれ。本当に困ったら私を頼れと。そして、私に言わせればこんな茶番なんて奇跡でもなんでもないことをその力と叡智とで証明して欲しい。我が1000年の不在を埋め合わせた奇跡の行使者Master of Rordよ」
リーアムは表向き弟子に倒されて今は幽閉されたことになっている。だが、それすら『嘘』である可能性は十二分にあった。なにしろ魔王と恐れられているのだ。どんな秘密やカラクリがあるかわからない。
「わからないことを言うヤツだ。1000年の不在?では、かつてボクの前に現れた。それにそもそも今ここにいるお前はなんだというのだ?」
「お得意の幻だよ。ホンモノのボクは今正にボクではなくなっている。未来からこの時代に干渉した一瞬の幻。その言葉を確かめるためにこれからの人生をせいぜい有意義に使ってくれ、道を駆ける王フリーアン・フリストベル。次に会うときにはその小賢しい少年の姿ではなくなっている。正直に言うとその姿には違和感だらけだ。まっ、前の時に比べたらかなり大人びた顔つきになったがな」
それだけ言い残すとまるでこれ以上詮索されるのはまっぴらだとでも言わんばかりにリーアムは姿を消した。
正に煙にまかれた。
リーアムが消えた以上、その言葉を吟味する時間は最早残されていない。
時がすべて正常に動き出し、悲鳴と戸惑いの声が溢れかえる。
一瞬だけ血まみれの姿を騒ぐ連中に見せつけるようにしてボクはその場から姿をくらませた。
公衆の面前でシーブズギルドのギルドマスター、シェラ・ヴァズイール女公爵は“体の良い人質”でもあったナレインの王太子ラース・サルワウ・ドラクレアと共にギルドの大幹部フリーアンに殺害された。
事態を重く見たシーブズギルドは諜報網を駆使して逃亡したフリーアンの行方を追うことになる。
丁度時を同じくするようにしてファミール継承戦争の英雄ロイアス・エンフィールドと紅蓮のミネアとが「揃って放逐される」という一大事件が起きていた。
シーブズギルドの暗躍により、乱世はファミール継承戦争を最後に完全なる収束に向かっていた。
西大陸諸国を騒然とさせた二つの大事件は街道を瞬く間に駆け抜けた。
世界最高と称されたストレンジャーたるフリーアンがシーブズギルドを完全に敵に回した。幾多の暗殺の危機を軽やかに乗り切ってきたフリーアンといえど、長年来の相棒であり、こと暗殺においては『世界最高の刺客』と称されたギリアム・クライドの粛正からは逃れられないだろう。中原諸国のあらゆる諜報機関はそのように判断し、フリーアンは自滅したと判断した。だが、それは誤りであることが後に判明する。
5.次代を担う者
シーブズギルドはフリーアンの暴挙により緊急幹部会の開催を決定した。フリーアンの処分案もあったがそれ以上に空席と化した後任のギルドマスターを一時の猶予もなく選任する必要があったからだった。
世界各地に散っていた幹部たちはギルド本部のあるフィーブル王国の首都アレンテの公爵邸別室に集結した。
その幹部会の席上で真っ先に口火を切ったのは幹部でも比較的新参のテオドールだった。
「見事な偽装でした。あれは人間業じゃありません」
集まった幹部たちがざわつく。
「人間業じゃないだと?」
筆頭幹部のギリアム・クライドはテオドールの言葉を再確認して大きなタメ息をついた。
「それでなにをもってそれを証明するんだ」
テオドールは決然として自身の目を指した。
「この目ではっきりと見ました。そして裏もとってあります」
「現場にいた人間の誰もがアイツの兇行しか目にしていない。お前はなにを見たというんだ?」
ギリアムは全員が思っていることを代弁した。
「比較的年若い『見たこともない男』がフリーアンと会話していました。見事なまでの幻術でその場にいた多くの人々をたばかったのです。おそらくフリーアンの誤算は私があの場に潜んでいたということでしょう」
「『龍眼』か」
「ええ」
その言葉だけでギリアムはおよその事態を把握した。
『龍眼』とはマダインの民と呼ばれる少数民族だけが持つ特殊な能力であり、彼らには幻術の類いが一切効かない。
実際、ギルドの上級幹部にはマダインの民が多かった。ギリアムもフリーアンもマダインの民の末裔だったし、テオドールが幹部候補として迎え入れられたのも『取り替え子』ことマダインの民であることが影響している。
なぜそうなったか・・・マダインの民は『取り替え子』という独特の習慣があり、人間の子供と自身の子をしばしば取り替える。そして、マダインの民はすべてがそうだとは言わないまでも時々、『育たない子供』を産む。
育たない子供は文字通り育たない。異常なほどに成長が遅く、人間の親が老衰死してもまだ子供だということも多かった。故に忌まれ、蔑まれ、大概は捨てられる。
捨てられた子供のうち命を長らえた者も大抵はまともな生活とは無縁である。盗賊団に拾われて利用されたり、暗殺者として訓練されたりとまともな扱いは受けない。かつてのフリーアンとギリアムがそうせざるを得なかったようにだ。
シーブズギルドは貧しかったフィーブルがなんとか中原諸国と渡り合うための力を手に入れようとした結果生まれた。その創設期のメンバーがフリーアンとギリアムだった。二人はフィーブル周辺で盗みを繰り返す二人組の義賊だった。
ギルドの発案者であり創設者であるフィーブルの王子アレント・ヴァズイールに才能を見込まれてギルドの創設に携わった。
共にマダインの民という二人は同じマダインの民の特性についてよく知っていた。育つのが遅いかわりに人間では考えられないほどの長寿を誇る。他が捨てるなら拾い集めてでも、買い集めても集めて仕込む。仕込めば仕込んだだけギルドで長く活躍出来る。それだけの価値があるとみなした。やがて幹部級はその大半がマダインの民で占められるようになった。
その一方、ギルドマスターを歴任したただの人間であるヴァズイール家は代替わりを重ねて来た。シェラは初代のアレントから数えて第26代のギルドマスターだった。
後に遷都した都の名にもなったアレントが死の床でギリアム、フリーアンと交わした約束事がある。それは「決してギルドマスターと個人的な繋がりをもってはならない」というものだった。
そのことに関しては二人ともよく承知していた。そもそもアレントとの間に信義と友誼があったことは彼を看取ることになった二人には痛切に感じ取れることだった。皆、先に逝く。同じ刻は刻めない。
幸いにしてギリアムは同族の伴侶を得た。だが、フリーアンはマダインの民でも異常なほどに成長が遅かった。
既に分かっているだけで500年近く生きているというのにいまだに10代の少年にしか見えない。心はとっくに老成しているというのに身体が少年のままだということを本人が気に病んでもいた。ギルドの敵対勢力は侮蔑を込めてフリーアンを『悪童』と呼んだ。
フリーアンは誰よりも掟に忠実であろうとし、誰よりも組織を重んじた。幹部会として集まった面々はフリーアンに恩義を感じることはあっても誰一人として敵意や害意を感じていない。
だからこそ、彼を裁かねばならぬ場に居合わせたこと、それ以上に頭が切れ勘も鋭く、理性と自制心の強いフリーアンの蛮行に違和感を感じていた。
テオドールはギルド内では、『フリーアンの秘蔵っ子』と称されている通り、フリーアンが次代のギルドを託す人材として育てた文字通りの存在だった。スカウトして最初から幹部に引き上げるためフリーアンは様々な経験を積ませた。そして、その才能は既に開花している。その事実はギリアムも含め、幹部の誰もが承知していた。
だからこそ、その潜在的な力を恐れて兇行の場から遠ざけた。ナレインでの政変の兆候について調査せよとフリーアン自身が送り出した・・・筈だった。
ギリアムにとってなにより不可解だったのはそんなテオドールが誰よりも尊敬する師匠の命令に背いてアレンテに留まり、奇しくも兇行の場の目撃者となったことだった。
「龍眼で全てを見届けたというのはわかった。だが、お前はアイツの命令に反してここに留まった。何故だ?」
テオドールは当然の如く問われるその言葉を厳粛に受け止めた。
「ラドニア様からの密書です。フリーアンが必要以上に思い詰めている。そして、シェラ様がなにかを画策しておられる。おそらくは遠からず何事かが起きる。ゆえに命令に反してでもアレンテに留まって欲しい。ラドニア様の情報網ではナレインは平穏かつ安泰で政変など起きる予兆も見られない。むしろなにかが起きるとすれば、ここアレンテだと」
「そんな、まさか・・・」
「ギリアム、まさかではありませぬ。私めもヴァズイールの家に生まれ付いたもの。己の勘働きについては些か自負があります」
カーテンの奥で幹部会の様子を伺っていたラドニア・ヴァズイールが現れたことで幹部たちは一斉に平伏した。
次期ギルドマスターでいずれは女公爵となるシェラの実妹。生まれつき足の筋肉に異常があって車椅子での移動を余儀なくされている。その痛ましい姿を見るにつけ、運命の皮肉を呪い幹部たちは万一にも彼女がギルドマスターの重責を担う羽目に陥ることを危惧していた。幹部たち以上に危惧していたのが殺された実の姉たるシェラだった。
「まずはお詫びを申し上げましょう。幹部の一人たるテオドールを私的に扱いし行為はいかにヴァズイールを名乗るとはいえ、出過ぎた真似でした。しかし、恐れていた事態は現実のものとなりました。この上は如何にして生じた混乱を穏便に収め、ギルドの権威と名声を保つかそれに尽きます」
若干16歳の少女の言葉とは思えぬ内容だった。『聡い』とその場に居た誰もが感じた。ギルドマスター候補とはいえヴァズイール家の人々について人となりまでも詳しく知る者は少なかった。
先々代ギルドマスターである姉妹の父親ゴドフリー・ヴァズイールはギルドの不覚により暗殺された。フィーブルの旧都ベルーシならいざ知らず、アレンテは広すぎた。また組織が肥大化し、各国の諜報組織もギルドとの暗闘で高度化していた。いかにフリーアンとギリアムが優秀でも、完璧に目配りが行き届かなくなっていた。それに依頼自体も高度化していた。二人が任務で留守にする期間も長期化していた。その隙をつかれた。
ゴドフリーに限らず、天寿を全うしたギルドマスターは実のところほとんどいない。初代アレントの死後、フリーアンとギリアムはわざとギルドマスターとの間に壁を作った。それはアレントの遺命だった。
そのことでマスターと幹部との間に完全な信頼関係が喪われ、結果的にマスターの意向に幹部でも逆らえなくなった。暗殺者を自らわざわざ懐深くに招き寄せた例もあった。
ゴドフリーの場合、表向きの顔であるヴァズイール公爵としての国賓対応中に毒殺された。正に大事件であったが、そもそもゴドフリーの裏の貌について知っていた人物がいたということだった。
今や狙う者と狙われる者の立場は完全に逆転していた。避けられない運命だとギリアムは思う。もう、かつての朝貢に奴隷を差し出す貧しい小国だった時代は遙か過去のものとなっていた。各国はフィーブルの背後に存在するシーブズギルドの顔色を伺うため、フィーブルに対等以下の外交関係を求めていた。
ラドニアを候補から外すとヴァズイール家の分家筋から人選をしなければならなくなる。だが、その人物たちは一人残らずフィーブルの王位継承権を持つ。
王位継承権者から闇組織の長になる。文字通りの転落だった。本人にその意志がないのに指名することだけは避けたかった。
むしろラドニアが自身の運命と対峙する道を模索するため敢えてテオドールを動かしてまで謀略を阻止しようとしたことに幹部たちは頼もしさを覚えた。
「我々は運命共同体。いわば『家族』です。幹部から末端に到るまで既に成熟しきった組織たる我々シーブズギルドは何事が起きようとも統制と秩序によって運営されねばなりますまい。さもなくば家族の命が危険に晒されます」と言葉を句切り、ギリアムに視線を向けた。「仮にフリーアンに追っ手を差し向けた場合に人的損害をいかほどだと見積もられますか?」
ギリアムは冷静に答える。
「仮に私めが出向いた場合は差し違えてでも。つまりは私一人。しかしながら“私”以外だとすればゆうに50人以上は」
「その犠牲がギルドになにをもたらしますか?」
「なにも。いえ、それでも面目は・・・」
「面目を保てたとして50人。避けるには最高幹部の首一つ。これが伝統と実績あるシーブズギルド幹部会の決定・・・というには些かお粗末に過ぎませぬか?」
誰もが二の句を告げなかった。
ラドニアは尚も続けた。
「テオ、貴方が調査した事実を述べなさい」
直立不動の姿勢でラドニアの隣に控えていたテオドールが再び重々しく口を開く。この二人の仲はあるいはギリアムたちの想像の遙か上を行く。親密すぎる関係だった。
「フリーアンの逃亡先を調査中にラーセム街道沿いのマドリアという宿場町に小さな仕立屋が突然現れたという報告を受けました。その仕立屋の主人と若女将が“ある人物たちに酷似している”のです。勿論、末端の密偵では顔も知る筈がなく私自身が出向いて確認しました」
既に報告を受けているラドニア以外の全員が息を呑んだ。
「私の目に曇りがなければマスター・シェラ、そしてラース殿下でした。お疑いなら確認のため同地を訪れるとよかろうかと。しかし、ギルドについて匂わせても二人はなんのことか分からないといった体でした。それどころか情報提供ならば喜んで行うから新たにギルドに加えて欲しいとまで言われました。他所から来たばかりで情報にも関係にも乏しいので是非にと・・・」
「馬鹿な」といいかけた幹部を制してギリアムは問うた。
「それで二人の関係はどのようだった?」
「実に幸せそうでした。主人の腕は良く店の評判も上々。若女将はさも楽しそうに客あしらいをして夫の仕事を手伝っておられました。何処にでも居る幸福な夫婦。それように見えました」
「なるほどな」とギリアムは腕組みしたままつぶやいた。
「更に重大な事実が判明しました。ラドニア様からは調査の必要がないと言われていたもののナレインに赴いたところ。ラース殿下に密命が下っていたというものでした。内容はギルドマスター・・・つまりはシェラ様の暗殺。同地では公式発表と異なりラース殿下がその身と引き替えにシェラ様の身元調査と暗殺とに成功し、ギルドは体面のためにフリーアンに責を問うて事実の改竄をしたとまことしやかに噂されていました」
幹部たちは一斉にザワつく。ギリアムは彼らを一喝した。
「誰がなにをどう思おうと勝手だ。ヤツらは企みに成功したと思っているのだろう。ならかえって好都合だ。目的を遂げた以上はこれ以上の無用な詮索はしまいさ」
「最後に調査の詰めとしてラドニア様の許可・・・というよりたってのお願いで憚りながら信用のおける部下と共にシェラ様の眠る墓所を改めさせて頂きました。簡潔に申しますと『空』でした」
しばし沈黙が幹部会の間に流れた。テオドールの報告がすべて事実だという前提だとしたら、ナレイン王国はかつて行ったフリーアン暗殺失敗により悪化した両国の関係修復のためラース王子を『人質』として差し出した。そして、フリーアンとギリアムの見立てで『無害』とみなされていたラースにフィーブルの誇るシーブズギルドのマスター暗殺を命じた。
ラースを『無害』だと見立てたのには根拠があったからだった。なにより人質として送られてきたときラースは12歳の少年だった。それから一時帰国が許されたのは父王の逝去に際してのみであり、それ以外の時間はアレンテに留められており、フィーブルにあまりに馴染みすぎていた。それが故に歴とした嫡子でありながら、父王の逝去の後に戴冠が認められなかったほどだ。
新王がフィーブル贔屓だというのを国内の諸勢力が認めず、ラースの実弟を新王に推挙し、彼は事実上母国から見捨てられた。『殿下』という敬称は父王の生前と死後では意味が全く異なる。
そんなラースのもとに弟王からギルドマスター暗殺の勅命が下り、ラースは偶然か必然かは定かではないものの女公爵シェラの正体がギルドマスターだと知った。フリーアンはその事実を察知した。だが、既にシェラはラースに恋愛感情を抱いていた。あるいはラースの側も・・・。
二人が夫婦になったとてフィーブル側とすればなんの異存もない。身分相応の良縁であり、シーブズギルドにしてみてもむしろ、後に生ずる後継者問題の解決の道となる。
だが、ラースは『愛国者』としての自分を選択してしまった。時として人は自ら悲劇を選択してしまう。
フリーアンの介入がなければ二人とも、少なくともいずれか一人が死ぬ運命だった。フリーアンは悲劇的な運命を回避するために外部の協力者を得て二人を偽装殺人し、自ら罪を背負って逃亡した。そして、殺された筈のシェラとラースは仕立屋という第二の人生を与えられ、記憶まですり替えられた。
ギリアムは思う。『そうした当たり前の人生の方がよほど幸福だ』と。
正直なところ、マスター・シェラには父ゴドフリーほどの器量もなく、感情的すぎて事態を見誤ることも多かった。妹のラドニアに苛酷な責務を負わせまいと孤軍奮闘していたシェラは見ていて痛々しかった。フリーアンがシェラに対し、突き放すように冷淡な態度だったのも知っている。たまりかねたギリアムがフリーアンを問い詰めたところ。アレントとの約束だと白状した。
ギルドマスターの暗殺成功とラースの死亡により、ナレインはかつてフリーアン暗殺に失敗したという汚名を返上したばかりか、組織からフリーアンを排除することにも成功した。
「面白くない話だな」とギリアムは正直過ぎる感想を述べた。「すべてがナレイン王の思惑通りに運びすぎている」
用済みの兄を犠牲にしてギルドに一矢報いるというやり方。『愛国者』と『売国奴』を天秤にかけさせて追い詰めるやり方。どうにも我慢がならない。
この上、フリーアンに刺客でも差し向けようものならギルドはますます弱体化する。フリーアン個人への信用と信頼でギルドに忠誠を誓っている者も組織内部には少なくない。動揺は必ず綻びを産む。
「それを避ける妙案が私にはあります」とラドニアが切り出した。「まずは姉の跡目には私が立ちます。幹部会はすみやかに第27代ギルドマスターを選出した。末端に到るまで各自通達するように」
「異議無し」の声が唱和した。
異論もなにもあったものでない。勘働きにせよ決断力にせよリーダーシップにせよ、すべての面においてラドニアが姉のシェラ以上であるのはここまでの話で明白だった。あるいは優秀なギルドマスターだったゴドフリー以上の逸材かも知れない。
年長者で大幹部たるギリアムに対する毅然とした態度も立派だ。他に有力な候補もなく、むしろ当人が渋った場合の措置に頭を痛めていた。
「更にギリアム・クライドには『相談役』に退いて頂きます。実際には当面ナレインに対して徹底報復に出て頂きます。我々の組織に対する暗殺計画と実の兄を暗殺の駒とした手口。人として最早許しがたいです。フィーブル王家の意向に関係なく、我々は独自制裁を行います。よしなに」
よしなにという言葉に戦慄が走る。なにをどうしようとも、誰をどう扱おうともいい。つまりは好きに暴れろという意味だ。
「心得た」とギリアムは即応した。相談役というのが具体的になにをする仕事かはさておき、マスターの命令で単独での自由行動を許されたということが信頼の証であった。よしなにしていいなら、幾らでもやってやる。憤懣やるかたなかったギリアムの顔に残忍な色が浮かぶ。
新マスターであるラドニアは今後のギルドの運営方針を経験豊かなギリアムに委ねるつもりだった。そう決定することで若輩者とナメられることもなくなる。組織一の優秀な暗殺者は失うが、かわりにマスター直轄の『伝家の宝刀』として組織内部にも外部にも示すことになる。
「更にフリーアンの空白を埋めます。テオ、貴方が師匠の名を継ぎなさい。本日より貴方が二代目フリーアン。これはギルドの決定事項です」
「滅相もない」とテオドールは一瞬慌てたが、すぐに思い直した。「謹んで拝命します」
すくなくともテオドールという自身の名よりもフリーアンの名声が勝っている。二代目ということになれば次の人物への継承も可能となる。
要はかつて師匠がしたのと同じ事をすればいいのだ。眼鏡に適う人物を自ら養育し、誰の目にも適う『幹部』に引き立てる。そして、いずれはその席を譲るのだ。
「そして、最も重要なこと。それは先代フリーアンに対する我々の恩義と感謝です。彼はここまでよく働き、そして自らの不名誉と引き換えに姉の名誉を守りました。そればかりか不明不徳の誹りを受けることも多かった姉に幸福な人生を用意した。ヴァズイール家の者としてこれ以上の恩はなく、創始者アレントとの約定をも最後まで守り抜かれた。以後、フリーアンと“その家族”に対してシーブズギルドは無償協力します」
フリーアンに家族など今の所誰もいない。つまりはこの命令に関して期限はなく、無期限という意味に他ならない。
「だがそれを本人に伝える気は全く無い。それが我々組織を謀ったことへの『罰』ということですかな」とギリアムは悪戯っぽく笑った。
「はい、一言あってしかるべき無二の相棒にさえ相談もなく、秘密裏に行動を起こした。しばらくの間はせいぜい我々の刺客に怯えて頂くとしましょう」
ラドニアは小悪魔的な笑みを浮かべた。
このただ者ではない新マスターにギリアムは満足していた。停滞していたギルドが大きく変革する。そんな予感さえも感じた。
ギリアム・クライドは担当部署の後任選出を任され、それをすみやかに行うとナレインに対する徹底報復に出た。暗殺、流言、謀議その他もろもろの報復により、やがて地上からナレイン王国は消失した。その所行にシーブズギルドの弱体化を望んでいた各国は震え上がった。ギリアムは一線を退くに際し、その高名と悪名を正に際立たせた。“国さえ殺す希代の暗殺者”としてギリアムの世評は高まった。
これに対して、さすがにやり過ぎだとフィーブル王国の外交筋から苦情が舞い込んだ。
だが、ラドニアは意に介さなかった。
微笑みを浮かべて「『我々は知らない』で済ませたらいい」と助言した。
こうして王国とギルドとの間に明確な線引きがなされた。つまりは国王の命令だろうが『フィーブル王国からの無償での依頼は一切引き受けない』というもので、既に組織の存在自体が各国の脅威とみなされている以上。命を賭しての任務にはそれに見合う代償は他国がそうであるように同様に求めるというものだった。
対する王国側もしたたかでシーブズギルドは王家の一族が担う組織から一民間団体という位置づけを受け、ヴァズイール家の公爵位や特権も、ギリアムの持つ旧都周辺の領地も爵位とともに剥奪された。
つまりはシーブズギルドの所行だと明かに分かる工作だろうと『王国の外交には一切無関係』という態度を堅持するというものだった。
それで困るラドニアやギリアムではない。既に蓄財は十分であり、取り替え子たちの育成場所にも事欠かない。
また、ヴァズイール家の公爵位や特権が剥奪されたことでラドニアは一庶民となり、公の場に出る必要性が皆無となった。親娘二代にわたって命を落とすことになった公爵家当主としての公務からも解放された。
庶民に落とされたラドニアはそれを良いことに、かなり先の話だが信頼と愛情を寄せるテオドールこと二代目フリーアンとの間に子を成した。
マダインの民の血が入ったことでラドニア以降のヴァズイール家当主は長寿を誇るようになる。ラドニアはギルド中興の祖として長く讃えられる。
しかし、これらはしばらく先の話であり、勿論現在逃亡中のフリーアンが知る由もなかった。
6.逃避行
話は変わる。
事件から5日が経過し、フリーアンの足取りについては西に向かったというのを最後に完全に途絶えていた。
逃亡中のフリーアンはおそらく生まれて初めて『自由』というものを感じていた。誰の目も気にする必要が無い。食べるために犯罪を犯す必要も無い。やけっぱちな気持ちなどなく、ただ人の顔色を伺い愛想笑いをしたり身勝手な他人に振り回されることもない。誰かを傷つける必要もない。自分を犠牲にしなければならないこともない。当然の帰結として命を取られるとしても、それは自分で選んだ道ゆえのことだった。そうなることを望んですらいた。
ひとりぼっちの悪ガキだった時分は『自由』を意識することもなかった。生きることについての選択肢が限られていた。それは『自由』とは違っている。似て非なる『不自由』だった。
今は違う。追われてはいるが何処に逃げようと自由だし、なにをしようとしまいと自由だった。
フリーアンは道理を好んだ。
もともと望んでいたこともない。なにかがしたいわけでもない。なぜだか勝手に買い被られ、勝手に好かれそのことに当惑することが多かった。特にギルドマスターだったシェラに愛されてしまったことは人生最大の不覚だと思っていた。
マスターとは命を預けているという意識しかない相手だ。そもそも平等な関係でもないし、同じ刻を生きられるわけでもない。同じ刻を刻んできたギリアムに対してさえ、ある時期を境に仕事上の相棒だとしか思ってこなかった。自分とギリアムとは違うと思うようになっていた。
ギリアムは家庭を持つことで以前の彼とは変わった。フリーアンにとっては喪失にも似ていた。アレントの生前はそれでもまだ『同志』という絆があったが、それも遠い昔の話になった。
何故誰かは誰かを好きになるのだろう。それが墓穴を掘る行為だと傍目には見えるというのに・・・。
アレントからの好意ですら、フリーアンにとっては何十年何百年にも渡って苦しめ続けた『呪い』だった。『呪い』から逃れるために結果的に大きな代償を払う羽目に陥った。
ギルドの仕事は嫌いではなかった。命令が暗殺であれ、工作であれ、調略であれ、組織のため・・・ひいてはフリーアンが好み、フリーアンを補佐する一般大衆の生活に役立っているという達成感と充足感はあった。
自身に向けられる殺意ですら自分の命についた価値だと考えた。邪魔な障害だと考えられていることが生き甲斐ですらあった。他人についてもその能力と存在意義に価値を見出していた。
愛されることにも好かれることにも空しさしか感じない。親の顔も知らず、その親にも捨てられた身だ。それが純朴にフリーアンという人物に対する好意と愛着ならば幾らでも受け入れられる度量は備えていた。
だが、『愛』という含みを持った時点で警戒し、用心深く振る舞ってきた。
むしろ敵を愛した。それが強く、気高く、排除に困難を伴うほどにより深く相手を知らねばならない。好奇心が疼き、興味をくすぐられる。
ロイアス・エンフィールド。長く続いたファミール内戦においてその男は標的にも依頼主にもなった。その名を聞く度にフリーアンは我知らず笑みを浮かべてしまう。
『狩人』としては最高の獲物であり、ギルドという自らが作り上げた高度で緻密かつ魅力的な組織がなければ、あの男に仕えてみたいと常々思っていた。
対して、紅蓮のミネア。あの少女じみた女魔術師には得体の知れない潜在的な恐怖を感じていた。なぜああも簡単に人を虫けらのように殺せる。同じく殺人を生業とする身でもあの冷淡さは異常だった。
フリーアンはそれが暗殺であれ、偶発的な衝突であれ、自身を標的にされたときであれ、自分が殺めた人間に対して厳粛なまでに責任を感じた。
長じたフリーアンにとって生きるとはそういうことだった。命を繋ぐために鳥や獣を食するのと同様に殺した人間が確実に糧となっていた。自らの運命や能力、そして明日を迎えられることの悦びは殺めた者たちには与えられない特権で、特権を享受しているという自覚こそが正に彼が感じている『命の価値』だった。
それにしてもとフリーアンは思う。何故予想していたギルドからの制裁がなく各国の工作員とやたらと鉢合わせる。そのことに苛立ちを感じていた。
確かに慎重に計算して逃走路を進んでギルドの手が伸びていない地域に着実に逃げていた。だが、予想された刺客による襲撃がなかった。が、かわりに各国の放った工作員と鉢合わせることが多かった。
蛇の道は蛇とでもいうのか?フリーアンの身に染みついた諜報員としての悲しい性分が同類を招き寄せてしまうかのようだった。
中には顔見知りが居り、お互いに「なんでこんなところで」といった顔を見交わす。避けられる諍いは極力避け続けたが避けられない場合も多かった。
自身に向けられた刺客のかわりに各国の工作員と命のやりとりをすることにフリーアンは訝った。尋問を試みても高度に訓練された工作員が簡単に口を割るはずがなく、自決されてしまう。
一体全体、なにが起きているのかさっぱりわからないことにフリーアンは苛立った。
一般人は本当になにも知らない。工作員は拷問にかけても受けた命令を語らない。
危険を承知で繁華街に入り情報を求めても確たる話は聞けなかった。
(ボクを懐柔しようというのなら何故わざわざ危険を冒して襲う。それに始末しようというには不手際が過ぎる。計画性もなにもあったものじゃない)
事態が全く見えてこないことにフリーアンは自信を喪失しかけていた。
(なにが世界最高のストレンジャーだ。情報も命令もなければ単なるゴロツキ以下じゃないか)
そして、とうとう待望のシーブズギルドだとわかる相手と遭遇した。が、思わず舌打ちをする。
(ボクも随分とナメられたもんだな)
ギルドではかつてのフリーアンと同じストレンジャー役を任されているハリル。幹部の一人バーナビーの配下だ。フリーアンの愛弟子テオドールと比べてもまだまだ駆け出し同然で暗殺者としては三流以下だった。
(コイツに首を取られたら、かえってギリアムが激怒するぞ)
ハリルは身を隠すフリーアンに全く気付いていない。なにかを探索しているハリルが物陰に入ったのを見計らいフリーアンは背後から羽交い締めにした。
「ハリル、なにをしている?どんな命令を受けた?」
突如、フリーアンに背後から襲われハリルは慌てた。フリーアンは頸動脈に右手をあて嘘を見破る準備もしている。おかしな事を言い出せばすぐにでも掻き切る準備は整っている。
「先代、まさかあなたがこちらに来ているなんて・・・」
先代?聞き慣れない単語にフリーアンは当惑した。
「なんだよ、その先代って?」
「あっ、ご存じなかったですか。テオのヤツが貴方の二代目として“フリーアン”を継承したんです」
(テオが二代目だと?ボクは裏切り者としてギルドに狙われていないのか)
「それで?お前の任務はなんだ?」
ハリルは一瞬躊躇した後に仕方ないといった様子で切り出した。
「・・・先代なら仕方ありません。ファミールから紅蓮のミネアが出奔したらしいのです。行方を確認するために私が先行調査を任されました」
「先行調査?つまり、正式な依頼はまだ何処からもないのか?」
「ええ、実際ギルドはそれどころではありません。ギリアム様はナレイン潜入中。ウチのバーナビー以下他の幹部たちは各地でピープルズたちの混乱を鎮めて事実上ギルドは新体制の安定に動いています。二代目とマスターはアレンテで事態の沈静化に努めています」
(新マスター・・・ラドニア様がマスターになられたのか)
僅かな情報がフリーアンの感覚を蘇らせる。幹部会の決定にはまだ不明な点があったが、自分が追われているわけではないということは分かる。だとするとフリーアンの兇行について、その真相を突き止めた人間がいるということだった。元相棒で出現を最も警戒していたギリアムの潜入先がナレインというのもひどく気になった。
「それでお前は今の段階で何処まで掴んでいる?」
「逃走先がこの方面だというだけです」
それでは各国の諜報機関に遅れを取っている。フリーアンは各国の工作員たちの活発な動きについてそれで理解した。彼らの目的は『フリーアン』でなく、『紅蓮のミネア』だった。
「彼女は危険すぎる。それにギルドは各国に大幅に遅れをとっている。なによりお前の手には余る。それともその若さであの怪物に丸焼きにされたいのか?」
「そうは言ってもギルドの命令ですから。それに取り込めとも殺せとも命令は受けていません。発見したら尾行して監視するだけです」
ハリルの乾いた冷笑が伝わる。尾行や監視でさえ、自分の手に余る仕事を任されているという自覚はあるのだろう。
「絶対に振り返るなよ。余計に痛い目を見る」
フリーアンは右手に構えた短剣で二度ハリルの背中を切りつけた。
「痛っ」
ハリルは背後から切りつけられたことを自覚して呻く。
「かすり傷程度だ。縫う必要もない。“先代”フリーアンと遭遇して襲われたとバリスタに戻ってバーナビーに伝えろ。傷が塞がったらアレンテに向かい、次の指示を仰げ」
「はっ、はい、わかりました・・・」
解放されたのを確認してハリルは背後を振り返ったがすでにフリーアンの姿はなかった。
運が良かったのか悪かったのか・・・痛む背中を押さえてハリルは手近で治療できる場所を探すことに決めた。
(まずいことになったぞ。ロイアスのヤツはなにをしているんだ)
そのロイアス自身も放逐されていることを知らないフリーアンは仇敵の名を思い浮かべて苦々しい表情を浮かべた。
ロイアスだから制御できたのだ。命令者を喪失した殺戮マシンがその身を守るためにどんな蛮行を重ねるのか・・・。
紅蓮のミネアを放置すれば焼死体の山が築かれることになる。一般人にも累が及ぶ。かつてファミール各地を焼け野原に変え、テオを難民にした紅蓮のミネアの恐ろしさはフリーアンにとって苦い記憶の一端だった。
話は20年前のファミールに遡る。
シーブズギルドの正式命令は紅蓮のミネアの抹殺。
依頼者は明かされていないが、おおかたファミール反王党派の誰かだろう。
来るべきものが来たと感じたフリーアンは選りすぐりの部下と共に内戦の続くファミールに入った。
既にギリアムがロイアス・エンフィールドの暗殺をしくじっている。ギルドマスターのゴドフリー・ヴァズイール・・・シェラとラドニア姉妹の父親は『保険』をかけた。
極めて危険で成功率の低い依頼である以上。万一、し損じても依頼料の半金はギルドが受け取れる算段をつけていた。だが、これ以上の依頼失敗はシーブズギルドの信用と沽券に関わる問題だった。今回についても『保険』がかかっていたが、頼みにはしたくない。
相手は命令さえあれば街一つ焼き尽くす厄介極まりない魔術師だ。ギリアムでさえし損じた。入念な準備をして刺客を配し、フリーアン自身は命令者を側近くで監視していた。つまり、ファミールの“自称国王”ベラスコと彼を護衛するロイアスに可能な限り肉薄し、頃合いを見てミネアとの分断を図る。その上で彼女を孤立させ、遠距離から伏兵たちで仕留める。
ファミール兵に偽装したフリーアンは野営地に潜入し、ロイアスを確認出来る距離でじっと機会を伺っていた。野営地内で火事を起こす。その対応に追われるロイアスをミネアから引きはがし、刺客が潜伏する森へと誘い出す。
だが、その企みはものの見事に破られる。野営地で起きた火事に対応したのはロイアスではなくミネアだった。ロイアスはベラスコの寝所近くから動かず、ミネアは火災現場に急行するや文字通り一瞬で業火を消し止めた。
フリーアンは計画を瞬時に変更し、自らミネアに肉薄した。
「そこまでだ、奸賊」
フリーアンの背中にロイアスの剣が迫っていた。フリーアンは瞬時に飛び退いて一命を拾った。少しでも遅れれば背中を深々と斬られていたであろう。
(どういうことだ?)
「ミネアの結界内で火事など起きる筈がない。あるとすれば刺客の仕業による」
(なんだとっ・・・)
裏目に出るにも程があった。野営地での不審火による混乱は計画の初期段階から異論の出ない方法だった。まさかそんなカラクリだったとは・・・
向き直ったミネアは炎を発した。
フリーアンの持つ『龍眼』がその窮地を救った。ミネアの放った炎は幻だ。
敢えて炎に巻かれるように飛び込んだフリーアンにロイアスが動揺した。
ファミール兵の鎧を捨て、その身一つになったフリーアンは逃走を図る。
結界内のミネアは自在だった。本物の炎と幻の炎が飛びかいフリーアンは正に命からがらに逃走した。逃げつつも刺客たちに指笛で合図を送る。
『作戦失敗。各自逃走せよ』という符丁。
肩先をかすめた火傷一つでフリーアンは野営地からの逃走にどうにか漕ぎ着けた。
フリーアンの報告はギルドマスター以上に依頼人を激しく動揺させた。
フリーアンの生還がなければ、ミネアの周囲にある結界の存在や結界内でなら自在に炎を出現、消滅させられることなど判明すらしていなかった事実だ。
似た手口での暗殺を試みては何度も失敗を重ね、ミネアの首にかけられた懸賞金がつり上がることになる。
依頼人は貴重な情報を提供したギルドに渋ることなく成功報酬の全額を支払った
そのことで結果的に『痛み分け』になった。
ベラスコ本陣への火計は必ず失敗する。更にミネアの見える範囲内では突如炎が出現してもおかしくはない。
こうした謀略合戦は内戦の間に何度も起きた。依頼の成功率にかけてはシーブズギルドは失敗もありながら最も高いことを示し、柔軟な頭脳を持つロイアスは遺恨を忘れて方針を変え、ギルドへの依頼者ともなった。
だが、フリーアンの脳裏に焼き付いたのはミネアに対する恐怖と警戒心だった。
彼個人は作戦は完全な失敗だと断じている。ゴドフリーは以来、二度とミネア暗殺を了承しなかった。反王党派もフィーブルのギルドに高い依頼金を支払っても事実上不可能だと考えて自制した。
ハリルはギルドの南方支部のあるバリスタに戻った。
帰途につく前にバーナビーには連絡員を送っている。
任務中のハリルが遭遇したのが逃走中のフリーアンだと聞いてバーナビーは思案を巡らせていた。
(命まで取らなかったのは「わざと」なのか・・・)
支部に戻ったハリルは意外に元気そうな顔を見せ、バーナビーを安堵させた。「お頭、面目ない」とハリルは全く悪びれずに言い放った。
「それで負わされた傷というのは?」
ハリルは背中をめくって傷跡をみせた。フリーアンが指摘した通り、傷はほとんど塞がっている。化膿防止のための膏薬臭い背中を見てバーナビーはフリーアンの意図を瞬時に理解した。
ハリルの背中の傷跡こそギルドの符丁だった。
『この件から手を引け、後のことは任せろ』
紅蓮のミネアの始末は自分がつける・・・フリーアンの伝えたいことはバーナビーにはっきりと伝わった。
(なんだかんだでお人好しで責任感の強いヤツのことだ。万一にも何処かが確保する前に始末をつけるつもりか・・・その身一つを犠牲にしてでも)
「他になにか言っていたか?」
「『ギルドは大幅に遅れをとっている』と」
実際、ハリルにどうにか出来る相手でないことは百も承知で、依頼があった際の備えとして捜索に当たらせていた。
だが、シーブズギルドがフリーアンの兇行と逃走劇で混乱している最中に起きたため、中原諸国の密偵が先行していた。
20年前の悪夢については古参のバーナビーはよく理解していた。派遣されたのがフリーアンだったお陰で正に最小限の犠牲で済んだ。ギリアムだったとしても似たような結果に終わったであろうし、自分なら全滅もありえた。
いずれにせよ紅蓮のミネアはそう易々と簡単に仕留められる相手ではない。当時のマスター・・・シェラ、ラドニアの父親であるゴドフリーはミネア関連の依頼を一切受け付けないという判断を下した。
ミネア出奔の一報を受けたバーナビーは先々代マスターのゴドフリーが下した判断もあって敢えて本格的な手練れを派遣しなかった。結果的にはそれがかえって好都合だったとバーナビーは思った。
かつての同胞であるバーナビーを揶揄するつもりなら、ハリルは死体になっている。
自ら出奔という道を選んでもフリーアンは自らが巨大組織に成長させたギルドと構成員に対して愛着や義理を感じている。
バーナビーは現マスターたるラドニアに報告すべき事実だと判断し、手負いとはいえ、実際の目撃者であるハリルをアレンテの本部に向かわせた。
それ自体が先代フリーアンの命令だったが、上の指示を仰ぐほかない。
7.追跡行
再び一人になったフリーアンはどうしたものかと思案を続けていた。
ミネアの命は奪おうにも簡単に奪えない。更にフリーアンは『龍眼』持ちだと悟られている。今度はすべて本物の炎が飛び交うことになる。
正に悪夢ふたたびという事態だった。
各国の工作部隊を囮とし、追跡を続けると決したのはハリルとの遭遇から二日後のことだった。情報と諜報員たちの動静をもとに西に向かっている。
それにしてもとフリーアンは思う。
いかに紅蓮のミネアが怪物といえど、睡眠や食事はどうしているのだろう。
フリーアンは悪ガキだった頃の要領で獲物を捕らえては解体して、食事としていた。
一部を干し肉に加工して携帯食料としていたし、街では物々交換で換金する術も心得ているし、持ち合わせもそれなりにある。
状況に応じて夜間の睡眠と昼間の休眠を使い分け、木の上で眠ることなども心得ている。
しかし、戦場育ちのミネアがどういった方法をとっているか疑問は尽きなかった。
なにかまだ知らないカラクリがあるかも知れない。
常人と異なっているのはミネアが放逐された理由について疑問を持たないことだった。
狡兎死して走狗煮らる。
ベラスコが正式に戴冠してベラスケス王になった以上、内戦における最大の功労者である『怪物』の存在は邪魔になったのだろう。
むしろ、放逐した結果、各国の工作員たちが懐柔を試みて痛い目に遭う。
事はその思惑通りに進行しつつあった。
ベラスコも油断ならない男だ。
ロイアスとミネアを使いこなして内戦を戦い、数多くの裏切りを切り抜け、数々の謀略を成功させた。
当然、裏ではシーブズギルドも暗躍している。
フリーアン自身はベラスコこそ乱世の覇王たる器かも知れないと高く評価していた。
清濁を併せ呑み、内戦に外国勢力の介入をさせなかっただけでも器の程が知れる。
更には戦術・戦略・武辺のみならず交渉能力にも長けたロイアスが側に居れば中原の地図など簡単に書き換わる。
全土完全統一を成し遂げたファミールは今や中原最強の軍事国家だった。
少なくともベラスコとロイアスの在命中は滅多なことなど起きる筈もないし、逆に内戦で力を示した新生ファミールが兵力を他に向ける可能性の方が高かった。
国内の敵という敵を平らげた。
更には内戦の最中に“焼け太る”という偉業は他の誰にも真似出来るものではない。
父親から相続したファミールは、継承時よりも更に肥大化していた。
しかもロイアスはリーンラントというファミール随一の肥沃な領地を持つ公爵だ。
その豊かな領地を背景に精強な部隊を整えて内戦に臨んだ。
今や百戦錬磨で中原史上最強の精鋭騎士団かも知れない。
ベラスコが覇道を突き進めばキナ臭い時代をまたも迎える。
フリーアンはそうした難局を彼に言わせればまだまだ若輩者のテオと年若いラドニアに押しつけたことに対する後ろめたさがあった。
とにかく、まずは危険すぎる凶器であるミネアをどうにかしてしまう必要を感じた。
倒せるかどうかはこの際問題ではない。
まだ夜も明けきらぬ早朝、フリーアンは今や逃亡行から追跡行となった自分の旅を再会しかけてぎょっと立ち竦んだ。
遙か前方にまばゆい光が満ちている。
それが両眼を焼くように光っていた。
(なんだアレは)
腕をかざしながら遠目に見やるが、まるで太陽を直視しているかのようだった。
不意に『龍眼』の持つ力かも知れないと思ったのはそれほどの輝きだというのに騒ぎもなにも起きていないことだった。
昨夜は人里を離れた山沿いの大樹に身を隠して眠りについたが誰も気づいて騒ぐ様子はない。
もし夜の間もずっとこうだったなら近隣の民が危ぶんで近付いたことだろうし、その騒ぎでフリーアンの睡眠も妨げられている。
得体の知れないことに軽く身震いしてフリーアンは光に向かって歩き出した。
これまで経験したことのない“なにか”が起きている予兆があった。
さしあたって目を保護する必要がある。
毛布がわりでもある分厚いマントをかかげたがこれでは視界が確保出来ない。
かわりに首に巻いたバンダナで顔を覆面のように覆い、両眼の位置を短刀でくり抜く。
見るからに怪しいが幸いにして人里を十分に離れている。
そうして光の差す方向へと歩き始めた。
ゆうに二時間は覆面姿で歩き続けた。
光は近付くに従いどんどん大きくなるようだった。
フリーアンは不安を募らせた。どういう怪異なのやらと。
更に一時間ほど歩いて光の正体に気付いた。
それは無数の蝶・・・ではなかった。
蝶のように見えたのはフリーアンが産まれて初めて見る奇怪な生き物だった。
蝶のような羽根を持つ小人。
それがなにかを護るようにして森中を飛び回っていた。
危険な存在かも知れないと感じつつ、羽根持つ小人の群れに近付くとそれらは慌てふためき逃げ惑う。
本来は人の目には認知出来ないのだろう。
明らかに自分たちの存在が怪しげな覆面の少年に気付かれていることに当惑している様子だった。
より近くで観察すると光っているのは羽根だけで小人たちの身体は紅いルビーのように透き通っている。
そしてほんのりと熱を感じた。
小人たちの作り出す輪の中心にこんもりとした枯れ葉の山があった。
(これを護っている?だとしたら)
紅蓮のミネアが身体を休めているのかも知れないとフリーアンの直感が告げていた。
ミネアの結界の正体とは羽根持つ小人の群れ?
だが、それが錯覚だとフリーアンは思い直した。
20年前の襲撃時にはそんなものなど見ていない。
もし、20年の間にフリーアンの身体に、特に『龍眼』になにがしかの変化が起きていたとしても見える機会は十分あった筈だった。
枯れ葉の山を乱雑に崩したフリーアンは自分の予想が全く外れたことに気付いた。
枯れ葉に覆われていたのはどうということのない一振りの剣だった。
腰をぺたりとおろし、剣を手にしたフリーアンは酷い脱力感に苛まれた。
まさかこんなものを羽根持つ小人たちが護っていたなんて・・・
そのとき、更なる「まさか」がフリーアンを襲った。
『何者ですか?』
言葉を発する者など小人たち以外には考えられない。
だが、頭に直接響いたように感じられた。小人たちが口を開いた様子もなく好奇心と恐怖がない交ぜになった瞳でこちらを見ている。
どうやらコイツらではなさそうだ。
『誰だ。小人か?』
フリーアンは慌てた。
自分もまた言葉を発していない。
頭で考えたことがまるで言葉になったかのようだった。
『私は貴方の手の中にあるもの。それが私本来の姿です』
『馬鹿な!ボクが手にしているのはただの剣だ』
『ただの剣に見えるのは主を持たず、その真名(まな)を呼ばれないがため』
『つまり、お前は誰のものでもないということか』
『そうです。誰の物でもなくなってしまいました』
『ならば、なにを望んでいる?どうしてこんな深い森の枯れ葉に埋もれていた?』
『マダインの民を求めて。私は本来彼らのために作り出された剣』
『なるほどそれで分かった。ボクもマダインの民の末裔だ』
『そのようですね。精霊が見え、私を捜し当てた。どうかお願いです。里へ、マダインの里に案内してください』
『そんなこと言われたって所在については知らない。ボクは取り替え子だ』
『なんと、マダインの民の一部にそうした悪習があるのは存じていました』
『ならわかるだろう。ボクは孤独に生きてきた。つい最近までマダインの民の末裔たる取り替え子たちと共に同じ組織に身を置いてきた。けれど事情があって其処を離れなければならなかった。今は・・・とても危険な怪物を探している』
『その危険な怪物とは?この地上においてはホモサピエント以上に危険な怪物はいません。彼らはこの世界を滅ぼしたがっています』
『怪物というのは紅蓮のミネアという少女だ。その炎をもって大勢を焼き殺すかも知れない凶悪な魔術師。ファミールを放逐されて現在は勢力に取り込みたいと考える各国に追われている。彼女の始末をつけることがボクに残された使命かも知れない』
『なんですって・・・』
『あるいは紅蓮のミネアもマダイン一族に連なる者だとボクは考えている。フードを目深に被った不気味な少女・・・ファミール内戦がはじまってからどれだけの時間が過ぎている?アイツも普通に年を取らない』
『・・・・・・』
『過ぎた力を持つ彼女はこの世界に混迷と争いとをもたらしている。彼女を取り込むために各国はまた殺し合いを・・・』
不意に剣を持つ手に重量を感じて思わずフリーアンはその手を離した。
目の前に怒りにうち震えた少女が居た。
なにが起きたか分からないフリーアンは呆然と尻餅をついた。
すかさず少女の手が伸びてフリーアンの覆面を剥がす。
「やっぱり・・・。悪名高きフィーブルの悪童フリーアン。貴方だったとは」
「なっ、なんで剣が・・・」
目の前の少女が紅蓮のミネアだと認めてフリーアンは思わず身構える。
だが、既に彼女の結界の内側にいた。
(手遅れだ。殺られる)
「焔の精霊たち、この者を焼き尽くしなさい」
だが、精霊たちは戸惑うばかりだった。
「どうしたの言うことを聞きなさいっ!!」
念押ししても無駄だった。焔の精霊たちは戸惑い、泣く者もいる。
ミネアの命令を悲しそうに聞きながら従おうとしない。
(どういうこと?)
ミネアが戸惑った一瞬の間がフリーアンにとって幸いとなった。
素早く飛び退いた際に足に普段以上の力強さを感じた。
(なんだ?)
チラリと自分のつま先に目をやってフリーアンはギョっとした。
ミネアが「焔の精霊」と呼んだあの羽根持つ小人とは別の種類のなにかが足を包み込んでいた。
そして、自分ではサッと飛び退いたつもりだったが実際には地面から遠く、3mほどの灌木を飛び越えようとしている。
正に空を飛んでいた。
フリーアンは自分になにが起きたのかまるで理解出来ないながらも、経験と鍛錬とが体勢を整えるよう脳に命じる。
「ノーム?なぜアイツが・・・」
ミネアはフリーアンの足先を覆った小さき小人たちをしっかり見ていた。
彼らが大地を力強い手で弾く。そのたびにフリーアンは宙に舞っていた。
フリーアンは飛び上がったときよりも着地する体勢について考えを巡らせた。
コレを信じていいのか?
地上で受け身をとるべきか次の跳躍に備えてつま先で大地を蹴るべきか考え、後者を選択した。
それで正解だった。
跳ねるようにして更に大きく跳躍し、ミネアから遠ざかる。
距離はとり、体勢も整った。
もう逃げ惑う必要も無い。
次の跳躍でミネアに迫る。
あちらが何故か炎を撃てないのは先刻承知していた。
だとしたら勝機はある。
空中で腰の短刀を抜いて構える。
だが、予想外の光景にその目を疑った。
丸腰じゃない。
さっきまで自分の手の中にあったあの剣をミネアが握っている。
アレはミネア自身が変じていたものではなかったのか・・・
(紅蓮剣・・・)
なぜか脳裏をよぎったその単語にフリーアンは慌てた。
初太刀の出所がわからない。
それが紅蓮剣の奥義だった。
低く沈めた腰に剣を深く構え、明らかに右側から凪ぐ体勢に見えるがその実、身体を素早く一回転させて反対側から切り込まれることもある。
独楽のように素早く旋回して左右から鋭い斬撃が襲う。
真上からの切り込みに対しても対応出来る。
剣の一部が触れでもすれば剣に宿る精霊の力がフリーアンを内側から焼き尽くす。
もともと自分の“不動剣”では分が悪い。静の不動剣に対し、動の紅蓮剣。
一撃必殺の不動剣は最上段の構えから繰り出す縦の斬撃だ。
古の戦女神の名を冠する紅蓮の宝剣ミネルヴァの持つ奥義は殺戮のための技ではない。身を守るための・・・
何処からどのようにして出た知識なのかは分からなかった。
だが、思わず叫ぶ。
「やめろ“ミネルヴァ”。お前の型はマスター・メッシュビルが護身のために授けた技だ。そんな使い方をするなっ!」
構えていた短刀の切っ先を敢えてミネアの脳天から外す。
本当に僅かなところで短刀はミネアの着ている外套を掠め、切り裂いた。
紅蓮のミネア・・・いや、ミネルヴァは凍り付いたように構えを解かずに硬直していた。
「わたしの真名が呼ばれた・・・どうして?貴方なんかに・・・」
硬直したミネルヴァの動揺は激しかった。
見ていて憐れみを感じてしまうほどに。
「知るかっ、咄嗟に出た!」
フリーアンは自分でも動揺を隠せなかった。
何故、紅蓮剣や不動剣の名を知っている?
何故、技の本質を知っている?
そもそもボクはいつ誰に剣術を教わった?
メッシュビルって誰なんだ?
ギリアムとの想い出が不意にフリーアンの心に蘇る。
お互いに木剣で剣術の真似事をしていた。
フリーアンには誰に教わったでもなく、何故か身に染みついた技があった。
ひとしきり汗を流した後にギリアムは苦笑しながら言った。
「お前の剣は人を殺すためのものじゃないな。独特の型だけど、洗練されている。気迫で意識を斬るための“威嚇”のための剣法。なんかソレ自体がスゲエ良い型で人殺しになんか使って欲しくないんだよな」
ギリアムはそう評してフリーアンに暗殺の仕事はなるべくさせたがらなかった。
実際にはやむを得ず人を殺めた。
だが、不思議と本来の型は使いたくなかった。
長剣でも十分使いこなせるのにわざと短剣を使うのもそのせいだった。
フリーアン自身、何故そうするかは分からなかった。
跳躍に力を貸したノームとかいう精霊。
精霊?さっきまでは頭になかった単語だ。
いや、ミネルヴァの焔の精霊サラマンデルを見たばかりで・・・サラマンデルってなんだ?
まさか・・・ミネルヴァと遭ったことで封じられていた扉が開けられた。
「精霊使い」で四宝剣の技にも通じている。
龍眼持ち。マダインの末裔・・・フリーアンはパニックに陥りかけていた。
『いったいいつ何処で誰に授けられた能力と知識なんだ。』
孤児院時代を思い返しても思い至らない。
まさかリーアムが?いや、そんな形跡はないし、リーアムは希代の『魔術師』だ。
「多少は使えるが剣士ではない。アリアドネのマスターではあるが単なる保管者に過ぎず、剣聖ではない・・・」
最後の部分は口に出していた。
「どういうことかちゃんと説明して」
せっつくミネアに狼狽した素振りを見せる。
「説明出来ない。急に頭の中になにかが流れ込んでくるみたいに・・・」
不意にミネルヴァに視線を向けてフリーアンはギョっとなった。
短刀で切り裂いてしまったミネルヴァの外套は肌を傷つけることはなかったようだが、切れた部分から小ぶりで白い乳房が露出していた。
「わっ、わざとじゃない。スマン、そんなつもりはなかった」
フリーアンは本物の少年のように酷く狼狽して顔を赤らめた。
「えっ」と言ってミネアは切れた外套の胸を腕で覆った。
不動剣は脳天を直撃する・・・ように思わせることで相手の意識を斬る。
直前まで反撃を考えていたフリーアンは敢えて狙いを外した。
「そんなに気にしなくてもいいのに・・・」
戦場では男達が見ている前でも平気で裸になって水浴びをした。
いつも清潔にしていないと清潔を好むロイアスが嫌がるからだった。
ミネアは兵士ら男達に欲情を催わせる年齢にはまだ早かったらしい。
目を背けたり、わざわざ覗きに来たりしていたのは自分と同年齢に見える少年兵たちだけだった。
古参兵はそれをガキだとよくからかっていた。
そして女性について卑猥な講釈を垂れる。
未熟で青臭い女の裸で満足しているようじゃまだまだだ。
熟した女はもっと香り立つような旨そうなニオイがするなどと言っていた。
ミネアにはなんのことだか分かりかねた。
ロイアス様はそうした様子を見ていつも苦笑されていた。
「ロイアス様・・・」
不意にミネアにとって長らく保護者だった人物の顔が浮かんだ。
ロイアスは兄のような、父のようなそんな存在だった。
ミネアが困っているといつも心のうちを読み解くようにして適切に対処してくれる。
戦いの最中はロイアス“だけ”が世界の全てだった。
「だいたい、どうしてロイアスから逃げた。アイツの側に居るのがイヤになったのか?」
「そんなことあるわけないでしょ」
回想を振り払うようにして悲しげなミネアの言葉が響く。
「なら、どうして?」
「ロイアス様が私とロイアス様は新しい国に居てはならないと。ベラスコ様の秘密を知っていたのが私たち二人だけだったから・・・」
「どんな秘密だよ。ギルドじゃ聞いたこともない」と僅かに平静を取り戻したフリーアンが呟く。
「ベラスコ様は本当は女の人だったから」
「えっ?」とフリーアンは口を大きく開けたまま固まってしまった。
「他の誰にも気付かれてはならないとロイアス様が言っていたの。だから私とロイアス様だけでこっそりお世話をしていたの」
こともなげに重大な秘密を語るミネアにフリーアンは更に当惑した。
「なっ、なんてこった・・・あれだけ近くにまで迫ったのに・・・」
命を取れるほどの・・・という表現はさすがに躊躇した。
「どうやって?何十年もの間、バレずにいた」
「私の幻炎が。サラマンデルたちがベラスコ様を覆って姿を凜々しい男性に見せていたから。それとロイアス様が常に用意していたお香のせいよ」
近くに接近した際にベラスコは確かに焚き込んだ香の香りがした。
戦場特有の血や死臭の放つすえた臭いを嫌がってのことだと思っていた。
それが女性特有の体臭を嗅ぎ取らせなくしていたのだ。
「そのサラマンデルたちが何故急に言うことを聞かなくなったんだ」
「貴方の使うノームがサラマンデルたちには苦手なのよ。がさつで乱暴だから。それに」
「それに?」
「真名を知っている人だけが私のマスターになれる。サラマンデルたちは私よりもよく知っている。これから起きることを。真の主を」
「なんだって・・・」
フリーアンは文字通り絶句した。
「貴方が悪名高きフィーブルの悪童フリーアンでも真名を知られた以上、わたしは貴方に奉仕しなければならない」
「ボクはギルドを抜けた。名前も弟子が継いだ。それにお願いだからその二つ名はやめてくれ」
悪童。それはいつまでも見た目が少年のようなフリーアンにつけられた有り難くない二つ名だった。今は困惑と恥じらいとで正に少年になっていて皮肉にもなりはしない。
「貴方には紅蓮の剣聖と呼ばれる覚悟はありますか?」
それは自分にミネルヴァの主となるよう求めているのか?
フリーアンは軽く身震いした。
「ないよ、大体ボクには紅蓮剣は使えない。不動剣の構えと型が自然に身についてしまっている。それに仮に四宝剣をボクが持ったとしてなにに使えというんだ」
剣士になる気など更々ない。
今のままでも自分一人ならこの世界で十分生きていける。
(なんのために。誰のために。何処でなにをして生きていくつもりだ?)
自分の内面に真意を問われた気がしてフリーアンはゾッと寒気を覚えた。
半ば死を覚悟してミネアとの再戦に臨んだ。
ギルドの粛正がないことはおよそわかっていた。
想像した事態からは遙か斜め上を行ってしまうが、自分がミネルヴァの所有者となってしまえば紅蓮のミネアの始末はついてしまったことになる。
つまり、『どうにかなったことになる』。
後は奪われないようにするだけだ。永久に自分の持ち物でありさえすれば、ミネアは誰も焼き殺さない。
どの国の戦争兵器にもならない。
いずれ遠からず、各国の諜報員たちは知るだろう。
『紅蓮のミネアはフィーブルを追われたフリーアンと行動を共にしている』のだと。
自分と共にある限りは滅多な真似はさせない。
「なによりどうして、フレイア姉様の使う不動剣を貴方が使えるの?」
なおも見当違いの質問をぶつけるミネアに苛立った。
コイツはなんにもわかっちゃいない。
「知るかっ!」
フリーアンは声を大にして叫んでいた。
8.煩悶
フリーアンは憔悴しきったままあてもなく森を歩き続けた。
その背後からミネアがのろのろとついて来る。
憔悴しきったフリーアンの頭の中に様々な情報が錯綜していた。
四宝剣またの名を至宝剣。
魔術師リーアムが打ち出した世界でもとびきり価値の高い宝物。
正しく用いれば剣に集う精霊たちが味方する。
正にその所有者は『精霊王』であり、剣の真名を知り認められた者は畏怖と敬意をもって人々から『剣聖』と崇められる。
厳密には勿論親子ではないが、確かにミネアの産みの親は“あの”リーアムだった。
別れ際に言われた『娘によろしく』という言葉もそれならば意味が通じる。
真の所有者の証がミネアの真名ミネルヴァと頭に流れ込んだ様々な情報と他の四宝剣についての情報であり、彼女たちがかつて遙か昔のアーク・マスターである剣聖メッシュビル・スターンに刻み込まれた剣技。
その本質についてもまざまざと理解していた。
何故、生涯を賭してまでメッシュビルは完成された剣技を四宝剣たちに叩き込んだ?その恐るべき真相についてさえ、フリーアンは理解していた。
四宝剣が隠し持つ本当の技である『龍剣』。
彼女たちが産みだされた経緯と意味・・・邪悪な本質を持った存在であるホモサピエントどもの数を減らし、彼らの潜在的な脅威を小さくする。
その目的は多くの種族が存在する世界を護るという目的のための抑止力。
つまりは『人間』を大勢殺して口減らしをし、彼らを傲慢なる地上の支配者にはさせないという敵意と憎悪に満ちた何者かの強い意志。
それが魔王リーアムに至宝剣という最終兵器を作らせた要因だった。
ホモサピエント・・・つまりはごく普通の人間たちを背後から操り状況を楽しんでいる者が存在する。
奇しくもフリーアンはシーブズギルドの一員として、国家の上位に位置する人間の歪んだ欲望と命掛けで対峙し続けた。
優秀な工作員であり、諜報員として、様々な陰謀や野望を挫いてきた。
人間が持つ欲を刺激して思い通りに事を運ぼうという大いなる悪意。
いつの頃からかフリーアンはそうした巨悪の存在を信じるようになっていた。
もともとフリーアンの動機は『正義』や『大義』ゆえではない。
単にフィーブル王国を豊かにするという動機から始まって、王様たちの支配ゲームに盤外から突如割り込んで、くだらない侵略戦争を止めさせるという『革命』のためだった。
やがて持つ者と持たざる者の関係は一変し、各国が羨むほどにフィーブルは富に溢れるようになった。
フリーアンが感じていた腐敗の香り。
それはむしろフィーブルとアレンテに満ちるようになっていた。
現在のフリーアン自身が知るよしもないが、魔都と化しつつあったアレンテの状況はフリーアン自身が引き起こした兇行劇によって様変わりした。
ギルドの大幹部による要人暗殺・・・。
それ自体は他国では珍しくないことだったが、“フィーブル国内であっても例外でない”という事態はフィーブルの王侯貴族たちを戦慄させた。
奢りの極みにあった彼らは自らの身辺を冷静に見渡し、いつ粛正対象になってもおかしくないと反省した。
王家直轄だったギルドが王家や王国との距離を取りたがっている。
事実上、民を味方につけているギルドこそがフィーブルの真の支配者であり、民が望むのは共存繁栄に他ならない。
そのために自ら血を流すことさえも、資産を投げ出すことも躊躇わない。
民意。
まだこの時代には存在しないその言葉が本来犯罪結社である盗賊ギルドの存在意義であった。
それが在る限り、悪意は蔓延しない。
その根を絶たれる。
ギルドは互助組織だ。
人々の抱く意志が集まった集合体だ。
統一も整合もされない。
同じ物の見方、価値観をしていては折角沢山の眼と頭がある意味がなくなる。
かつてどうしようもなく貧しかった時代をフリーアンやギリアムだけでなく、古参のギルド員たちは知っている。
貧しい者が抱く歪んだ嫉妬を知っている。
それ故に、ギルドは巨大化し、肥大化しても積極的に他をどうにかしようとはしない。
むしろ皆で豊かになることを目指す。
飢え、貧困、戦乱、災害・・・そうした要素に対して皆の力で乗り切ろうという強い共通意志。
ギリアムやテオドールのように『ちゃんと真っ直ぐに現実を見つめる眼が光っていた』。
まやかしを見極める眼『龍眼』。
人々の持つ、共に在るという意志を護る真実の眼が悪意が入り込む余地を与えなかった。
あるいはフリーアンの持つ力はもう既にその必要がなくなり、彼らは彼らとしてやっていける段階に到っていたのかも知れない。
だから、人間を監視する大いなる意志が些細な出来事をきっかけにフリーアンをギルドに対する責任から解き放った。
別の役割に、他の何処かでその力を用いるようにと願った。
フリーアンが持つ磨き抜かれた技術は『彼が老いて死ぬ』まで健在であり、現実にまだ少年期に過ぎないフリーアンにとってそれはまだ遠い先の出来事だった。
あるいは永久にその機会は訪れないのかも知れない。
フリーアンは冷静な眼と怜悧な頭脳とで俯瞰して全てを客観的に判断することが出来た。
フリーアンこそマダインの呪われた一族の勇者であり、様々な野望を抱く者たちにとって最大の脅威である。
これまでそうだったし、これからもそれは変わることがない。
だが、その本質は明らかにこれまでとは異なっている。
フリーアンという一個人にとっては正に悪夢だ。
終わらない逃亡劇と追跡劇。
組織の力、他人の力も表向き頼めなくなった。
自由という名の広大な原野に投げ出され、命を狙われる理由は更に増えた。
なによりフリーアンが恐れたのがこの世で最も恐るべき脅威だとされた魔王リーアム・ポロニウス・サイエスと自分とが本質的意味で全く同種の存在だということだった。
リーアムが魔法を使役するのに対し、フリーアンは今後は精霊力を行使することになる。
あるいは人間を正しく導くための道しるべ。
ノームの力は人間離れした跳躍のみならず、大地を盾に変え、砂つぶてを放ち、追跡者を攪乱する石壁をたちどころに作ることさえ出来る。更に聖剣ミネルヴァの加護たるサラマンデルたちは炎の結界を張り巡らせて侵入者を焼き殺し、その気になりさえすれば問答無用で焼死体の山を築ける。
かつてリーアムがそうせざるを得なかったこと。それが自分にも委ねられた。
必要に駆られて人間を殺すのに慣れきって心が荒み、信じられるものが自分と行使する力のみとなり、表情をなくして疲弊していく自分自身を想像してフリーアンはゾッとした。
ある意味、ギルドに居たときに感じていた居心地の良さと楽しさは、人と人とを繋げて組織を編むという過程にあった。
ごく普通に暮らす一般人たちを組織で束ねていく。シーブズギルドは各国の脅威となる犯罪結社・諜報機関である以前に巨大な互助組織だった。
ありとあらゆる情報を集積し、味方を守って敵を挫く。
自分たちの些細な発見と報告とが巨大組織の役に立ち国を豊かで安全にすること、そして些細な情報に対して組織としては正当な、個人としては法外な報酬が支払われることに末端のギルドメンバーは満足し、笑顔を浮かべていた。
その笑顔が苛酷な任務にもフリーアンに悦びを与えてくれたのだった。
ようやくわかった。
ボクは本質的に一生懸命に生きているごく普通の人間たちが好きなんだ。
だから、自分の存在意義が人間にとって最大の脅威であることが怖いんだ。
リーアムが口にしていたMaster of Rordの称号。
本当は誰も憎みたくないし、殺めたくない。
剣聖の呪いにより役割が変化した。
だから今後はなるべく人とは関わらないようにし、人目を避け続けなければならない。
深いタメ息と共にフリーアンが突然力無く座り込んだのをミネアは怪訝な面持ちで見た。
「どうされたのです?」
ミネアの口調が敬語に変化したことさえ疎ましく思えた。
「敬語はやめろって。ボクは別にお前の本当のご主人様になったわけでもないんだぜ」
「マスターたることを拒否されるのですか?」
「そうじゃない。お前と共に在る限り、マスターたることは避けられない。いい加減その事実は認める。けれど、積極的に使役者たるつもりは今もない」
「意味がわかりません」
「要するにお前を鮮血で染めたくないし、誰かを焼き殺させたくない」
「えっ?」
「これから先、いったいいつまでそうして荒みきった生活を続けるんだ。なるべく諍いを避け、正体を悟られずにいよう。人とトラブルにならないよう関わり合いは避けるんだ」
「それがマスターの方針なんですか?」
Master。
達人。
主。
ミネアが自分に向けているその言葉の意味は計り知れないほどに重い。
やめてくれ、買い被るなと叫びたくなる。
だが、適任者という特別な資格と押された烙印とが拒否を阻む。
逃れられぬ、さだめの証。
「お互いにみてくれが子供に見える。遠く旅を続けている兄妹だという体でいよう」
「それがマスターのご命令ならば」
「マスターという呼び方もやめてくれ・・・そうだなフレイ。取りあえずはフレイと呼んでくれ。人前では『フレイ兄さん』。面が割れていない土地ではそれで通用するだろ」
「わかりました“フレイ兄さん”」
「お前のことは・・・そうミーネと呼ぶ。フレイとミーネの兄妹。ボクらの正体を知らない相手にはそれで押し通そう。ただし、ボクがお前を“ミネア”と呼んだら警戒してくれ。遠からず真名を呼ぶことになる」
備えはあっていい。必要だ。
この世に蔓延る悪意は何処に潜んでいるとも限らない。
腰の短剣だけでは捌ききれない強敵と相対することもあるだろう。
「はい」
「さしあたってマダインの隠れ里を探そう。お前の姉妹たちは其処を拠点に活動している筈だ。お前もそう思ったから探して旅していたんだろう?」
「ええ、でもよくご存じで」
「此処からそんなには遠くない筈なんだ。けれど、あまり期待はしすぎないでくれ」
「それってどういう意味なんですか?」
「着けばボクの言葉の意味がわかるさ」
フリーアンはなんとなく感じていた予感をそのまま口にした。
遠回りにはなったが山二つ越えればフィーブルに到る。
地理的に近い割にギルドの組織網が巡らされていないのは住んでいる人間自体が酷く少ないからだった。
往来もなく、ギルドの求める情報とは無縁の僻地だった。
多分、ミネアが期待して探し求めていたマダインの里はとっくの昔になくなっている。
その証拠に“取り替え子”という事件がフィーブル近郊で多発し、フリーアンもギリアムもテオドールも産み出した。
マダインの血を引く一族は最早隠れ里を持つ必要がなくなった。
もっと正確に言ってしまえば隠れて暮らしていた里を人間たちに発見されて住人たちはちりぢりになったのだ。
そして、逃亡の足かせになる嬰児・幼児を泣く泣く人間たちに委ねた。
その結果が正に“取り替え子”だ。
そして自身がマダインの民であるギリアムとフリーアンとが片っ端からシーブズギルドで保護し、必要な教育と養育を与え、堂々と生きていけるようにしたからに他ならない。
シーブズギルドの中核は正に堂々と復権を果たしたマダイン一族だった。
『龍眼』。
自身の演出した『奇跡』のからくりさえ暴いたその絶大なる力。
フリーアンは当然知らない未来の出来事だが、マダインの血脈はヴァズイール家までもやがては一族の同類に変えてしまう。
「なぁ、ミーネ。お前はリーアムを知っているか?」
「わたしのお父様。どうしてその名を?」
(やっぱりか・・・)
これで疑問の一つは完全に解消した。
リーアムはミネアとフリーアンが行動を共にするようになる運命を知っていたのだ。
自身が運命に選ばれた存在である事も・・・
「あー、腹立つ。コレでアイツに着せた恩だか借りだとかいうのも薄々見えてきた」
「なんのことです?」
「ボクはアイツに二度会っているんだ。一度目はホントの悪ガキだった頃。アイツはなんの要求もしないボクに苛立ちながらも魔法で呼び出せるようにした。二度目はつい最近だ。ボクがアイツの力を求めた。それに手を貸してくれたんだ。結果的にはアイツの起こした折角の『奇跡』は誰かに・・・おそらくはテオのヤツに暴かれてなんにもならなかったんだけどなっ」
「ギルドを飛び出すことになった事情?」
「そういうことだ。どうもボクはなにか大きな思惑を持った存在に動かされているようだ。ギルドを飛び出すことになった運命にしてさえ、誰かの作為を感じる」
「誰か?誰かって誰なんです?」
フリーアンは首をかしげ考え込む。
「リーアム・サイエスではないな。アイツは面倒な真似は嫌う合理主義者で気前もいい。神様みたいな存在だけど万能でもない。それに今は存在しても存在していないんだろ?」
「えっ?」
「魔王戦争の最後に弟子の裏切りで敗北して東の塔に幽閉されている。アイツ自身が1000年の不在だと自嘲していた」
だが現実にはフリーアンの前に現れた。
あれだけの魔術師だ。
時間と空間さえも自在に出来るのだろう。
「知らなかった。私はマスター・メッシュビルからカドテア様に託されて姉様たちとは別々に行動することになったから・・・」
「そういえばファミールはもともと魔王戦争に参加しなかったのだよな」
「ええ、カドテア様は王位継承にあたって二つのことを遺言されたのです。一つは私を・・・正確には焔の聖剣を王家の家宝として代々継承し、私の力をもって国の護りにすること。二つ目が『東方の賢者』こそが焔の聖剣ミネルヴァの産みの親であり、加護に護られる以上は何が起きても決して逆らうなと」
なるほど、確かに遺命は護られた。
加護はファミールを一度は護った。
「その賢明な遺言がファミールを魔王戦争の惨禍から救った。ファミールは魔王戦争に参加しなかった。どれほど要請があったか知れないが拒否した。なにしろ、リーアムさえも亡き者に出来る宝剣が、つまりはミネルヴァがあの国にはあった。なのに参加しなかったことでファミールを恨む人間もいた。だが、結果的にファミールと賢王ヴェルミーのオルランド王国とが世界再興の礎となった。徐々に国家は再興し、やがては見苦しい乱世の時代に突入した。だが、ボクらのギルドが・・・もっと正確に言えば住処を追われたマダイン一族の逆襲が乱世を急速に萎ませた。乱世の最後とも言えたのがロイアスとお前が戦っていたファミール継承戦争だった」
「ロイアス様がよく言っておられた。フィーブルの悪童フリーアンこそ方法は突飛でも“戦争”の持つ本質的な意味を薄れさせたと」
「ああ、国の繁栄に軍隊や戦争は必要ないとシーブズギルドが教えた。俺たちに暗躍の場を提供して結果的にボクと組織とが国を恣に蹂躙し、富を吸い上げることになる。それがいかに愚かで不毛である事か理解しながらそれでも戦争を続けたロイアスこそなにを考えていたのか・・・本当はロイアスがカドテア王の血を少なからず受け継ぎ、“不完全”ながらもお前の主として機能していたのだろう?」
「ええ」
決まり悪そうにミネアは答える。
剣が使えるロイアスなのにミネアが『実体化』して『魔術師』として仕えていたのはロイアスの持つ資質が不完全だったからだった。
皮肉な話だ。
マスターであって欲しいと願ったロイアスにその資格が十分ではなく、小狡い敵だと蔑視していたフリーアンこそその資質十分だというのだから・・・。
違う、とフリーアンは思った。
自分の見立てに狂いはない。
ひょっとしたらアイツは単にミネルヴァのMasterでないというだけで、誰か別の・・・。
「だが、ロイアスは紅蓮の剣聖ではなかった・・・いや、アイツが紅蓮の剣聖になってしまえば本来ファミールを受け継ぐべきはアイツだということになってしまう。実際、そう望む者も少なくなかった」
たぶんそこにロイアスの苦悩とファミール継承戦争の最大の謎が隠されていたのだろう。
そのあたりの事情については当事者であるミネア自身もよく知らされていないのだ。
話が横道に逸れたと感じてフリーアンは「思惑をもった誰か」に思いを巡らせた。
人の運命を自在に操ることさえ出来る人物。それは正しく「神」だった。
この世界に唯一神信仰はない。
人々の信仰は地域によって様々で勝手気ままな神をそれぞれ信仰している。
いまだ神の実在を哲学的に検証しようという段階ではなく、現実には地上世界で実力を持った存在こそが人々にとっての畏怖の対象だった。
それでもある神の存在だけは何処の地域にも等しく認められていた。
冥府王。
つまり万物の「死」を司る神だけはいるとされている。
フィーブルでもファミールでも冥府王ヨミの存在だけは信じられていた。
だが、解釈については様々だ。ファミールではヨミは不老不死の力を持つ冥府の番人として生前の人々の罪を審判し、罰するものとして崇め敬われていた。
フィーブルでは兄である太陽神に反逆した弟として暗い地下空間に幽閉されたとされている。
地上支配を目論見、やがては死者の軍団を率いて地上世界の制圧に乗り出すのだと。
実際にそれは現実に起きた。
それゆえに魔王リーアムの正体こそ冥府王ヨミだという勝手な解釈もされていた。
フリーアンはそのどちらも信じていない。
リーアムはリーアムだし、冥府王ヨミは仮に存在したとして別の存在のように思えた。
アレントもそう感じていた。今際の際の言葉を片時も忘れたことはない。
「冥府王が戯れに見せた幻」と言っていた。
少なくともフィーブルの民衆とアレントの「冥府王」についての解釈は違っていた。
そもそもリーアムはその行使可能な能力において「神」に等しい。
だが、あくまで魔王だし、実際にリーアムと相対したことがあるフリーアンには「神」というよりも自分に近い存在。つまり現実世界の中で苦闘する「不老の賢者」という解釈だ。
あるいは人の生死を司るヨミこそが自分たちに数奇な運命を与えた張本人なのかも知れない。
ならばリーアム自身に運命そのものを変える力がなく、ただそうだと『識る』に止まっているのかも知れない。
そして、自分に突然開示された様々な情報で断片的に似た存在だと考えたのは不老の力は単に成長がひどく遅いだけで厳密には「不老」ではない。1000年の不在の後に復活を遂げたならば尚更に「不死」には近い筈だが、殺す方法はあるのだと感じる。
その方法のひとつが『龍剣』の存在だ。
なぜそこに龍の名が冠せられるのか、しかもその『龍剣』自体がリーアムの打ち出した四宝剣の持つ真の力の解放にある。
不老不死だと考えられているリーアムはわざわざ自分を殺せる力をこの世界に作り出した。
いったいなんのために・・・。
答えは簡単だ。
自分と同じかそれ以上の力を持った存在がこの世界には居る。
仮にそれを『神々(Gods)』と呼称した場合、『神殺し』の力として四宝剣を作り出した。
しかし、四宝剣であるミネルヴァはこの世界において最大の脅威をホモサピエント・・・つまりは『人間』だと規定している。
力を持ちすぎた人間を註するための四宝剣。
だが、『人間』は脆弱な存在で絶対的ではない。
時が経てば死ぬし、老い衰える。
至宝剣など必要ない。
実際、リーアムは魔王戦争において至宝剣を用いなかった。
彼自身が『奔流のアリアドネ』のMasterであるにもかかわらず・・・。
「そもそも、四宝剣に選ばれる資格とはなんなのだろう?」
「私にも正直なところわかりません。マダインの民に与えられる力だと聞いたことはありますが、マスター・メッシュビルはマダインの民ではありませんでした」
実際に故人だし、魔王戦争よりも遙か昔に存在したという伝承の知る人ぞ知る人でしかない。
「マスター・メッシュビルがお前を委ねたカドテア王もマダインの民ではなかった。カドテアに与えられた資格、ロイアスでは不完全だったその能力。血縁関係者だからなのか?それとも・・・」
「相性なんでしょうかね。真名は厳密には言葉として受け継げるものではありません。心の中から発する『鍵』です」
フリーアンもそれは『実感』していた。
大いなる力を解き放つための鍵。
それを誰かに委ねられた存在こそがMaster。
「・・・迷惑な話だ」
フリーアンはそれきり押し黙ってミネアとの会話を打ち切った。
少し寂しそうなミネアの様子を背中に感じながら、フリーアンは自分の頭の中を整理していた。
ミネアとの野営の最中に夢を見た。
「真相に大分近付いたようだな、フリーアン」
相手の男は銀色に光る冠を身につけた足元まで垂れる黒髪を持つ長身の男だった。
「ヨミ、あの知識を与えたのは貴方なのか?」
フリーアンがヨミと呼んだ男は静かにかぶりを振った。
「お前の母親だよ」
「ボクの母親?誰のことなんだ?」
「答えはお前の中にある。時間は一本道として連続してなどいない。未来が過去に繋がり、過去が未来を変える。事象としては逆になるが、道理としては適っている。二度邂逅したリーアムが少なからずお前に負い目を感じているのは感じただろう。それが答えの一つだ」
フリーアンは戸惑った。
認めたくはないが確信に近いモノが自分の中でわだかまっていた。
「当たり前の感情がある。だが、お前の中の常識がそれを認めたがらない。感性に身を委ねてみるのもいいだろう。現実主義者のお前はとかく理解の範疇を超える事実を認めたがらない」
「ここで言っていいのか?リーアム以上にヨミ、お前がボクに負い目を感じているように思う。何故だ?」
どんな問いにも誠実に答えるのが冥府王の最大の取り柄だった。
どの道、ここでわかったようになった事実や真実は意識の覚醒と共に心の深淵に沈み込む。
夢が夢でしかない証だった。
「・・・・・・」
「何故答えない?」
しばしの沈黙が辺りを支配する。
「お前が孤独に育ったことに私の罪があるからだ。ある男の魂を必要としてお前から大切な人物を奪った。そしてお前の大切な人を傷つけた。償ってもつぐない切れない大きな罪だ・・・」
「冥府王ゆえの責任?そんなにボクの存在は重いのか?」
「ああ」
その後に肝心な話がなされた。
しかし、眠りから醒めたフリーアンには夢の続きが思い出せなかった。
重大で肝心な話ほど思い出せない。
冥府王ヨミの存在もそこで語られた真実も・・・。
だからこそ、夢は夢でしかないのだ。
目が覚めて、フリーアンは隣で小さく丸くなって眠っているミネアの顔を見た。
『呪い』から逃れるつもりが逃れきれない新たな『呪い』をもたらした。
ミネルヴァは自身に秘められた『龍剣』という能力の存在を知らない。
コイツにいつまで隠し通せるかとフリーアンは前途に対する不安を感じた。
9.死闘
「ほらな、言ったとおりだったろう」
マダインの里らしき場所に到着したものの、そこには最早誰も住んでいる気配がなかった。フリーアンの予想は的中してしまった。
規模としては少なくとも数百人から数千人の村落跡。
だが、人の気配は全く感じられない。
生活痕は相当長い年月を経て廃墟群の一部となっていた。
思わぬ襲撃を受けたのだろう。
骨となった遺体ももはや生前の様を感じさせないほどに朽ち果てている。
「そんな・・・」
大勢の同族が隠れ暮らしていると思い、それだけを希望に歩を進めてきて衝撃を隠せず膝をついているミネアにフリーアンは優しい声をかける。
「生きている者もいるさ。少なくともボクのように人間に委ねられて・・・」
「父様は?父様はなにをしていたのです。里の守り手は我が父リーアムだったというのに」
「そのリーアムが不在の隙か、あるいはここを襲撃されたことが魔王戦争の発端だったんだろうさ。つまりはそれだけ時間が経過している」
フリーアンも手がかりを探す努力はしていたが、半ばなにもないと諦めていた。
自身のルーツは既に喪われている。
失望と喪失感はそれを予想していたフリーアンにも強くあった。
マダインの民は復権し、今も息づいている。
だが、その秘密と謎は一族の崩壊と共に喪われていた。
龍眼に龍剣、なぜか龍の名を冠する技がマダインの民に根付いている。
せめてそのことだけでも誰かに尋ねてみたかったのだったが・・・。
「“ミネア”、身構えろ」
探索の手を止めたフリーアンはミネアに鋭く呼びかける。
森の奥から何者かの息づかいが聞こえた。
(とっくに気付かれている。それに怒りに満ちている・・・)
「どうやら、里の守り手に侵入を気付かれたらしい」
フリーアンの鋭敏な鼻は風上から流れ寄せる真新しい血の臭いを嗅ぎ取っていた。
「マスター、どうすれば?」
「ミネルヴァに命ずる。剣となりて我が意に応えよ」
「はい」
ミネアは真名が呼ばれたことで焔の宝剣に変じた。
たちどころにサラマンデルたちが宝剣をフリーアンのもとに運ぶ。
(やはり、『本物』は違うな)
フリーアンは手にした瞬間に違いをまざまざと知った。
ミネアの魂が宿った宝剣ミネルヴァは尋常ではない力を漂わせている。
切っ先から青白い焔が立ち上るが熱くはならない。
本来熱エネルギーに変換するべきものを切っ先に集中させる。
そうすることで莫大な破壊力に繋げる。
宝剣ミネルヴァとはそういうシロモノだった。
敢えて必要だと感じたのは相手もまた尋常ではないバケモノだったからだ。
「不動剣の型だが動じるなよ。ボクはボク流で行く」
『はい。構いません』
“敵”との距離は確実に詰まっていた。
「さて、精霊王の名に恥じぬ戦いをしてやろうじゃんか、ノーム跳ばせっ」
ミネルヴァを手に地霊たちに命令して大きく跳躍したフリーアンは森の片隅で構えていた“敵”に先手を打った。
「サラマンデル、包囲しろ」
もの言わぬ精霊たちがたちどころに指示に従う。
散開したサラマンデルたちが“敵”を完全に包囲した。
「ソイツを焼けっ!」
口許から鮮血をしたたらせた巨大な黒犬はサラマンデルに包囲されて一瞬にして焼かれた。
火だるまになって転がる筈のソイツは何事もなかったかのように動じていない。
フリーアンは我が眼を疑った。
ノームの作り出した岩の結界が炎の侵入を完全に阻んだのだ。
(なんてヤツだ。アイツも地霊の力を使いこなしてやがる)
『それも自分以上に』という言葉を敢えて呑み込んだ。
業火を凌いだ黒犬が攻撃に転ずる。
木々がたちどころに石に変化していく。
(石化攻撃だと)
フリーアンは距離を測りつつ、木々を飛び回った。
瞬く間にそこいらの木々が石に変じていく。逃げ遅れればフリーアン自身も石になる。
解除は出来る筈だが、その隙にヤツが牙を立てるのは目に見えている。
「サラマンデル、炎の槍だ」
包囲攻撃から一斉突撃をかけたサラマンデルたちは炎の槍となって降り注ぐが、黒犬は防御のための岩を周囲に出現させ、自身は物凄い速さで回避する。
だが、炎の槍は陽動だった。
黒犬の進路に回り込んだフリーアンはミネルヴァを大上段に構える。
「不動剣壱の太刀っ!」
フリーアンはミネルヴァを目にも止まらぬ速さで振り下ろす。
確かな手応えはあった。
(移し身だと・・・)
フリーアンが切り伏せたと思ったのは岩だった。
黒犬は横に跳躍して回避している。
(アイツ、この太刀筋まで知ってるってのかよ)
一瞬の動揺。その隙に石つぶてが襲い来る。避け損ねた一発が瞼をかすめた。
「ちっ」
舌打ちして飛びすさる。
右目に血が流れ込み視界がぼやけた。
「マスターっ!!」
「ミネルヴァ、ボクの傷は浅い。いいから集中を解くなっ!」
一瞬でも気を抜けばやられる。
ダメだ。
不動剣は使えない。
相手は太刀筋をよく心得ている。
「だったらこうするまでだっ」
フリーアンは盗賊流にミネルヴァを持ち替えた。
剣を背後にして逆手に構える。
黒犬は僅かに動揺したように見えた。
一方、フリーアンはギルドでならした暗殺剣技に切り替えたことでかえって動きが鋭くなっていた。
こちらは年季が入っている。剣を鋭く横に凪ぐ。
本来は相手を威嚇・牽制するための技だ。だが、得物が違う。
ミネルヴァならば、かすりでもすれば致命傷になる。
黒犬は避けるので精一杯になっている。
その証拠に地霊を使いこなせていない。
何度も何度も横凪ぎの攻撃が繰り返され、遂にミネルヴァの刃先が黒犬の肩先をかすめた。
「グォォォォ」
痛みで低いうなり声を上げる。
刃先とはいえ蓄えたエネルギーが注ぎこまれたのだ。
血飛沫が上がらないのは傷口が一瞬にして焼かれたからだった。
優位に立った。フリーアンがそう思ったのはほんの一瞬だった。
視界が急に狭まる。
流血のせいではない。
秋の太陽が傾いたからだった。
フリーアンは闇も得意だ。
だが、相手はそれ以上に得意にしている。
なにしろ獣なのだ。視覚が狭まっても嗅覚で感じ取れる。
「時間切れかよ・・・」
フリーアンの戦意が急に萎えた。
そう感じ取った黒犬は最大の脅威の排除にかかる。
右腕に齧り付き、忌々しいあの剣との繋がりを分断する。
ノームの力で鋭く跳躍した黒犬は視界が覚束ないであろうフリーアンの右側から腕を狙って噛み付いた。
「ぐがっ」
右腕をもがれるような痛みにフリーアンが硬直し、手にしていたミネルヴァが落ちる。
勝負あった。
そう思ったのは・・・フリーアンだった。
左手に抜いていた愛用の短剣が黒犬の喉元を深々と刺し貫いていた。
グハッ
右腕を噛み千切りかけていた牙が空しく抜ける。
呼吸が出来ない苦しみに悶絶していた黒犬が最期に見たのはフリーアンの冷酷な視線だった。
「あばよ、強敵」
左腕に握り直したミネルヴァが黒犬の首を刎ねた。
こうして、死闘は決着した。
「大丈夫ですか、マスター」
剣から乙女に。つまりはミネルヴァからミネアに戻った少女は黒犬の頸を刎ねた後に倒れたフリーアンに駆け寄る。
右腕は折れた骨が剥き出しになり、腱も筋肉も引き裂かれて皮で辛うじて繋がっている状態だった。
「ノーム、疲れてるだろうが全力で繋げてくれ。サラマンデル、周囲に結界を頼む」
呻くように命令してフリーアンは完全に横たわった。
額には脂汗が滲んでいる。
気力も体力も限界に達していた。
地霊たちの再生治療は既に始まっていた。
人間には手の施しようがない状態だったが精霊たちの力は違う。
切れた腱や神経、血管がみるみる繋ぎ直されていく。
だが、吹き出した血液の量が多い。
フリーアンの顔面は切れた額を除いて蒼白になり、生気は喪われつつあった。
「マスター、死なないでマスター!」
ミネアには為す術がない。
せめてとばかりに左手を握り締める。
最早、彼の運命は精霊たちと冥府王の差配に委ねられていた・・・
意識を喪ったフリーアンは深い夢の底に墜ちていった。
「ボクは死ぬのかな・・・」
ぽつりとつぶやくと、ヨミが傍らに立っている。
「フリーアン、残念だがまだ死ねんよ・・・」
「はぁ、冥府王に拒否されるとはね。ツイてるんだか、そうでないんだか」
「すまんな、フリーアン。重ね重ねお前には厄介をかける」
「冥府王、なにを謝ることがある?」
フリーアンは怪訝な顔をした。
「結局、アレの後始末までさせてしまうことになるなんて・・・」
ヨミは苦悩に満ちた表情でフリーアンを見据える。
「アレってあの黒犬のことか?」
「左様。アレもかつてはヒトであったものだ」
「恐ろしい敵だった。なにより、地霊を自在に使い、不動剣を知り尽くしていた。なによりも狂気にも似たヒトへの怒り、あれは一体・・・」
「アレがヒトであったときの記憶がそのようにさせたのだ。魂を喪ってなお、アレは残る思念で生きた屍として生きながらえてきた。最早、唯一残った役割も見失い空っぽの体に残った激しい怒りの衝動だけがアレを衝き動かしていた。誰かが倒さねばならない相手だった。しかし、リーアムは決着を拒み、時間の彼方に跳ばした。それが更なる悲劇と苛酷なる運命をもたらすとは予想だにしていなかったのであろう・・・」
「つまり、ヒトとして生きていたとき、アイツは地聖剣フレイアの使い手・・・つまりは大地の剣聖だったのか?」
「そうだ。私が魂を抜いて抜け殻にした。そうせざるを得なかったからだ」
「まさか・・・」
「そう、そのまさかだ」
・・・・・・・・
10.迷妄
フリーアンは痛みに目覚めては微睡み、微睡んでは夢に墜ちるという状態が続いていた。
時間の感覚が鈍り、寒気に震える。
視界はぼやけ、感覚も酷く鈍い。
痛みさえロクに感じられなかった。
眠ってはヨミとの対話が繰り返された。
どうやら冥府王はフリーアンを迎え入れるつもりがないらしい。
つまりはここで死ぬことはない。
正直なところフリーアンは落胆した。
少なくとも、いや多分に自分を生かし続ける何者かの一人が冥府王ヨミであることは明白だ。
生きていればあのようなギリギリの戦いが続く。
ふと傍らに目をやるとミネアが左腕にしがみつくように寝ている。
彼女の白い裸体が見えた。
どうして・・・と考えたとき、高熱でうなされていたのだと悟る。
腕に堅い乳房が当たっている感触を感じてフリーアンは恥じらったが、ふりほどく気力もない。
ふとミネアの寝顔に無垢なる者の愛おしさといじらしさとを感じてフリーアンは自分の中の変化に気付いた。
嫌じゃない。なぜだか・・・バケモノなのに・・・
なんでだろうと考えているうちにまた眠りに墜ちた。
『大した男だの』
『誰が?』
『お主よ。フリーアン』
『買い被るのはカンベンしてくれよ』
『そういうでない。アレは儂ら龍でさえどうにもならなかった相手じゃ』
『龍でさえ?そうか、精霊力で自在に宙を舞えるし、石化攻撃もある。確かに龍でも厄介な相手だろうな』
『洞察力と瞬発力。なにより咄嗟に敵の狙いを察知し、己の気力さえコントロールしてみせた。並の人間に出来る真似ではない』
『見ていたのか』
『ああ、しっかりとな』
『・・・精霊王で剣聖だからな。やれて当然なのさ。なによりボクにはミネルヴァがあるんだ。それで簡単に負ける方が失格だろ』
『そう自分を追い詰めるな、フリーアン。お主は強い。リーアムでさえ、お主が相手なら苦戦するだろうて』
『アイツにもボクにも自分から進んで戦うつもりはない。なによりボクは・・・』
『運命を責めるな。どんなに残酷でも避けようがない』
『マダインの手がかりも尽きた。リーアムなら知っていることもあるだろうけれど、今はアイツ自身囚われの身なのだろう』
『それもまた運命。ヤツはヤツの運命と対峙している。今はそれぞれが己の運命と対峙するときなのだ。そなたの父親もまた。世界の何処かで己の運命と対峙している』
『過去形じゃなく、現在進行形なのだな。ボクが倒したアレが父の成れの果てだと聞かされた。他ならぬ冥府王にだ』
『それもまた真実の一端。だが、もっと直感を信じろ。お主は真理に近く在る者だ』
『なぁ、龍とマダインの一族には深い関係があるんじゃないか?ボクは龍眼や龍剣という言葉にその繋がりの手がかりがあると感じている。お前が本当に龍ならなにか知っていまいか?』
『儂は知らぬよ。だが、長ならばなにか知っているやも知れない』
『何処に行けば逢える?』
『さてな。儂はここを離れられぬ。儂の縄張りは要だ。容易には離れられぬのだよ。それもまた儂の運命』
『そうか、それは残念だ・・・』
フリーアンは再び眠りに墜ちた。
ようやくにしてフリーアンが意識を回復したのは死闘から3日後のことだった。
右腕は多少の痺れこそあるものの元通りとなり、熱も下がっていた。
噛まれたことによる物理的な負傷に加えて感染症を併発していたらしい。
高熱はそれによるものだとフリーアンは理解した。
口許には携帯食料の食べかすがついていた。
自分で食べる力はなかった。
おそらくはミネアが咀嚼して口移しで食べさせていたのだろう。
(パートナー、なんだな・・・)
改めてミネアが自分にとってかけがえのない存在になったのだと実感する。
少し遅れてミネアが目を醒ます。
「マスター、お加減はいかがですか?」
「心配ない。お陰で大分調子が戻った」
少し微笑んでみせるとミネアは安堵の笑みを浮かべる。
(その献身も愛情も、すべてはボクがMasterだからなんだよな)
大事な存在だというのは得難いから、心配をしてみせるのは忠義から、勘違いしてはならない。
そもそもコイツには『好意』なんてないんだ。
まだフラつく体でもやらなければならないことが二つあった。
一つは黒犬の遺骸を丁重に葬ることだった。
だが、黒犬の遺骸はなかった。
正確に言えば、
骨と皮だけを残してほとんど消滅していた。
内臓や筋肉に一気に時間の流れが押し寄せ、見る影もなくなったのであろう。
「ノーム、穴を穿て」
地霊に命じて深い穴を穿ち、そこに黒犬の骨をおさめていく。
胴体部分を収めた後、離れた位置に転がっていた頭蓋骨を手にしてフリーアンは感慨深げにそれを見た。
「ひとつ貰っておくよ」
鋭い牙を一本だけ引き抜いて手にする。そして頭蓋骨を胴体の上になるように収めた。
「皮かぁ」
黒犬の全身を覆っていた皮は見事に原型を留めていた。
手にとって臭いを嗅ぐが獣臭い臭いもなくなっている。
「毛布がわりになるかな」
短剣を抜いて余分な部分を切り落とそうとするが刃がとおらない。
「“ミネルヴァ”、つまらんことだが手を貸せ」
フリーアンの意図を察して墓前に備える花を摘んでいたミネアは「へっ?」と声を上げた後に剣に変じた。
ミネルヴァで四角い形になるよう余分な部分を裁断する。
黒犬の毛皮は瞬く間に大きな毛布になっていた。
「戻っていいぞ」と命じてミネルヴァからミネアに戻す。
「なんに使うつもりなんですか?」
「なにってこれから冬に向かうんだ。寒さを凌ぐのにはうってつけだろう」
余分として切り落とした皮も墓穴に入れる。
ミネアが詰んだ花もそっと差し入れた。
「ノーム、埋め戻せ」
地霊に命じて墓穴を埋め戻し、近くに転がっていた手頃な石を墓石替わりにする。
「どうしてここまでするんですか?命掛けで戦った強敵だったのに」
「強敵だったからさ」
それ以上の理由をフリーアンは思い当たらない。
だが、何故だかそうするべきだ、そうしたいと考えた。
ヨミから得た正確な情報は心の深淵に沈み、ただ感傷と空しさとが心を覆い尽していた。
それでもなにかしなければならない。
手を合わせてしばし祈った後、フリーアンは黒犬の痕跡を頼りに森の中へと進んだ。
「なにを探しているんです?」
「死体」とフリーアンはぶっきらぼうに答える。
「なぜ死体があると?」
「黒犬がボクらを襲おうとする前に先に襲われたヤツらがいた」と言葉を切り「間違いなくお前の追っ手さ」
数分歩いた後にフリーアンは襲撃を受けて無残な姿になった一団を発見した。
黒犬に襲われた後に野犬などの獣に食われたのだろう。遺体はほとんど原型を留めていない。
「マルーセルの工作員だな。サラマンデル、骨は残して焼いてやれ」
焔の精霊たちが遺体に群がって炎で焼き尽くす。
「憐れな連中さ。たとえ命令通りにお前を捕らえようとしても結局は同じ目に遭っていた・・・」
もっと酷い目だったろう。
骨さえも残らないほどの。
「その者たちを埋葬はしないのですか?」
「わざと野晒しにして見つけやすくしてやるのも親切だ。焼かれた骨だけになっていれば獣もさして関心を持たない。そのうち別の連中が回収しに来るだろうさ。そうして家族の許に返される。せめて骨が残っていれば家族は葬式も出せる」
「優しいんですね、マスターは」
まるで他人事だな、と内心ボクは思う。
「そうじゃないよ。ボクら工作員には工作員なりの掟がある。遺体の一部が残っていさえすれば家族が弔える。だから、首だけだろうが骨だろうが本人だと類推できる程度には残しておく。生きていたという証、死んだという証になるからさ」
「そういうものなんですか・・・」
(骨まで容赦無く焼いちまうオマエとは違うんだよ・・・)
その言葉を危うく呑み込み掛けた。
ボクがコイツを嫌悪していたなによりの理由がソレだ。
無感傷なバケモノ。
容易く命を奪い、生きていた痕跡すらなくす。
コイツが蹂躙した村は存在そのものさえも消えていた。
それで誰かが痛切に悲しむなどとは欠片も思わないのだろう。
「仇はとってやったぞ。無念だろうが少なくとも家族に累が及ぶようにはならないから、安心してヨミの許で眠れよ」
宥めるようにそっと声を掛けてやり、ボクはその場を離れた。
昏睡状態で龍と会話したことだけは覚えている。
龍はその本能は理性に満ちた存在だ。だが肉体は正に理不尽なまでの暴力と生存本能の権化だ。
ああしてテレパシー能力で語る分にはなんの害もない。
だが、実物はそうではない。
厄介な季節だった。
晩秋。
龍は冬眠に備えて普段よりも獰猛かつ食欲旺盛になる。
不用意に近付けば戦いは避けられない。
戦えばいずれかが傷つく。
マダインの秘密について龍から手がかりを得るのには翌年の春過ぎを待たねばならない。
それまでの間、冬ごもりでもしなければなるまいか・・・。
命を繋ぐというのは容易なことではない。
それは幼少期から体に叩き込まれた教訓だった。
ことに冬ほどに厳しく厄介な季節はない。
幸いにしてこの辺りはかつて隠れ里があった。
つまりは季節を乗り切るだけの力を備えている場所だ。
それに廃墟とはいえ直せば住めそうなところも残っている。
当座のねぐらはそこにするのが良さそうだ。
フリーアンは黒犬の毛皮などすべての荷物を持ってマダインの隠れ里に戻り、廃墟を見繕う。
そして、翌日からは其処を拠点にして燃料となる薪と保存食糧の確保という作業に費やすことにした。
龍の秘密を追うためミネルヴァと共に行動を開始したフリーアン。
一方、この章のもう一人の主役も動き始める。
失意の名将ロイアス・エンフィールド。
彼の出奔に隠された秘密。それこそが紅蓮のミネアさえ知らない、ファミール継承戦争の秘密そのものだった。
やがて運命の4姉妹の父親となるフリーアンことベルイーニ・フリストベル。
そして、やがては貞淑なる彼の妻として母親となる紅蓮のミネア。
二人の千年の旅路はまだほんの一歩を踏み出したに過ぎない。
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