序章8 冥府の王

 トワメルは酔いながらも酔えないことを自覚しつつ、結局は酔い潰れて寝入ってしまった。

 未明に目が覚めるとベッドの隣ではアンが美しい寝顔を見せている。

 不思議なことにトワメルにはそれが常日頃の日常のように感じられていた。

 婚儀の話はまだパルミラに広まっていないであろう。

 だが、この体たらくはなんだ・・・とトワメルは頭を抱えた。

 なにもかもが一足飛びに進行しているように思われる。

 それもこれも極度にせっかちなリーアムのせいだ。

 大きなため息を一つするとトワメルは立ち上がり、窓辺にもたれた。

 遙か遠くに街の灯りが見える。そして地上よりもずっと星が近くに見えた。

(運命か・・・)

 確かに王都パルミラからは遠く離れた所に来た。だが、それ以上にもっと遠くに来てしまったように思われてならなかった。

 ふと、視線を部屋に戻すとそこに男が一人立っていた。

「誰だ?」

 トワメルは寝ているアンを起こさぬよう静かに問いかける。

 すると男は人差し指を立てて静かにするよう合図する。

 そして、今やトワメルにとってお馴染みとなった青い魔方陣を作り出した。


 トワメルの出現した場所は青白い光に囲まれた不思議な場所だった。

 其処はリーアムが客間として用意したあの目映い光に溢れた空間とも違っていた。

 幾つもの光が一定の間隔で瞬いている。それが薄暗い空間をほのかに照らし出しているのだ。

 トワメルはなぜか心が安らぐように感じた。

 そして、以前にもここに来た事があるように思えた。

「不思議だ。なぜだろう・・・私は此処を知っている気がする・・・」

 まるで其処に両親や家族が居るとでもいうような安心感。

 そして光の瞬きは寝息のようにも思える。

 空間全体が眠りについているようだ。

「さすがは永久王だ。この場所の意味を即座に理解したようだな」

 先ほどの男が静かに立っていた。まるで影そのもののように黒ずくめ。

 額の銀色の冠がなければ薄暗い空間にすっかり紛れてしまうかのようにも思える。

「お初にお目にかかる・・・と言った方が良いだろうか、我が名はヨミ」

 男はトワメルの機先を制するように名乗る。

「貴方は一体誰だ?リーアムの関係者か?」

「いかにもそうである。が、我はリーアムの家族ではない」

 ヨミと名乗った男は厳かな口ぶりで品のある紳士に見える。

 長身に黒ずくめの衣装で顔立ちはリーアムにどことなく似ていた。

 ふくらはぎにまで達する黒い長髪に銀色の冠。

「そなたは幾度となく我に会っている。だが、お主はその都度忘れているのだ」

「どういうことだ?・・・いや、わかる。ここは眠りの世界だ。あの明滅する光は人の魂・・・」

「これは驚いた。世界の深淵に関わる秘密をあっさりと見抜くとは」

 ヨミは口許を緩めた。

「やはりそうなのか・・・。ひょっとすると死者の魂?いや、違うな、この世界全ての魂だ」

「如何にも。眠る魂に生者と死者の区別はない。要するに目覚めたときに戻る器のあるなしに過ぎない。死者もまた新たな器を得ていずれ目覚める。それが輪廻だ」

「輪廻か。不思議だ。昨日、リーアムに生まれ変わりを指摘されたときには酷く腹が立ったのに。今はそれが当たり前のことだと思える」

「理だからな。認めようが認めまいがそれはそのようにある。そして眠りとは加護だよ、永久王。魂には安息が必要だ。その加護を得られぬ者の眠りは実に残酷だ。見るがいい」

 ヨミがさっと手をかざすと丸窓のように空間が映し出される。

 其処にはベッドに横たわるリーアムの姿があった。

 呻き、藻掻き、苦しむ。見ていて痛々しいほどに・・・。

 傍らに寄り添う紡ぎがリーアムの手をそっと握っている。

「この世界であの二人だけが魂の安息という加護を得られない。起きている間は万能無比のリーアムだが、ひとたび眠ればあのように苦しみもだえ続ける。力を行使すればするほど代償として多くの眠りを必要とする。だが、眠れば想像を絶する過酷な思いをする。その身に起きた過去の出来事のすべてが繰り返され、魂に身もだえするほどの痛みを与える」

「毎晩か?」

「そう。そして、紡ぎは眠る事を知らない。目の見えないあの娘には昼も夜もない。ただ、疲労することもない。ああして苦しむリーアムに寄り添うため作られた存在だからだ」

「それが不老不死の代償?」

「人智を超えた先には余人に計り知れぬ苦しみがある。そういう理なのだ永久王」

 トワメルはリーアムの秘密の一端を知ったバツの悪さと、そんなリーアムを羨ましいとさえ感じていたことに対する罪悪感を感じた。

 『死なない』のではない。『死ねず、安らかに眠れぬ』のだ。

 一体どんな罪人がそんな罰を受けるというのだ。

「魔王戦争の後、敗北したリーアムにある男が魔法をかけた。ほとんど禁じ手とも言える手段でリーアムの記憶を強制的に遮断した。名を封じられたリーアムは眠りの苦しみから解き放たれた。1000年、《闇の徘徊者》となったリーアムは己の記憶との対峙を免ぜられた」

「負けた?一体誰に?」

「あの男が生涯で最も愛した弟子と、この国の王子と、アガトラムによって」

「なんだって!?」

「あの男を最も苦しめる苦々しい記憶。それがその敗北だ。ただ、それがあの男の救われない魂を救った。そして・・・」

「そして?」

「その弟子が残りの生涯を捧げて試行錯誤の末に産み出したのが紡ぎというわけだ。リーアムの二度目の敗北が今、あ奴の魂を繋ぎ止めている。ああして毎晩な」

「ふはは・・・」

 トワメルは思わず笑った。

「なんだ?なにが可笑しい?」

「リーアムにとって『結婚』は敗北か。私と同じだな」

 己の信念を曲げされられた事実。その意味では結婚は敗北にも似ていた。

 死と呼んでも差し支えないかも知れない。

 別にアンという女性に不満を感じてはいない。

 むしろ、自分には過ぎた存在とさえ思い、愛しいと思う。

 だが、確かな事実として少なくともそれまでのトワメル・ティグレーンはそこで一度『死んだ』。

 頑なで己の運命に頑強に立ち向かおうとし、孤独に耐えながら無理を重ねてきたトワメルという男は自分の中に芽生えた『恋』という名の口当たり柔らかい毒酒を煽って死んだ。

 そして、新たな自分・・・あるいはリーアムやヨミの言うアルテア永久王たる道に立たされた。伴侶たるアンと共に。

 苦笑と共に視線を転じたとき、ふと目に入ったヨミの傍らにいる女性に目を奪われた。

 ベルイーニの妻ミーネによく似たほっそりとした顔つきの女性がトワメルをいとおしむようにして見ていた。

「これは我が妻アンナだ。アンナがどうしてもそなたに一目会いたいと申したのでご足労願ったのだ。妻の願いは我が願いでもある」

「・・・・・・」

「我がお主に伝えたかったのはリーアムは今現在非常に危険な状態にあるということだ。紡ぎの力をもってしてもリーアムの魂を苦痛からああして和らげ守ることしか出来ない。その事実はリーアム自身から語られることはあるまい。あの男は眠ることの『恐怖』は知覚しても、そこで味わう『苦痛』は自覚していない。それが眠りが眠りたる所以。それでお主にどうしても教えたかった」

「私が知ったところでどうにもならない・・・」

「そうではない。お主は根源的にリーアムを理解したことがある数少ない男だ。あの男は決して認めまいが、『友』と呼べる存在に足り得る。残りの10年、お前が支えてくれ。そうすれば、少なくとも『螺旋の運命』は完遂する。変革が起こせるかは分からぬが、螺旋は継続する」

「『友』だと。私は数少ない『親友』の年齢や娘たちのことさえ知らない男だぞ。そんな男に2000年以上の時間を生きるリーアムのなにがわかると?」

 トワメルはエルミーユの語ったベルイーニの秘密を思いながら吐き捨てるように呟いた。

「ベルイーニ・フリストベルはリーアムに最も近い存在だ。だが、近いからこそ、あの二人は反発してしまう。いずれ、ベルイーニがフリーアンと名乗っていた過去もお主は知る事になるだろう。その妻のこともな」

「知ればなにかが出来るのか?」

「ああ、知れば彼らの『救い』になる。少なくともエルミーユとアンナはそう考えている。本人たちもいずれお主に感謝することになるだろう」

「救いか・・・。それより、アンナさんは私のことを知っているのか?残念だが私は貴方のことは記憶にない。とてもよく似た人ならば知っているが・・・」

「いや、既に知っている。だが、今はまだ分からないだけだ。もう既に答えの大半はお主の中にある。ただ、お主が知っている『常識』がそれを邪魔しているだけだ」

 ヨミはトワメルを真っ直ぐに見つめた。

「だが、ヒントはある。時間は過去から未来へと流れているわけではない。未来から現在に到る流れがある。お主の中にある時間だけで物事を考えれば永久に答えは出ない。だが・・・」

「だが?・・・なんだ?」

「それ以上は我が口から語るより、お主自身で確認せよ。聡き永久王」

「わかった。今はわからないが分からないということが分かった」

「それでいい。リーアムにとって三度目の敗北はあの男から不死の肉体すら奪う。お主たちの時間もそこで一度完全に制止する。その前に答えを見つけておくことだ。そうすれば『螺旋の運命』を良き方向に変えられるかも知れない」

「ヨミ、貴方ほどの人にもわかっていないのか?今度の螺旋の結末は?」

「ああ、我の知る『螺旋の運命』は過去のそれでしかない。リーアム自身がそうであるようにだ。我はリーアムと同等ではあるがそれ以上の存在ではない」

「10年後に起きる出来事の前に打てるべき手を打てと。アンと結婚し、アルテニア公爵にしてエルトニア城主となり、やがて災厄の後に世界を再興する・・・永久王として?」

「そうだ。そして、リーアムが皮肉ったことを覚えているか?お主は『螺旋の運命』に祝福されている。何度生まれ変わろうが、お主は王族に産まれると」

「忘れられるわけがない。私自身訝しいと思った。皮肉な巡り合わせだと・・・」

「我らがそうしたのだ。我とアンナとが数ある魂の中からお主のそれを選んだ。王族として決断を迫られ、その都度正しい答えを導き出す。お主ほどの適任者はいない。だから『永久王』と諡したのだ。『祝福』が迷惑だと感じ、『呪い』だと思うのであれば好きなだけ我々を呪うがいい」

「冗談じゃないっ。トワメルとして国と妻子を喪って流浪したことも、ヴェルミーとして親兄弟を喪ったこともお前たちの仕業だったと言いたいのか?」

「シナリオは最初から用意されていた。そしてシナリオがそのときのお主に必要な役割を教えた。今そのようにあるのは、過去がそうさせたからだ。たとえ悲劇だとしても、お主はそれを役立てられる。数億に一つという貴重な存在ゆえに我々はお主を選んだのだ。間違っているとは決して思っていない」

 トワメルは絶句した。祝福と呪いは正に一括りだった。

 そうさせた張本人から『そうだ』と断言されたら、返す言葉もない。

 だが、魂の底から返す言葉を絞り出す。魂が抱えてきた『無念』がトワメルを衝き動かす。

「買いかぶりも甚だしい迷惑な話かも知れない。だが、せめて受け止めようは私自身に決めさせて欲しい。たとえ運命は変えられなくても、たとえシナリオを書き換えることが出来なくても、私自身の感情まで決めつけられたのでは生きている意味も甲斐もない。リーアムほどの苦しみではないかも知れない。だが、痛みを伴う過去は私“たち”にだってある・・・」

 トワメルとヴェルミー、そして魂を同じくする無数の存在を意識し、彼らの無力、無念、絶望・・・それが確かにわだかまっていた。

「そうやって受け入れがたい事実を冷静に穏やかに受け入れられることが正しき資質なのだ。そして数ある経験に裏打ちされた洞察がここの持つ意味、リーアムの秘密。数多の砂粒からベルイーニを選び取った。誰にでも出来ることではない。いや、お主にしか出来まい。その肉体の持つ狭い視野にとらわれずに俯瞰した世界にあるちっぽけで無力な己自身を見出せる才覚。選んだ我々に悪意があってのことではない。感情に乏しい我はともかく、少なくともアンナはお主を誰よりも愛するが故に選んだ。正に道の達人(Master of Road)たる誉れなのだ」

 トワメルは「ヨミ、お前自身を差し置いてもか?」という言葉を敢えて呑み込んだ。彼がそう告げるのだから事実なのだろう。それ以上はヨミの誇りや愛を傷つけてしまうかも知れない。なにをされてもこの物静かな男を傷つけたいとは思わなかった。

「わかった。参考にさせて貰おう。用向きはそれだけか、ヨミ?」

「ああ。幸いにしてお主の魂は我々で繋ぎ止められる。死と眠りによって癒やし、次なる役目へと送り届けられる」

「まいったな、私は塔に来てからというもの驚かされっぱなしだ。いや、確かに少し前から“なにか”が変わる気配は感じていた。けれどこうも忙しないと自分が保てるか自信をなくしてしまう・・・」

「我もリーアムも冒険を犯した。未知なる螺旋に我々は臆した。だが、二人揃って冒険を犯す気にさせたのはお主の勇気を認めている証だ。先のことを少々知ったところでそれで取り乱すほど弱くない。いずれ正しい答えを導き出すだろう」

「期待はしすぎないでくれ。神の座にあるあなた方と人に過ぎない私とでは違いすぎる」

「我々が神?そうだな、我とリーアムともう一人、二人を足せばお主の言う『神』足りうる。だが、我々は『神』たることを避けるため敢えて異なる道を選んだのだ。人として、人をより良く導くために。だが、絶対でも万能でもない。リーアムが万能ではないように我に出来ることは魂に刻まれた業を洗い流して、再び流れに戻すことだけだ。単にリーアムほど情に厚くもなければ、急ぎすぎもせず、責任感にもとらわれないからこそ『冥府の王』としての役目に没頭出来た。ただ、我は我自身が感じている以上に疲弊していたらしい。我自身がそれと気づかぬほどにな。それでアンナが我が支えとして選ばれた。誰にも支えが必要だ。リーアムにも、我にも、無論、お主にもな・・・」

「それがアンか・・・」

「そう。『出会い』は大切にしろ。それが仕組まれたものだとしても、必然があってそうなった。そして、『出会い』以上に彼女自身を大切に扱え。それが運命に抗う力になる。これは経験者の助言だと思って欲しい。話は以上だ」

「わかった。ありがとう闇の王。そしてその伴侶たる女性アンナ・・・」

 トワメルはその後に起きることを予期して二人に深々と頭を下げた。

「やはり、聡い。我が為すのは我に出来ることのみ・・・」

 ヨミの手がすうと差し上げられるとトワメルの意識は瞬く間に混濁した。

「再び目覚めたとき、日常に戻る。それがこの部屋の理。しばしの別れだ永久王・・・」

「ああ、今宵またな・・・」


 眠りによって魂に刻まれた業を洗い流すとヨミは告げた。

 業を洗い流す過程で魂に起きる現象。それを人は『夢』と称する。

 ヨミの言うように『眠り』と『死』が等しい加護であるのなら、眠りによってもたらされるのは、事実が整理されきちんと収まる。そのことによって魂は刻まれた事実を『夢』と認識して『精神』にかかる負担を軽減する。

 忘却あるいは失念という形で受け止めきれないものを洗い流し、刻みつけられた言葉を深遠に沈める・・・


 案の定、眠りから目覚めたトワメルはヨミとの語らいを『夢』と認識した。

 意識は肉体に与えられる刺激への対応に追われ、夢は夢として意識や精神の彼方へと遠ざけられる。

「おはよう、あなた」

 アンの優しい声にトワメルの意識は急速に覚醒に向かった。

 あなた。なんと自然な呼び方だろう。自然であるが故にトワメルはそう呼ばれることに慣れようとしていた。

「ああ、おはよう」

 その言葉と共に不意にトワメルはなにかに駆られた。

「これからも私を支えてくれ、アン。そなたの良き夫たるように」

「おかしな人ね」

 怪訝な顔で苦笑したアンをトワメルは誰よりも愛しいと思うのだった。

                                    続く

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